カテゴリー: 練習日記

  • 「聴く力」を高める講座④

    【令和2年4月10日(金)】
    合唱組曲「鮎の歌」の5曲目「鮎の歌」。この曲は湯山先生の代表作の一つとして指を折っても誰も異議を唱えないでしょう。その証拠に組曲の楽譜を出版しているのはカワイ出版ですが、嶋田先生の手元には「現代女声合唱名曲選」という音楽之友社から出版された楽譜があり、その中に5曲目「鮎の歌」が単独で載っています。これは音楽之友社がカワイ出版から出版の権利を買ったということになり、同じ楽曲が複数の出版社からマーケットに乗る楽譜として出版されることはあまり例がありません。(ちなみにこの曲集には同じくカワイ出版が権利を持つ「月のうさぎ」と「秋の女よ」も載っています)これは音楽之友社が「他社から出版の権利を買ってでも「鮎の歌」や「月のうさぎ」を載せればその楽譜が売れる」と判断した…と考えても良いと思います。そのくらいの名曲。

    音楽は狩野川の流れを表現する湯山先生独特のピアノ伴奏から始まります。この音型は「わさび田」のP15に見られる音型と同じであることは前に記したとおりです。湯山先生はこの音型を川や海など「自然の大きな流れ」を表す時にしばしば用いられますが、「自然の大きな流れ」と同様に「人間の心の成長」を表す時にもしばしば見られます。言い換えれば「自然の大きな流れ」とは「人間の心の成長」と一致するものであるという、作曲家・芸術家としての思想・理念であると分析できます。
    「鮎の歌」のどこが「人間の心の成長」なのか。それを理解するためには「鮎」を「自分自身」と置き換えて詩を読む必要があります。「自分自身」が正解なのですが「人間そのもの」と考えても良く、「わさび田」に登場した「少年」や「いちごたちよ」に登場した「ビニールハウスのイチゴたち」と置き換えても良いと思います。ただし、「少年」や「イチゴたち」と置き換えて考える場合でも、その「少年」や「イチゴたち」は結局は「自分自身」の姿であると考えなくてはなりません。
    「闘争」「融和」そして再び「闘争」「融和」と対比させてきた後に、最も大切なことは「闘争」でも「融和」でもなく「自分自身の生命」であり「生きることの素晴らしさ」であると、第5曲目は訴えます。
    具体的に記しましょう。「狩野川の本流にそそぐ流れは 猫越 火の沢 舩原 そして二の小屋 皆沢 吉奈 修善寺口の桂川」と歌われる、これ全て川の名前です。地図にも載っていない小さな川も含まれます。狩野川は比較的大きな川で、その本流には多くの支流があり、出てきた小さな川の全ての水が集まって狩野川という大きな流れになります。
    脱線ですが5年生で行く中津川野外教育では付知川(つけちがわ)という川があったはずです。付知川は付知川のまま海に流れ込むわけではありません。途中で木曽川に合流します。つまり付知川は木曽川の支流の一つというわけです。
    問題は「鮎」という魚の習性で、鮎は川石に生えた苔(こけ)を食べて育ちます。その苔は川によって匂いがビミョーに違うらしく、鮎は自分が生まれた川の苔の匂いを覚えている…というのです。この匂い、嶋田先生には分かりませんが鮎たちには分かるらしいのです。そして鮎は、生まれた後で川から海へと下るのですが、大人になってタマゴを産みに川へ戻ってくる時には、桂川で生まれた鮎は必ず桂川に戻ってきて、猫越川で生まれた鮎は必ず猫越川に戻ってくると言うのです。
    これを湯山昭という芸術家は「自分の原点(故郷)を決して忘れない」「自分の母を決して忘れない」ひいては「自分とは何か…という命題を決して忘れない」という「人間の在り方」としてとらえ、表現しているのだと思います。
    少し詩の説明。
    「川石の青」とは「故郷の川の苔」
    「水垢」とは「苔」
    「あたらしい水垢」とは「新しい生命を育む苔」
    「きらめくたち」とは「輝く太刀」です。
    「歌のこだま」とは「生命の木霊・生命の歌」
    「朝を告げる」とは「未来を告げる」
    この部分、同じ「川の流れはうたう 夜明けの歌を…」というフレーズが全部で4回歌われる中での3回目です。1回目は5小節目、2回目は15小節目です。3回目の「川の流れは…」は1回目2回目と形が違いますね。掛け合いになっています。音も1音高い。決定的に違うのは「響かせて」で終わらないで「朝を告げる」が加わっているということです。これはなぜでしょう? 一度、このノートを読むのを中断して考えてみてください。
    答えは、1番と2番はともに「山の情景や町の景色」を歌っているのに対して、3番は「生命の息吹と未来」を歌っているからです。
    1番2番は「川の流れは歌う 山や町の夜明けの歌を」ですが、3番は「川の流れは歌う 生命の夜明けの歌を」なのです。このあたりのことを分かって聴くのと知らずに聴くのとでは月とスッポンです。いや、知らずに聴いているのなら「聴いた」ことにはならない。ただ「聞いた」だけです。
    脱線ですが、「聞く」と「聴く」は何が違うか知っていますか? 中学生や高校生なら答えられるでしょうね。
    「聞く」はボーっとしていても車の音や換気扇の音が「聞こえる」こと。英語なら「hear」で「(意識しなくても)聞こえる」という意味になります。
    「聴く」は大切な人の話や重要な内容を「聴く」こと。英語なら「listen」で「意識的に聞く、聴く」という意味です。
    3回目の「川の流れは…」は「鮎の歌」の感動の最初の頂点ですから、そのように準備して聴いてくださいね。

    最初の頂点? と言うことは「次の頂点」があるわけです。また少し詩の説明。
    「早い瀬を」とは「白い波を立てて流れる急流を乗り越えて」
    「深い淵を」とは「川底が見えないほどの不気味な深さを乗り越えて」
    「川をのぼることだけが」とは「故郷・母・自分自身にたどり着くことだけが」
    「鮎 鮎 鮎の生命」とは「私 自分 自分が生きる証(あかし)」
    つまり、どんなに苦しいことがあっても、どんなに困難なことがあっても、それを乗り越えて自分自身の原点を求めようとする自分自身の生命…ということです。そう感じて聴くと実に感動的です。
    この部分は、もう一つ感じてほしい部分があります。
    「鮎 鮎 夏」というフレーズが何度か出てくるでしょう? このP43にも「鮎 鮎 …」というフレーズが出てきますが、「夏」で終わるフレーズの時は休符があります。しかしP43の「鮎 鮎」には休符がありません。「鮎の生命」につながるからです。つまり「夏」という季節を表す言葉に向かう時は休符で切って歌い、「生命」という言葉に立ち向かう時には切らないで「生命」と言い切ることが大切なのです。いやぁ、実にウマく作曲されていると思いませんか?
    この2度目の頂点が終わった後、曲は再び「川の流れは歌う…」というフレーズに戻ります。このフレーズ、実に4回目で、しかも1回目と2回目と全く同じメロディーと和音です。しかし違うところがある。どこでしょう? 一度、このノートを読むのを中断して考えてみてください。
    まず、「夜明けの歌を」の「歌を」にエスプレスが付いています。情感的に…という意味です。
    次に、「歌のしぶきを」の「を」にクレシェンドが付いています。
    第3に、「あびて きらめき はしる鮎」はmfになっています。
    これらの違いはピアノ伴奏にも明確に指示されています。
    なぜ、このような表現記号の違いが生まれるのでしょうか。それは3回目と同じく、山や町の情景ではなく「生命の息吹と未来」を歌っているからです。3回目は音の高さと掛け合いで「生命の息吹と未来」を表現しましたが、4回目は1回目2回目と全く同じ音の配列の中で表現記号のみで勝負しているのです。このようなポイントを聴き分けてほしいと思います。
    最後の「鮎の歌」のハーモニーは「生命の歌」と思って歌い響かせましょう。

    長いノートになってしまいました。それだけ「鮎の歌」という曲が密度の濃い曲だということです。音楽を文章で表すことにはソモソモ無理があるとは思いますが、今は【空ノート】しか手段がありません。ここに記した内容を本当に理解してくれるメンバーがいたのなら、その子は「鮎の歌」に関するスペシャリストであることは間違いなく、嶋田先生にとっては涙が出るほど嬉しいことです。

  • 5月6日(水)までの活動自粛 次の練習は5月9日(土)

    【令和2年4月10日(金)】
    愛知県知事による緊急事態宣言の発令により5月6日(水)までの合唱団「空」の活動を自粛します。これは令和2年3月14日(土)付けの【空ノート】「緊急事態宣言」で練習中止 で示してある共通理解です。
    宣言発令の期間は5月6日(水)までということですので、次の練習は5月9日(土)ということになります。
    共通理解の項目にある「メンバー本人」「メンバーの家族つまり父母会」「嶋田先生をはじめ指導者」にこれまで感染がなかったことを幸いと考えましょう。
    あとは一刻も早い収束を望むばかりです。
    これまでにメンバーが培った「合唱力」は半年や一年くらい集まって歌わなくても衰える(おとろえる)ものではありません。それは嶋田先生が保証します。全く心配していません。
    心配しているのはメンバーの気力のダウンです。合唱は仲間が集まって初めて成立するものですから、気力の継続ばかりは直接に言葉を掛けることができない嶋田先生にはどうしようもありません。父母会の皆様、子供たちへの励ましのお言葉を、よろしくお願いいたします。

    令和2年11月1日(日)第24回定期演奏会は
    合唱団「空」創立25周年記念
    湯山昭先生米寿記念
    「コタンの歌」芸術祭大賞50年記念
    というビッグコンサートになります。
    みなさん、力を貸してくださいね。

  • 「聴く力」を高める講座③

    【令和2年4月8日(水)】
    嶋田先生の所属する東海メールクワイアーは実は3月初めから練習を自粛しており、練習が中断されてからもう5週間が経ちます。東海メールクワイアーと合唱団「空」との決定的な違いは平均年齢です。東海メールの平均年齢は60才であり80才を超えたメンバーも何人かいます。万が一感染しようものなら生命に関わる…という心配がありました。人数と練習場所も問題で、ふだん練習に使っているのは今池の愛英幼稚園。幼稚園児が使う教室で40人を超えるメンバーが歌うのですからホリャ密集だわ。愛英幼稚園は私立なので東海メールから感染が出ようものなら幼稚園に大きな迷惑をかけてしまいます。
    そうは分かっているのですけれども、これだけ練習ができないとイヤになってきます。自分でも本当に怖いのですが、自分自身の中から「自分は東海メールクワイアーの団員である」という意識が薄れていくのを感じます。これは本当に恐ろしいことです。入団以来37年間も歌い続けているのに…。団員であることのプライドと価値が自分の中で薄れていくのを止めるのに必死です。そのために楽譜を見たりCDを聴いたりして練習が再開した時に備える努力をしています。
    東海メールクワイアーが合唱団「空」と比べて不幸だったのは定期演奏会が6月の予定で、しかも数年かけて準備を進めたアグネス・グロスマンを迎えるプログラムが中止になったことです。今、東海メールのメンバーは自宅で練習しようにも何の曲を練習すれば良いのか分からず、本当に戸惑っているのです。7月には長野県で、8月には刈谷市でのコンサートが予定されていて、そこで歌う曲は決まっているのですが、7月8月のコンサートが予定通り開催できるのか、不安と戸惑いを拭えません。

    嶋田先生が心配しているのは、合唱団「空」のメンバーが、東海メールクワイアーの団員である嶋田と同じように「自分は合唱団「空」の団員である」という意識やプライドを薄れてさせてしまうのではないか…ということです。
    まぁ「空」の場合はまだ中断になってから日も浅いですし、何よりも11月1日の第24回定期演奏会という明確かつ大きな目標があります。だから見るべき楽譜も聴くべきCDも明確で、練習ができない分を一人一人が自分でカバーできる条件が整っています。
    今の嶋田先生ができることは、ただ漠然とCDを聴くのではなく、楽譜のどの部分を見ながら、どの音に注意を払って聴けば良いのか、そのヒントを少しでもメンバーに届けること。それしかありませんから、その努力を惜しまないつもりです。
    ※「小さな目」「鮎の歌」「コタンの歌」の楽譜あるいはCDを持って
    いない人はすぐに嶋田先生まで連絡してください。052-852-5407

    合唱組曲「鮎の歌」の3曲目「猪譚」。これと4曲目の「いちごたちよ」は姉妹関係にあります。「雉」と「わさび田」がセットの姉妹関係であるように、3曲目と4曲目も姉妹関係。しかも「人間と自然(イノシシ)との闘争」と「人間と自然(野イチゴ)との融和」という対比も同じです。
    しかし同じように「闘争」と「融和」とをセットにしながら、1曲目・2曲目のセットと3曲目・4曲目のセットとでは決定的な違いがあります。何だと思いますか? この文章の先を読むのを止めて、ちょっと考えてみてください。
    その決定的な違いはピアノ伴奏の作り方にあります。
    「雉」「わさび田」のピアノ伴奏は1小節ごとやあるいは1音1音に何を表しているかという意味があり、それは「太陽の光」であったり「湧き出る水」であったりするわけです。いわゆる描写音楽。ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」やピアノソナタ「月光」の第1楽章と同じです。
    これに対して「猪譚」と「いちごたちよ」のピアノ伴奏は絶対音楽と言って、音そのもので「闘争」とか「融和」といった大きなイメージを描き出すものです。

    ○描写音楽・標題音楽 …… 自然の音を楽器によって再構成し、情景などを描写しようとする音楽。
    ○絶対音楽 …… 標題(自然の音や情景)を音楽で表現しようとする音楽でなく、音楽そのものを表現しようとする音楽。

    聴いた瞬間に「闘争」とか「戦い」あるいは「荒々しさ」を感じる。「猪譚」のピアノ伴奏はそれが果たされれば十分なのです。とは言え描写音楽的な部分も所々にあって、たとえば29小節目の分散和音はイノシシが岩と岩との間をピョーンと大ジャンプした音でしょう。空中を飛んでいる間は音がなく、35小節目で着地してイキナリ走り出す…といったイメージですね。
    P21やP25はイノシシがあぐらをかいて「だいたい人間って奴(やつ)はよゥ、けしからんのだよなぁ」などと文句を言っている情景でしょうが、ピアノ伴奏の音は何となくそういうイメージを感じさせるものの、「雉」や「わさび田」や「マリモの歌」のような「その情景しか無い」という音楽ではありません。
    少し、ムズカシイと思われる語句を説明しておきます。
    「寝場(ねば)」とは「寝ている場所」
    「見切りの衆(し)」とは「見張りをしている狩人」
    「組犬」とは「チームを組んだ猟犬」
    「矢受けのづがい猪」とは「昔、身体に矢を受けたキズがある 強いイノシシ」
    「二田(にたん)の四郎」とは「二田部落の四郎という名の最強の狩人」
    「猪突(ちょとつ)」とは「イノシシの突撃」「前にしか進まないこと」
    「勢子(せこ)」とは「追いかけてくる狩人」
    「落としてみよ」とは「殺してみろ」
    そして唯一、決定的な描写音楽になっている部分があります。191小節目のピアノの音は明らかに二田の四郎が放った猟銃の音ですね。この音で主人公のオレ(イノシシ)は死んだのか、それとも逃げのびたのか、それは歌う人のイメージの中にあります。

    4曲目「いちごたちよ」。このピアノ伴奏も基本的には絶対音楽です。湯山先生の名曲「山のワルツ」が思い浮かぶ美しい3拍子です。冒頭の4小節は「いちごハウスの中で笑っている幸せなイチゴたちの歌声」がイメージできますが、それはあくまでも音から受ける印象です。
    最初から最後までワルツのリズムが崩れることなく、全体的に感じる「光」とか「笑顔」「幸せ」といったイメージが崩れない絶対音楽です。ですがところどころに湯山先生のセンスが光っているのを見逃してはいけません。
    たとえば22小節目と24小節目にあるL.H.と書かれた高い音。これは「聞いてみたかった青空の響きや水の流れの響き」がキラリと光る音を表現するものでしょう。33小節目と35小節目にも同じ音が配置されているのを聴き逃さないでください。
    37小節目から42小節目の分散和音は「君は聞いてみたいとおもわないのか?」という疑問の気持ちを表していると思います。
    そしてもう一つ、終結部95小節目から続く左手の音は、何回演奏しても「太陽の光」と感じるのです。ビニールハウスの中で笑っていては分からない、時には雨も嵐もくる野原の野イチゴたちだけにしか分からないもの、それは本当の「太陽の光」であり、私たち人間に例えればスマホやコンピューターでは感じることのできない「本当の愛」でありましょう。この和音を引き継いで、音楽は第5曲目「鮎の歌」へと進んでいくのです。見事な構成です。

  • 「聴く力」を高める講座②

    【令和2年4月7日(火)】
    緊急事態宣言が愛知県には出されなかったものの、学校の休校措置は継続ということで心配な状況は変わりありません。そんな中で間の抜けたノートを書いているようですが、これは合唱団「空」メンバーのための合唱に限った話でありますので承知してください。「空」の活動も休止している中で、いかに有効かつ発見をもって聴くことができるか、その一助となることのみを願って書いております。
    メンバーも学校から出された課題をこなす中で、たまにはCDを聴いてくれる時間もあることでしょう。その時に、何かしらの発見と共感を抱いてくれれば幸せに思っています。

    「聴く力」を高める講座の2回目は合唱組曲「鮎の歌」の2曲目「わさび田」です。
    「わさび田」のワサビ、言うまでもありませんが刺身に付ける黄緑色のワサビのことです。
    ワサビは山間部の水が濁らない清らかな湧水地(ゆうすいち・水が湧く場所)で育ちます。適度な日光が必要で、夏の日光はワサビにとって強すぎ、逆に冬は日光をいっぱいに浴びなければ育ちません。だから夏は葉を茂らせて冬は葉を落とし、しかも根元には常に水が流れているのを好む落葉樹の下が最適の場所。その落葉樹こそ「ハンノキ」です。にごっている水では育ちません。かなり温度が低く、しかも常に流れている水を好みます。いつも水が流れているのがお米の田んぼと似ているので、ワサビを育てている場所を「わさび田」と呼ぶのです。
    このような条件を満たす場所は多くはなく、名古屋の近くでは長野県の安曇野(あずみの)と静岡県の伊豆が代表的な産地です。伊豆は温かい土地なのですが、富士山の雪解け水が地下水となって冷たく湧き出ることと急斜面の森林が多いことが「わさび田」が多く作られる要因となりました。
    前置きが長すぎますね。しかし「わさび田」は非常に視覚的(しかくてき・目に見えること)なイメージが強い音楽ですから、ここで一度この文章を読むのを中止してインターネットで「わさび田」と画像を検索して見ると良いと思います。思います…ではなくて「わさび田」の写真を見たことがある(できれば実際に行ったことがある)人と一度も見たことのない人とではイメージの持ち方が月とスッポンくらい違ってきますので、ぜひぜひ一度見てください。
    1~6小節目のピアノは「湧き出る清らかな水」を表しています。湯山先生は「水」というテーマを音楽にする時、このような上昇と下降を繰り返す音型を使うことが多く、楽譜を見たら山のような形になります。「コタンの歌」の2曲目「マリモの歌」の前奏も、使われている和音は大きく異なりますが楽譜を目で見たらソックリな形です。
    一転して7小節目からの動きのある上昇音型が「流れる水」を表していることは明らかです。
    コーラスが「わさび田はハンの木の影…」と歌う時、「木」はファラレでハモり、「の」でミファラでぶつかり、「か」のレソシは湯山先生が大好きなハ長調ならドファラのハーモニー、そして「げ」はレファラで「木」の和音に戻ります。この一音一音のハーモニーの移り変わりをシッカリと聴き取ってください。「ちらら 日がこぼれていた」の15小節目はソプラノとメゾソプラノが♯ソと♯ファでぶつかっていますが、これは太陽の光が枝の間からチラチラとこぼれ落ちてくる「木漏れ日(こもれび)」を表すものでしょう。
    直後の16小節目でピアノが「こぼれていた」のコーラスを受け継ぎ、同じように22小節目は「水の針」を受け継ぎます。このようなコーラスとピアノとの協奏は湯山先生の音楽の特徴の一つです。
    「苗を別ける 手をさす(刺す)針は 水の針」は、少年がワサビの苗を田に植えようとした時、あまりの水の冷たさに驚く様子です。「手の甲に 虹 虹 虹がはしる」は、思わず水の中から手を抜いた少年の手の甲に残った水滴が放つ虹色の輝き。
    嶋田先生は昭和63年(1988年)の夏休み、奥さんと伊豆のワサビ農園へ見学に行き、そこで実際に田の中に手を入れてみました。夏のことでしたがさすがに富士山の雪解け水、その冷たさに驚きました。残念ながら先生の手の甲に虹は走りませんでしたが、ハンノキの木漏れ日は確かに嶋田先生を包んでくれました。
    (何で行った年までそんなに正確に覚えているのか?って質問されそうですが、昭和63年にNHKコンクールで愛知県代表となり、東海北陸大会で銀賞になった時の自由曲が「わさび田」だったのです)
    詩は続きます。「少年は知った その厳しさ(冷たさや寂しさ)に耐えるからこそ 強い香り(強い生命)を育てることができるのだ」と。
    そのP15のピアノの音型に注目してください。P35「鮎の歌」の冒頭のピアノの音型と同じです(もちろん和音は違いますが)。湯山先生は海とか大河などの大きな自然や、あるいは生命が成長していく流れを表現する時、この左手と右手が交互に奏する音型をしばしば使用されます。「白い十字の花よ」はエスプレス・モルト。たっぷりと表情豊かに…です。
    最後の「湧き水は…」からはピアノに再び冒頭の「湧き出る清らかな水」を表す音型が出てきて静かに曲を結びます。

    ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」作品67と交響曲第6番「田園」作品68が姉妹関係であるのと同様に、「雉」と「わさび田」は完全な姉妹関係です。「雉」は自然(雉)と人間との激しい闘争を描き、「わさび田」は自然(わさび)と人間(少年)との温かい融和を描きます。静と動、争いと平和、厳しさと温かさ、この対比が見事であり、「運命」と「田園」の対比と全く同じです。「雉」と「わさび田」はセットで聴くべき音楽と言えましょう。

  • 「聴く力」を高める講座①

    【令和2年4月4日(土)】
    合唱団「空」始まって以来の「計画中止」となった土曜日、みなさんはどのように過ごしておられるのでしょうか。東京はエライことになっているようですが、名古屋市(愛知県)は入学式も始業式も授業も予定通り再開されるとの報道があり、ホッとしています。
    さて、「小さな目」と「鮎の歌」のCDをお送りしました。嶋田先生が住所を把握できないメンバーが一人いるのですが(6日の月曜日になっても届かない人は嶋田先生まで電話をください(852-5407)。出なければ留守録してください。FAXも同じ番号です)、基本的には全員が「小さな目」と「鮎の歌」と「コタンの歌」のCDを持っていることになります。
    実際にピアノを叩いて声を出してハーモニーを作るばかりが「練習」ではありません。嶋田先生は7年間、愛知県教育研究集会の助言者を務めたのですが、そこに集まって研究発表をする県下の音楽の先生たちに毎年言っていました。
    「交通事故で手がちぎれて無くなったら、その子はもうピアノも弾けません。リコーダーも吹けません。」
    「喉にガンか何かができて声帯を手術で取ってしまったら、その子はもう歌うことができません。」
    「では、ピアノもリコーダーもできなくて歌うこともできない子は、音楽はできないのでしょうか。」
    「声が出なくても腕が無くても音楽はできる。「聴く」ことさえできれば、その人は(その子は)立派に音楽をしています。「聴くこと」こそが音楽の根源です。先生方の授業で、音楽を聴く力のある子が育ち、聴く楽しさを味わう子が育つことを願っています。」
    ずいぶんエラそうなことを言ったもんですが、間違ってはいないと思っています。歌うことも楽器を演奏することも、自分が出している声や音が美しいかどうかを感じ取る耳があってこそで成立することであり、耳すなわち「聴く力」が無くして成立する音楽は有り得ません。

    前置きが長くなりました。それでは、みなさんの「聴く力」を高める講座を始めたいと思います。第1回目は「鮎の歌」の1曲目「雉」です。
    とんでもなく不安を感じるピアノの前奏です。それを引き継いだコーラスは(以前にも書きましたが)山芋やアケビや野茨や紅葉たちが
    「歩いて逃げろ、走って逃げろ、飛んじゃいけない、止まっちゃいけない。木々の葉っぱをくぐって逃げるんだ」
    と雉に向かって呼びかけます。9~12小節目のピアノの右手は、その植物たちの枝や葉っぱの「ざわめき」を表現しています。少しでも雉の姿を隠そうと、植物たちが枝や葉っぱを揺らめかせているのです。同時に9~18小節目まで続くピアノの左手は雉の足音でしょう。あるいは雉は地面を歩くことはあまりしない鳥なので、苦手な歩みをヨタヨタと進めている雉の姿を表現しています。
    19小節目から2番に入りますが、ピアノの音型もコーラスのハーモニーも全く同じ形が繰り返されます。ただ1点違うのは1番の出だしがメゾフォルテなのに対して2番の出だしはメゾピアノであるということ。これはですね、雉と猟犬との距離が1番は100mなのに対して2番では猟犬が50mにまで迫っているという緊迫感だとイメージしてください。
    山芋やアケビ、野茨や紅葉、栗・ブナ・漆(うるし)・熊笹や桂などの植物たちは、一体なぜ雉を助けようと思っているのでしょうか?
    これは想像力でありイメージなのですが、ある時、雉のお母さんが森の中に巣を作ってタマゴを産んだのだと先生は感じます。森の中の全ての植物たちは「ああ、早くヒナが生まれるといいなぁ」と見守っていました。そしてヒナが生まれた時「やったぁ、かわいいヒナが生まれたよ」と大喜びしていました。そして「丈夫に育ってくれよ」「スクスクと育ってほしいな」と願って見守っていたのです。そのヒナが立派な雉になって巣立っていく時、「あぁ、この森から旅立って行くんだね。さびしいなぁ。でも君の成長はうれしいよ。いつの日か、きっときっと、この森に戻ってきておくれよ」と、みんなで送り出したのでしょう。
    その雉が久しぶりにみんなの森に帰ってきた。植物たちが再会を喜んだのは一瞬でした。逃げてくる雉の後ろにチラホラと見えるのは、獰猛(どうもう)な猟犬と銃を持った漁師の姿だったのです。
    このような状況の時、みなさんが山芋や紅葉だったら、枝や葉っぱやツルを精一杯に伸ばして雉の姿を隠そうとし、猟犬の行く手を阻もうとするのではないでしょうか。しかし植物である悲しさ、根っこが生えた地面から自由に動き回ることは叶わず、植物たちは見守っていることしかできないのです。その悲痛な叫びが冒頭のピアノ前奏の狂乱になっているのではないでしょうか。
    さて「見えない見えない鳥」から始まる3番。38小節目6拍子のピアノの上昇音は雉の香りが山の中に漂っていくのを表現しています。その香りに反応した猟犬のブルルルッという唸り声が39~40小節目。41小節目は猟犬がダッシュで走り出す音ですね。
    47小節目から再び狂乱の前奏とともに4番が始まります。1番2番と同じ音型ですが半音高くなっていることに注目。これは雉と猟犬との距離が20mまで迫っていることを意味します。その証拠に「音もなく雉よ」はSピアノになっています。1番2番はメゾフォルテだったのに。今や20mにまで迫った猟犬から逃れるためには足音さえ立ててはいけない状況なのです。
    そして65小節目。猟犬に迫られて逃げ場を失った雉はついに飛び立ってしまいます。この65~69小節目のピアノは京都の舞妓(まいこ)さんが美しく舞っている姿を彷彿(ほうふつ)とさせる音型です。雉が青空の中で舞っているのでしょう。
    71小節目のピアノの左手は再び猟犬の唸り声。それに前後するピアノの右手(8と記されている1オクターヴ高い音です)は舞い上がった雉の羽が太陽に輝く音。それも70~71小節目は5拍ありますが72小節目では3拍、73小節目では1.5拍と短くなっていきます。猟犬が5m、2m、1mと雉に切迫していく様子を表しています。
    77小節目で再び猟犬の唸り声が聞こえ、78小節目の上昇音型は猟犬が雉に飛びついた音でしょう。
    81~82小節目で再び雉の羽が太陽にキラメく音があったかと思うと、直後の85小節目で漁師が放った銃の音が二発響きます。

    こうして書いていても改めて湯山先生の作曲技法に感嘆の思いを禁じ得ません。まるで映画のように場面場面の構成が明確になっており、その場面の状況に応じた和音が見事な色彩を放って選択されています。
    ここに記したイメージを自分なりにメンバーが咀嚼(そしゃく・かみしめること)してCDを聴いてくれることを願っています。たった一度だけで良いですから。

  • 来週と再来週の練習を中止します

    【令和2年3月28日(土)】
    新型肺炎の状況は良い方向には向きません。これまでに共通理解した「空」の対応の
    ①「空」の練習は当面(状況が悪化しない限り)続けます。
    の部分で「状況が悪化している」に該当すると考え、「当面の練習を中止する」とします。
    日本語は不思議な力を持っていて(俳句の国の言語ですから)言葉を読み手が自由にイメージすることができるのが特徴です。
    「当面…」と言うと読み手によっては「半年くらい中止なんだな」とイメージすることも可能です。オモシロイですね。嶋田先生は実は国語が専門なので、言葉や詩にはビンカンです。
    「状況が悪化しているから当面の練習は中止する」ということは
    「状況が良くなれば当面の練習を再開する」という意味です。
    「当面」とは「当たっている(直面している)」「面(状況)」ですから正に「たった今」のことであり1ヶ月とか半年先のことではない。いやぁ、日本語ってオモシロイですね。
    つまり状況が良くなれば来週にでも練習を再開しますよ…ということです。ここんところを共通理解しましょう。
    とりあえず来週4月4日(土)音楽プラザの練習を中止します。
    再来週4月11日(土)もフェールマミが使用停止ということで練習を中止します。
    4月18日(土)音楽プラザの練習はあります。ここから①の
    ①「空」の練習は当面(状況が悪化しない限り)続けます。
    が生きてくることになり、その時の状況で「当面のやる やらない」を再び判断します。
    現時点では「4月18日(土)音楽プラザの練習はあり」です。「やる やらない」の判断は4月11日(土)に決定・連絡することとします。

    今日の練習で恒川先生が「小さな目」と「鮎の歌」をカップリングしたCDを配付してくださいました。このCDの演奏は東京放送児童合唱団によるもので、嶋田先生が持っている音源の中では最も信頼できるものです。
    今日の練習に参加できなかったメンバーには郵送したいと思います。嶋田先生が直接郵送します。先ほど父母会メールで「メンバーの住所録をください」と連絡しました。住所が分かり次第郵送しますが、「早くほしい」という子は自分の住所を嶋田先生までFAXか何かで知らせてください。
    当面の練習中止を「災い」ではなく「福」に変えましょう。時間はいっぱいあるのですから楽譜を開いてCDを聴いてみてください。CDを聴く効果は以下のように無限の効果があります。
    ①歌詞、メロディー、ハーモニー、テンポ、強弱表現など、曲の全体構成を理解することができる。
    ②歌詞については聴けば聴くほど覚えることができる。ノートに書けるようになる。
    ③メロディーを捉えることは大きい。鼻歌で歌えるくらいのレベルになると最高。
    ④どんな色彩のハーモニーの曲なのか、あらかじめ知っていることはメチャメチャ大切。
    ⑤どこでどんなテンポや強弱になるかを知っておくと「自分ならこう歌いたい」という思いが膨らむ。
    「コタンの歌」のCDはすでに配付済みですから、「小さな目」「鮎の歌」を手に入れてくれれば第24回定期演奏会のプログラムはアンコールを除いて全員が聴くことができるようになります。電話でも良いので「CDを送って」と連絡をください。練習を再開した時に、歌詞だけならば全員が覚えているレベルになって集まりました…なんてことになったら「練習を中止したことでかえって演奏レベルが上がっていた」という幸せを生むことも夢ではありません。当面の練習中止を「災い」ではなく「福」に変えることができるかどうかは、実はメンバー一人一人の取り組みにかかっています。よろしくね。

    今日の練習は「コタンの歌」から「ムックリの歌」を使って和音を聴き分けるトレーニングが非常に効率的に進みました。全部のパートを全員で確認することはいつものとおりです。ところどころのポイントとなる和音を確認して全員が体験することで、非常にレベルの高い和音構造の話ができたことを幸せに思います。
    また決定的に面白かったのはP62の「あじさい色にぬれている」の男声パートをバリトンからバスまで含めて、男声4部でハモらせてみたことです。女子でトップテノールとセカンドテノールを歌い、嶋田先生と男子三人でバリトンとバスを歌ってみた。男声合唱の響きでハモりました、少年少女合唱団が。これは実に面白い「遊び」でした。
    来週と再来週の練習が中止ですから、あまり詳しく書いても次に引き継げません。詳細を書くことはしませんが、とても有益な時間を過ごすことができたことを報告しておきます。集まってくれたメンバーに感謝です。

    CDを有効に活用してください。音楽の原点は「聴く」ことに尽きます。メンバーの鋭意努力に期待します。

  • 集中ということ 聴いて1分以内なら

    【令和2年3月21日(土)】
    「学校の休校要請を延長しない」との報道があり、ホッとしています。無事に入学式・始業式が開催できることを祈っています。
    とは言え、嶋田先生は元気ではありません。元ウィーン少年合唱団音楽監督のアグネス・グロスマン先生(現在はカナダ在住)が来日できなくなり、ために6月21日に予定されていた東海メールクワイアーの定期演奏会は中止…との決定がなされました。コロナウイルスごときで積み上げてきた練習と努力が水の泡になることは無念です。今回の指揮者が外国人であったことが裏目に出ましたね。合唱団「空」がこんな目に会わないように祈るばかりです。
    さて、今日も元気なメンバーが集まりました。楽譜を配ってから一度も歌っていない曲をやりたいな…と思い、そうなると残っているのは合唱組曲「鮎の歌」の3曲目「猪譚」しか無いということが分かりました。これまでの練習が効率よく進んでいる証拠です。
    「猪譚」の最初の和音はシとミです(ハ長調ならドとファの関係)。冒頭のソプラノのメロディーは低いシ→ミ→シ→高いミへと移行していき、メゾソプラノとアルトの音の進行も基本的には同じです。これをまず確認しました。
    次に17小節目の「見切り」の和音ですが下からミ・♯ファ・シです。これが基本。これは根音(根っこになる基本の音)が抜いてありますが要するに低いシ・ミ・♯ファ・シです。ハ長調に直せばド・ファ・ソ・高いドの関係。これは雅楽(ががく)の音で、分かりやすく言えば「さくら」の基本和音です。真ん中のミ・♯ファ(ハ長調で言えばファとソ)がぶつかっていて非常に美しい。このブツカりの美しさを当たり前のように自然に出してくれるから嬉しいですね。
    今の「空」はレベルが高いので、ただ歌うだけで自然に音をぶつけることができます。それがテクニックだけに終わらないように、つまり、その音と音とのブツカりが何を元に作られているかを明らかにしました。この場合は「雅楽」です。「越天楽(えてんらく)」で検索してYouTubeか何かで2~3分で良いので聴いてみてくださいませ。
    P19はP17の歌い出しが分割されて順々に出てくるだけで、基本的な和音構造に変わりはありません。だからアッと言う間にクリアです。
    P21「そもそも人は…」からのフレーズは半音上がってP25「おやおや あれは…」で繰り返しになります。P27はP17が半音上がっているだけなので音取りに時間はかかりません。だから「猪譚」も初見にも関わらず、全部のパートを全員が歌って、その上で変わり番こに全部のパートを歌って3回ハモらせることができました。

    休憩の後は「いちごたちよ」。合唱組曲「鮎の歌」は①「雉」が対立②「わさび田」が融合(ゆうごう)、③「猪譚」も対立で④「いちごたちよ」が融合という対比になっていて、⑤「鮎の歌」で生命の大切さを歌い上げる構成です。だから「猪譚」を歌った後は「いちごたちよ」を歌うことが効果的です。
    最初に提示した課題は「聴いて1分以内なら、聴いたとおりにそのメロディーを再現して正確に歌うことができるように聴く」というものです。
    昭和61年(1986年)だったと思いますが、嶋田先生は東海メールクワイアーの合宿に参加しました。その最初の練習にイキナリ本番の指揮者が来ていて、まだ1度も歌ったことがない「ヴィラ・ロボスの3声のミサ」をイキナリ「一人ずつ歌ってください」と言われました。嶋田先生は4つ目のイスに座っていたので、嶋田先生の前に三人のメンバーが歌う(歌わされる?)ことになります。生まれて初めて見る楽譜をイキナリ指揮者の前で一人で歌わなくてはならない。しかし3回聴くチャンスがありました。本当に、かけねなく真剣に、三人のメンバーが歌うのを聴いていました。そして自分の番が回ってきた時、ほぼ完璧に歌えたのですよ、嶋田先生は。嶋田先生が上手だったからではありません。真剣に聴いた賜物(たまもの)でした。
    そのメロディーは35年ほど経った今でも頭から離れません。焼き付いてしまったのです。焼き付いてしまった「ヴィラ・ロボスの3声のミサ」の一部を証拠に歌って聴いてもらいました。練習でみんなに言い忘れましたが、覚えているのはそのフレーズだけです。5曲ほどあった他の部分はカラッキシ覚えていません。指揮者の前で歌った3分ほどのフレーズだけが鮮明に残っています。
    以来、担任として教えた全てのクラスの子供たちに「集中の大切さと効果」について語り続けてきた30年でした。やればできるんです。できないのは集中力が無いからだということを言い続けてきました。
    他の部分は全て忘れても、そのフレーズだけは35年経っても鮮明に焼き付いている。そういう聴き方ができるんです。そのレベルの聴き方をしろ…とは言いません。だから「聴いて1分以内なら」という前置きが付いています(笑)。
    しかし、みんなの「合唱力」を高めるためにも「空」のレベルを上げるためにも、その「聴いて1分以内なら」という聴き方は重要です。そのことだけを狙った「いちごたちよ」でした。
    最初から24小節目までを、全てのパートを歌って聴いてもらって、直後に再現してもらいました。次は25~36小節目。その次は39~50小節目。そこまでを全部、嶋田先生が直後に再現して歌ってもらいました。正確に歌えます。耳が育ってきています。
    51小節目からはどうしたかと言うと、それは25小節目以降が1音高くなっただけなのでヒラガナさえ読めればOKでした。
    聴いて歌う、そしてまた聴いて歌う。それだけの作業で全てのパートを全部歌うことができました。ハーモニーもきれいでした。

    残った時間に「コタンの歌」を歌うことにしましたが、その瞬間に「カエルの子守歌」を歌うことに決めました。全く予定外だったのですがお願いしました。
    予定外と言うのは、定期演奏会では歌わない予定の曲(4番と8番)だったからです。しかし嶋田先生には目論見(もくろみ・作戦)があるのです。それは東海メールクワイアーに「ねぇ、もう1曲だけ歌っておくれよ。8曲目も歌っておくれよぅ」と頼もうと思っているのです。できることならその後に「ねぇ、あと1曲だけ歌っておくれよ。4曲目も歌っておくれよぅ。全曲やってみようよぅ」と頼もうと思っているのです。嶋田先生的には、ある組曲を抜粋して(何曲か抜いて)歌うのは趣味ではなく、歌うからには全部やりたい…というのが本音なのです。
    だから4曲目も8曲目も楽譜を調べて研究をしています。その研究を実験してみたくなった。モルモットにしてゴメンナサイ。ですけれども、ものすごく成果が上がりました。メンバーは初見の上に突然の話で戸惑いも多く、決して楽しい時間にはならなかったかもしれない。そこはゴメンナサイ。ですけれども、机の上でCDを聴きながら楽譜を確認する研究よりも何倍も何百倍も効果がありました。そうか、ここはこんな音になるのか…と生の声で聴くことができたことは大きかった。本当に感謝です。「猪譚」と「いちごたちよ」を効率的に歌ってくれて、時間に余裕を与えてくれた今日のメンバーに、大大大感謝です。
    来週もよろしくね!

  • 「緊急事態宣言」で練習中止

    【令和2年3月14日(土)】
    新型コロナの心配が続いています。合唱団「空」としての対応は以下のように「緊急事態宣言」を追加します。

    ①「空」の練習は当面(状況が悪化しない限り)続けます。
    ②嶋田・浜田・恒川とメンバーの子供本人に罹患陽性が出た場合、当面の練習は中止します。
    ③メンバーや先生の同居の家族(つまり父母会)に罹患陽性が出た場合、その人は練習を休んでください。
    ④とは言え、練習への参加は最終的には各家庭の保護者の判断に委ねます。
    ⑤【追加】日本政府から「緊急事態宣言」が発令された場合、当面の練習は中止します。
    各家庭におかれましては、日曜日から金曜日までの健康保持に十分に注意してください。

    現在、日本の人口1億2000万人のうち1421人の感染者(3月14日朝現在)。つまり10万人に1人の割合です。この状況ではコンビニに買い物に行く、ちょいとした散歩に出るなどの普段の生活をしていて感染するリスクが100だとすると、「空」の練習に参加して感染するリスクは101にも満たない。「空」の練習に参加することでリスクが150になると言うなら話は別ですが、つまり「空」をやってもやらなくてもコロナに罹る罹らないの不運・幸運に変わりはという状況です。名古屋市内でも罹患が出ていますが、「空」は1週間に1回(2時間30分)、20人前後の活動です。バス・地下鉄などで練習会場に来るメンバーはマスクの着用に専念してください。
    繰り返しになりますが、「緊急事態宣言」が発令された場合には政府や愛知県・名古屋市の行政指示に従います。その場合にはメールや電話での連絡網伝達は必要ありません。「緊急事態宣言」=練習は中止 と読み替えてください。

    今日は「鮎の歌」から「わさび田」。先週のノートに記した「同じ音のキープ」がカンタンではなく合唱の醍醐味だ…ということを実感してもらいたいと思っていました。
    冒頭の「湧き水は」の部分、メゾソプラノはソ、アルトはミの音が2小節にわたって継続しています。そこでソプラノはソラーラドーレーと上昇音型。最初の「わ」だけはミとソで協和音ですが「き」になったとたんメゾソプラノのソとソプラノのラが不協和音になり、「ず」で一度ミソドのきれいな協和音になりますが「は」でアルトのミとソプラノのレが不協和音になります。
    不協和音不協和音と書きましたがそれはイケナイ音ではない。むしろビリビリする感じの非常に美しい響きになります。
    この美しい不協和音を生み出すためには、アルトとメゾソプラノの音がミとソでキッチリ安定していて、その上でソプラノに極めて正確な音程が要求されます。
    しかし本当に1回聴けばすぐに歌えるという力に支えられて、非常に美しくハーモニーを響かせることができました。
    約1時間20分。「わさび田」の全ての部分で各パートの音の役割を説明し、ハーモニーを構築していきました。
    全員が全てのパートを同じレベルで歌ってみて、それでABCの3つのグループに分けて全員がソプラノ・メゾソプラノ・アルトの全てのパートを歌ってハーモニーを作りました。言い換えれば「全員がソプラノにもメゾソプラノにもアルトにもなれる」という準備を完璧に行うことができました。
    この準備と言うかトレーニングは時間がかかります。事実「わさび田」1曲に80分の時間を投入しました。しかし、この準備はパートを決めて表現の練習になった時に生きてきます。ハーモニーを作る力を全員が同じレベルで共有していれば、ほとんどプロと同じくらいの短い時間で表現を練り上げ高め合うことができます。
    「わさび田」という教材を使って、今日もみんなの「合唱力」を高めることができたと自負しています。ありがとう。

    休憩の後は「雉」です。これも今日が初見だったメンバーが多い中で、全てのパートを全員が歌った上で、全てのパートを全員が担当してハーモニーを作ることができました。約50分ですから驚くべき効率です。途中、休符になっている部分を助け合って歌うことや、湯山先生独特のドファラのハーモニーで並行して動く部分のことを説明しましたが、それ以上に最後の5分の歌声の変化が凄かった。
    最後の5分、好きなパートで「とにかく好きなように歌ってみましょう」と指示した後、歌詞の内容に少し触れました。今日欠席だった子は楽譜の後ろの歌詞のページを見ながら読んでください。

    山芋(さんが言いました)あけび(さんが言いました)
    野茨(さんが言いました)もみじ(さんが言いました)
    「歩いて(逃げろ)走って(逃げろ)雉くん」
    「飛んじゃいけないよ、止まっちゃいけないよ、雉くん」
    木々の葉をくぐって(逃げるんだ、雉くん)

    この( )で書いた部分は嶋田先生の説明です。詩には書かれていない。日本の詩というものは俳句がその最たるものですが、言葉の省略が特徴で、その省略された部分、つまり( )で書いた部分を読み手が補足してイメージを拡げることが肝要なのです。書いてない部分を読み手が想像するのがポイントなんです。だから2番はこうなる。

    栗(さんが言いました)ぶな(さんが言いました)うるし(さんが言いました)
    熊笹(さんが言いました)桂(さんが言いました)
    「歩いて(逃げろ)走って(逃げろ)雉くん」
    「飛んじゃいけないよ、止まっちゃいけないよ、雉くん」
    風下に回って(逃げるんだ、雉くん)

    雉は猟犬に追われている。犬だけならば飛んで逃げればカンタンなのですが、猟犬の後ろには鉄砲を持った漁師がいるのです。雉が飛び立った瞬間を漁師は虎視眈々と狙っているわけです。だから飛ぶことはできない。

    そんな状況を少し説明しました。そうしたら最後の5分の歌声は、すごく熱量に溢れた非常にドラマチックな表現になりました。もちろん初見なのですから荒っぽい部分はありますが、とにかく非常に劇的な声でした。これは驚きでした。やっぱり歌詞をイメージするって大切なんだなぁ…と実感して帰路についたことを報告しておきます。

    くれぐれも感染予防に専念してください。嶋田先生を含めて誰か一人でも陽性になったら練習中止です。「緊急事態宣言」が発令されないことを祈りましょう。ではまた来週。

  • 同じ音の連続は最高級の技

    【令和2年3月7日(土)】
    新型肺炎の心配は相変わらずです。学校も卒業式の実施案の練り直しや通知表を含めた持ち物をどのように返すか、加えて何人来るか分からない受け入れ児童の対応など、課題山積で例年になく多忙な日々です。
    合唱団「空」の対応については総務から回っているメールと先週の「空ノート」に記したとおりです。嶋田先生としてはメンバーの一週間分のストレス緩和に役立つように、効率的かつ楽しい練習を行っていきたい。ただそれだけです。
    それから、コロナ疎開(いなかの婆ちゃんの家に避難している?)していたり、練習には行きたいのだけれども安全を考えて大事を取っているメンバーは、「練習が遅れちゃう」などと心配することはありません。今は「力を蓄えている」時期ですからね。大丈夫です。それに、8月や9月に新入団員があったとしても、その子を11月の本番に間に合わせてしまう練習を組むことが嶋田先生の得意技ですからね。それは、みんなもよく知っているでしょう?気にしないで大事を取ってください。

    フェールマミはグランドピアノがありますから、ピアノの開放弦を使った声の響きのトレーニングをやろうかなぁ、と当然考えます。「空」独特のこの練習方法をまだ知らないメンバーも増えてきましたしね。ですが、わざわざ集まったメンバーをさらに密集させて、しかも声を本気で前に飛ばす努力をすることもないでしょう。いろいろなトレーニングがあるのですから、今は「音を聴く」ことと「聴いた音をすぐに声として再現する」ことと、「ハーモニーを作る」ことと「「コタンの歌」の理解を進める」ことで良いと思います。

    「マリモの歌」はソプラノのメロディーが美しいです。これを全員で歌うと「メロディーを美しく歌う」力が伸びてきます。童謡は基本的にメロディーだけでハーモニーはありません。その童謡に多くの名曲がある湯山先生のメロディーメーカーとしての才能が現れています。これに呼応するメゾソプラノとアルトは「いかにしてハーモニーを作るか」という基本技が山盛りです。P19~20のアルトは、いったん音が決まったらその小節は全部同じ音の連続です。P21の終結部「落とし穴のような…」も全部同じ音の連続。この部分は良く見るとバリトンとバスもアルトと同じ♯ファの音を連続させています。
    同じ音の連続。合唱というスポーツを知らない人や超初心者は「つまらない」と感じることでしょう。あるいは「何だ、カンタンだ」と思ってしまうかも知れません。実際に嶋田先生も、今は「ずっと同じ音が続くよ。パッと音を取ってください」と言って練習を進めています。
    ですけれどもね、本当はムズカシイんです。同じ音の連続をキープするということは。P21下段の「落とし穴…」で調べてみましょう。
    最初の「お」は、だからアルトはずっと続く♯ファです。これにメゾソプラノのラとソプラノの♯ドが加わります。
    次の「と」と「し」は、アルトは同じ♯ファですがメゾソプラノはシになりソプラノが♯レになっています。
    そして次の「あなのような」は、「お」と同じ♯ファ・ラ・♯ドに戻ります。次の「静けさの中で」を分解すると
    「し」→♯ファ・ラ・♯ド
    「ずけ」→♯ファ・ラ・ミ
    「さのな」→♯ファ・シ・♯レ
    「かで」→♯ファ・ラ・♯ド となっています。
    このようにハーモニーは瞬間瞬間で変化していて、アルトはずっと♯ファを出しているのですが、相手(つまりメゾソプラノとソプラノ)が出してくる音が違うので生まれるハーモニーの色彩が変化する。アルトが「し」で出す♯ファと「ずけ」で出す♯ファは同じ音ですが、相手の出す音が変わるので同じ♯ファでも意味というか役割がゼンゼン違ったものになるわけです。
    分かりやすく図画工作の場面に例えます。
    嶋田君は(アルトは)赤い絵の具を出しました。浜田さん(メゾソプラノ)は黄色を出します。恒川さん(ソプラノ)は白い絵の具を出しました。それで3人の絵の具を混ぜました。
    次に、嶋田君は(アルトは)やはり赤い絵の具を出しました。浜田さん(メゾソプラノ)は緑色を出します。恒川さん(ソプラノ)は青い絵の具を出しました。それで3人の絵の具を混ぜました。
    そうなると出来上がった色は全く違う物になるはずです。同じ赤い絵の具でも、相手が出してくる色によって結果がゼンゼン違う物になる。
    これは面白いですよ。というか極めてムズカシイ作業、非常に高級な話になるんですね。同じ音を連続させてキープするということは。だから面白い。
    このような高級な話は、本当に表現を練り上げるモードに入ったら本気になって指導します。今は曲の骨格を理解する段階だからサッと流しています。
    表現を練り上げるモード(おそらくは夏以降)に入った時、指揮者(嶋田先生)が何だか同じような指示を出して同じ場所をシツコク何度も繰り返して歌わせる場面があるでしょう。それは、このような瞬間瞬間に変化する色彩をより鮮やかにするために試行錯誤しているのであって、合唱団員をイジメているわけではないのです。
    おそらくは夏以降に展開される「表現を練り上げるモード」の準備段階として、着々と「合唱力」が高まりつつあります。なんてったって「マリモの歌」のこの部分だけではなく全ての曲で全員が全部のパートを歌い込んで経験値を増やしているわけですからね。
    脱線ですがP21からの「落とし穴のような静けさの中で」はアルトとバリトンとバスが同じ♯ファの音をキープしているのは前に書いたとおりです。ですがバリトンの♯ファはアルトの♯ファよりも1オクターヴ低い音です。バスが出す♯ファはバリトンよりも1オクターヴ低い音です。つまりアルト・バリトン・バスで2オクターヴにわたる分厚い♯ファを響かせます。この分厚い根音(木で言えば根っこに当たる全体を支える音)は配ってあるCDでももちろん聴こえますが、実際に自分の声として響かせる時にはシビレルことでしょう。少年少女(女声)の響きでは出せない混声合唱の2オクターヴにわたる根音です。
    この部分、ソプラノとトップテノールは同じ音なのです。メゾソプラノとセカンドテノールも同じ音だと思ったら「静けさの中で」の「ず」と「け」だけ違います。この部分を除いて後は全て同じ音が2拍ズレて歌われるわけで、メゾソプラノとセカンドテノールの「ずけ」だけが違う。うっかりしていたら気付かないような部分にピリッとワサビを利かせているんです。恐るべき作曲家です。

    「マリモの歌」の後は「船漕ぎ歌」「熊の坐歌」、休憩をはさんで「ムックリの歌」と「パナンペ・ペナンぺのリムセ」を全部、全てのパートを全員が歌いました。けっこう細かい音程にも注意を払って歌ったので、ハモらせた時にはかなり力強い響きになったことを報告しておきます。最後の5分で「臼搗き歌」を好きなパートを担当して1回通して歌いました。まがりなりにも本番で予定している6曲を全部歌い通してしまった。
    「コタンの歌」を初めて聴き、楽譜を買ったのは40年前です。湯山先生の指揮で歌ったのが8年前になりましょうか。その時には、まさか合唱団「空」の力を借りて「コタンの歌」を歌う機会が来ようとは夢にも思いませんでした。本当に感謝です。
    練習を続けるためにも自分が感染しないように、学校に行くバスと地下鉄の中はマスクをしようと思っています。

  • コロナ対策 共通理解

    【令和2年2月29日(土)】
    総務のYさんと嶋田とで相談した結論です。
    現在、日本の人口1億人のうち1000人の感染者。つまり10万人に1人の割合です。この状況ではコンビニに買い物に行く、ちょいとした散歩に出るなどの普段の生活をしていて感染するリスクが100だとすると、「空」の練習に参加して感染するリスクは101にも満たない。つまり「空」をやってもやらなくてもコロナに罹る罹らないの不運・幸運に変わりはという状況です。
    ただし、バス・地下鉄などで練習会場に来るメンバーはマスクの着用に専念してください。
    結論。
    ① 「空」の練習は当面(状況が悪化しない限り)続けます。
    ② 嶋田・浜田・恒川とメンバーの子供本人に罹患陽性が出た場合、当面の練習は中止します。
    ③ メンバーや先生の同居の家族(つまり父母会)に罹患陽性が出た場合、その人は練習を休んでください。
    ④ とは言え、練習への参加は最終的には各家庭の保護者の判断に委ねます。
    各家庭におかれましては、日曜日から金曜日までの健康保持に十分に注意してください。

    学校の休校措置に対する処置で爆発的な忙しさに見舞われた金曜日。その夜、「明日(29日)の練習の参加者が5~6人なら「空」も考えないといけないかなぁ」などと考えていました。
    ところが今日(29日)は、ほぼほぼ全員が集まったかという状況で、すごく効率的な練習ができました。「ムックリの歌」から練習を開始。メゾソプラノとアルトが上下に分かれている部分があるので、全部のパートを歌うとソプラノ・メゾ上・メゾ下・アルト上・アルト下の5回歌うことになります。それを各パートを交代してハモらせるわけですからパートの音で5回、ハーモニーで3回。1フレーズ歌うのに8回かかります。そのフレーズとは
    ムックリの音の中を白鳥が渡ってゆく
    ムックリの音の中を女がむせんでいる
    ムックリの音の中を雨が降っている
    ムックリの音はアジサイ色に濡れている hnm
    女たちの永遠の悲しみに
    と、5つのフレーズがあります。これを全部8回ずつ歌いました。楽譜を見て、鍵盤ハーモニカの音を聴けば、ほぼ完璧に音を捉えることができるので、効率の良いことこの上もありません。
    「マリモの歌」とか「ムックリの歌」は合唱団「空」の声に合っています。ゆっくりとした抒情的な歌、心を込めてシットリと歌う曲は合唱団「空」の十八番(おはこ)です。素晴らしいハーモニーが響きました。
    続いて「パナンペ・ペナンぺのリムセ」。このような激しく燃え上がる曲は「空」は苦手と思っていたのですが今日は違いました。冒頭の「アラライヤーホイ ホイヤーエーホイ」がなかなか力強い。CDを聴いてくれたのでしょうか。どのような声でどのように歌うか、すでにイメージが高まりつつあるのかも知れません。
    「川下コタンのパナンペエカシ」とは「川下の村のパナンペ(という名前の)酋長(しゅうちょう)」という意味です。酋長と言うと日本には馴染みがない言葉ですが、村長と置き換えても良いと思います。
    パナンペ村長さんは正直・親切・働き者…と歌は続きます。そして
    だから、いつも心の中で、小鳥のカムイ(神)が鳴いている…と歌います。だから、いつも心の中は泉のように澄んでいる…とも。とても楽しく歌えたと思います。
    「川上コタンのペナンぺエカシ」とは「川上の村のペナンペ(という名前の)酋長(しゅうちょう)」という意味です。
    ペナンペ村長さんは、ずるく・意地悪・怠け者…と歌は続きます。そして
    だから、いつも心の中で、冷たい魚が跳ね返る…と歌います。だから、いつも目に浮かぶのは自分の汚れた背中だけだ…とも。ここを歌う時には、嶋田先生はいつも「自分もそうなのかな」「そうなってはいないだろうか」と振り返りながら歌います。もし、みんなもそのように歌ってくれるのなら、この曲を歌うことによって道徳の授業の1年分の効果に等しい「心の成長」が得られるものと信じています。
    終結部の「チュプ カムイ ホー」「エライナ ホー」「ヤイヌパ ホー」は絶叫フォルテ。「太陽の神よ」「お前は死んでしまった」「生き返ってくれ、もどって来てくれ」という祈りの言葉を絶叫します。けっこう絶叫になっていたよ。なかなかやるもんだね。

    休憩の後は「臼搗き歌」。これも全部のパートを全員が歌って通しました。どんどん耳が良くなってきています。楽譜を見て鍵盤ハーモニカの音を1回聴けば音取りが完了する、すごい「合唱力」が高まりつつあります。今日は男子のメンバーが全員揃っていたので嶋田先生を加えてトップテノールを歌ってみました。男子メンバーはアルトを歌ったりテノールを歌ったりと大変ですが、テノールパートがアルトパートよりも高い声になる部分も随所にあり、大変と言うよりも面白いと言った方が当たっている。人生の中で今しかできない(そして申し訳ないけど女の子には決してできない)アルトとテノールの自由選択です。これは面白い。
    具体的に記せばP46からP50にかけて女声パートと男声パートが交錯(かわりばんこ)しています。だから女声パートだけで歌っていると次のフレーズを歌い出すタイミングが取りにくいし、何よりも掛け合いの面白さが実現できません。今日はテノールだけとは言え男声パートを作ることができてタイミングも取りやすく、掛け合いの面白さを楽しむことができました。男子メンバーに拍手と感謝です。
    さらに面白いのはP51から続く「私もいきたい お嫁にね」の掛け合い。ここの男声パートはテノールもバスも同じ音になっているので男声が4人いれば十分です。掛け合いの面白さは最高でした。女の子が作るハーモニーは十分に美しかったのですが、本番は東海メールクワイアー全員が「ヘッサオーヘッサオ」と歌いますから「空」の女声パートもシッカリとした強い声で歌わないと消し飛ばされてしまいます。がんばって「合唱力」を高めましょう。

    今日は期せずして多くのメンバーが集まり、とても充実した面白い練習ができたことを感謝します。
    繰り返しになりますが練習は予定通り行いますが最終的な参加不参加の判断は保護者の方々に委ねます。みなさん、健康には十分に義注意を。かく言う嶋田先生が罹患陽性になっては話になりませんので十分に気を付けます。
    では、また来週フェールマミで。