SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


音の絡みの面白さ

【令和3年5月8日(土)】
イオン熱田コンサートも終わり、今日から本格的に第25回定期演奏会に向けた練習がスタートです。
まずは直近(すごく近い)のステージ、すなわち愛知県合唱連盟合唱祭で歌う曲を…と思いましたが、2曲だけで今日一日を終わってはツマラナイので「自転車でにげる」と「ふたりで」を紹介することにしました。
4月4日まで「コタンの歌」に取り組み、大きな成果を上げましたが、そのかわりに一人一人が受け持つパートがまだ決まっていません。これは困ったことなのですが、その困ったことを逆にプラスに変えてしまおう…というのが嶋田先生の作戦です。
すなわち全員に全部のパートを教えることを原則とする、という作戦。この作戦のポイントは
①全員が全部のパートを歌い、理解することで一人一人の和音感覚を豊かにすることができる
②自分のパートが決まった後でも相手がどんな音を歌うのかを知っているから、自分のパートを歌う面白さが2倍3倍になる
 ※この②を実感できるのはパートが決まってからになります。少しの間ガマンです。
③高い声(ソプラノ)真ん中の声(メゾソプラノ)アルト(低い声)を歌うことで一人一人が高い声から低い声までをナメラカに出せるようになる
 ※ようするに発声練習です。
④その結果、一人一人が「自分がどのあたりの高さの音で一番良く声が出るか」が分かってくる
⑤さらにその結果、自分に一番向いているパートがどこか、ある程度分かるようになる
くわしく書けばもっと理由がありますが、とにかくいろんなパートの歌い方を知っておくことはプラスにこそなれマイナスになることは絶対にありません。

さて「自転車でにげる」。それほど時間をかけることもなくソプラノ・メゾソプラノ・アルトを全て全員で歌うことができました。
新実先生が「白いうた青いうた」で工夫されているのは、どのパートも「やさしい(難しくない)音の動き」になっている…ということです。そして、その「やさしい音の動き」が3パート重なり合った時にメチャメチャ面白い動きになったり、非常に不思議なハーモニーが生まれたりすることです。
これは全て計算されて作曲してある。算数・数学みたいな論理的な作り方です。「自転車でにげる」の1番のソプラノとメゾソプラノはほとんど同じ音で1拍ずれるだけです。アルトに至ってはずぅ~っと同じ音を歌っている。だけど同じ「ミレミレ」を歌っていてもソプラノとメゾソプラノの絡み(からみ)の音が少しずつ高くなっていきますからハーモニーは少しずつ変化していきます。
2番になると、なんとメゾソプラノとアルトには歌詞(ひらがな)が一度も出てきません。歌詞は「トゥルトゥル」って言っているだけです。だけど音の絡み方あるいは重なり方の変化がオモシロイですね。
今日の練習では言いませんでしたが新実先生が指揮をされる時、おそらく「やばいの「ばい」を強調してください。他の「ばい」も全部です」とおっしゃるはずです。
やばい の「ばい」
しばい の「ばい」
オートバイ の「バイ」
曲の最後の「バイ」
なぜかと言うと、これは全部シャレなんです。意味はこうなります。

まずい(やばい)芝居だったわねぇ。
最低な(ちんけな)ウソがバレちまったわ。
オートバイだぁってウソついてた(芝居してた)けど、あたいはチンケなオンボロ自転車なのよぅ。

っていう意味。だから「やばい芝居オートバイ」という言葉を強調する必要があります。
詩は続きます。

あたいは「空を飛べるプロペラまである最新式のオートバイだ」ってウソついてたけど、あたいが持ってるのはトンボのハネだったのさ。バレちまったようだねぇ。もうハネを持ってズラかる(逃げる)しかないわ。

さらに続きます。

人間なんて、どいつもこいつもウソつき(偽善者)なのよぅ。あたいは自転車だったのさぁ。
ブォーンなんてカッコいい音で走るんじゃなくて、チリリリンって走る自転車だったのよぅ。
あかちょこべえのアッかんべー!!! おどろいたかい? ほいじゃぁアバよ。

この偽善者と自転車の「しゃ」がシャレになっていることは分かりますね?
こんなこと、よくありますよね。
自分は本当は弱虫の泣き虫なのに、

あたいは美人でカッコイイ女よ。あたいについてきな。あんたらにウマい汁をたっぷりと吸わせてあげるからさぁ。
さ、みんな。あたいについといで。

こんなことを学校で言っている子が「空」にもいるかもしれませんね(笑)。それが全部バレちゃった。そういう話。

6月の合唱祭には間に合わないかもしれないけれど、そういうウソつきの気持ちが聴いている人に伝わるような歌い方になるように、表現を磨いていきたいものですね。合唱祭には十分でなくても、新実先生の前ではそういう歌い方をしましょう。そこを目指すんです。最後の59~60小節目の和音は、そういうバレバレのポンコツの和音です。

「ふたりで」も最初から最後まで全部のパートを全員で歌いました。そして休憩をはさんで「ぼくは雲雀」も最初から最後まで全部のパートを全員で歌いました。
この2曲は「自転車でにげる」とは全く違う音の絡み方になっています。「自転車でにげる」が同じメロディーが1拍ズレる絡み方なのに対して、「ふたりで」は全く違う3つのメロディーが絡み合うことで生み出される絶妙(ゼツミョー)なハーモニーです。
P13とP16の「ほら腕 そら足」の部分。みんなはどのパートが好きですか?
もちろんメロディーは「ほーら うーで そーら あーし」なんだけれども、これに絡む「トゥルルン」や「ラーラーラーラ」もカッコいい音の動きですよね。P16のソプラノの絡みなんかゼツミョーだと思います。

「ぼくは雲雀」はメロディーがあっちへ行ったりこっちへ行ったりする面白さ。ソプラノにもメゾソプラノにもアルトにもメロディーが回ってくるんだけど、すぐにメロディーは他のパートになってしまう。ところがメロディーじゃなくなった時の絡みの音が面白い。そう思っているのは嶋田先生だけなのかなぁ。みんなは面白いって思わなかったですか?面白いよね。
メロディーじゃなくなった時だけじゃない。黙っている時も面白い。P51の100小節目にはソプラノに1小節の休みがありますが、ここでメゾソプラノを助けて「なかよし」と歌ったら面白さは半分になる。そう思います。
この100小節目はただ黙っているだけじゃなくてエネルギーを貯める時間なんです。「おまえの」って歌ってから1小節エネルギーを貯めておいて「なかよし」と歌う。そのエネルギーの高まり。どのパートにもところどころに黙っている小節がありますが、全部エネルギーを次の出だしに向かって貯めるための時間です。
実に算数的・数学的な論理的な作り方です。

新実先生は大中先生の弟子みたいな人(作曲の弟子入りをしたわけではありませんが、作曲家になる前はずっと大中先生が指揮する合唱団で歌っておられました)ですから、大中先生の指揮で「いぬのおまわりさん」も「サッちゃん」も「おなかのへるうた」もトコトン歌っておられたはずです。
大中先生の合唱団で歌っていたから「東京大学の工学部の学生が作曲を志した」と本人が言っています。
だから作曲家になるにあたって「大中先生みたいな楽しい童謡を作りたい」と思ったに違いありません。
ですが、大中先生のマネをしていては、絶対に大中先生を超えることはできません。「ネコのおまわりさん」とか「チコちゃん」とか「おなかがふくれるうた」なんて作っても大中先生は超えられない(笑)。
だから新実先生はどうしたかというと、大中先生にも湯山先生にも絶対に作れない新しい方法で「新しい童謡」を作ったわけなんです。自分だけにしか作れない自分だけの音楽。それを探し求めて、行きついたのが「白いうた青いうた」でした。
世界一を目指す料理人が、世界中の誰にも作れない自分だけの新しい味を追求するのと同じですね。

さて、来週も「ぼくは雲雀」と「ライオンとお茶を」の他に2~3曲レパートリーを増やしたいと思います。
どれにしようかな かみさまのいうとおり!

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