SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


「聴く力」を高める講座①

【令和2年4月4日(土)】
合唱団「空」始まって以来の「計画中止」となった土曜日、みなさんはどのように過ごしておられるのでしょうか。東京はエライことになっているようですが、名古屋市(愛知県)は入学式も始業式も授業も予定通り再開されるとの報道があり、ホッとしています。
さて、「小さな目」と「鮎の歌」のCDをお送りしました。嶋田先生が住所を把握できないメンバーが一人いるのですが(6日の月曜日になっても届かない人は嶋田先生まで電話をください(852-5407)。出なければ留守録してください。FAXも同じ番号です)、基本的には全員が「小さな目」と「鮎の歌」と「コタンの歌」のCDを持っていることになります。
実際にピアノを叩いて声を出してハーモニーを作るばかりが「練習」ではありません。嶋田先生は7年間、愛知県教育研究集会の助言者を務めたのですが、そこに集まって研究発表をする県下の音楽の先生たちに毎年言っていました。
「交通事故で手がちぎれて無くなったら、その子はもうピアノも弾けません。リコーダーも吹けません。」
「喉にガンか何かができて声帯を手術で取ってしまったら、その子はもう歌うことができません。」
「では、ピアノもリコーダーもできなくて歌うこともできない子は、音楽はできないのでしょうか。」
「声が出なくても腕が無くても音楽はできる。「聴く」ことさえできれば、その人は(その子は)立派に音楽をしています。「聴くこと」こそが音楽の根源です。先生方の授業で、音楽を聴く力のある子が育ち、聴く楽しさを味わう子が育つことを願っています。」
ずいぶんエラそうなことを言ったもんですが、間違ってはいないと思っています。歌うことも楽器を演奏することも、自分が出している声や音が美しいかどうかを感じ取る耳があってこそで成立することであり、耳すなわち「聴く力」が無くして成立する音楽は有り得ません。

前置きが長くなりました。それでは、みなさんの「聴く力」を高める講座を始めたいと思います。第1回目は「鮎の歌」の1曲目「雉」です。
とんでもなく不安を感じるピアノの前奏です。それを引き継いだコーラスは(以前にも書きましたが)山芋やアケビや野茨や紅葉たちが
「歩いて逃げろ、走って逃げろ、飛んじゃいけない、止まっちゃいけない。木々の葉っぱをくぐって逃げるんだ」
と雉に向かって呼びかけます。9~12小節目のピアノの右手は、その植物たちの枝や葉っぱの「ざわめき」を表現しています。少しでも雉の姿を隠そうと、植物たちが枝や葉っぱを揺らめかせているのです。同時に9~18小節目まで続くピアノの左手は雉の足音でしょう。あるいは雉は地面を歩くことはあまりしない鳥なので、苦手な歩みをヨタヨタと進めている雉の姿を表現しています。
19小節目から2番に入りますが、ピアノの音型もコーラスのハーモニーも全く同じ形が繰り返されます。ただ1点違うのは1番の出だしがメゾフォルテなのに対して2番の出だしはメゾピアノであるということ。これはですね、雉と猟犬との距離が1番は100mなのに対して2番では猟犬が50mにまで迫っているという緊迫感だとイメージしてください。
山芋やアケビ、野茨や紅葉、栗・ブナ・漆(うるし)・熊笹や桂などの植物たちは、一体なぜ雉を助けようと思っているのでしょうか?
これは想像力でありイメージなのですが、ある時、雉のお母さんが森の中に巣を作ってタマゴを産んだのだと先生は感じます。森の中の全ての植物たちは「ああ、早くヒナが生まれるといいなぁ」と見守っていました。そしてヒナが生まれた時「やったぁ、かわいいヒナが生まれたよ」と大喜びしていました。そして「丈夫に育ってくれよ」「スクスクと育ってほしいな」と願って見守っていたのです。そのヒナが立派な雉になって巣立っていく時、「あぁ、この森から旅立って行くんだね。さびしいなぁ。でも君の成長はうれしいよ。いつの日か、きっときっと、この森に戻ってきておくれよ」と、みんなで送り出したのでしょう。
その雉が久しぶりにみんなの森に帰ってきた。植物たちが再会を喜んだのは一瞬でした。逃げてくる雉の後ろにチラホラと見えるのは、獰猛(どうもう)な猟犬と銃を持った漁師の姿だったのです。
このような状況の時、みなさんが山芋や紅葉だったら、枝や葉っぱやツルを精一杯に伸ばして雉の姿を隠そうとし、猟犬の行く手を阻もうとするのではないでしょうか。しかし植物である悲しさ、根っこが生えた地面から自由に動き回ることは叶わず、植物たちは見守っていることしかできないのです。その悲痛な叫びが冒頭のピアノ前奏の狂乱になっているのではないでしょうか。
さて「見えない見えない鳥」から始まる3番。38小節目6拍子のピアノの上昇音は雉の香りが山の中に漂っていくのを表現しています。その香りに反応した猟犬のブルルルッという唸り声が39~40小節目。41小節目は猟犬がダッシュで走り出す音ですね。
47小節目から再び狂乱の前奏とともに4番が始まります。1番2番と同じ音型ですが半音高くなっていることに注目。これは雉と猟犬との距離が20mまで迫っていることを意味します。その証拠に「音もなく雉よ」はSピアノになっています。1番2番はメゾフォルテだったのに。今や20mにまで迫った猟犬から逃れるためには足音さえ立ててはいけない状況なのです。
そして65小節目。猟犬に迫られて逃げ場を失った雉はついに飛び立ってしまいます。この65~69小節目のピアノは京都の舞妓(まいこ)さんが美しく舞っている姿を彷彿(ほうふつ)とさせる音型です。雉が青空の中で舞っているのでしょう。
71小節目のピアノの左手は再び猟犬の唸り声。それに前後するピアノの右手(8と記されている1オクターヴ高い音です)は舞い上がった雉の羽が太陽に輝く音。それも70~71小節目は5拍ありますが72小節目では3拍、73小節目では1.5拍と短くなっていきます。猟犬が5m、2m、1mと雉に切迫していく様子を表しています。
77小節目で再び猟犬の唸り声が聞こえ、78小節目の上昇音型は猟犬が雉に飛びついた音でしょう。
81~82小節目で再び雉の羽が太陽にキラメく音があったかと思うと、直後の85小節目で漁師が放った銃の音が二発響きます。

こうして書いていても改めて湯山先生の作曲技法に感嘆の思いを禁じ得ません。まるで映画のように場面場面の構成が明確になっており、その場面の状況に応じた和音が見事な色彩を放って選択されています。
ここに記したイメージを自分なりにメンバーが咀嚼(そしゃく・かみしめること)してCDを聴いてくれることを願っています。たった一度だけで良いですから。

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