SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


大中先生の最高傑作「海の若者」について

【11月30日(土)】
今日は新入団員を迎えることができました。とても嬉しいホットニュースです。早くお互いの名前を覚えて仲よく音楽を作っていきましょう。よろしくお願いします。
自己紹介が終わった後、のっけからメンバーに謝らなければならない嶋田先生でした。実は今日は港区のPTA行事があり、そちらに応援に行かなくてはならないのでした。仮病を使って休むというワケにもゆかず、わずかな時間しかいっしょに練習をすることができませんでした。あらためてお詫びします。本当にゴメンナサイ。
許された時間は「海の若者」に投入しようと思っていました。これは昨日から考えていた予定です。例によって全員でソプラノとアルトの両方を歌った後でハーモニーを作る…という方法です。何と20分で完了です。大中先生の音楽は歌い手にとって本当に自然に書かれていて非常に歌いやすいのですが、それにしても20分とはスゴイ。そんじょそこらの小中高校生には不可能な芸当ありましょう。
先週の空ノート「秋の女よ」でも書いたのですが、唯一の不安は詩の理解です。何だか小中学生の頭の上を詩の世界がダッシュで通り抜けていくような感じで、詩の世界への共感が無いまま音楽だけが形作られていく…そんな不安。嶋田先生が最も忌み嫌う最悪の合唱です。
今日は時間がなくて口では何も説明できなかったので、少しヒントを記しておきます。

この詩は海に魅入られた人間(男の子)の物語です。
潮風に抱かれて育ち、漁師としてたくましく育った彼は、やがて海へ漁に出たまま戻らなくなります。
残された者の悲しみも描かれてはいるのですが、それよりも彼は行くべき場所へ行った、自分の望む場所へ行ったという印象が強く残ります。
誰も知らないところへ足を踏み出して行方をくらませた彼は、死んだのではなく新しい世界へ向かっていった…という考え方です。
現代に生きる私たちには理解しにくいのですが(それは実は勉強不足なのですが)キリスト教には「復活」という考え方があり、仏教には「輪廻(りんね)」という考え方があります。みなさんにとって一番身近なのは「薔薇のゆくえ」と「盲導犬S」です。2曲とも、「薔薇は雪になったよ」とか「太古の砂漠で旅をした二人の」などと、生まれる前・今の現在・生まれ変わった後という思想を歌っていましたね。これが仏教の輪廻思想です。
日本人には「死」というものを悲しいことだと捉える(感じる)人が多いのですが、ヨーロッパでは少し感覚が違います。ヨーロッパでもお葬式では泣いている人が多いのですが根源的な感覚が違います。確かに悲しいことなのだけれども、彼は「新しい世界へ行った」という感覚が日本人よりも多くあります。と言うか、日本人にはそういう感覚が少ない。皆無と言っても良い。
若者が海へ逝った(いった)のは「死んだ」というよりも「消えた」「海へ出た」と表現したくなる力強さが、ひとつひとつの言葉からにじみ出ています。行きたいからその世界へ行ったのです。
脱線になりますが、みなさんが良く知っているビゼー作曲の歌劇「カルメン」の主人公カルメンは、「自分の恋」と「自分の死」とを秤(はかり)にかけて、「恋」のために迷うことなく「死」を選びます。肉体よりも精神…という考え方です。
それが、日本人(取り残された者ども)には理解できない…というだけなのです。彼が海に消えたのは、彼が海に「生きて」いたからに他ならないのです。
結論。
もしかすると あの どっしりした足取りで 海へ大股に歩み込んだのだ
という部分は悲しく歌うのではなく力強く応援するように歌いましょう。
もしかすると あの どっしりした足取りで 新しい世界へ歩み込んだのだ
…という感じでね。
この「海の若者」は「わたりどり」「いぬのおまわりさん」と並ぶ大中先生の最高傑作です。イメージを膨らませておいてください。

今日はソプラノから非常に安定した力強い響きが聞こえてきました。主力の高校生がいなかったのですが、小中学生だけで力強く歌ってくれたという印象です。
短い時間でしたが、充実した時間を過ごした気持ち良さで練習会場を後にすることができました。ありがとうございました。大感謝です。

業務連絡。2月2日の大中先生追悼コンサートのチラシとチケットが練習会場に届きました。次回の練習(フェールマミ)で配布を開始します。チケットは4枚ずつ。チラシは20~30枚ずつ持っていってもらうことになるはずです。

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