SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


大中先生「わたりどり」のこと

【令和5年9月23日(土)】
先週は新実先生・今木先生のリハーサル、ご苦労さまでした♪
新実先生が意識されてのことかどうか分かりませんが、まぁ時間も残り少なかったし、17日のリハーサルでは曲集「はたおりむし」の練習がありませんでした。
ゆえに今日は曲集「はたおりむし」の確認をメインにして、「わたりどり」と「うたにつばさがあれば」の基礎を固め、残った時間を「太鼓打ち」と「なによりもまず」に投入しようと思っていました。
結論を記せば、この予定表の(?)とおりに練習が進んだのはオドロキというか、みなさんの実力の賜(たまもの)です♪
曲集「はたおりむし」の後半は1曲を1回だけ…というダッシュはあったものの、まがりなりにも12曲を歌い通すことができました。メンバーの協力に感謝です。

なので今日、何人かのメンバーは初めて楽譜を見たであろう「わたりどり」について記しておきます。
ネットやYouTubeでどんな情報でもスグに手に入る時代になりましたが、どんなにコンピュータが便利になっても「自分で努力して」「自分で扉を開かなくては」手に入らない情報というか「宝物」があります。
バッハやシューベルトの音楽、北原白秋や宮沢賢治の詩など、自分でその「扉」に手をかけて、扉を開ける努力をしなくては永遠に手に入らない「心の宝物」です。
その「宝」は形も大きさもありませんし、色もついていないしお金で買えるものでも売れるものでもありません。
しかし嶋田先生としては、みんなに味わってほしい宝物なのですね。
特に心が成長する時代の中学生・高校生のみなさんは、ホンの少しの努力をして北原白秋の詩集などはゼヒとも触れてみて、そして「何か」を感じてほしいなぁ…と心から願っています。

北原白秋。1885年(明治18年)~1942年(昭和17年)の詩人です。
「からたちの花」「この道」「ペチカ」「あわて床屋」「待ちぼうけ」「城ヶ島の雨」などは小学校の教科書にも載っている童謡ですね。
詩集には「水墨集」「海豹と雲」「邪宗門」などがあります。
「わたりどり」は詩集「水墨集」に納められている詩で1923年の作品。つまり作詩されてから今年で100年…ということです。
この詩に大中恩先生が作曲されたのが1943年。当時19才の大中先生には召集令状(しょうしゅうれいじょう・兵隊になれという命令書)が届いていて、大中先生は自分の作品第1号として戦地で死ぬ覚悟で書いたそうです。翌1944年9月に学徒出陣で海軍予備学生として海軍に召集されました。これは金山の「札幌カニ本家」金山店で大中先生本人から聞いた話です。
詩は次のとおりです。

わたりどり  北原白秋

あの影は 渡り鳥。
あの輝きは雪、
遠ければ 遠いほど空は青うて、
高ければ 高いほど 脈立山よ、
ああ、乗鞍嶽、
あの影は 渡り鳥。

国語辞典を見れば分かりますが「影」とは「光」のことです。これは日本語の事実。
そして「渡り鳥」を「未来の自分」と読み、「雪」を「私の目標」と読むと、

あの光は私自身。
あの輝きは私の未来の目標。
その目標は遠ければ遠いほど空の青さのようにはるか彼方であり、
その目標は高ければ高いほど波立つ山のように険しい(けわしい)が
ああ、あの乗鞍が私を呼ぶように
わたしは光になって目標へと突き進む。
(ソラノート2019年12月8日より再録)

となります。
あぁ、高校生・大学生のころの嶋田先生は震えるような気持ちで北原白秋や宮沢賢治、高村光太郎や八木重吉の詩集を読みました。
本当に、嶋田先生の「心の財産」「心の宝物」です。
これらは自分で努力をして自分で「その扉」を開かないと決して味わえないものだと思います。
「空」のメンバーにも、この美しい世界への「扉」を開けてほしいなぁ…と心から願っています。

なに? オレぁ嶋田先生みたいになりたくにゃあからその「扉」とやらは開かんのだわ だと?
むむぅ…。そんなアンタに言っておきますけどね、そいつぁ損(そん)というものだぜぇ。
ウソだと思ったら一度でいいから開いてみろぃ!!!
きっとアンタの心は豊かに膨らむぞよ。

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