SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


第23回定期演奏会ドキュメント

【11月8日(金)】
実は湯山先生から「体調が思わしくないです。名古屋には伺えそうにありません」と電話連絡が入ったのは午前中のことでした。
「演奏会は何としてでも成功させます。自分が代わりに指揮をします。どうかご自愛ください」と答えたものの、その時点では総務にも誰にも「湯山先生が来ない」との連絡はしませんでした。体調にもよりますが、せめて聴きにいらしてくださいとお願いしようと思っていました。そのためには奥様のご協力が必要です。奥様が湯山先生を連れてきてくださるということは一週間前の約束でしたから、奥様にお願いしようと思っていました。体調不良で指揮は心配(立ちっぱなしですから)でしょうけれども、座席に座って聴いていただくだけならば…と一縷(いちる)の望みを持っていました。
17時、勤務時間の終了を待って、こちらからお電話しました。「聴きにいらしてくださることも叶いませんか?」と奥様にお願いしようと思っていたら、いつもなら「ハイ、湯山です」と奥様が出られるのに、その時の「ハイ、湯山です」は湯山先生の声でした。
まさか「奥様に代わってください」とも言えず、先生ご自身に「聴きに来てくださるだけでも子どもたちは大喜びです」とお伝えしました。しかし結論は変わりませんでした。よほど体調がお悪いのでしょう。電話の呼び出し音は8回目だったと思います。普段なら1~2回目のコールで電話に出ていただける湯山家です。会話の途中、「横になって休んでいました」とのお言葉もありました。そして「本当にスミマセン。心からお詫びします。子どもたちにも父母会の皆さんにも、よろしくお伝えください」と、この言葉をいただいた時、嶋田先生の心は固まりました。
すぐに総務に電話をして、ホテルや翌日の夕食などの手配を全てキャンセルしていただきました。しかし、このような金銭的なダメージを回避することよりも、嶋田先生が大きく思っていたことは「メンバーのダメージをいかに最小限に止めるか」ということでした。いつ、どのように伝えるか、ムズカシイ問題を残して夜が更けていきました。

【11月9日(土)】
朝、音楽プラザの大リハーサル室には本番どおりの座席が並べられていました。午後の湯山先生の到着に備えての準備万端です。先生が会場に入った時には既に多くのメンバーが着席していて、スタンバイ完了という熱い空気が流れていました。
湯山先生が到着される予定の午後まで「湯山先生不在」を伏せておくという選択肢もありました。しかし嶋田先生が選択したのは、朝イチで全てを伝えるというものでした。気持ちの切り替え、ハートのチェンジはやるなら早い方が良い…という判断でした。
「湯山先生に元気になってもらえるように、精一杯の歌声をCDにして届けましょう。力を貸してください」とお願いしました。同時に「湯山先生ではなくて、嶋田先生が指揮をすることのプラスを最大限に生かしましょう。力を貸してください」ともお願いをしました。この「嶋田先生が指揮することのプラス」というお願いは、翌日の本番の直前リハーサルまで何度も繰り返すことになりますが、それについては後述します。
後述しなくても、さっそくそのプラスが現れました。予定では午前中は「イルカの翼」と「海と祭りと花の歌」を確認しておいて午後の湯山先生の指揮に備える…という計画でした。でも湯山先生はお見えにならないので、午前の練習は「うたにつばさがあれば」と「白いうた青いうた」の確認に投入することができました。これはメンバーに朝イチで全てを告げておいたからこそ初めてできる予定変更です。
一人一人のメンバーの深層心理までは知る由もありませんが、午前中に出てきた歌声は「大中先生に「うたにつばさがあれば」を捧げたい」という思いと「新実先生の「白いうた青いうた」を思い通りに表現したい」という情熱に溢れたものでした。そのように嶋田先生は感じました。この午前中に、本番を想定した最終確認の表現を生み出すことができたことは、翌日の10日に合唱団「空」を救うこととなりましたが、それについては後述します。メンバーの思いと情熱に大拍手・大感謝でした。

午後、会場を5階の合奏場に移します。和太鼓が入るための特設措置でした。合奏場は普段は名古屋フィルハーモニー交響楽団が練習している場所で、なぜこの会場が空いていたのか不思議です。おそらく名フィルの本番があったからなのでしょうが、メッタに入ることのできないリハーサル室です。嶋田先生的には名フィルの定期演奏会に東海メールクワイアーが招かれて、岩城宏之が指揮をした黛敏郎の「涅槃交響曲」のリハーサル以来の入場でした。メチャメチャ贅沢な練習会場です。
大須太鼓保存会のメンバーを迎えて「海と祭りと花の歌」を開始します。これまでは湯山先生が指揮をする想定でしたが、自分が指揮をするとなると話はゼンゼン違います。「ちょうちん囃し」のどこでどんなキュー(合図)を出すか確定させました。太鼓保存会のメンバーは全員ではありませんでしたが、来てくれたのはリーダー的な子でもあり、何よりも嶋田先生にとって自分が出すキューを確立できたことは有意義なことでした。
続けて「相模磯づたい」以下、残りの4曲を確認します。会場の優れた音響にも助けられて生き生きとした表現が生まれていきます。「雪はりんりん」の謡曲の最後は「最大限のフェルマータ」で歌い切りました。「そのように指導しました」と湯山先生に告白する予定だった部分です。「凛々と鳴る鳴る~ウゥ~」と超絶的に引き延ばした余韻が浜田先生のピアノに見事に引き継がれます。これは、あと何秒伸ばすかというように時計で測れる表現ではなく、今この瞬間に歌っているメンバーの呼吸に合わせてギリギリまで引き延ばす、まさに音の対話。究極の練習(リハーサル)です。
そのような時間が流れていき、休憩の後は「イルカの翼」。1年間の練習で積み上げてきて高められた「今の表現」が生き生きと飛び出してきます。
終盤、アンコールの曲目に入った頃、東海メールクワイアーの鈴木副会長が入室されました。これは予定していたことで、この日のリハーサルが全部終了して「子どもが帰った後からは」音楽プラザの喫茶店で2月2日の大中先生追悼コンサートの打ち合わせを予定していたのです。16時からの打ち合わせよりも少し前に来て、「空」の「わたりどり」を1回だけ聴いていただくように鈴木副会長にお願いしてありました。
ところが鈴木さんといっしょに入ってこられたのは、東海メールクワイアーの会長の都築義高さんでした。都築会長と奥様、鈴木副会長、豊田市民合唱団の代表の4名に、全てを歌い切ってヘトヘトになった合唱団「空」が、最後の力を振り絞って「わたりどり」を歌って聴いていただきました。
都築会長からは思いもよらない言葉が出てきました。「なんで「空」はコンクールに出んのじゃ?コンクールでも十分に戦えるぞ」
嶋田先生が小学生だった頃、全日本合唱コンクールで東海メールクワイアーを3年連続日本一に導いた、その中心メンバーだった都築会長。CBC放送で長く音楽プロデューサーを務められ、CBCこども音楽コンクールを発足させた都築会長です。
「よく声が出ている。素晴らしい。こりゃ、大人も(2月2日に)頑張らんといかんわ」との感想を述べられて打ち合わせに向かわれました。
嶋田先生も参加したその打ち合わせの内容については別に報告しますが、思いもよらない言葉をいただいたことを報告しておきます。
という感じで、メンバーのボルテージは最高レベルに達してリハーサルを終えることができました。午前・午後とすごい集中力でした。
「すばらしかった。大感謝です。ちょっと(酒を)飲みに行きませんか?」と浜田先生・恒川先生・高倉先生を誘った嶋田先生でしたが、「明日は本番なので」とアッサリ振られてしまった嶋田先生でした。

【11月10日(日)】
第23回定期演奏会の本番の日の朝を迎えました。
湯山先生が不在ということで、メンバーのボルテージ(やる気・情熱)が下がっていないか、やはり少し心配でした。22年間、ゲストの先生が必ずいて、その芸術家の指揮で歌うことを続けてきた「空」にとって、合唱団始まって以来の「ゲスト無し演奏会」です。「今イチ気力が湧いてこない」というメンバーがいても不思議ではありません。そんな子をいかに励まし、いかにやる気を起こさせるか、そのことだけを考えて会場に入りました。
嶋田先生は「音楽のプロ」ではありませんが「教育のプロ」である自負を持っています。教育のプロとして「勉強やる気が起こらないよ」「どうせボクなんてガンバッても意味ないよ」などと言う子を励まし、その気にさせてきました。そこにはプロとしての自信があります。その嶋田先生をもってしても、湯山先生不在のダメージを「やる気」に変換させることは至難のワザと思えたのです。
しかしリハーサル室に入るとメンバーは全員揃っていて、いつもと変わらぬ「これから音楽に立ち向かうんだ」という気力を感じました。そういう気力を持て、そういう気持ちになれって命令したところでなれるものではありません。しかし「湯山先生に元気になってもらえるように、精一杯の歌声を届けましょう。力を貸してください」とお願いするだけで、「全力表現」への気持ちの高まりを確かに感じました。
思うに「空」のメンバーにとっては「ゲスト不在」という問題を超える、もっと大きな価値観が育まれていたような気がします。その価値観とは「誰の指揮で歌うか…よりも大切なことは、自分が積み上げてきた努力を無駄にしないこと」だったように思います。指揮者が湯山先生なのか嶋田先生なのか、それは確かに大切なことなのだけれども、もっと大切なことは「自分が歌うか歌わないか」だ…という価値観です。
練習を積み上げた合唱人間にとって「歌わないこと」は「自分の努力の死」を意味します。「自分の努力を最大限に生かす」ことが大切であって、そこに立ち向かい自己実現を果たそうというボルテージは、集合した時点ですでに最高点に高まっていました。
その証拠は発声練習ですぐに現れました。嶋田先生は本番の日に腹筋だとかハミングだとかの発声練習はしません。ステージで歌う曲を使って発声を確認します。ところがこの日に使ったのは「月のうさぎ」の終結部「焚火の中に身を投げて…」と「月の世界へ送りました」の部分です。これを全力フォルテで歌うことを要求しました。出てきたサウンドは真っ赤に燃えたぎった熱いフォルティシモでした。まさしく大中先生が楽譜に記されたとおりの表現です。これを3回4回と繰り返して、まるでゴジラが火を吐くように、みんなの口から真っ赤な炎が吐き出されました。 本番ではこの「真っ赤な炎」を「青く冷たく凍り付いた光」に変えるように言ってありました。その究極の「凍ったフォルティシモ」を出すための準備が整いました。
ステージに移動して最初にやったことは歌う曲の練習ではなく、なんと「でんでんむし」でした。これを全力フォルテで歌った後、半分のメンバーをステージに残し、残りの半分のメンバーに客席最後部に移動して「でんでんむし」を歌ってもらいました。ステージに残って聴いているメンバーには目の前にあるピアノの音と客席最後部で歌う声とが聞こえるわけです。ピアノの音と歌う声とが約0.3秒ズレて聞こえるのは物理的な現象で、初めて経験するメンバーは驚きの表情を浮かべていました。ホールの中の響きはこのような現象が起こっているのです。だから指揮をよく見てピアノの音をよく聴いて周りの仲間との呼吸を合わせることが必要なのです。それを口で説明する理屈ではなく、耳と身体で体験してもらいました。
そして「うたにつばさがあれば」を通し、アンコールの3曲を通したところで大須太鼓保存会のメンバーを迎えました。「海と祭りと花の歌」の太鼓の位置を決め、保存会のメンバーには「今日は本番だから」ということで「相模磯づたい」から聴いていてもらうことにしました。保存会のメンバーにも本番通りの曲順を知っておいていただくことは必要だからです。
「ちょうちん囃し」のアンサンブルは完璧でした。おそらくは保存会のメンバーも独自に練習を重ねてくれていて、嶋田先生がキューを出さなくてもキッチリと音をはめてくれるレベルであったはずです。ですが嶋田先生が保存会のメンバーに出したサインは同時にコーラスに対してのサインともなっており、みんなも安心して歌い出すことができたと思います。湯山先生には叱られるかも知れませんが、いかに作曲者自身と言えども、これほど緻密なキューサインを出すことは難しかったのではなかろうか(笑)と思っています。楽しい時間がどんどん流れていきます。
あとは「ライオンとお茶を」の打楽器です。リハーサルではタンバリンの出が早すぎました。しかし「本番で早く出ても知らん顔で叩き続けるようにね」と確認するだけで十分でした。本番では完璧に叩いてくれました。「小さな法螺」のリズムを確認したところで12時近くなり、ステージリハーサルの時間がなくなってしまいました。だから「イルカの翼」と「白いうた青いうた」はほとんどステージリハーサルを行うことができませんでした。
「もう大丈夫。あとは任せた。好きなように歌ってください」と言ってメンバーに解散・昼食を指示しました。普通なら有り得ないことですが嶋田先生には自信がありました。それは前日に、湯山先生が見えないことを逆手に取って「白いうた青いうた」も「イルカの翼」も本番を想定した表現を最終確認していたからです。前日の9日に全てを最終確認できていたことが非常に大きかった。
それからもう一つ。ステージリハーサルでも真面目に楽譜を見ていたメンバーに「湯山先生ではなくて、嶋田先生が指揮をすることのプラスを最大限に生かしましょう。力を貸してください」とお願いしました。本番で楽譜を持つか持たないか、おそらく最後の最後まで迷っていたのでしょう。本番で楽譜を持つことは良いことです。嶋田先生も東海メールクワイアーの演奏会では完璧に覚えている曲でも楽譜を持ってステージに立ちます。そのことはメンバーに伝えてもありました。
そのメンバーに「湯山先生は絶対にしないけど、嶋田先生なら絶対にすることがあります」とナゾナゾを出しました。答えは「本番中に指揮をしながら歌詞をくちびるで伝える」です。あと1時間後に本番であるという場合、楽譜を持つか持たないかの迷いは歌詞に対する不安がほとんどです。であるならば指揮者のくちびるを見てください…というわけです。
リハーサルでは楽譜を持っていて本番では楽譜を持たずにステージに出てきたメンバーが何人かいました。まさに「湯山先生ではなくて、嶋田先生が指揮をすることのプラスを最大限に生かしてくれた」わけで、本当に嬉しいことでした。

午後の本番は非常に安定した響きが生まれました。「月のうさぎ」の究極フォルティシモも上手くいきました。開幕から最後のアンコールまでミスはただの一つもなく(先生が気付いていないだけかも?)、思う存分に自由自在に表現することができました。昨年の第22回での「文部省唱歌」や「サウンドオブミュージック」も思い出に残る演奏でしたが、曲の知名度では一歩を譲るとは言うものの、表現の完成度から考えると23回を数える定期演奏会の中でもトップだったと思います。合唱団「空」も力をつけました。

その他に、今回の演奏会では3つの大きな収穫がありました。順不同で記します。限りない感謝を込めて。
1つ目は父母会の手際の良い対応です。湯山先生からいただいたFAX(みんなに配ったものです)を拡大コピーして会場の入り口に掲示してくださいました。本番直前にロビーに行くとホワイトボードに「指揮者交代のお詫び」まで分かりやすく並べられていました。さらに「大中先生追悼コンサート」のチラシまで掲示してありました。いずれも嶋田先生が思いつかなかった対応で、お客様にも分かりやすかったと思います。
2つ目は大須太鼓保存会のメンバーが三人とも打ち上げパーティーに来てくれたことです。東海メールクワイアーがオーケストラに伴奏を依頼した時も(何度もありますが)そういうワンポイントゲストは演奏後にすぐに帰ってしまいます。打ち上げに参加してくれたことはありません。保存会のメンバーは参加してくださいました。しかも最後まで。彼らが参加してくれたということは、合唱団「空」に、あるいは今回の演奏会そのものに、何らかの思いがあったからに他なりません。「楽しかった」からなのかも知れないし、「興味を持った」からなのかも知れない。しかし彼らが「参加しよう」と思ってくれた「何か」が合唱団「空」にはあったということは間違いない。その「何か」を嶋田先生は大切に思います。
3つ目は何人かのサポートメンバーが「大中先生追悼コンサート」への参加を表明してくれたことです。それを聞いた時に思わず「金が要るぞ」と言った嶋田先生に「もう5000円払いました」と言って楽譜を見せてくれました。「大中先生のためだったら出ないわけにはいかない」とも。ありがたいことです。「空」は良い先輩を持っています。

来年、第24回定期演奏会は11月1日(日)にウィルあいちで決定しています。88才となられる湯山先生の「米寿記念コンサート」が骨格となります。みんなの歌声はCDにして湯山先生に急送しました。それを聴いてお元気になられて、再びお目にかかれますように。
歌う予定の合唱組曲「コタンの歌」は混声合唱ですが、東海メールクワイアーに特別参加をお願いします。すでに都築会長には書面で依頼をしました。都築会長・鈴木副会長はともに賛意を表され、あとは役員会の場で嶋田先生が正式に提案・依頼をします。
第24回で東海メールクワイアーを迎えるにあたっては、どこの女声合唱団にも助っ人は頼みません。東海メールクワイアー50人に「空」だけで対抗します。今ならそれができます。それだけの力を付けることが今なら可能だと確信しています。力を貸してくださいね。
混声合唱組曲「コタンの歌」は今回のプログラムにもあるように1970年の日本芸術祭で大賞(第1位)を獲得した湯山先生の最高傑作です。なぜ今まで歌わなかったのかというと、ひとえに混声合唱であるためです。その男声部に東海メールクワイアー全員を迎えての「コタンの歌」は火の出るような激しくも美しいハーモニーが生まれます。男の子たちはアルトかテノールか、自由に選んでください。

再掲しますが、今回の演奏会はメンバーが思う存分に自由自在に歌うことができた出色の演奏会となりました。
全てのメンバーと全ての父母会員と全てのスタッフに、熱く燃える感謝を捧げます。ありがとうございました。

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