SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


幸福な王子

【令和2年12月12日(土)】
今日は最後にビックリしました。後半で「コタンの歌」を全部通すつもりで歌っていったのですが(けっきょく最後の「カエルの子守歌」は時間切れで歌えなかったけど)、「パナンペ・ペナンぺのリムセ」の最後の和音(P78の下段)がバーンと決まりました。一瞬、50人くらいいるのかと思った。すごい響きでした。理由は…? ……分かりません。

今日も発声練習の時間には「白いうた青いうた」を紹介しようと思っていました。つまり全員が初見で歌うわけです。この「初見」という点を生かして、ノドの発声練習ではなく、耳の鋭さを育てる練習をしようと思っているわけで、先週から始めたわけです。
「聴く力」「鋭い耳」と書くとカンタンなようですが、実際にそのような力や耳を育てることは時間がかかるはずです。しかしキチンと練習すれば必ず伸びる。身長や体重と同じで、1日で5㎝伸びたり5㎏増えたりすることは有り得ませんが、キチンとご飯を食べていれば1年後には5㎝だって5㎏だって確実に伸びて増えます。
肝心なことは「耳のトレーニング」をやってもやらなくても命に関係はありませんが、「ご飯を食べる」ことをやらないと命に関係してくるということです。だいたいお腹が減って辛い。ツラいのはイヤだから誰でもご飯を食べる。だから人間は全員、身長と体重が増える。(大人になると増えなくなります)
しかし「耳のトレーニング」はやらなくてもゼンゼン辛くない。だから歌が好きな人しかしない。合唱団に入ろうなんて思う人でも、たぶん半分くらいの人は真剣に「耳のトレーニング」をしない。歌って楽しけりゃいいさっていうレベルです。
歌って楽しい…これは大原則です。ですけれども「楽しい」とか「きれい」とか「きたない」とか「大きい」「小さい」といった言葉はみんな「い」で終わります。形容詞と言います。つまり3年生の国語で言えば「様子を表す言葉」ですね。
これらは分かりやすくて使いやすい言葉なのですが、実は非常に分かりにくいのです。「きれいだなぁ」と言いますけれども、何がどのようにキレイなのか…と聞かれるとなかなか上手く説明はできません。先生が「オモシロイ」と思うテレビ番組を奥さんが「うわぁ、ツマラナイ」と言うことなんてしょっちゅうです。
つまり「歌って楽しい」の「楽しい」はいろんなレベルがあって、人によっては全く違うのです。だから単純に「☆楽しけりゃいいさ」という合唱団があっても良いのです。
申し訳ないけど嶋田先生が合唱団「空」で実現しようとしている(つまりメンバーに味わってもらおうと思っている)楽しさは、もうちょっとだけキビシイものです。と言うか高いレベル。今日の練習の最後で響いた「パナンペ・ペナンぺのリムセ」のハーモニー。これが実現したら★楽しいですよね。
で、☆の楽しさと★の楽しさとは少し違うわけなんです。★の方が少しキビシクて高いレベルの楽しさです。
その★の楽しさを実現するための「耳のトレーニング」なわけです。これはキビシイです。
そのキビシさを新実先生が助けてくれます。「白いうた青いうた」を使うことによって、キビシイなんて思うことなく耳のトレーニングを進めることができます。それにしても美しい(これも「い」が付く言葉だ)メロディーですね。歌ったのは
「ぼくは雲雀」から「自転車でにげる」
「火の山の子守歌」から「青い花」
「第1・2・3集」から「十四歳」
「はたおりむし」から「春つめたや」
「南海譜」から「ぶどう摘み」
「われもこう」から「われもこう」
の6曲です。初めて見る楽譜で、ピアノか鍵盤ハーモニカか、あるいは嶋田先生が歌って聴かせるか、とにかく1回聴いただけですぐに歌うわけなんです。それも4~8小節のまとまりとして。
歌詞を間違えたって音が少し狂ったって問題にはしません。ピアノが鳴ったり先生が歌ったりして「聴いている時」に、いかに集中して聴いているか、ここが勝負です。
この練習、昨日や今日に始めたトレーニングではありません。だからこれまでの成果もあって、発声練習だけでなく音取りもドンドン進みます。「自転車でにげる」の最後の難しいハーモニーも一発で作ることができます。それだけではなく「十四歳」などは上のパートも下のパートも(二部合唱の曲です)歌っておいて、1曲通してハーモニーを作ることができました。「耳の力」は確実に高まってきています。ですが、これからも磨きをかけていきましょう。
これで先週と合わせて12曲を紹介することができました。第25回定期演奏会でどの曲集を歌いたいか、そのような「思い」の高まりにも期待しています。

ここまでで10時30分。次は新実徳英先生の名曲「やさしい魚」の楽譜(これは正式な楽譜です)を配りました。5曲からなる組曲で、その第4曲目は「鳥が」です。湯山先生の音楽で溢れかえっているメンバーの頭を新しい感性へとチェンジする意味もあり、何よりも第25回定期演奏会に向けての取り組みをスタートさせるという意味もありました。
最初に歌おうと選んだのは5曲目の「やさしい魚」です。合唱組曲のタイトルにもなっているのですから、5曲目の「やさしい魚」が組曲全体の中心に位置することは想像がつくでしょう。いわば合唱組曲「鮎の歌」の5曲目が「鮎の歌」になっているのと同じ意味ですね。
何よりも、みんなが大好きな「鳥が」の次に配置されている曲です。どんな曲なのか早く知りたいでしょうし、先生だって早く知ってほしいと思っていました。
しかし「鳥が」でもそうなのですが、そうカンタンにアッサリと歌える曲ではありません。しかも新実先生独特の、各パートが複雑に絡み合う部分があり(「鳥が」で言えば「トァララ」と絡み合う部分)、一筋縄にはいきません。しかも第25回定期演奏会でのパートも全く決まっていないのですから、全員が全てのパートを歌って確認していくという、例の地道な時間のかかる(しかし確実な)音取りとなりました。約40分で半分ほど進むことができたのは予想以上の大健闘だったと思います。
ここで音楽の内容について書いても意味はありません。今日の初見メンバーは半分しか歌っておらず、参加できなかったメンバーは楽譜すら持っていないのですから。
だから、ここでは詩の内容について書くこととします。
『幸福な王子』という、アイルランドのオスカー・ワイルドが書いた童話を知っている子がいるかもしれません。こんな話です。

ある街に「幸福な王子」と呼ばれる像がありました。この国で若くして死んだ王子を記念して立てられたこの像は、両目には青いサファイア、腰の剣には真っ赤なルビーが輝き、身体は金箔に包まれていて、とても美しく輝いていました。
冬を越すために南の国へ行こうとしていたツバメが寝床を探し、王子の像の足元で寝ようとすると突然上から大粒の涙が降ってきました。王子は街の不幸な人々に「自分の身体の宝石をあげてきてほしい」とツバメに頼みます。ツバメは王子の剣に使われていたルビーを病気の子供がいる貧しい母親にとどけ、両目のサファイアを幼いマッチ売りの少女に持っていきました。南の国に渡ることを中止し、街に残ることを決意したツバメは街中を飛び回り、両目をなくし目の見えなくなった王子に色々な話を聞かせます。王子はツバメの話を聞き、まだたくさんいる不幸な人々に「自分の身体の金箔を剥がして与えてくれ」と頼むのでした。
やがて冬がきて王子はボロボロの姿になり、南の国へ行けなかったツバメも次第に弱っていきます。ツバメは最後の力を振り絞って王子にキスをし、彼の足元で死んでいくのでした。
この様子を見ていた神は王子とツバメを天界に入れ、そして王子とツバメは楽園で永遠の幸福を得たのでした。

この童話を知っていると、5曲目の「やさしい魚」に詩人が込めたイメージが膨らむことは明らかです。

この後、最初に書いたように「コタンの歌」を通しました。最後のハーモニーだけではなく、どの曲も力強いハーモニーが響きわたったことを、大きな喜びとして報告しておきます。

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