SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


「わたりどり」と「草原の別れ」

【12月7日(土)】
嬉しいことに今日も見学者を迎えることができました。嶋田先生がよく知っている小学校の子です。来週も待っていま~す。
とは言うものの、今日はムズカシイ練習を矢継ぎ早に行い、見学者が楽しめるような練習風景ではありませんでした。本当はもっと気楽に楽しく歌っているのですけれども。見学の子には申し訳ないことをしました。
そのかわり、練習の最初にメンバーに話しました。仮に1月に入ってから新入団員を迎えたとしましょう。本番が2月2日にあるわけですから、1月の最初に入ったとして本番までに残る練習は4回です。その時、その新入団員は本番に出るか出ないか。ここが問題です。
結論は「出る」です。指導者としては「出てもらえる」ように練習を組みます。これは教師としての本能というもので、小学校で言えば学芸会の1週間前に転校生が来てくれた時にどうするか…という場面です。嶋田先生なら劇の中にカンタンな役を作って参加してもらいます。絶対にそうします。コンクール至上主義の合唱部や合唱団なら有り得ないことかもしれませんが「空」は違います。クラスの中で本番に出る子と出ない子がいるなんてことは有り得ない。今は教頭などという担任から掛け離れた仕事をしていますが、これが教師としての本能です。嶋田先生が常任指揮者である限り、絶対に揺るがない「空」の方針です。
という訳で、今日は2月2日に歌う今日を全て声に出して歌おう、見学の子に聴いてもらおうと思っていました。まだ12月の1回目ですから十分に間に合います。いや、間に合わせて見せます。
先に連絡しておきますが、来週14日(土)にも見学者が来る予定です。ですから来週も今日のように何が何でも本番で歌う単独ステージ6曲と合同ステージ7曲の合計13曲を全部歌います。
まずは「サッちゃん」そして「いぬのおまわりさん」。この曲で知っておいてほしいことは幼稚園の子にも歌えるように…と思って作られた音楽ではない、ということです。プロの童謡歌手が歌うことを前提として作られています。大中先生は歌曲ならプロフェッショナル、合唱曲なら大人の合唱団(それも相当な実力を持っている合唱団)のために作曲をされていて、これは生涯にわたって変わりませんでした。「うたにつばさがあれば」も元々は春口雅子さんというプロの童謡歌手のコンサートのために作られた曲ですし、だから大中先生は少年少女合唱団のための合唱組曲は生涯に1曲しか作らなかった(「生まれて生きて」という組曲です)し、少年少女合唱団を指揮指導されたのは合唱団「空」だけなのです。
「サッちゃん」の「呼ぶんだよ」「食べられないの」「しまうだろ」の音程、これを正確に歌うことは至難のワザです。ウソだと思ったら便所か風呂場で一人でいる時に歌ってみると良い。頭で分かっていて自分が「こう歌おう」と思っている音程を、自分が満足するように歌うことができるかどうか。父母会の父さん母さんもぜひ便所で(なくても良いけど)やってみてください。そう簡単に歌えるメロディーではありません。
「いぬのおまわりさん」の「あなたのお家は」の音程もムズカシイ。音程のムズカシさは「サッちゃん」ほどではありませんが付いている歌詞が「おうちは」です。ミミシシという音程で「おうちは」と歌うと「おう」よりも「ちは」の方が強くなって「追う血は」などと聞こえてしまうわけです。実際に便所で(なくても良いけど)試してみてください。自分の歌声が「お家は」と聞こえるか「追う血は」と聞こえるか。やってみましたか?いかがでしたか?
迷子の迷子の子ネコちゃん、あなたの追う血はどこですか
と聞こえませんように。
日本中で「いぬのおまわりさん」を知っている人あるいは歌ったことのある人は5才の幼稚園児でも知っていることを考えると、おそらく8000万人くらいいることでしょう。その中の99・9%は何も考えずに気楽にドーンと歌い飛ばしているだけで、マッタク話にならない音程で歌っているわけです。少なくとも合唱団「空」は、この部分が「ムズカシイんだぞ」という意識を持って安易に歌い飛ばすことだけはしないようにしましょう。「空」もプロではないのですから過剰に神経を使う必要はないのですが、コンサートで歌う時くらいは「正確に…」という意識は持っていたいものです。
「わたりどり」、これは北原白秋の詩です。「きたはらはくしゅう、てなあに?」と思っている小学生は今、知ってください。「赤とんぼ」「からたちの花」「この道」「あわて床屋」「待ちぼうけ」なら小学校の教科書にも載っています。あとは「トンボのメガネ」「砂山」「ペチカ」「城ヶ島の雨」などの曲があります。
その北原白秋が選んだ言葉「あの影は」の「影」。これはshadow(シャドー・影)ではなくlight(ライト・光)という意味です。「わたりどり」という言葉も「鳥」ではなく「自分自身」という意味です。だからイメージはこうなる。
あの光は私自身。あの輝きは私の未来の目標。
その目標は遠ければ遠いほど空の青さのようにはるか彼方であり、
その目標は高ければ高いほど波立つ山のように険しいが
ああ、あの乗鞍が私を呼ぶように
わたしは光になって目標へと突き進む。
「あの影は わたりどり」と歌う時、「あのシャドーは飛んでいるカモメ」などというイメージを持っていては話になりませんよ。
「草原の別れ」、これは阪田寛夫の詩です。「さかたひろお、ってなあに?」と思っている小学生は今、知ってください。日本文学の最高峰、芥川賞を受賞されている大中先生の従弟。「サッちゃん」「おなかのへるうた」「ともだち讃歌」「誰かが口笛ふいた」などを作詩されています。
その阪田寛夫が選んだ言葉「あじさい色に はなやぐ空」とは「私の未来に輝いている空」であり「青く光る山」とは「私の目標」「私が目指す姿」です。だからイメージはこうなる。
私の未来に輝いている空は私の目標なのだ。
その目標に向かう前に風が告げる。
今、大切な人との別れを。
小学校の先生と別れなければ中学校での新しい出会いは無い。
父さん母さんと別れなければ新しい夫との出会いは無い。
「あじさい色に はなやぐ空」と歌う時、「6月にアジサイが咲きました。その色は空に似てる」などというイメージを持っていては話になりませんよ。
そんなこんなで「じゃあね」「秋の女よ」「海の若者」を歌い込み、最後の20分で「うたにつばさがあれば」と「月のうさぎ」を1回通しました。
繰り返しになりますが、見学の子にとっては苦しい時間だったことでしょう。本当にゴメンナサイ。ですが、先生が考えていたことは、その子が入ってくれた時に「今日という時間を有効に生かす」ことに尽きるのです。お許しください。
来週も同じプログラムになると思います。メンバーの協力が必要です。よろしくお願いいたします。

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