• 湯山先生の「名旋律集」の楽譜を配りました

    今日も一人一人の力を高めていくことから始めました。先週のプラスチックの名札(本当はカセットテープの箱が良いのですが、今の子はカセットテープと言っても分かりますまい)を倒すという呼吸の練習はしませんでしたが、先々週にやった「アマリリス」をやりました。これは、呼吸・腹筋・音程など、多くの「合唱力」を育てることのできる練習です。

    工夫したのは、ソラソド ソラソー ララソラ ソファミレミド というハ長調だけではなく、だんだん音を上げていって最終的にはヘ長調までもっていきました。ヘ長調でこの音階を正確に歌うことは、本当にムズカシイことです。

    その間に父母会の方々にお願いして、9月に行う東日本大震災の復興コンサートで歌う「ありがとう」の楽譜を印刷してもらっていました。

    「アマリリス」をヘ長調までもっていった後、「葡萄と風と赤とんぼ」に切り替えます。この曲の主旋律を正確に歌うことは「アマリリス」以上にムズカシく、逆に言えば団員のみなさんの力を高めるためにはうってつけのトレーニングになります。

     

    そうこうするうちに「ありがとう」の楽譜が届き、気分を切り替えます。この曲は東日本大震災の復興を願って作曲されたもので、かなりメッセージ性の強い音楽です。

    結論から言えば、約5分かかるかなり長いこの曲を、最初から最後まで、全員が全てのパートを歌った上でハモらせることができました。いつもながら、すごい効率の良さです。

    この曲の楽譜には縦書きの歌詞が付いていませんので、ここに記しておきます。歌っているだけでは、この曲のメッセージ性が頭の中から飛んでしまうので、文字として読むことは非常に大切かつ有効です。

     

    ありがとう

    (それまでの私は)

    「一人じゃ生きていけない」

    そんなこと分かっていても

    目と目を合わせないまま

    知らないふりして過ごしてた

    ひねくれて素直になれなかった

    (だから今の私は)少し照れくさいけど伝えたい心

    (その伝えたい心とは)「ありがとう」

    「生まれて(きてくれて)」「生きてきてくれて」

    「出逢ってくれて」「ここに居てくれて」

    「たくさんの笑顔くれて」

    (私が)いつか果ててしまっても

    (その心は)消えないように

    この思いを大切に紡いで生きるんだ

    「ありがとう」

    信じられない出来事(東日本大震災)

    不安で夜も眠れない時

    優しく声かけてくれた(あなたがいた)

    (私の)心に明かりが灯った

    手と手を取り合って 助け合って

    この一言から笑顔が生まれる

    (その一言とは)「ありがとう」

    「ありがとう」たくさん「ありがとう」

    初めの一歩 魔法の言葉

    人は繫がってゆける

    笑顔の花 咲き誇る時 愛が生まれて

    この世界の行く先 変えられそうなんだ 信じてる

    「ありがとう」

    「生まれて(きてくれて)」「生きてきてくれて」

    「出逢ってくれて」「ここに居てくれて」

    「たくさんの笑顔くれて」

    (私が)いつか果ててしまっても

    (その心は)消えないように

    この思いを大切に紡いで生きるんだ

    「ありがとう」

     

    ヘタな説明をするよりも、読んで直ちに分かる詩です。命とは何なのか、もう一度、深く考えたいですね。

     

    もう一つの報告は、湯山先生の「名旋律集」の楽譜を配ったことです。これで、

    • 鮎の歌
    • かもめの歌
    • 名旋律集
    • 四国の子ども歌

    という第20回定期演奏の全ステージの楽譜が揃ったことになります。

    来週23日は、嶋田先生は名古屋市の仕事があって練習に参加することができません。浜田先生と高倉さんにお願いをしておきました。それほど難しい曲ではありませんから、6曲全部の音取りが完了するのが目標です。

     

    力を合わせて、みんなで練習を進めてくださいね。お願いします。

  • 一番大きな「力」とは

    この日は久しぶりにフェールマミでの練習です。フェールマミにはグランドピアノがありますから,アップライトピアノの音楽プラザではできない練習を必ずすることにしています。

    その練習とは,声の「響き」というものを,いかに実感し納得するか…というものです。「空」の団員で,この練習の洗礼を受けていない子は一人もいません。すなわち,グランドピアノのフタを開けて,声の響きで中にある弦を鳴らすという実験(練習)です。

    その前に,ちょっとした工夫をしてみました。フェールマミに置いてあったプラスチックの名札を立てて,これをフッと息を吐いて倒そうという練習です。そう,口と名札との距離は50㎝といったところです。1回で倒す子もいれば,3回4回とやってみて初めて倒れたという子もいます。これ,年齢に関係ありません。1回で倒すことができた子も,それは振ったバットにたまたまボールが当たっただけかもしれないですよ。

    何を知ってほしかったかと言うと,吐く息には(合唱の場合の呼吸には)方向があるということです。もしも空気(吐く息)に色がついていたら一目瞭然なのですが,残念ながら目には見えません。

    浅い呼吸で息を吐くと,フワッと広がって口から空気が出ます。深く,腹筋をしっかり使うと,空気が弾丸のように塊(かたまり)になって口から出ます。同じ力でホッペタを叩いても,団扇だったら痛くないけど,定規だったらとても痛い。団扇は広いけど定規は狭いからです。フワッとした空気では名札を倒すことはできません。

    そしてもう一つ,空気を塊にして吐いたとしてもですね,これが名札に当たらなければ当然のことながら倒れません。ところが空気は見えないので,息が名札の方向に向かって飛んでいるか,少しハズレているのかを目で見ることはできません。確認する方法は,名札が倒れるか倒れないか,その事実のみです。

    整理すると,名札を倒すためには
    (1) 呼吸(吐く息)が広がらず,塊になっていること
    (2) 呼吸(吐く息)の方向が目標に向かっていること
    ということになります。

    これ,よっぽど意識して狙わないと倒れません。そして,繰り返しますが,一発で倒れたからといって「やったね」とは思わないでほしいのです。偶然に一発で当たっただけかもしれませんよ。正確に一人一人の呼吸を調べようと思ったら,一人10回ずつやってもらって,10回中何回倒れたかを記録する必要があります。合宿でやってみましょうか?

    今回は,呼吸には方向があるということを知ってもらうのが目的だったので,そこまで追求しませんでしたが,いずれにしてもステージの上でお客さんに向かって歌おうとする時には,このような呼吸の意識があるのと無いのとでは大違いになります。

     

    さて,本題の「ピアノの弦を声の響きで鳴らす」という練習です。ピアノの弦はただの針金ですが,響きのある声(音)に反応して鳴るのです。大きい声でも,響きの無い声には反応しません。ちょっとオマケしてちょうだい…というのは通用しない。単なる針金ですから,響きがあるか無いか,それだけが分かれ目となります。

    結論から言うと,参加した子全員が鳴らすことができたので良かったのですが,その「鳴り」は微かです。もちろん人によって違います。よく鳴る子もいれば,あまり鳴らない子もいます。これも年齢には関係ありません。

    大切なことは,「もっとピアノを鳴らせるようにしたい」と思って練習に来てくれるかどうかです。できれば「嶋田先生に勝ちたい」と思ってほしい。そういう「気持ちを育てる」ことや「心を育てる」ことって,方法なんかないんですよね。本人が「なりたい」と思うかどうかが全てであり,先生はグランドピアノを使って,その仕掛けをしたに過ぎません。

    補足ですが,よく鳴った子は「やったね」と思わないでほしいし,あまり鳴らなかった子はガッカリしないでほしい。どういうことかと言うと,この日に使った音はレ・♭ミ・ミの極めて限定された音であり,もう少し高い音にすればビックリするほど鳴らすことができるであろう子は絶対にいるはずです。もう少し低い音なら…というのも同じ理屈であり,だからソプラノからメゾソプラノ,アルトまでのパートがあるのです。

    「呼吸」の話と同じで,正確に一人一人の「響き」を調べようと思ったら,一人ずつドレミファソラシド全部の音でどのように鳴ったかを記録する必要があります。合宿でやってみましょうか?

    時間が無限にあったなら,呼吸のこととか響きのこととか,一人一人の「力」を入念に調べてカルテを作り…,ということをやりたいのですが,そうすると肝心の曲の練習ができません。限られた時間の中で,いかに効率的に一人一人の「力」を伸ばすか,そのことをいつも考えています。

    しかし,みなさんが「合唱の呼吸というものは普段の生活の中で息をするのとは違う」「合唱の響きというものは普段の生活の中で声を出すのとは違う」ということを納得し実感してくれるのならば,それが一番大きな「力」と言えるかもしれません。

     

    さて,曲の方は先週に引き続き「きみは鳥・きみは花」と「かもめの歌」を歌いました。先週やり残した「かもめの歌」後半もさらうことができ,2週間で難曲2曲をだいたい通すことができました。

    呼吸・響きを含めて,音程・和音・音を聴くなどの基本的な「力」があればこそ,このような効率で「曲を自分のもの」にしていくことができます。やはり前に書いた基本練習は大切ですね。

    ここでは,この日に説明した「きみは鳥・きみは花」の歌詞について記します。

    「きみは鳥・きみは花」の登場人物は2人か3人か,どちらでも良いですし,作詞者の川崎洋は既に故人ですから正解は分かりません。大切なことは「私はこう思う」「ボクはこう考える」というイメージを,みんなが持っているかどうかです。

    詞の中の鳥も花も,もちろん人間です。そして,少し落ち込んでいる人だと思うと良い。くじけそうになっている友達…というイメージです。鳥はレギュラーになれなかった鈴木君であり,花はテストの点が悪くて泣いている山本さん…で良いと思います。

     

    登場人物が,花と鳥の2人であるとイメージするならば,以下のようになります。

    花の言葉 「たとえばきみは鳥」「鳥には羽根がある」「きみは夜明けを待ちわびる鳥」
    鳥の言葉 「たとえばきみは花」「花には美しい色がある」「きみは日の出を待ちのぞむ花」
    花の言葉 「光はじける朝」「鳥が飛び立つように」「きみは飛べ」
    鳥の言葉 「光はじける朝」「花が咲き初めるように」「きみは咲け」

    と,このようにお互いを励まし合っているわけです。君には翼があるよ,君には美しい色があるよ,泣かないで。がんばるんだ,君は自分の才能と自分のすばらしさに,自分で気が付いていないだけなんだよ。という心情でしょうか。

    そして終結部は,鳥と花とが「同じ時代に,同じ星に,はばたく我ら,つぼみをひらく我ら」と手を携えて未来へ(金色の光の方へ)向かっていく…。

     

    登場人物が3人であるという考え方は,花(山本さん)と鳥(鈴木君)ともう1人,私がいるというものです。そして私は,山本さんには「たとえば きみは花」「花には美しい色がある」「きみは日の出を待ちのぞむ花」「光はじける朝」「花が咲き初めるように」「きみは咲け」と励ますのです。同様に,鈴木君には「たとえば きみは鳥」「鳥には羽根がある」「きみは夜明けを待ちわびる鳥」「光はじける朝」「鳥が飛び立つように」「きみは飛べ」と勇気付けている。

    「同じ時代に,同じ星に,はばたく我ら,つぼみをひらく我ら」は私を含めた3人で未来へ向かうことになります。このイメージは,最後に,花と鳥が私に向かって「そして君には,君の竪琴がある」と私のことを励ましてくれることになり,最後の2行に特別な意味が出てきます。「竪琴」とは「歌う力」と読めますし,「思いやり」「優しさ」とも読めます。

     

    この二つのイメージ,どちらが正しいかを論議することは全く意味がありません。みなさんが「こう思う」「こう感じる」と思った方が,みなさんにとっての正解なのです。

    不正解…というものがあるとするならば,それは「どっちでもいいや」「考えるのがメンドクサイ」などという感性しかない人のことを言うのかもしれませんね。

  • 倍音について(2)

    今日も素晴らしい練習ができました。練習参加人数も多く、響きが充実しています。ですが、人数に頼ることなく、一人一人の力を高めていくことをねらいます。

    発声練習で使ったのは「アマリリス」です。歌詞は無し。アの母音で(別にラでも良かったのですが)おなかに軽く手を当てて腹筋の動きを確認しながら、音程に気を付けて歌います。

    ソラソド ソラソー ララソラ ソファミレド

    この音程、けっこう大変です。特に最初のソラソドのソからドへ跳躍する音程。これを正確に決めることは難しいことです。

    一人一人に歌ってもらいます。そして「自分が正確に歌えたと思うか思わないか」を聞いてみました。やはり、「正確に歌えていない。けっこう難しい」と答える子

    多く、そのような「自分の声を聴く耳」と「正確な自己分析の力」が育ちつつあることを嬉しく思いました。

    ソからドという、このような跳躍する音程を決めるためのポイントは腹筋です。つまり「おなかの支え」ですね。だから、おなかに手を当てて、自分が支えているかどうかを調べてもらったのですが、二つのことを意識することは難しいようです。音程に集中しているのは良いのですが、支えを調べているはずの手が、だんだんおなかから離れていきます。

    まあ、あまり手のことはウルサク言いませんでしたけどね。

    それから、倍音がよく響いていました。聞こえるか聞こえないか、手を上げてもらって、聞こえないという子を減らすために、少し詳しく練習をしました。

    ことわっておきますが、「聞こえるような気がする」と手を上げる子が、本当に聞こえているかどうかは先生には分かりません。また、「聞こえない」と手を上げる子が、実は聞こえているのだということも考えられます。

    だから「聞こえない」と答えることは少しも恥ずかしいことではありません。そして「聞こえる」と答える子ばかりになったとしても、倍音が聞こえるかどうかの練習は続けていきます。「聞こえる」を「よく聞こえる」にし、「よく聞こえる」を「すごく聞こえる」という力にしたいからです。さらに「うわぁー、メッチャクチャ倍音がなってるぅ」などと言える子に育てていきたいですね。

    なぜなら、少し聞こえるくらいで満足しているようではダメだからです。どんな音にも倍音というものはあり、人間が「美しい音だ」と感じるのは、実は倍音成分を「美しい」と感じるのであって、聞こえているその音そのものを「美しい」と感じているわけではないからです。

    つまり「倍音が聞こえる」というのは「音の美しさを感じる力」そのものであり、「自分の声を美しくコントロールしようとする力」につながるということなのです。
    ということは、「あっ、この音きれいだな」と思う人には、実は倍音が聞こえているということになります。お父さんにもお母さんにも聞こえています。「きれいだな」と感じる父母であるならば…(笑)。

    世の中には倍音が極めて脆弱な音があり、そういう音を人間は不快に感じます。ウソだと思ったら窓に行きましょう。すりガラスに爪を立てて引っ掻いてみてください。その音には倍音がほとんど含まれておらず、ゆえによほどの変態でない限り、人間はその音を不快に感じます。

    ヨーロッパの教会では、聖歌隊が歌う時に倍音が鳴っていることは古くから知られており、「天使がいっしょに歌ってくれている」と考えられたそうです。ヨーロッパの教会に入ると天井がやたらに高いです。外から見ると5階建てくらいの塔になっていて、てっぺんに十字架が立っている、あの教会です。中に入るとカラッポです。日本の城の天守閣みたいに2階や3階を作れば良いのに、天井までカラッポ。そしてその天井は天使か聖母マリアかキリストなどのステンドグラスになっている。中には10階建てくらいの高さがあるのに、私たち日本人には2階、3階、4階と、部屋を上に作っていかないことが理解できません。

    倍音は、なぜか上から聞こえます。その理由はハッキリとは分かりませんが、上から聞こえるからヨーロッパの教会は上へ上へとカラッポになっていったのです。天使が入る空間を作ろうとしたのでしょうね。そして実はソプラノの倍音とアルトの倍音が、倍音どおしでハーモニーを作り、さらにその倍音が鳴るという現象が起こり(物理的科学的に起こります)、その倍音はさらに上から聞こえるので、ヨーロッパの教会はどんどん高いものになっていったというわけなのです。

    長々と書きましたが、ようするに美しい音、美しい声です。それを追求する心。自分自身で自分を追い求める心。

    どうすればそういう心を育てることができるか。「やい、そういう心を持ちやがれ」と怒鳴りつければ、そういう心が育ちますかね?心を育てる方法なんか、ありゃしませんよ。

    その方法を嶋田先生なりに、具体的に書いただけのことです。練習の場でここに書いたことを説明していたら、時間がいくらあっても足りませんものね。いやぁ、声を出すって、おもしろい!!!

     

    さて、曲の練習は奇跡的でした。人数が多かったので「誰も知らない曲をやろう」ということになり、「きみは鳥・きみは花」を歌い始めたのが10時07分です。全部のパートを全員で歌います。その後で自分のパートを歌ってハーモニーを作っていく。それで10時57分に最後まで通りました。きわめて効率的と言えます。そして伴奏付きで全曲を通して歌ってみて休憩に入ったのが11時07分でした。

    全員が全部のパートを歌うという、この方法を取る理由を記しておきます。
    (1)先生が歌って聞かせる。そのメロディーがどんなに複雑なものであろうとも、聞いた直後の1分以内なら、正確に再現できる力を付けること。
    (2)全員が、ソプラノもメゾソプラノもアルトも、全てのパートを歌える力を付けること。いや、歌えるようにならなくても、せめて全てのパートを知っていること。
    (3)楽譜を見て、オタマジャクシの位置を見て、ある程度メロディーの動きを予想できる力を付けること。

    最初の(1)は、まさに「力」と言えますね。本気になって「その力がほしい」と思ってくれると嬉しいです。だってカッコいいじゃないですか。何回聞いてもわからないよ~なんて言ってたらカッコ悪いよね。それに(1)の力があれば、どんな曲でもすごく早く身に付きます。そして、この力を付けるためには、別に自分のパートでなくても良いのです。「きみは鳥・きみは花」には全く関係のない、ベートーヴェンのメロディーだって使えるわけです。それを、自分以外のパートを使ってドンドン進めようというわけです。

    (2)の力は、自分が歌うメロディーに対して相手がどんなメロディーを歌っているかを知っているということで、とても大切なものです。野球で言えば、相手がカーブを投げてきたらカーブを打てるようにバットを振り、ストレートを投げてきたらストレートが打てるようにバットを振るという、相手に対応する力ですね。相手のピッチャーがどんなボールを投げようとも自分はひたすら自分の打ち方をするぞ、なんて言っている子は、永遠にレギュラーメンバーにはなれないでしょう。

    そして(3)も、できたらカッコいいでしょうね。ある程度で良いのです。目が見えなくても耳だけで歌う(1)の力もカッコいいですが、目で見てある程度の予想をしていて歌っていく…、これもかっこいい。

    練習をしながら「(1)(2)(3)の力を同時に身に付けるように歌ってください。普通の合唱団の3倍の効率で練習するんだ」と言いました。いやぁ、言っている嶋田先生もカッコいいですねぇ。

    まあ、嶋田先生がカッコいいかハンサムかは置いておきます。でも、ノンビリしていたら時間はあっと言う間になくなってしまいます。3倍の効率で練習できたらカッコいいですし、なによりそれらの力が高まりつつあるからこそ「きみは鳥・きみは花」などという曲が50分で通るのですよ。

    そして残った時間はなんと「かもめの歌」です。さすがに最後まではいきませんでしたが、P27の2段目まで(87小節目まで)いきました。

    大曲を2曲。練習会場に入った時には、こうなるとは夢にも思っていませんでした。

    この2曲、歌詞が難しいですね。平仮名を読むことは簡単ですが、どういう意味なのかは考える必要があります。次回以降の練習で触れることになるでしょうし、いずれ練習ノートにも記述することとなります。
    ヒントはですね、「きみは鳥・きみは花」は「互いの良さを見付け、互いの良さを認め合う」ということです。そして「かもめの歌」は「自分自身の力で決断し、生きていく強さ」ということになりますかね。みなさんも一度、自分なりに考えておいてください。嶋田先生が説明をしてしまう、その前に。

    最後に、今日見学にきてくれた子には、難解な練習になってしまったことと思います。申し訳なかったと思います。入団してくれると嬉しいな。

  • 中学生・高校生たち。期末テスト、がんばれ!

    今日は素晴らしい練習ができました。中学生・高校生は(おそらく)期末テストで忙しく、3人の出席(この3人には敬意を表します)。あとは全部、小学生という集まり。だから、小学生に必要な「力」を思う存分に指導することができました。とは言え、今日の練習が小学生だけに必要なものではなく、参加し助けてくれた中学高校生の3人にも勉強になったことと思います。3人さん、ありがとう。
    何をやったかというと、体を使って声を出す、いわば発声の基本です。声を出すということは、体が楽器になるわけなので、体が緩くノンビリしていてはいけません。それから口の開け方。「大きな口を開けて歌いなさい」という指導方法は絶対に間違っています。大きな口で歌うことが大切なのではなく、歌詞によって口をコントロールすることが大切なのです。
    そして、ドの音を聴いてミを出すという、これまでに何度も書いた基本訓練。だいたい、ドの音が鳴っているのに合わせて自分はミの音を出すなどということは基本中の基本であり、それができない子に「合唱」などという活動ができるはずがないのです。これを出席者全員に、一人ずつやってもらって、全員を合格させました。
    ついでに、ドの音を聴いてソを出す…という話までもっていきましたが、そればかりでは大変なので、今日は簡単に切り上げました。
    今後、ベテランの高校生でもムズカシい「ドを聴いて♯ファを出す」「ドを聴いてシを出す」などというレベルにまで、全員を育てていこうと思っています。

    さて、楽曲の方は、「鮎の歌」の5曲目の「鮎の歌」に取り組みました。初見の子が3人ほどいましたから、分かりやすく噛み砕いて練習を組み立てます。
    分かりやすく…とは言っても、それは全員で全部のパートをさらっていくという、いつもの方法です。それを丁寧に歌って聞かせただけの話です。
    どんなに複雑なメロディーであろうとも、聴いた直後に再現して歌うことができる耳。これを聴取力と言います。聴き取って歌う力ですね。これは基本中の基本。その力なくしては合唱は有りえません。明日になったら忘れても良いのです。聴いて1分以内なら再現することができる力。それが育てば良いのです。
    2時間それを繰り返したので、今日の参加者はかなり力がついたはずです。そして、徹底的に楽譜を見ること。これも2時間ずっと繰り返しました。
    そのように「基本」を押さえながら、全員が全部のパートを歌うという方法を使って、「鮎の歌」を最初から最後まで通すことができました。
    途中、71小節目のピアノにある「ラ」の全音符の意味や、それに伴う67~70小節目の歌い方にも言及しました。
    5~12小節目・15~20小節目・75~82小節目と、全く同じ音型が歌われますが、5~12小節目と15~20小節目は情景や景色を表していて、75~82小節目だけは「命」を歌っていることも説明し、それにふさわしい表現を作りました。
    良かったと思います。とても充実した練習になりました。今日の練習内容は、繰り返し繰り返し、何度も積み重ねてグレードアップしていく必要があります。どんどんレベルアップしていきましょう。
    最後に、今日も一人、新入団員を迎えることができたことを、この上もない喜びをもって報告しておきます。

  • 倍音について

    愛知県合唱連盟合唱祭は本当にご苦労さまでした。
    久しぶりに,本番を意識する必要のない,ごくごく普通の練習をすることができます。普通の練習とは,一人一人の力を高めることや,定期演奏会で歌う曲をどんどん覚えることに集中できる…という意味です。
    嬉しいことに先日,見学に来てくれた子の正式入団が発表され,歓迎の歌です。その時,倍音の話になってしまいました。まあ,話の流れというもので,その時に倍音が鳴っていなければ嶋田先生もサッと歓迎の歌を終わらせたはずです。
    歓迎の歌のような簡単な曲の音を確認していた時に,しかもそれは朝一番の声出しの時に,倍音が聞こえるということは,とても素晴らしいことです。
    倍音…というのは,書き出すと100ページあっても足りないくらい長くなるのですが,カンタンに言うと「みんなの声がそろった時に1オクターブ高い音が聞こえる」という現象です。これを第2倍音と呼びます。本当は(もっとレベルが高くなると,第3倍音と言って)5度の音も鳴る(ドを出したらソ,レを出したらラの音が鳴るのだ)のですが,まあ人間の声では不可能です(本当は不可能ではない)。
    大切なことは,みんなの耳が,その倍音(第2倍音。1オクターブ上の音)が聞こえるほどに育っているかということです。倍音は,実際には誰も出していない音なので,きわめて小さい音であり,よほど集中していないと聞こえないのです。
    いや,集中していなくても聞こえるのですが,うーん,なんて言うのかなあ…。分からない人には分からないのですよ。
    すごく乱暴に言うとですね,生まれたばかりの赤ちゃんにとっては,ダイヤモンドと石ころの違いは分からんでしょう。イヌやネコにダイヤと石ころを見せても,イヌやネコにとっては同じ価値に感じるはずです。たぶん「どっちも食い物じゃないや。いらねえよ」と言うでしょうね。
    人間は無限の音を聞いています。音楽プラザのリハーサル室だって,空気の流れる音や友達の動く音,息をする音,そして父母会の足音やドアを開く音,嶋田先生の変な声,いっぱい鳴っています。
    無限に存在する石ころの中にある一粒のダイヤモンド。イヌやネコなら拾いません。彼らにとっては同じ物質に見えるからです。人間なら拾います。人間にとってはダイヤの方が価値があるからです。
    その判断力。見出す力。音にも同じことが言えます。みんなが実際に出している声がドーンと聞こえていて,その中に微かに鳴っている倍音を聞き出せるかどうか。嶋田先生にとってはカンタンでも,生まれたばかりの赤ちゃんには決してできないでしょう。
    で,みんなは,嶋田先生と赤ちゃんの間にいるわけなのですが,どっちに近いかが勝負です。真ん中らへん…などと言わないで,できるだけ嶋田先生に近づいてくださいね。いや,早く嶋田先生を超えてください。そのための支援をがんばりますから。

    さて,練習の本題は「四国の子ども歌」です。何と,前半の11時までに「田植歌」と「終曲~子守歌」の2曲を通してしまいました。驚くべきスピードです。しかも,全員が全てのパートを一通り歌うという方法を使ってですから,いかに効率が良かったかはお分かりいただけると思います。
    「子守歌」の練習で面白かった話。
    P49から「阿波の子守歌」が歌われます。「ねんね ねんねと ソレ叩いて寝さす」「なんで寝らりょか 叩かれて ヨイヨコ」という歌詞。日本の子守歌に対する理解度ですね。
    ヨーロッパの子守歌,たとえばシューベルトにしてもブラームスにしても,その歌詞は次のようなものです。
    「ねむれ ねむれ 母の胸に」
    つまり,ヨーロッパの子守歌は,母親が自分の子どもに歌うものなのです。
    一方,日本の子守歌は,奉公に出された女の子が「ご主人様の赤ちゃん」を泣かせないように歌うものです。
    泣かすとどうなるか。晩ご飯抜きです。あるいは殴られる。「子守もできねえのか,この役立たずめ」という感じ。 ご主人様の赤ちゃんが泣くか泣かないかで,折檻(罰)を受けたり殴られたり晩ご飯を抜かれたりする。だから赤ちゃんが憎らしくて仕方がない。ご主人様に見えない所で「このやろう」という調子で赤ちゃんを叩く…ということです。
    「早く寝やがれ,このクソッタレ赤ん坊野郎!」ってな気持ちですかね。それが「ねんね ねんねと ソレ叩いて寝さす」です。
    さあ,そうしたら,叩かれたご主人様の赤ちゃんも言い返すわけです。
    「何しやがんでぇ!このクソ娘。ぶっ叩かれて寝られるわけ,ねえじゃねえか!」ってなシチュエーションですかね。それが「なんで寝らりょか 叩かれて ヨイヨコ」です。
    音符の下に書いてある平仮名を,ただ歌っているだけなのと,上に書いたことを理解して歌うのと,その違いは明白であり,歌う面白さもダンゼン違います。

    後半は「手毬歌」これも通すことができました。2時間半の練習で3曲を総ざらい。とても充実した練習でした。先生も楽しかったです。ありがとうございました。

  • 愛知県合唱連盟合唱祭ありがとうございました

    この日は愛知県合唱連盟合唱祭。今年で21回目の連続出場となりました。21回連続出場というのは東海メールクワイアーを上回り、「空」の他には43団体しかありません。東海メールクワイアーは第1回合唱祭から参加している数少ない生え抜きの合唱団ではありますが、14年前に事情があって合唱祭に参加しておらず、連続出場が途切れています。どんなことでも連続していくということは大変なことです。「空」の記録がどこまで伸びていくものか、楽しみなことです。
    しかも今年は28名がステージに立つことができました。ここに、あの子とこの子と、○○さんに△△さんもいるなあ…と、事情があって参加できなかった団員の名前を思い浮かべていました。先生の計算では、今回参加できなかった子は7~8人いるはずで、全員の総力を結集したら、さらに充実した響きを生み出すことができるはずです。
    参加してくださった子どもたちとサポートしてくださった父母会の方々に感謝を申し上げます。

    演奏した「雲」は、粗削りな部分が2か所ほどありましたが、6月という時期を考えると仕方がありません。あくまでも途中経過の演奏報告であり、まだまだ豊かな表現を生み出すことができます。
    それよりも、先生が構成しようとした「反戦の精神」は十分に表現することができました。「雲」という曲は合唱人間の中でも誤解されている面があり、動物さんたちが雲になって空で遊んでいる楽しく豊かな想像を表現する曲…と思っている合唱人間は確かに多く存在します。一つの証拠として、みなさんに配ってあるCDの演奏があげられます。
    なぜ誤解しているかと言うと、誤解している人たちは「雲」という詩は知っていても、神保光太郎が南方戦線にいたということまでは知らないからです。そんな人たちは「おや?「空」という合唱団は、この曲をなぜこんな激しい声でうたうのだろう?」と思ったはずです。そして、神保光太郎のことを調べるところまで行動するかどうかは分かりませんが、少なくとも会場の中に「おや?」と思った人は2人や3人ではないはずです。
    熱のこもった演奏になりました。
    「雨の遊園地」はきれいでした。あの表現で良いと思います。これから何をするかと言うと、もっと広がりを持たせることです。ピアノならピアノ、そこからスタートするクレシェンドならクレシェンド、そしてフォルテならフォルテ。その表現の起伏がまだまだ十分ではなく、聴いている人が思い描くイメージが大きい世界になりません。会場の人は「空」の演奏を聴いて、ホンワカとした安らぎは感じたでしょうが、詩の世界を豊かに感じ大きく感動するところまでいったかどうか…。少なくとも「空」の今回の演奏は、そこのところにダイナミックな力がありませんでした。今後は、その力を付けていきましょう。しかし、とてもきれいにまとまっていたことは確かです。
    このことは聴いておられた父母会のみなさんも納得していただけるでしょうし、録音を聴いても納得できることでしょう。
    その録音は、会場で城野さんにお渡ししました。嶋田先生もまだ聴いておりません。HPの中の「団員専用ページ」に近日中にアップしていただけるようにお願いをしました。

    よくがんばりました。ありがとうございました。合唱団「空」は、もっともっとレベルアップできます。団員のみなさんの健闘を祈ります。

  • いつも、どんな時だって、全員で力を合わせたい

    まずもって,5月21日の「練習ノート」が欠番になってしまったことを,深くお詫び申し上げます。ちょっとトラブルがあり,体調不良もあって,練習が終わった後も,どうしても「空」のことを思い出す余裕と気力がありませんでした。この日は「陽が昇る」を練習した後,「四国の子ども歌」から「四国ばやし」を歌いました。1時間弱で最初から最後まで通して歌うことができたことを報告しておきます。
    そして,5月24日の「陽が昇る」コンサートの本番は,何と嶋田先生が生まれて初めての本番欠場。多くの方々にご心配とご迷惑をおかけすることとなってしまいました。
    23日の夜中(正確には24日の午前1時)に咳き込んで目覚めて体温を測ったら38℃を超えていて,24日は何とか学校へ行ったものの10時15分に休暇を取って早退。その足で自宅近くの医者へ行き,点滴を打ってもらって12時過ぎに帰宅,そのまま布団へ。
    この時点では,夕方までに少しでも快復すればウインクあいちに行けるかな…と思っていました。でも,学校を休暇で早引きしたその日の夕方に,名古屋駅近辺のホールで合唱を指揮していたなんてことが,学校関係者や教育委員会にバレたらどうなるかな…なんてことを考えているうちに,グッスリ寝込んでしまいました。目が覚めたら本番開始10分前で,あとは,ご存じのとおりの大騒ぎです。
    本当に,ごめんなさい。深く深く,お詫び申し上げます。
    また,恒川さんの指揮デビューに立ち会うことができなかったことも心残りでした。
    そして,5月28日は運動会。多くの小学校が運動会を実施する中で(21日と6月4日も運動会が多い),「田植え歌」を楽しく歌うことができたと聞いています。

    6月4日は朝の5時半に起きました。そして7時過ぎに学校に行って学区の行事をこなし,10時30分の終了を待って学校を閉め,金山に駆けつけるという離れ業でした。練習の後は再び中村区に戻り,午後から区のPTA行事をこなすというスケジュール。
    だから,先生がみんなにアプローチできる時間は,11時からの1時間になってしまいました。
    その1時間は,6月11日(土)の愛知県合唱連盟合唱祭で歌う「雲」と「雨の遊園地」に投入にします。これまでに何度も書いてきましたが,「雲」は戦死した兵隊たちや戦争に巻き込まれて命を落とした母と子(子獅子や親獅子)たちの亡霊の姿です。前半は,それらを表現する歌い方と声の出し方に集中します。
    ものすごく極端な言い方をすると,音程やハーモニーよりも,声の凄みや言葉の表現の方が優先される楽曲です。本気になって戦争の悲惨さを訴えようとする声が第1であり,自分たちが何を表現しているのかという共感がない状態で,音程が正確であることやハーモニーの美しさを主張しても意味がない。教科書には載っていませんが,そういう音楽もあるということです。
    何度も何度も「声の色」「言葉の表現」を練り直し,歌声に生命を吹き込んでいきます。
    前半の,亡霊たちの行進の部分が凄みを帯びてくればくるほど,終結部の「神のような虹が」「静かな道を通じる」という部分の温かさや美しさが生きてきます。まだまだ十分とは言えませんが,湯山先生をお迎えするのが11月で,今は6月であることを考えると,大健闘と言えるかもしれません。
    「雨の遊園地」は「雲」の対極にある音楽で,いかに温かく,柔らかく,優しい声を出すかが勝負です。歌詞を表面的に読めば,「雨の中」「一人ぼっち」「涙が光る」などの言葉の配列から,寂しげで悲しそうな印象を受けますが,そうではない。
    ここで光る「涙」は,本当に真実から心を通わせ合い,共感し合うことのできる友達を見つけた「喜びの涙」であることを,これも何度も何度も強調しました。
    さて,来週の本番がどんな演奏になるか,楽しみなことです。

    嬉しいことに,この日も新入団員がありました。最近入った子も含めて,全員に「合唱祭は全員でいっしょに歌いましょう」と言いました。もちろん,この日に入ってくれた子にも…です。
    その言葉の意味は…。
    合唱団「空」は学校と違います。4月1日にみんなで入学して,3月31日にみんなで卒業するという組織ではありません。いつ入団しても良いわけです。だから在団している子の全員が,入った1日目には周りの子がそれなりに歌える状態なのに,自分だけがゼロからスタートする,そういう「キンチョウする状態」を経験しているはずです。そのゼロからのスタートの何日先に最初の本番があったのかは知りませんが,先生は差別をしない。
    合唱祭のような本番が,「入団してから2か月先であれば参加できる,1か月であれば練習時間が少ないから参加できない」というような考え方をしたとしましょう。
    2か月というのは練習8回,1か月とは練習4回を意味します。
    8回なら〇(マル),4回なら×(バツ)。それでは6回ならどうしましょう?〇にしますか?
    では,5回ならどうしましょう?×にしますか?
    6回なら〇,5回なら×ということに決めたとして,さて5と6の間になぜそのような差ができるのか,説明できるでしょうか。
    どこにラインを引くにしても,なぜそこが合格不合格の境目なのかを説明することはできない。学校のテストで80点なら合格,79点なら不合格と言うようなものです。
    テストというものは問題の難しさや簡単さを工夫すれば,いくらでも平均点を上げることができるし,全員を79点以下の不合格にすることだって可能です。80と79との間に固執することには意味がなく,そうであるなら100回とか10回とかの数の大きさを問題にすることにも意味はありません。
    しかも「空」には小学生もいれば高校生もいる。小学校低学年なら2か月,高校生なら1週間などとすることに意味があるか?小学生だって卓越した力をもっている子もいるでしょうし,年齢が高いから必ず力も高いとも限りませんでしょう。
    だから,嶋田先生は,本番と入団時期が近いか遠いかは問わない。年齢も問わない。本人が「歌いたい,参加したい」と思うかどうか,それを全ての判断基準とします。するべきだと考えます。

    そして,願わくば,「いつも,どんな時だって,全員で力を合わせたい」と思っているのです。

  • ドの音は262回、ラの音なら440回ノドを震わせる機械じゃないので不可能ってもんです。でも、、、

    この日も「陽が昇る」の確認からスタートしました。耳で音楽をとらえて歌うことを深めたいのですが,新しいメンバーも多いので,楽譜を配ることにしました。楽譜を見ないで耳だけで歌う…というのは,ものすごく力が付くのですけれども,しかし時間がかかります。5月24日が本番だということを考えると,力を付けることよりも,その曲を覚えることを優先させなくてはなりません。
    先生の小学校にも合唱部があり,その合唱部を指導している若い先生から「どのような練習をすると良いのですか?」と質問を受けます。
    いちばん大切だ…と言うことは「耳を育てること」です。ドならド,レならレの音を聞いて,その音を完全な音程で声を出すこと。聞いた音をそのまま再現するだけなのですが,みなさんが思うほど簡単なことではありません。
    人間のノドは左右ふたつの骨からできていて,その骨がぶつかり合うことで声となります。スズムシのハネと同じです。たとえばドレミファのドは,ノドの骨が1秒間に262回ぶつかり合うことでドの声となります。これが261回ぶつかると,その音はもはやドではなく,少し低い声になります。先生が時々,「音が低いです」「音が違います」と指摘するのは,このことです。
    逆に263回ぶつかると少し高い音になります。やりすぎて294回ぶつけると,高い音になってレになるのです。ミなら330回,ラなら440回,ノドの骨をぶつければ良いわけですね。
    何を言っているのか分からん人は,ノドに手を当てて「あー」と声を出してごらんなさい。ノドが震えていることが分かるはずです。その震える回数をピッタリ523回にすれば,高いドの声になるというわけです。参考までに表をのせておきます。

    では,ラの音を出そうと思って,自分のノドを1秒間にピッタリ440回震えるようにコントロールできる人はいるのでしょうか?
    そんな人間が,この世にいるはずがありません。そりゃ不可能ってもんです。不可能ですが,音とか声の高さというものは,そういうものなんです。「ラの音を出そう」と思って声を出すってことは,「1秒間に440回ノドを振るわせよう」と思って声を出すってことなんです。それが430回だとか450回だったら,音が違うということになります。
    どんな優秀な歌手でも,どんな天才でも,みんな適当に声を出しているんです。機械じゃない,人間なのですから,適当にやるしかありません。ですが,その「適当」にやった結果が,ラの音なら440回に近ければ近いほど良い…ということになるのです。
    先生が「音をよく聞いて」と言うのはそういう意味で,「耳を育てる」とはそういう意味なのです。これは時間がかかるよなあ。
    というわけで,そんなことを考えるより,目の前にある目標をクリアすることの方が優先されることもあるのです。ちなみに新しく配った楽譜は,ちょっと合いの手を入れるだけですから,楽譜さえ見ていれば簡単にできてしまいました。
    新しいメンバーも,ただいま休団中というメンバーも,楽譜さえあればOKという世界ですから,一人でも多くのメンバーの参加を望みます。「出られない予定だったけど,ちょっと無理すれば出られそう。やっぱり出ることにしたいです」などという子がいたら嬉しいですね。

    後半は「雨の遊園地」と「雲」。6月の愛知県合唱連盟合唱祭が終わったら,他の曲に全力投球しましょうね。ということは,この2曲は合唱祭の後は当分やらないということになります。
    この日の「雨の遊園地」は,もの悲しい雰囲気で少し暗い感じがしました。ある意味で,歌詞に対する共感が膨らみ,みんなが抱くイメージが豊かになってきた証拠…とも分析できます。
    「ねずみ色の雨の中,一人ぼっちの子スズメと,一人ぼっちの女の子」とあり,「光る滴に涙が光る」と詩が続けば,悲しく沈んだ気持ちを歌いたくなりますよね。
    一人ぼっちという言葉を,お父さんもお母さんもいない…という状況だと仮定してみましょう。そうであったとしても,この涙は,その身の上を悲しむ涙ではないと思うのです。
    両親を亡くした悲しみの涙なのではなく,子スズメが「あなたもそうなのね」と女の子を思いやって流す涙なのだと思います。同時に女の子も,子スズメに対して「あなたもそうなのね」と思いやって涙を流します。お互いが,お互いの身の上を思いやって涙を流している。なんと美しい情景でしょうか。
    言葉の表面上の意味にだまされてはいけません。涙だから悲しく,一人ぼっちだから寂しく歌うというのでは,あまりにも表面的な歌になってしまいます。
    本当に相手の気持ちが分かる,相手の立場に真実の共感をもつ。人間として最も美しい心の動きを,詩は歌っています。しつこいくらいに「あたたかく」「明るく」と指示を出したのは,そういう意味からでした。
    「雲」は,かなり激しい,劇的な表現が生み出されつつあります。湯山先生をあっと言わせるような,思い切り激しい演奏がしたいですね。できる予感がします。

  • 暗譜している子も初見の子も全ての子にとってプラスになる練習をしたい

    5月に入りました。みんな、学校での活動も軌道に乗って、意欲に燃えていることと思います。「空」の活動も、軌道に乗せていきたいと思います。
    この日は、「陽が昇る」の作曲者、高須はじめ先生をお招きしていましたので、後半に「陽が昇る」の歌声を頂点に持っていきたいと思っていました。だから、前半には6月の愛知県合唱連盟合唱祭で歌う曲目を確認しようという予定でした。
    実際は、とっても嬉しいことに、先週に見学に来てくれた2人が正式に入団してくれ、練習に参加してくれましたので、自己紹介からスタートしました。そして「歓迎の歌」です。
    5月24日(火)の「陽が昇る」の本番は、「ふるさと」も合わせて歌うことになっていますので、その確認を浜田先生に任せておいて、2人の声を聞き、パートを決めました。2人とも、音域、音程など、どのパートでも対応できる力をもっていることが分かりましたが、メゾソプラノとアルトを担当してもらうことにしました。
    6月には愛知県合唱連盟合唱祭があります。「雲」と「雨の遊園地」を歌うので、「雲」の練習は避けられません。先週に入団してくれた子も、今週に入団してくれた子も、どの子もみんなレギュラーです。6月の合唱祭も、5月の「陽が昇る」にも、とにかく全員が出てほしい…、出られるように指導していきたい…と思っています。

    さて、嬉しい「歓迎の歌」の後は、「雲」です。ほぼ暗譜している子もいれば初見の子もいるという中で、全ての子にとってプラスになる練習をするのが使命です。
    これは、嶋田先生の授業づくりのモットーとも言うべきポイントです。水泳の授業をする時、100m泳げる子も5mしか泳げない子も両方が進歩するような授業づくりを必死で模索していました。算数だって漢字だって、得意な子と苦手な子とに同時に授業をするわけですから、それぞれが楽しかった、よく分かった、進歩した…と思ってくれるような授業を考えていたわけです。教頭になる前の話ですけれども。

    今日の「空」での練習が、暗譜している子も満足し、初見の子も歌えるようになったものであったかは、自信がありません。合唱は水泳と違って何m泳げたかと数値化することもできないし、漢字や計算のように書けたかどうか、○が打てるかどうかを目で確認することもできないからです。しかし、とにかく両方が満足できることを願って、必死に指揮をし、鍵盤ハーモニカを吹いていたことは確かです。
    よくハモっていたことは間違いありません。人数が増えたからでしょうか、響きに厚みが加わってきたことも間違いのないところです。
    次の練習までに、一度でいいから楽譜を見ながらCDを聴いてほしいと思います。聴くっていうことは、曲を理解する上ですごく効果がありますから。
    CDをもらっていないという人は、必ず先生に言ってくださいね。

    「陽が昇る」は先週も書きましたが、歌詞の付け方が難しいです。ですが、先週に比べると、とても進歩していました。慣れてきたのかな。聴いていても違和感は感じません。

    ですが、声がきれいです。きれい過ぎると言っておきます。きれいな声であることは武器の一つであり、とても良いことなのですが、「陽が昇る」のような曲の場合、森進一や美空ひばりのような、地声で押し通し生声で勝負するような歌い方も必要なのです。そして、これは「チコタン」の先例にもあったとおり、合唱の世界でも必要なことで、湯山先生の「猪譚」や「四国の子ども歌」を歌う場合にも絶対に生きてくる力になります。
    なんだか毎週、同じことを書いていますね。
    次回は違った視点から書いてみましょうか。でも、目先の本番が多くて(それは嬉しいことなのですが)、その本番に対する練習をするので精一杯ですから、毎回似たような記述になってしまいます。

    違う視点というのは、例えば「ラ」の音を基準にして全ての音を取る…という練習をしたいと思っていて、それに対する成果と反応を書きたいなと思っています。
    音楽の(西洋音楽の話ですが)音の基準は、実は「ド」ではなく「ラ」なのです。これは最高級のレベルであって、まだ「空」でも一度も練習したことがないのですが、ぜひ今年のメンバーに話してみて、その力を付けてほしいと願っています。
    予告編でした。

  • 自分がグラついた時に相手の子がフォローする足の運びをしてくれたら

    今日もスタートから見学者を3人迎えることができました。しかも男の子も1人。「空」の明るい未来を感じます。
    見学者に前向きな印象をもってほしいので、「陽は昇る」を使っての発声練習から始めました。歌詞のマチガイOK、音程のマチガイOK、とにかく元気よく、眠った体(のど)を起こすために、大きな声で歌おう…と指示します。
    「陽は昇る」はメロディーもハーモニーも難しいところはありませんが、歌詞の付け方が難しいので、暗譜しにくい曲です。5月24日(火)ウインクあいちでの本番は、楽譜を持って歌えるように交渉しようと思います。ですが、これは暗譜しなくても良いという意味ではなく、暗譜できれば暗譜することに超したことはないのです。できるだけの努力をしていきましょう。

    しばらくの間、「雲」と「雨の遊園地」の練習が続いています。だから今日は目線を変えて、「鮎の歌」から「猪譚」を取り上げることにしました。歌ったことがあるのは在団年数が長い子2人だけで、あとは全員が初見(生まれて初めて歌う)の曲です。
    冒頭の「おれは寝てた。寝場はその時、見切りの衆と組犬どもに囲まれた」から「激しく、激しく」と要求します。
    「おれ」というのは猪が、自分のことを「おれ」と言っているのであり、自分が寝ていた時に、猟師とそれに従う猟犬によって取り囲まれた情景を表しているのです。だから、「空」の子が得意な、柔らかくて温かい声ではダメです。いわば命を切った張ったという、大ピンチの音楽です。
    だから「ホーレホレホレ、ホーレホレホレ、ホーレィ」というのも叩きつけるような、あるいは殴りつけるような激しい声がほしいのです。
    これが「ビリーブ」だったら、激しい声などもってのほかです。「たとえば君が傷ついて、くじけそうになった時は、必ず僕がそばにいて支えてあげるよ。その肩を」という歌詞を、激しく叩きつけるように歌ったら、こりゃまた大笑いだぜ。
    ということは、「猪譚」を「ビリーブ」みたいに歌ったら、抱腹絶倒うたがいなしという世界になります。ちなみに抱腹絶倒とは「ほうふくぜっとう」と読み、「抱腹」とは「おなかを抱える」、「絶倒」とは「気絶して倒れる」ということで、「おなかを抱えて大笑いして、あまりに笑いすぎて、おなかが痛くなって気絶して、ぶっ倒れる」という意味です。
    音楽にはいろいろな音楽があるんです。「雲」にしても「猪譚」にしても、激しく、汚く、いやらしく、暗く、そして戦いの音楽であって、「空」の子が伝統的に苦手とするものです。
    だから今、先行して取り組んでいるわけです。これが「わさび田」とか「いちごたちよ」、あるいは「君は鳥、君は花」などであれば、明るく、温かく、生命力にあふれたものですから、「空」の子が最も得意とする領域です。
    得意なことは後回しにして、苦手なことから練習する。嶋田先生の作戦なのですが、みなさんが先生の立場だったら、どうしますか?やっぱり得意なことからスタートしますか?先生は、苦手なことから取り組むべきだと思います。

    さて、「猪譚」の歌い方について、共通理解しておきたいことを記しておきます。
    P19やP21、P23、P25に見られるように、アルトから先行してメゾソプラノ、ソプラノへと下から音を重ねていく形は、全て全員で歌うことにします。つまりアルトは楽譜のままですが、メゾソプラノはアルトから歌います。そして、ソプラノは、アルトとメゾソプラノを全部歌ってから自分のパートを歌います。P28も同じ処理をします。
    逆に、P22「しかも矢受けの」とP26「なんと利口な」のように、ソプラノから先行して上から音を重ねていく形は、楽譜通りに歌います。
    高い声ならそれほど難しくはありませんが、低い声をたっぷりと充実した響きで始めることは難しいからです。

    「猪譚」も、全員でソプラノ、全員でメゾソプラノ、全員でアルトを歌い、4回目で自分のパートを歌ってハーモニーを作るという方法で押し通しました。それでもって1時間で最初から最後まで通すことができたのは、驚くべき効率です。
    何度も何度も言いますが、自分のパートしか知らないで歌っていてはダメです。それは、2人3脚をしていて、相手の子がグラついた時に、ひたすら自分のペースで歩みを進めるようなものです。
    相手の子がグラついたら、その子のグラつきに合わせて自分の足をコントロールしなくてはなりません。そうすれば、相手の子は転ばなくて済み、つまりは自分が助かることになるのです。
    自分がグラッときた時に、相手の子がマイペースを保ったら、ぶっ倒れます。しかし、自分がグラついた時に相手の子がフォローする足の運びをしてくれたら、どんなに嬉しいでしょう。
    これは、言うほど簡単なことではありません。実行し実践することは、とても難しいことです。嶋田先生が理想とする合唱は、ひたすら自分のパートを一直線に歌い切るのではなく、どこかのパートの声が不足していたり、誰かが思わぬミスをしてしまったりした時に、臨機応変にカバーし合えるチームです。
    そして、「合唱」というコトバを「人生」と置き換えた時にも、同じような動きができる子になってください。

    全部のパートを歌いながら自分のパートを確認していく、そんな練習ができることを、私はとても誇らしく思います。