SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


破壊された上に芽生える新しいもの

この日は湯山先生のリハーサルを来週に控えて、仮想湯山対策を施しました。言うまでもなく「四国の子ども歌」です。

キレイです。美しいハーモニー、柔らかい響き。何の文句の付けようもない歌声です。ですが足りないものがある。それは、聴いていて面白いかどうかです。

これを紙面に書くことは非常に難しい。鳴っている音とか声、そして表現が面白いかどうかですから、聞いていない人に文字で説明することは不可能とも思われます。

あえて言えば、それは小学生の宿題の「音読カード」で練習する本読みと、歌舞伎役者が唱えるセリフとの違い…と言えば分かりやすいでしょうか。

とにかくキレイすぎるのです。おとなしすぎるのです。座った姿勢のままで、手に持った楽譜の上だけで音楽が小さく完成している。そんな感じです。

言ったことは「とにかく乱暴に歌ってください。そのように指導しましたと、湯山先生には説明しますから」というものです。

みなさんの中で完成している「四国の子ども歌」の表現を、一度とにかく木っ端微塵に破壊する必要があると思いました。

音楽に限らず、どんな芸術でも、これで完成…ということは有り得ません。必ず次の段階があります。前回、湯山先生にホメられたからと言って、その表現を忠実になぞろうとするようではダメなのです。

次はもっと新しいものを創り出す。その意気込みがなくては。だから、どの曲も徹底的に「もっと乱暴に」「もっと激しく」「もっと積極的に」と繰り返しました。挙句の果てには「湯山先生が『あれ?この前はもっとキレイでしたけど汚くなりましたね』と言われても、嶋田がそのように指導しましたと言いますから」と繰り返しました。

 

いやぁ、音楽って面白いです。どんなに上手になろうとも次の段階がある。いや、これは音楽に限りませんけれども、あぁオレは100点だ…と思った時に満足して止めてしまうようではダメ。100点だと思ったら101点を目指すことが肝要です。

そのためには、今まで営々と積み上げてきた成果を叩き壊して、ゼロに戻って全てを新しく作り直すという作業も必要です。なんだか人間国宝の陶芸家みたいですね。

その人間国宝の陶芸家みたいなことを要求できるって、すごく幸せなことだと思います。そうすることで本当にぶっ壊れてしまう合唱団ではなく、焼け跡から新しく新芽を吹き出すような力を持った合唱団であると思ったから、叩き壊すことができるわけです。これは本当に幸せなことです。

一般的には、これまでの表現を踏襲し継続していくという、いわば守りの姿勢が常道だと思うのです。ですが湯山先生は嶋田先生に教えてくださいました。

他の作曲家や、ベートーヴェンやモーツァルトが成功した方法を参考にすることなど有り得ないことです。誰も参考にしないし真似もしない。湯山昭は湯山昭の道を歩むんです。自分だけを信じるのです。(文責・嶋田)

破壊されたみなさんは、とまどいも大きいことでしょう。ですが、それで良いのです。「破壊しました」と、ちゃんと伝えますから。

みなさんは、破壊された上で新しくみなさんの中に芽生えた音楽を、直接的に作曲者にぶつけてみてください。

責任は嶋田が取ります。

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