SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


倍音について(2)

今日も素晴らしい練習ができました。練習参加人数も多く、響きが充実しています。ですが、人数に頼ることなく、一人一人の力を高めていくことをねらいます。

発声練習で使ったのは「アマリリス」です。歌詞は無し。アの母音で(別にラでも良かったのですが)おなかに軽く手を当てて腹筋の動きを確認しながら、音程に気を付けて歌います。

ソラソド ソラソー ララソラ ソファミレド

この音程、けっこう大変です。特に最初のソラソドのソからドへ跳躍する音程。これを正確に決めることは難しいことです。

一人一人に歌ってもらいます。そして「自分が正確に歌えたと思うか思わないか」を聞いてみました。やはり、「正確に歌えていない。けっこう難しい」と答える子

多く、そのような「自分の声を聴く耳」と「正確な自己分析の力」が育ちつつあることを嬉しく思いました。

ソからドという、このような跳躍する音程を決めるためのポイントは腹筋です。つまり「おなかの支え」ですね。だから、おなかに手を当てて、自分が支えているかどうかを調べてもらったのですが、二つのことを意識することは難しいようです。音程に集中しているのは良いのですが、支えを調べているはずの手が、だんだんおなかから離れていきます。

まあ、あまり手のことはウルサク言いませんでしたけどね。

それから、倍音がよく響いていました。聞こえるか聞こえないか、手を上げてもらって、聞こえないという子を減らすために、少し詳しく練習をしました。

ことわっておきますが、「聞こえるような気がする」と手を上げる子が、本当に聞こえているかどうかは先生には分かりません。また、「聞こえない」と手を上げる子が、実は聞こえているのだということも考えられます。

だから「聞こえない」と答えることは少しも恥ずかしいことではありません。そして「聞こえる」と答える子ばかりになったとしても、倍音が聞こえるかどうかの練習は続けていきます。「聞こえる」を「よく聞こえる」にし、「よく聞こえる」を「すごく聞こえる」という力にしたいからです。さらに「うわぁー、メッチャクチャ倍音がなってるぅ」などと言える子に育てていきたいですね。

なぜなら、少し聞こえるくらいで満足しているようではダメだからです。どんな音にも倍音というものはあり、人間が「美しい音だ」と感じるのは、実は倍音成分を「美しい」と感じるのであって、聞こえているその音そのものを「美しい」と感じているわけではないからです。

つまり「倍音が聞こえる」というのは「音の美しさを感じる力」そのものであり、「自分の声を美しくコントロールしようとする力」につながるということなのです。
ということは、「あっ、この音きれいだな」と思う人には、実は倍音が聞こえているということになります。お父さんにもお母さんにも聞こえています。「きれいだな」と感じる父母であるならば…(笑)。

世の中には倍音が極めて脆弱な音があり、そういう音を人間は不快に感じます。ウソだと思ったら窓に行きましょう。すりガラスに爪を立てて引っ掻いてみてください。その音には倍音がほとんど含まれておらず、ゆえによほどの変態でない限り、人間はその音を不快に感じます。

ヨーロッパの教会では、聖歌隊が歌う時に倍音が鳴っていることは古くから知られており、「天使がいっしょに歌ってくれている」と考えられたそうです。ヨーロッパの教会に入ると天井がやたらに高いです。外から見ると5階建てくらいの塔になっていて、てっぺんに十字架が立っている、あの教会です。中に入るとカラッポです。日本の城の天守閣みたいに2階や3階を作れば良いのに、天井までカラッポ。そしてその天井は天使か聖母マリアかキリストなどのステンドグラスになっている。中には10階建てくらいの高さがあるのに、私たち日本人には2階、3階、4階と、部屋を上に作っていかないことが理解できません。

倍音は、なぜか上から聞こえます。その理由はハッキリとは分かりませんが、上から聞こえるからヨーロッパの教会は上へ上へとカラッポになっていったのです。天使が入る空間を作ろうとしたのでしょうね。そして実はソプラノの倍音とアルトの倍音が、倍音どおしでハーモニーを作り、さらにその倍音が鳴るという現象が起こり(物理的科学的に起こります)、その倍音はさらに上から聞こえるので、ヨーロッパの教会はどんどん高いものになっていったというわけなのです。

長々と書きましたが、ようするに美しい音、美しい声です。それを追求する心。自分自身で自分を追い求める心。

どうすればそういう心を育てることができるか。「やい、そういう心を持ちやがれ」と怒鳴りつければ、そういう心が育ちますかね?心を育てる方法なんか、ありゃしませんよ。

その方法を嶋田先生なりに、具体的に書いただけのことです。練習の場でここに書いたことを説明していたら、時間がいくらあっても足りませんものね。いやぁ、声を出すって、おもしろい!!!

 

さて、曲の練習は奇跡的でした。人数が多かったので「誰も知らない曲をやろう」ということになり、「きみは鳥・きみは花」を歌い始めたのが10時07分です。全部のパートを全員で歌います。その後で自分のパートを歌ってハーモニーを作っていく。それで10時57分に最後まで通りました。きわめて効率的と言えます。そして伴奏付きで全曲を通して歌ってみて休憩に入ったのが11時07分でした。

全員が全部のパートを歌うという、この方法を取る理由を記しておきます。
(1)先生が歌って聞かせる。そのメロディーがどんなに複雑なものであろうとも、聞いた直後の1分以内なら、正確に再現できる力を付けること。
(2)全員が、ソプラノもメゾソプラノもアルトも、全てのパートを歌える力を付けること。いや、歌えるようにならなくても、せめて全てのパートを知っていること。
(3)楽譜を見て、オタマジャクシの位置を見て、ある程度メロディーの動きを予想できる力を付けること。

最初の(1)は、まさに「力」と言えますね。本気になって「その力がほしい」と思ってくれると嬉しいです。だってカッコいいじゃないですか。何回聞いてもわからないよ~なんて言ってたらカッコ悪いよね。それに(1)の力があれば、どんな曲でもすごく早く身に付きます。そして、この力を付けるためには、別に自分のパートでなくても良いのです。「きみは鳥・きみは花」には全く関係のない、ベートーヴェンのメロディーだって使えるわけです。それを、自分以外のパートを使ってドンドン進めようというわけです。

(2)の力は、自分が歌うメロディーに対して相手がどんなメロディーを歌っているかを知っているということで、とても大切なものです。野球で言えば、相手がカーブを投げてきたらカーブを打てるようにバットを振り、ストレートを投げてきたらストレートが打てるようにバットを振るという、相手に対応する力ですね。相手のピッチャーがどんなボールを投げようとも自分はひたすら自分の打ち方をするぞ、なんて言っている子は、永遠にレギュラーメンバーにはなれないでしょう。

そして(3)も、できたらカッコいいでしょうね。ある程度で良いのです。目が見えなくても耳だけで歌う(1)の力もカッコいいですが、目で見てある程度の予想をしていて歌っていく…、これもかっこいい。

練習をしながら「(1)(2)(3)の力を同時に身に付けるように歌ってください。普通の合唱団の3倍の効率で練習するんだ」と言いました。いやぁ、言っている嶋田先生もカッコいいですねぇ。

まあ、嶋田先生がカッコいいかハンサムかは置いておきます。でも、ノンビリしていたら時間はあっと言う間になくなってしまいます。3倍の効率で練習できたらカッコいいですし、なによりそれらの力が高まりつつあるからこそ「きみは鳥・きみは花」などという曲が50分で通るのですよ。

そして残った時間はなんと「かもめの歌」です。さすがに最後まではいきませんでしたが、P27の2段目まで(87小節目まで)いきました。

大曲を2曲。練習会場に入った時には、こうなるとは夢にも思っていませんでした。

この2曲、歌詞が難しいですね。平仮名を読むことは簡単ですが、どういう意味なのかは考える必要があります。次回以降の練習で触れることになるでしょうし、いずれ練習ノートにも記述することとなります。
ヒントはですね、「きみは鳥・きみは花」は「互いの良さを見付け、互いの良さを認め合う」ということです。そして「かもめの歌」は「自分自身の力で決断し、生きていく強さ」ということになりますかね。みなさんも一度、自分なりに考えておいてください。嶋田先生が説明をしてしまう、その前に。

最後に、今日見学にきてくれた子には、難解な練習になってしまったことと思います。申し訳なかったと思います。入団してくれると嬉しいな。

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