SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


薔薇のゆくえ

【令和3年7月10日(土)】
今日は第25回定期演奏会に向けてのパートを発表しました。普通の合唱団の感覚なら「えぇ?今ごろ決めたの?ほんじゃあ今まで何をやっとったの?」と言われるかも知れません。
今までは基礎基本の練習をやってきたわけです。声を前に飛ばす(ミミクリーペットありがとう)、ドの音を聴いてミを声で出す、ドを聴いてソを出す、ドを聴いてファを出す(鍵盤ハーモニカありがとう)、ピアノの開放弦を声の響きで鳴らす(グランドピアノありがとう)、音のうねりを聴き取る(電子ピアノSA46ありがとう)、超ビミョーな音程に耳を研ぎ澄ます(クロマティックチューナーありがとう)などなど、いろいろな基礎基本を繰り返してきました。
もちろんこれからも時間を見つけて、これら「合唱力を高める」トレーニングは続けていきます。
そして今日、パート発表したのですけれども、「ああ、これで受け持つパートだけ練習すりゃイイや」などとは考えないでくださいね。いちおう
☆ ソプラノ上
☆ ソプラノ下
☆ メゾソプラノ上
☆ メゾソプラノ下
☆ アルト上
☆ アルト下
と、6つに分けたんですけれども、普段から耳を澄ませて(あるいはいっしょに歌ったりして)それぞれ一つ上下のパートを担当できるようにしておいてください。今日の練習でもそのようにお願いをしました。たとえば「メゾソプラノ上」の担当者は、一つ上のソプラノ下と、一つ下のメゾソプラノ下のパートも、いつでもパッと歌えるようにしておく(ように努力する)のです。
その努力は必ずみなさん一人一人の「合唱力」を高めます。そして互いに密接につながったハーモニーを生み出すのです。
同時に、実際に歌ってみて上手くいかなかったりバランスが良くないなと思われる時には、互いに受け持つパートを交換し合ったり、パート移動をしたりすることもあります。そんな時、「うぇ~ん、アタシはこのパートしかできないも~ん」なんて言ってちゃダメ。そりゃ「赤ちゃん合唱団」ですわねぇ。
もう一つ、重要なことがあります。それは今後、新入団員が入ってきてくれた時のことです。新しいメンバーが加われば当然パートの人数バランスが(うれしいことですが)崩れます。そんな時に「あっ、そう。じゃぁアタシがこっちのパートに移るわ」なぁんて言ってくれたら、本当に嬉しいし助かるし、第一カッコいいですよねぇ。
というわけです。よろしくお願いいたします。

さて、今日は曲集「われもこう」から「薔薇のゆくえ」と「忘れ雪」と「火の粉」を歌いました。全部のパートを全員で歌いながら、最後にそれぞれが担当するパートを歌ってハーモニーを作る。このやり方で3曲を最初から最後まで全部歌い切りました。ほんの少し時間が余ったので「なぎさ道」を半分くらい。休憩を除いた約120分で3・5曲。今までに「合唱力」を高めてあるからこそ可能になるわけです。とても効率的でした。
練習中、「今日のソラノートは長くなります」と予告をしておきました。3曲ともとても美しいメロディーでありハーモニーなので、ドンドン音取りを進めていき、つまり詩の内容についてはホトンド触れなかったからです。
今からここに書くことは非常に重要なことです。そして、ここに書く詩のイメージを「練習の場で説明していたら時間がいくらあっても足りなくなります」と言ったら、全員がナットクしてくれました。

【薔薇のゆくえ】
みなさんは仏(ほとけ)様を知っていますね。ムズカシイ言葉では仏教(ぶっきょう)と言います。その仏教、つまり仏様の教えに「輪廻」という考え方があります。輪廻とは「りんね」と読みます。
命あるものが何度も生まれ変わり、人だけでなく動物なども含めた生類(生きるもの)として同じ価値がある…という教えです。

ばらは さだめ しり
かぜと でかけ た
まちも むらも ない
いしの あれの で
ばらは かたち とけ
うたに なった よ

以下、原詩と同じように改行してイメージしていきます。

 薔薇は自分の運命を知り
 自分を滅ぼす者を受け入れて ※
 愛も信じ合う心もない
 絶望にあふれた場所で
 薔薇は愛と信じ合う心を伝えて
 歌に生まれ変わった

※は「風」をどうイメージするか…です。薔薇にとって風とは、最後に自分を散らすもの。風さえ吹かなければ薔薇はあと一週間くらい咲いていられるはずです。自分を散らしてしまう…、つまり自分の命を奪う運命です。その運命を受け入れて出かけた…という意味でしょう。
みんなだってその運命を受け入れているのですよ。自分が永久に生きていられるなどと思っている子はいないはずです。90才か100才かは知りませんが、みなさんも先生も必ず死ぬのです。
だから一日一日がとても大切な時間なのです。それを分かっている子はイジメなんてやっているヒマはないわけです。
自分の運命を分かっている子は今日という一日を大切にします。みなさんは薔薇なのです。
詩は続きます。

うたは かおり すい
つばさ ひろげ た
ほしも みずも ない
いわの はざま で
うたは くだけ ちり
ゆきに なった よ

 (薔薇の生まれ変わりの)歌は薔薇のかおりを(命を)受け継ぎ
 翼を(自分ができることを)精一杯に拡げた
 愛も信じ合う心もない
 絶望にあふれた場所で
 歌は愛と信じ合う心を伝えて
 雪に生まれ変わった

みんなもそのように生きたいと思いませんか?
そして詩は続きます。終わっていません。この続きは、歌うみなさんが作るのです。
嶋田先生が作ったらこうなります。

ゆきは しろく なり
だいち おおっ た
よごれ はてた もの
おおい かくし て
ゆきは ふりし きり
ばらに なった よ

 雪は白く白く
 全ての人々を包んだ
 黒く汚れ果てた憎しみを
 やさしく包んで
 雪は全てを純白に染めて
 薔薇に生まれ変わった

新実先生が1番と2番の間に「ルルル」やハミングでワンコーラスを(全く同じメロディーを)入れたのは、みなさんに「自分で作ったイメージを美しく思い描いてハミングしてください」と問い掛けたメッセージだと思います。
嶋田先生のようなヘタクソなイメージではなく、みなさんが自由に美しいイメージを膨らませてください。それが作曲者の願いであり、「薔薇のゆくえ」という曲を歌う意味だと思うのです。
このイメージは一人一人が違っていても良く、むしろバラバラである方が良いのです。嶋田先生は輪廻として
 薔薇→歌→雪→ふたたび薔薇 とイメージしましたが、みんなは
 薔薇→歌→雪→月→山→海→ふたたび薔薇
などとしても良く、自由なのです。お願いだから「何もイメージできない」などと言う子にならないでくださいね。

一度ここで打ち切ってソラノートにアップすることにします。長くなるからね。続きは、つまり「忘れ雪」と「火の粉」については明日にでも書くことにします。
これだけは分かってください。どれだけ良い声を持っていても、どれだけ音程が良くっても、歌う人が自分のイメージを持っていない合唱は、単なる声のアクロバットに過ぎないのだということを…。

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