SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


自分で考えて歌う

【令和3年12月11日(土)】
今日は「空」の歴史についての嶋田先生の記憶の中でもベスト3に入るくらい効率良く、そして効果的な練習ができました。あらかじめ「こんなふうにできると良いな」と練習の予定を考えて練習会場に来るのです。考えていた予定を上回る練習ができることはあまりないのですが、今日はその日でした。さわやかな気分で帰り道につきました。メンバーに大感謝です。

まずは「うたにつばさがあれば」と「わたりどり」。これは指揮をしなくて、特に「ああしろ こうしろ」とも言わず、メンバーが好きなように歌いました。一人一人のイメージや思いは少しずつビミョーに違うはずですが、そのビミョーな違いが混ざり合って「空」の歌声が生まれます。会議を開いて「こう歌おう」と決めたわけではなく、アンケートを取って「このテンポにしよう」と決めたわけでもなく、そこにいる人が、その時の感受性を持ち寄って歌い合わせる。だから「もう一度歌おう」となっても全く同じ表現になることは二度となく、その瞬間瞬間に生まれる表現です。
本当のほんとのホントのことを言うと、音楽っていうものはそういうものなのです。

さて、曲集「やさしい魚」は「感傷的な唄」と「ジョギングの唄」と「天使」の3曲は何度かポイントを押さえて、楽譜をシッカリ見て歌うパターンと楽譜を見ないで歌うパターンを組み合わせました。楽譜を見ることは非常に大切ですが、見ないで歌えるようにする努力をすることはもっと大切です。なぜかと言うと、本当のほんとのホントのことを言うと、音楽っていうものは楽譜を見ないでやるものだからです。
これは非常にレベルの高い話ですが、今の「空」なら可能だと思いますから話して(書いて)おきます。
人間が「音楽」というものを知って、音楽をやり始めたのは原始時代のことでしょう。マンモスと戦っていたころから人間は音楽を始めたはずです。4000年か3000年くらい前に、インドやギリシャで「リラ」「アウロス」などの楽器が生まれました。リラとは竪琴でアウロスは笛です。
ヨーロッパでは教会音楽が発展し、神様を讃える音楽が生まれたのですが、長い間「口伝」と言って口から口へ歌い継がれてきました。それが1000年ほど前に「ネウマ譜」という原始的な楽譜が生まれて「記号で音楽を伝える」という方法が編み出されたわけです。
だから私たちが「楽譜」というものを手にしたのは、たかだか1000年ほど前の話で、それまでの長い間はずっと親から子へ、子から孫へと、口から口へと伝えられてきた。それが音楽の歴史です。
そして「作曲」という仕事が生まれ、いろいろな楽器が生み出され、みんなの知っている音楽がスタートするのですが、その話は止めておきます。

楽譜とは新実先生や大中先生・湯山先生が(あるいはバッハやベートーヴェンが)自分の作品を次の世代へと正確に伝えるために記録した「記号の集まり」なのです。
だから本当のほんとのホントのことを言うと、音楽っていうものは楽譜を見ないでやるのが本当の姿。記号を見ながらやっていては「その瞬間瞬間に生まれる表現」など生まれないわけです。

だからと言って「楽譜を見るのは禁止」などとは言わない。実際に嶋田先生は東海メールクワイアーで歌う時は楽譜を持って歌うことの方が多い。その理由を書き出したら、こりゃまた大変に長い話になります。
定期演奏会の本番で「楽譜を持つか持たないか」という話ではなく、みんなが「音楽の神様」に近づこうとする時のトレーニングの話です。あくまでもトレーニング。だから「楽譜を見ないで」と要求しました。

4曲目「鳥が」と5曲目「やさしい魚」と曲集「われもこう」と曲集「ぼくは雲雀」の18曲は1回ずつ歌いました。その時は
「最終のゴールは楽譜を見ないで歌うことです。そのために今、たった1回歌うチャンスを、楽譜をキチンと見て歌うか、見ないで歌ってチェレンジしてみるか、それは君たちが考えてください」
と言いました。18曲全部を楽譜を見ていた子は一人もいませんでした。また18曲全部を見ないで歌った子もおそらくいなかったはずです。どの曲を見て歌い、どの曲を見ないで歌うか、全部自分で考えて歌っていました。
先生がやってほしかったことは、楽譜を見ないで歌うことではなく、その「自分で考えて歌う」ということでした。それが、嶋田先生の記憶の中でもベスト3に入るくらい効率良く、そして効果的にできました。

ありがとう。来週と再来週は音楽プラザで会いましょう♪

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