SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


心の底から共感している音楽

【令和3年2月27日(土)】
緊急事態宣言が明日28日までで3月1日には解除されることとなり、今日は何人かの防御担当者が攻撃担当者に回って歌声を響かせてくれました。
何度も書くのでクドイようですが、攻撃と防御は同じ価値を持っています。何から何まで攻撃一辺倒では、そりゃ猪武者(いのししむしゃ)と言うもので、危険を感じた時には防御に回ることが大切です。
今日の攻撃担当者にも言いましたが、明日は午前(空メンバーのみ)と午後(東海メールとの合同)の練習があり、一日は危険だという判断があるのなら、どちらか一方への参加でも十分に意味があります。ただ、どっちでも良いと言うのであれば午後の合同練習の方が音楽表現の上では価値が高いので、可能であれば午後に参加してください。
もちろん両方への参加が望ましいことは音楽表現の上でも事実です。

と、大切なことを共通理解しておいて、今日の報告に入ります。
今日は曲集「われもこう」を手に取った瞬間に「薔薇のゆくえ」から入ろうかと思いつきました。
その思いつきがなぜ出てきたのかを説明することは困難です。今日の攻撃担当者の顔ぶれと人数を見ての咄嗟(とっさ・瞬間)の判断でした。
「ジョウダンでやってみましょうか?遊びのつもりで。どうなってもかまわないからさぁ」と言って、1年と3ヶ月ぶりに「薔薇のゆくえ」を声にしました。
出てきた声は人数の関係で2019年11月10日の第23回定期演奏会の再現…とはなりませんでしたが、知らない人が聴いたら15ヶ月ぶりのハーモニーとは思わなかったことでしょう。音程、歌詞、フレーズの作り方など、実によく覚えているものです。
ホメておきますが、これはキビシく言えば当たり前(本当の意味での合唱団であれば)でありまして、本当に心の底から共感して歌った音楽は何年たっても心の中に残っているものです。嶋田先生の場合も本当に心の底から共感して歌った音楽は30年前の曲であろうと今すぐに歌えます。
反対に、その時はキチンと覚えていても実は心の底から共感していなかった音楽というものがあり、そのような音楽は完全に忘れてしまっています。
叱られるかもしれませんが2000年の第4回定期演奏会で指揮をした大中先生(!!!!)の「生まれて生きて」という組曲は、今はホトンド覚えていません。大中先生の目の前で合唱団「空」を指揮した曲を…ですよ。
さらに叱られるかもしれませんが同じ2000年に東海メールクワイアーの定期演奏会で歌った新実先生の「鐘の音を聴け」という組曲こそ、本当に1音も思い出すことができません。この時も新実先生の目の前でした。
心の底から共感していないと、嶋田先生のようなキチガイでも大中先生や新実先生の曲を、しかも定期演奏会のレベルで仕上げた音楽を忘れてしまうんです。うわぁ、大中先生新実先生、ごめんなさい。
そのような意味で今日のメンバーが響かせた「薔薇のゆくえ」は、本当の意味での合唱団が心の底から共感している音楽ではないか…と思わせる歌声でした。上手下手ではない、心のこもったエネルギーが感じられました。

次は「忘れ雪」です。「白いもの」とは「死んでしまった人」という意味で、「いのちあれと」とは「再びよみがえれ」という意味で、だから「こずえの巣 主かえらず」という歌詞が深い意味を持つのですが、今日は詩のイメージについては話しませんでした。やったことはメロディーをキチンと歌うということです。しかし今日はハーモニーも作ってみました。
P10~11の1番をソプラノとメゾソプラノとアルトの全てを歌いました。しかも7回です。つまり
①全員でソプラノパート
②全員でメゾソプラノパート
③全員でアルトパート
④3組に分かれてソプラノ・メゾソプラノ・アルト
⑤3組に分かれてアルト・ソプラノ・メゾソプラノ
⑥3組に分かれてメゾソプラノ・アルト・ソプラノ
⑦自分の気に入ったパート
という方法。
この方法を30年前にやっていれば宝南小学校の合唱部を日本一にしてあげることができたのに…。と思います。
当時の嶋田先生の指導は(ビデオテープを整理し聴きながら思い返せば)力任せの叩きつけるような発声は良いのですが、声のパワーを重視するあまりにハーモニーが濁ってしまう。全然ダメ。マッタク話にならない指導をしていました。
何が大切かといえば、メンバーのハーモニー感覚を磨くこと。これに尽きます。これは「空」の先輩から今のメンバーにつながる多くの子供たちから学んだ真実です。本当に感謝です。
7回繰り返して歌う…と書くとカンタンそうに思えますが、その7回の(とくに最初の3回)の聴き方が大切です。何よりもナニヨリモ、本当にホントウニ大切な力です。今日の「音を聴く時の緊張感」は素晴らしかったと思います。

「火の粉」は純粋にメロディーをキチンと歌うことに集中しました。またまた悪いクセを出します。

この世のかたすみ
  (今も世界のどこかで)
たき火がはじけます
  (戦争の爆弾がはじけます)
そろわぬ口ひげ
  (顔が歪み)
帽子がころげます
  (首が吹っ飛んでころがります)
さそり わし座
  (神々が)
うわさにこがれて
  (戦争の話を聞いて)
荒れ野 三日
  (戦争を止めようとして)
あるいてきたのさ
  (やってきたけれど)
ほらほらほらそこ
火の粉がのぼる
  (戦火がのぼる)

風舞うくさはら
  (弾丸が舞い飛ぶ町で)
こころがほてります
  (絶望に心が熱くなります)
そばかすかわいい
  (かわいくて美しい)
娘がわらいます
  (女の子が泣き叫びます)
わたし だれか
  (私が戦争を止めようとして)
しらないくせして
  (やってきたキリストなのに)
胸の くさり
  (胸の十字架が)
ゆれてるだけだよ
  (むなしく揺れているだけ)
あれあれあれそこ
火の粉がのぼる
  (黒煙がのぼる)

今日はメロディーを歌っただけです。次に歌う時には、みんななりのイメージを拡げてきてください。

「とげのささやき」はP29から2番(歌詞は1番と同じ)が始まりますが、前半はユニゾンです。だから後半の16小節+2小節さえ押さえてしまえば、この部分をハモらせることができます。で、「忘れ雪」の①②③④⑤⑥⑦と同じ方法で2番の後半を歌いました。
この「忘れ雪」と「とげのささやき」の①②③④⑤⑥⑦の練習で、全員が「全てのパートを歌うことのできる力」を高めました。
もちろん今日だけで高まったとは言いませんが、その扉を開けた。スタートを切ったということです。まぁ、いつもやっていることですけれども。

今日も最後に1時間分の時間が余るように工夫をして練習を組み立てました。そして後半の1時間で「コタンの歌」を通しました。これは来週もそうするつもりです。ただ、明日28日(日)の午前中は「コタンの歌」に集中しますが。
1ヶ月前に「地に足が着いた表現」を目指そうとして、かなり深い表現を要求し、そして成果を上げました。
しかし、その深い表現を追求すればするほど、いわゆる「攻撃担当メンバー」と「防御担当メンバー」との間に経験値の差が生まれてしまいます。
漢字でも計算でも、クラスの中で経験値の差を過大に生み出すことは良い学級経営とは言えません。これは嶋田先生の信念です。だから緊急事態宣言が出ている間(練習への参加を自粛するメンバーがいる間)は「コタンの歌」は最後に1回だけ通す…という練習にしました。
だからねぇ、ひとつだけお願い。「攻撃担当メンバー」と「防御担当メンバー」もCDを聴いて、歌詞だけは全部覚えておいてくださいね。その努力だけは忘れないでください。
そして宣言が解除されて全員が揃ったら、ここ一番、乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負をしましょう。その準備を全員で努力しましょう。
よろしくお願いしますネ。

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