SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


「感傷的な唄」

【令和3年7月3日(土)】
7月に入りました。新実先生がお見えになるのが8月22日(日)。その前の日帰り合宿20日と21日は予備日と考えるとして、それまでに8月14日(土)、8月7日(土)、7月31日(土)、7月24日(土)、7月17日(土)、そして来週7月10日(土)と今日しか練習がありません。だから今日はとりあえずパートを確定させ、来週に発表して6回と合宿の1日目2日目で新実先生に聴いていただく。なかなかの強行スケジュールです(笑)。

チラッと聞いたのですが、コロナや受験でなかなか練習に来られない、そこでパートが決まって表現の練習が始まる…。私はついていけるのだろうか…。などと心配しているメンバーもいるようです。
それは嶋田先生の計算に入っています。部活もあるしコロナもある。欠席することは恥ずかしいこでもイケナイことでもありません。だいたい、これからの練習に全て参加しなくてはならない…ということになれば、今後いっさい新入団員を受け入れることはできない…ということになります。
嶋田先生としては、合宿が終わっても9月の最初くらいまでならば、新入団員が入ってくれたらその子がステージに立つことができるようにしてみせます。これまでにも何度も何度もそういうことはありました。嶋田先生は平気です。
仮に9月4日(土)に新入団員が来てくれたとしましょう。その子と休団中のメンバーとを比べれば、(ランク付けは良いことではありませんが話を分かりやすくするために敢えて比較・ランクのようなことを書きます)それまでの経験値から考えても圧倒的に休団中のメンバーの方が上です。嶋田先生がどんな指揮をするのか、「空」がどんな表現を目指すのか、そのような経験値は計り知れないものがあり、半年や1年のブランク(空白期間)があったとしてもその「力」は大きい。
それをまず分かってください。
父母会の大人たちは全員分かっています。嶋田先生は父母総会でいつも言います。「私は、1回発言したこと、1回書いたこと。これを翻すことは絶対にしません」(翻す=ひるがえす・やっぱり別の方法にします という意味)
ソラノートはインターネットで世界中に流れています。ここで書いたことを翻したら嶋田先生は人間ではありません(笑)。

だけど、これも分かってください。仮に休団中のメンバーが10月30日(土)のゲネプロ(直前リハーサル)に来てくれたとしましょう。その日までに、歌おうとする曲を1回も聴いたことがない、楽譜を見るのも初めて、というのは無理ではないでしょうか? 少なくとも嶋田先生の実力では無理です。
これも絶対に翻しませんが「どのくらい歌えるのかテスト」などはしません。たとえ本番の前日からでも休団中のメンバーを信用します。その時、初めて楽譜を開く曲でも1回も聴いたことのない曲でも「歌えます」と言ってくれるのなら絶対にステージに立ってもらいます。これは翻しません。約束は守ります。

前置きはこのくらいにしておいて、今日の練習はみんなにとっては
◯新しい曲を歌ってみる
◯合唱の力を高める
ということで、いつもと変わらないのですが、先生にとっては
◯誰がどんな声を持っていて
◯その子に一番向いているパートはどこかをキチンと知る
ことが眼目となりました。だから今日はいつも以上に一人で歌ってもらう時間が多くありました。キンチョウしましたか?ゴメンナサイね。
だけど、一人ずつ声を聴かせてもらって分かったのですが、音程はかなり良いです。それが分かりました。それから、一人で歌うことはキンチョウするけど自信もつきます。その自信は計り知れない「力」になります。一人で歌うのはなかなか有意義な時間となりました。間違いありません。

どこを一人で歌ってもらったかというと、「感傷的な唄」のP6~P8の上の段です。これを全員がソプラノ・メゾソプラノ・アルトを全部一人で歌った。これは「パート決め」などという話はどうでも良く、メンバーにとっては実に良い練習になりました。それから「鳥が」のP37~P40の上の段。江川先生も大変でした。「感傷的な唄」は人数の3倍の回数を繰り返して弾いていただいたわけで、指が変になっちゃったかも…と心配しています。
「鳥が」はメロディーラインですし、先週も歌いました。ですが「感傷的な唄」は初めて声にする曲です。嶋田先生の記憶では1月か2月に少し歌ったことがありますが、1回だけ。それも半年近く前の話で、ほぼほぼ全員が初見です。
この曲はねぇ、7拍子なんですよ。正確に言えば4拍子+3拍子なんですが、ようするに不安定な変拍子です。それを初見(初めて見る楽譜)なのに嶋田先生の指揮とピアノ伴奏だけを頼りに歌い切ったってんだから、こいつぁ大したもんだわ…と思いました。繰り返しますが、メンバーにとっては実に良い練習になりました。
その後、「感傷的な唄」は中間部をカットしてP15から全員で全パートの音を取ってハーモニーを作りました。なかなかのハーモニーでした。みんなは歌っていてどう感じましたか?
P14の下の段の4小節目から、実に不思議なピアノ伴奏が始まります。そう。「死へと向かう行進曲」です。コワ~ィ響きだねぇ~!!!!!
歌詞も「死んでしまって 肉体もすっかり滅びても」です。小学生のメンバーはぜひこの部分を歌ってお家の人に聴かせてあげましょう。それも10回くらい歌ってあげると良いですよ。きっと「ぐえぇ~!!!!やめろ。いったいオミャーは何ちゅう歌をうたうんじゃ?」と言うに違いありません。
そう言ってもらえたら、あなたの歌声は本物であり上手でしたってことになります。もしもママが「あら、キレイな曲ねぇ。何度聴いてもアキナイわ」なんて言ったら、あんた、そりゃ失敗だったってことです。
良い実験です。ぜひチャレンジしてみてください。

組曲「やさしい魚」は新実先生の代表作であり、合唱コンクールでもよく歌われましたが、「感傷的な唄」の詩の世界を豊かにイメージして歌っている演奏を聴いたことがありません。詩人の川崎洋が使った言葉は難しくはないのですが、それゆえに言葉をそのまま読んでしまって「言葉を並べただけの演奏」に終始してしまうことが多いのです。
「空」の場合、幸せなことに作曲者に直接聴いていただくチャンスがあるわけですし、嶋田先生は「メンバーが何を歌っているのかを(詩の世界を)知らずに」歌っているのは合唱じゃないと思っているので、またまた申し訳ありませんが説明しておくことにします。今日も説明しましたが、限られた時間の中では十分な説明になりませんでしたので。
今日の欠席メンバーは、ぜひ以下の話を読んでから団員専用コーナーの「感傷的な唄」参考音源を聴いてみてください。

結論を先に書きます。「感傷的な唄」は人間が生まれてから死ぬまでをたった3分の音楽に凝縮(ぎょうしゅく)した世界です。


風が吹くから
生きよう
そう思う前に
もう足が駈け出していた

風が吹くから
見えないものを
信じることができた

不意に思い出す
トンボがつながるときの
カシャ という音

小鳥の歌に
人間の歌で返事しよう
と思ったときのこと

体温計のケースに
しのばせて
手渡そうとした恋文は
とうとう渡せないまま
あれから
どこへ行ったのだったか

唄好きな蝶番(ちょうつがい)は
他の(よその)星から飛んできた風船と
よく話をしていたし

位の低い神様のベンチには
主題のない招待状が
陽に光っていた

死んでしまって
肉体もすっかり滅びても
私の
もう此の世のものではない耳に
美しい歌だけが聞こえてくる
そんな祈りが
もしかして
適えられないだろうか


この詩、使われている言葉そのものはカンタンで小学生でも理解できますから、まっすぐにそのまま読めてしまいます。こんなふうに。

風がふくから生きよう と思ったのか。
そう思う前に もう足が勝手に走り出したんだな。
風が吹くから 見えないものを信じたんだな。
不意に(急に)思い出したんだな。
トンボがつながったんだな。
カシャっという音がしたんだな。そんな音するかな?
(中略)
位の低い神様がいたんだな。
そしてベンチに座っていたんだな。
ベンチにはテーマが書いてない招待状があって
太陽の光に輝いていたんだな。
知らんけど、きれいな詩だな。
ほう。死んじゃったんだな。
肉体が滅びたんだな。
耳が天国にでも行ったのかな。
美しい歌が聞こえてきたんだな。
そんなふうに祈ったんだな。
祈りを適えてほしいって思ったんだな。
分からんけど、悲しい感じだな。

これまでに嶋田先生が聴いた「感傷的な唄」は大なり小なり上のような感じで歌われていました。
風が吹いて トンボがつながって 肉体が滅んで 美しい歌が聞こえて はい、知らんけどメデタシメデタシ。
こんなふうに歌って、歌う意味があるのだろうか…。申し訳ないけれど、私はそういう歌は「歌ではない」と思います。
まず、「風が吹くから生きよう」じゃないんです。ここが間違いの元。
「風が吹くからもう足が駈け出していた」なんです。
同じように「風が吹くから見えないもの」じゃなくて「風が吹くから信じることができた」なんです。
「風が吹くから」とは、自分に命をくれた神様が「あなたに命をあげよう」と言ったから という意味です。
だから川崎洋の言いたかったことは、こうなります。

神様が「お前に命をさずける」と言ったから
「こんなふうに生きよう」と私が思う前に
もう自分は生まれていた

神様が「お前に命をさずける」と言ったから
目に見えない愛、形のない優しさを
信じることができた

以下、【 】でおおよその年齢をイメージして、原詩と同じように改行して記します。
「トンボ」は「父さんと母さん」であり、「蝶番」とは「自分の子ども」という意味です。
なぜ「蝶番」が「子ども」なのかと言うと、もともとは他人である「父さん」と「母さん」を結びつけているのは父と母との間に生まれた「子ども」だからです。「蝶番」とは扉(父)と壁(母)とをつなぐ金属の金具です。


【生まれる前~生まれた瞬間】
神様が「お前に命をさずける」と言ったから
「こんなふうに生きよう」と私が思う前に
もう自分の命は始まっていた

【5才ごろ】
神様が「お前に命をさずける」と言ったから
目に見えない愛、形のない優しさを
信じることができた

【10才ごろ】
とつぜん(不意に)思い出したんだ
父さんと母さんが結婚した(写真を見た時の)ことを
祝福の鐘の音が聞こえたことを

【15才ごろ】
(そして生まれた私は)小鳥の歌に
人間の歌で返事がしたい
と本気で願っていた

【18才ごろ】
小さな箱に
そっと入れて
(あなたに)手渡そうとしたラブレターは
あの時、渡せなかったけれど
(あなたへの思いを書き留めた)あの手紙
どこにしまってあるのかな

【30才ごろ】
(あなたと私との間に生まれた)赤ちゃんは歌が大好きで
宇宙から飛んできた流れ星に
大喜びで話しかけていたわね

【90才ごろ】
私だけの神様がいるところに
「もう(こちらの世界へ)帰っておいで」という招待状が届いて
光に包まれていた

【死んだ後】
(あなたと過ごした幸せな)命が終わって
私の身体は無くなってしまたけれど
もう此の世のものではない(私の)耳に
(あなたといっしょに歌った)美しい歌だけは聞こえてくる
そんな私の祈り そんな私の願い
もしかしたら
神様は聞き届けてくれるのかしら


ぜひ、こんなイメージを拡げて参考音源を聴いてみてください。新実先生がなぜ最初の部分を変則の7拍子にしたのか、あるいはP14の下の段の4小節目から、実に不思議な響きのピアノ伴奏にしたのか、理解できると思います。
そのような努力をしてくれる休団中メンバーなら、直前であろうと本番前日であろうと嶋田先生は喜んで「ステージでいっしょに歌いたい」と思います。

上のようなイメージは、嶋田先生の中に最初から描かれたものではありません。
「感傷的な唄」を初めて聴いたのは昭和62年、CBCコンクールで27才の時でした。34年前になります。21年前には「やさしい魚」全曲を歌いました。もちろん、その後に毎日「感傷的な唄」の詩のことを考えていたわけではありません。17年前、「空」の第9回定期演奏会ではみなさんの先輩にトコトン指導しました。
そうして34年の歳月の中で膨らんできたイメージです。国語が専門で、しかも近代文学を大学で専攻した嶋田先生でも30年以上かかるんです。
練習の場でこんな説明をしていたら時間がいくらあっても足りません。
このようにソラノートに記しておかなければ、風が吹いて トンボがつながって 肉体が滅んで 美しい歌が聞こえて はい、知らんけどメデタシメデタシ。という表現になってしまいます。
面白いことは、受け手であるみなさんが本気になってイメージを拡げてくれるのならば、30年かかって膨らんだ世界が1日でみなさんに伝わる…ということです。
30年分の考察が1日で伝わる。合唱に限らず「授業」というものの最も面白い部分です。

イメージが膨らんだら、ぜひお家の人に聴かせてあげましょう。ヘタクソに歌ったら「ぐえぇ~!!!!やめろ。いったいオミャーは何ちゅう歌をうたうんじゃ?」と言うはずだったパパさんやママさんが「おお、良い曲だなぁ。父ちゃんや母ちゃんの歌みたいだなぁ。お前も、こんな人生になると良いなぁ。何度聴いてもアキナイわ」なんて言ったら、あんた、そりゃ大成功。そんなハーモニーを作ることができたら、本当に素晴らしく、そして幸せなことです。

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