SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


地に足が着いた表現

【令和3年1月30日(土)】
総務の方から連絡が入ると思いますが、4月4日の第24回定期演奏会は無観客での開催と決定しました。ステージは十分な間隔を確保するために左右の花道からステージ下まで使って並ぶという具体案を示しました。またステージ上でもマスクを使用することも盛り込まれました。
開催中止…という心配もあった中で、まずはメンバーにとって嬉しい結果になったことと思います。去年の2月から練習を続けてきた努力を精一杯に発揮しましょう。
また、11月のメモリアルリハーサルと合わせて「小さな目」「鮎の歌」「童謡」「コタンの歌」と並ぶステキなCDを作りましょう。「コタンの歌」でズッコケたらステキなCDにはなりません。あと一息、みなさんの力を貸してください。

今日もスタート時にはメンバーが少なかったので「もう少し人数が増えるまで待ちましょう」と言って「歌はともだち」P115の「どこかで春が」を紹介しました。集まっていたメンバーの誰も知らない曲だったからです。P80の「里の秋」は一人だけ知っていたようです。
どちらの曲も16小節で、「このくらいの長さなら一回聴いただけですぐに歌えるようにしましょう。それができるような聴き方をしてください」と言ってから鍵盤ハーモニカを吹きました。で、どちらの曲も一回聴いただけで正確に歌うことができました。これ、毎回書いていますし、それほど大したことじゃないと思っているかも知れませんが、実はとても大変なことで、大切な力なんですよ。聴く…ってことができなきゃあ音楽はできませんのでね。大したことなんです。はい。
「どこかで春が」は合唱部分も完璧に歌ったことを報告しておきます。

さて本題です。「コタンの歌」については先週、「表現は地に足が着いていない」と書きました。そう書いた以上、どうすれば良いのかとか、どこがどう足が付いていないのかをキチンと説明しないといけません。
まず使ったのが7曲目の「パナンペ・ペナンペのリムセ」です。P67~69までの間に「だから いつも 心の中で(中は)」というフレーズが2回出てきます。ここは思いっ切り明るく温かく。色で言えばオレンジ色だと説明しました。
しかもP67の「小鳥のカムイが鳴いている」よりもP69の「泉のように澄んでいる」の方を明るさや温かさが強く伝わるようにお願いしました。
その証拠として、P67の「小鳥のカムイが鳴いている」を切り取ってP69の54小節目と55小節目の間に貼り付けてくださいと言いました。もちろん頭の中で、です。そのようにして歌うと次のようになります。
「だから いつも 心の中は 小鳥のカムイが鳴いている 泉のように澄んでいる」
このように歌うと自然に「小鳥のカムイが鳴いている」よりも「泉のように澄んでいる」の方が強い表現になります。みんなの歌声もキチンとそうなりました。
この作業は楽譜を開いて頭の中で歌ってみれば必ず実感できることと思います。今日の自粛メンバーもぜひ頭の中で歌ってみてください。ナットクできると思います。「そんなことメンドクサイからやらねぇよ」なんて言わないで。1回だけで良いですから。
つまりP67もP69も思いっ切り明るく温かく歌うのですが、その温かさ明るさには違いがある…ということです。
同じことがP73とP75に出てきます。こちらも同じ作業をして歌いました。ただし、こちらは思いっ切り暗くて冷たい声で歌うのです。その暗さ冷たさは、「冷たい魚がはね返る」よりも「自分の汚れた背中だけだ」の方が強い表現になります。ぜひ頭の中で歌ってみてください。
だから明るく歌う1回目は「カニツンツン」という喜びの踊りの音楽になり、暗く歌う2回目は「チュプカムイ ホー」という祈りの音楽になるわけです。ナットクできるでしょう?
これが先日の合同練習では全て同じように歌われていました。まぁ「チュプカムイ ホー」の祈りの部分が本気の声に聴こえましたが、他の部分は同じような声と歌い方で表現が平坦なんです。立体的じゃなかったんです。
P67 思いっ切り明るく温かく
P69 思いっ切り明るく温かくをより強く
P73 思いっ切り暗く冷たく
P75 思いっ切り暗く冷たくをより強く
このように歌うと音楽が立体的になると思いませんか?
これをできるようにしましょう。P67→P69→P73→P75と、出てきたページの音符を声にするだけでなく、立体的に歌い上げるのです。表現が「地に足が着く」とはそういうことなのです。

次に「カエルの子守歌」P81の27小節目。ここは21小節目からつないで歌って、27小節目でフッと消えるんです。まるでローソクの炎が消えるような感じで。
ローソクが消える時、その炎はだんだん小さくなっていきますが、それが目に見えなくなるほど無限に小さくなっていくわけではありません。最後の最後は白い煙を残してフッと消えますね。「そんなこと知らなぁ~い」と言う人は必ずローソクを燃やしてみてください。1本や2本は家にあるはずです。なけりゃコンビニで買ってきましょう(笑)。
これと同じことが「マリモの歌」の男声部にあります。P18の10~11小節目です。限定公開になっている映像録音を聴くと、東海メールクワイアーは見事にローソクのように消えています。これを真似しましょう。真似じゃなくて、自分に取り入れれば良いのです。
P79の9小節目から始まるフレーズは全く同じ音でP82の37小節目から繰り返されます。ただしハミングではなく「カエルの子はみんな眠った」という言葉になっています。
なんで? とチコちゃんに聞かれたら答えられますか?
たぶん「ボーっと生きてんじゃねぇよ!!!!」と叱られるでしょうね。
と思っていたら、なんと全員が「私はこう思う」「1回目は◯◯だからハミングで、2回目は△△だから言葉になる」と答えてくれました。
チコちゃんは一つしかない正解を知っていますから番組は成立します。10人が出した10通りの答えがみんな正解だったら番組になりませんよね。
ですが音楽では「10通りの答えがみんな正解」で良いのです。大切なことは「歌う人が自分のイメージ」を持っているかどうかです。
だから、もし「う~ん、わかんなぁ~い」なんて言う子がいたら「ボーっと歌ってんじゃねぇよ!!!!」と叱られるでしょうが、今日の「空」には叱られる子は1人もいませんでした。

次は「ムックリの歌」。5小節目と10小節目と15小節目に「ムックリの音の中を」があって23小節目に「ムックリの音は」と続きます。この4回の「ムックリの……」を同じように歌うと音楽が平坦になります。地に足が着いていない表現になってしまうのです。
どうすれば良いか。ヒントは後に続く歌詞の中にあります。
5小節目の「ムックリの」の後は「白鳥が渡ってゆく」です。緑の大地、真っ青な空、金色に輝く太陽、その中を飛んでゆく純白に光る白鳥。この色彩感。緑、青、金、そして純白。これを5小節目の「ムックリの」の歌い方に生かしましょう。
男声部の9小節目の最後は、だから高いシに音が上がります。
10小節目の「ムックリの」の後は「女(おばあちゃん)が咽んでいる」です。灰色の暗い部屋の中で、おばあちゃんが一人ぼっちで咳こんでいる。この暗い色彩感。灰色の中。これを10小節目の「ムックリの」の歌い方に生かしましょう。
男声部の14小節目の最後は、だから低いシに音が下がります。
15小節目の「ムックリの」の後は「雨が降っている」です。これは温かく。つまり、この雨は家の中に降り込んでおばあちゃんを濡らす雨ではなく、おばあちゃんの辛くて苦しい心を慰める「慈愛の雨」なのです。慈愛の色。それは絵の具で表現できる色ではありません。みんなの心の中にある色です。これを15小節目の「ムックリの」の歌い方に生かしましょう。
男声部の16小節目は、だからハミングではなく「アー」と動いて答えます。
そして23小節目。後に続くのは「アジサイ色に濡れている」です。それは「愛の色」でしょう。絵の具でもクーピーでも出せない色です。
最後の「女たちの永遠の悲しみに」は永遠に続く地獄のような「絶望の悲しみに」ではなく、おばあちゃんの悲しい心の中に広がった七色のアジサイの光の色なのです。だから湯山先生は23小節目の「ムックリの…」だけに「アジサイ色に濡れている」と男声のエコーを加えているのです。
この一連の「ムックリの」の声と歌い方が立体的にイメージされた時、みんなの「ムックリの歌」は地に足が着き、感動的な表現になるはずです。みんなで力を(心を)合わせましょう。

結論。「地に足が着いた表現」とは、ページの上に書かれている音符を再現するのではなく、その小節やそのフレーズ、そしてフレーズとフレーズとの関連性をいかに立体的に表現するか…ということなのです。そして、なぜ? と聞かれた時に「自分なりの答え」「自分なりのイメージ」を持っているということ。正確な音程だけではなく、美しい声でもなく、その音程と声を支える「自分の表現」なのです。

あとは時計との相談で8曲全部を歌い通す時間となりました。しかし、嶋田先生が伝えようとしたこと、やってほしいと思ったことを、全て実際の声と表現にしてくれたメンバーに感謝します。
集まった人数の多い少ないではない、一人一人がそのように「やろうとしてくれたこと」に無限の価値と喜びを感じる嶋田先生でありました。

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