SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


「春の歌」「朝の歌」から一気に「秋の歌」「夕暮れの歌」へ

【令和3年1月9日(土)】
あけましておめでとうございます。令和3年が「空」だけではなく、全ての合唱関係者にとって、また全世界の人々にとって良い年になりますように…と祈っています。
それから受験まっただ中の中学3年生と高校3年生には「どうか頑張ってください」とエールを送ります。集中して、時間を大切に…。月並みなエールしか送れない非力な嶋田先生ですが、心から祈っています。

さて、令和3年の歌い初めは「地球はひまわり」からスタートしました。そうと決めていたわけではなく、集まったメンバーとパートのバランスを見た上での即時の判断です。
出てきた歌声は柔らかい。どちらかと言えば春の歌よりも秋の歌を歌うとピッタリの声です。朝の歌よりも夕暮れの歌を歌うとピッタリ…とも言えます。
秋の歌や夕暮れの歌を歌うのにピッタリの声ですから悪い声ではありません。そのような歌を歌う時には強力な武器になる声です。しかし、いつも書くように(言うように)曲に合った声あるいは表現が大切です。曲の世界が春なのか秋なのか、あるいは朝なのか夕暮れなのか、それは小学生でも瞬時に分かる(感じる)ことができるはずです。
1回目の「オラリラリララ」は♯ドから始まります。2回目の「オラリラリララ」はシから始まります。そして続く「ぼくらの星は」はラから始まりますね。つまり音が低くなっていくわけで、それに合わせて見事なくらい声も暗くなっていくのです。明るい響きを保つトレーニングが必要だな…と思いました。これは今日集まったメンバーに限った話ではないと思います。
でもね、今日のメンバーは間違っているわけではないのです。どんな曲でも(ベートーヴェンやモーツァルトでも)音域が低くなる時は声が自然に暗くなります。いわば「声の音楽」のセオリー(常套手段)でありまして、今日のメンバーがやったことは正解中の正解であったと言えるわけです。
ですが「曲に合わせた声や表現」となると話は別になります。「地球はひまわり」の世界を表現するためのセオリーは、「音域が低くなるほど声を暗くする」というセオリーよりも上位になるので、「明るく明るく」と繰り返したわけです。

その後は「コタンの歌」にしました。1月24日(日)には東海メールクワイアーとの合同練習が控えています。会場の芸術創造センターリハーサル室は200名は入れる広い会場なので「密」については心配ありません。手洗い・うがい・マスクの着用・検温などに気を付けていきましょう。
とにかく初めての合同練習ですから「空」の子には自信を持って臨んでほしい。そのために、今日のメンバーの自信が少しでも高まってくれれば…との願いがありました。
「船漕ぎ歌」の「ホーマイホー」は「ホー」が大切です。「マイ」には付いていないアクセントが「ホー」には全部付いています。網をガーンと引いている瞬間あるいは船を漕ぐ艪(ろ)をガーンと引っ張る瞬間に出てくる掛け声が「ホー」です。だから全部アクセント。なかなかエネルギッシュな表現になりました。
「マリモの歌」はブレス(息継ぎ)のタイミングです。P20の19小節目と20小節目の間にはブレスがありません。しかしここは「言葉が聞こえるか」を優先します。「歯がゆいほどの 静けさの中で」とノンブレスで歌えれば一番良いのですが、つないで歌って苦しくなって「静けさの中で」という言葉が消えてしまってはイケナイ。苦しくて言葉が歌えなくなるのならブレスした方が良いのです。だから19小節目と20小節目の間にブレスしても良いことにしました。ただし、つながるものならつなげて歌ってください。
「熊の坐歌」は素晴らしかった。
「アツシの歌」は後半P41からの表現です。みんなの心の中にあるイメージが問われる部分です。「だけど見てごらんよ。おばあちゃんの心は生きているよ。ホラ、縦糸にも。ホラ、横糸にも。おばあちゃの心が刻まれているんだ」と気付いた喜びを思いっ切り明るく歌い出します。しかし50小節目から「縦糸にも 横糸にも 縦糸 横糸」とエコーするうちにウワーっと暗くなっていく。続く「おばあちゃんの悲しみだけが残っていたんだ」と歌う部分につながる、急激な転換(てんかん・切り替わること)です。この50~51小節目は東海メールクワイアーと呼吸を合わせる必要がある部分です。
いわば「春の歌」「朝の歌」から一気に「秋の歌」「夕暮れの歌」へ持っていく部分ですね。「地球はひまわり」の声から一気に「荒城の月」の声に持っていくわけです。たのむぜぇ~。お願いしますよ~。
次の瞬間、一気に「怒り」に変わる。動かなくなった機織り機が今、織っているのは「アツシではないんだ!!!」「それを自分は分かっていたのか?」という自分に向けた怒りです。
そして「虹色の願いだけが 切なく織られていたんだ」という気付き。これは気付いた喜びの「春の声」でしょうか?それともおばあちゃんの死を悲しむ「秋の声」でしょうか?
どちらでもないと先生は思います。喜びでもない、悲しみでもない。朝でもなく夕暮れでもなく、春でもなければ秋でもありません。
おばあちゃんの残した「愛」が自分の心の中にスゥーっと入ってきた、その瞬間の「真っ白になった自分の心」。
みなさんはどう思いますか?

以下、7曲目の「パナンペ・ペナンぺのリムセ」まで一気に歌い通しました。すごい効率でした。

前後しますが練習の最初で「白いうた青いうたアンケート用紙」を配りました。歌いたい曲集を二つ選んで◯を二つ付けるアンケートです。今日欠席のメンバーには郵送で送ってもらうように手配しました。嶋田先生に直接手渡すか、FAXで送ってください。「今日出しても良いですよ」「今出しても良いですよ」と言いましたが、誰も出しませんでした。〆切の1月30日までジックリ考えようとする子ばかりのようです。
何度も繰り返しますが、音源はホームページの団員専用エリアにアップされています。とても難しいアンケートになると思いますが、楽しく気楽に、そして真剣に考えてください。

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