SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


いつも、どんな時だって、全員で力を合わせたい

まずもって,5月21日の「練習ノート」が欠番になってしまったことを,深くお詫び申し上げます。ちょっとトラブルがあり,体調不良もあって,練習が終わった後も,どうしても「空」のことを思い出す余裕と気力がありませんでした。この日は「陽が昇る」を練習した後,「四国の子ども歌」から「四国ばやし」を歌いました。1時間弱で最初から最後まで通して歌うことができたことを報告しておきます。
そして,5月24日の「陽が昇る」コンサートの本番は,何と嶋田先生が生まれて初めての本番欠場。多くの方々にご心配とご迷惑をおかけすることとなってしまいました。
23日の夜中(正確には24日の午前1時)に咳き込んで目覚めて体温を測ったら38℃を超えていて,24日は何とか学校へ行ったものの10時15分に休暇を取って早退。その足で自宅近くの医者へ行き,点滴を打ってもらって12時過ぎに帰宅,そのまま布団へ。
この時点では,夕方までに少しでも快復すればウインクあいちに行けるかな…と思っていました。でも,学校を休暇で早引きしたその日の夕方に,名古屋駅近辺のホールで合唱を指揮していたなんてことが,学校関係者や教育委員会にバレたらどうなるかな…なんてことを考えているうちに,グッスリ寝込んでしまいました。目が覚めたら本番開始10分前で,あとは,ご存じのとおりの大騒ぎです。
本当に,ごめんなさい。深く深く,お詫び申し上げます。
また,恒川さんの指揮デビューに立ち会うことができなかったことも心残りでした。
そして,5月28日は運動会。多くの小学校が運動会を実施する中で(21日と6月4日も運動会が多い),「田植え歌」を楽しく歌うことができたと聞いています。

6月4日は朝の5時半に起きました。そして7時過ぎに学校に行って学区の行事をこなし,10時30分の終了を待って学校を閉め,金山に駆けつけるという離れ業でした。練習の後は再び中村区に戻り,午後から区のPTA行事をこなすというスケジュール。
だから,先生がみんなにアプローチできる時間は,11時からの1時間になってしまいました。
その1時間は,6月11日(土)の愛知県合唱連盟合唱祭で歌う「雲」と「雨の遊園地」に投入にします。これまでに何度も書いてきましたが,「雲」は戦死した兵隊たちや戦争に巻き込まれて命を落とした母と子(子獅子や親獅子)たちの亡霊の姿です。前半は,それらを表現する歌い方と声の出し方に集中します。
ものすごく極端な言い方をすると,音程やハーモニーよりも,声の凄みや言葉の表現の方が優先される楽曲です。本気になって戦争の悲惨さを訴えようとする声が第1であり,自分たちが何を表現しているのかという共感がない状態で,音程が正確であることやハーモニーの美しさを主張しても意味がない。教科書には載っていませんが,そういう音楽もあるということです。
何度も何度も「声の色」「言葉の表現」を練り直し,歌声に生命を吹き込んでいきます。
前半の,亡霊たちの行進の部分が凄みを帯びてくればくるほど,終結部の「神のような虹が」「静かな道を通じる」という部分の温かさや美しさが生きてきます。まだまだ十分とは言えませんが,湯山先生をお迎えするのが11月で,今は6月であることを考えると,大健闘と言えるかもしれません。
「雨の遊園地」は「雲」の対極にある音楽で,いかに温かく,柔らかく,優しい声を出すかが勝負です。歌詞を表面的に読めば,「雨の中」「一人ぼっち」「涙が光る」などの言葉の配列から,寂しげで悲しそうな印象を受けますが,そうではない。
ここで光る「涙」は,本当に真実から心を通わせ合い,共感し合うことのできる友達を見つけた「喜びの涙」であることを,これも何度も何度も強調しました。
さて,来週の本番がどんな演奏になるか,楽しみなことです。

嬉しいことに,この日も新入団員がありました。最近入った子も含めて,全員に「合唱祭は全員でいっしょに歌いましょう」と言いました。もちろん,この日に入ってくれた子にも…です。
その言葉の意味は…。
合唱団「空」は学校と違います。4月1日にみんなで入学して,3月31日にみんなで卒業するという組織ではありません。いつ入団しても良いわけです。だから在団している子の全員が,入った1日目には周りの子がそれなりに歌える状態なのに,自分だけがゼロからスタートする,そういう「キンチョウする状態」を経験しているはずです。そのゼロからのスタートの何日先に最初の本番があったのかは知りませんが,先生は差別をしない。
合唱祭のような本番が,「入団してから2か月先であれば参加できる,1か月であれば練習時間が少ないから参加できない」というような考え方をしたとしましょう。
2か月というのは練習8回,1か月とは練習4回を意味します。
8回なら〇(マル),4回なら×(バツ)。それでは6回ならどうしましょう?〇にしますか?
では,5回ならどうしましょう?×にしますか?
6回なら〇,5回なら×ということに決めたとして,さて5と6の間になぜそのような差ができるのか,説明できるでしょうか。
どこにラインを引くにしても,なぜそこが合格不合格の境目なのかを説明することはできない。学校のテストで80点なら合格,79点なら不合格と言うようなものです。
テストというものは問題の難しさや簡単さを工夫すれば,いくらでも平均点を上げることができるし,全員を79点以下の不合格にすることだって可能です。80と79との間に固執することには意味がなく,そうであるなら100回とか10回とかの数の大きさを問題にすることにも意味はありません。
しかも「空」には小学生もいれば高校生もいる。小学校低学年なら2か月,高校生なら1週間などとすることに意味があるか?小学生だって卓越した力をもっている子もいるでしょうし,年齢が高いから必ず力も高いとも限りませんでしょう。
だから,嶋田先生は,本番と入団時期が近いか遠いかは問わない。年齢も問わない。本人が「歌いたい,参加したい」と思うかどうか,それを全ての判断基準とします。するべきだと考えます。

そして,願わくば,「いつも,どんな時だって,全員で力を合わせたい」と思っているのです。

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