SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


高校生の意味 退団と休団

この日は普段忙しくてなかなか練習に来られない高校生が久しぶりに来てくれましたから、その子にとって初見の曲から始めました。第3ステージの「名旋律集」です。

初見とは言っても、事前に楽譜を入手してCDも十分に聴き込んでいるようなので、メロディーも音楽の流れも了解済み、どんなハーモニーが響くかも分かっているようです。

しかし、自分で音を取ることやCDを聴くこと、あるいはCDに合わせて歌ってみることなどでは絶対にできないことがあります。それが「練習」なのです。

以前に、須賀敬一先生の言葉を記しました。

「あなた方は、何度も何度も同じことを繰り返すことが練習やと思っとるんじゃないか?そんなん練習とちゃうで。練習っちゅうもんは、今ここに集まったメンバーで呼吸を合わせて、このメンバーでしかできんことをやるのが練習や。家で一人でもできることを、この場に持ち込んでくれるなや。」

CDを聴くことは確かに大切かつ有効な練習です。が、音楽は生き物です。誰か一人でも欠けると別の物になる。逆に誰か新しい子が加われば、また新しい何かが生まれる…。それが音楽であり合唱というものです。みんなで作る、みんなだけのテンポ。現在の合唱団「空」の独特な声の出し方や響き。各パートの声質やバランスなど、これらは同じ時間と空間を共有する仲間だけしか生まれないものです(当たり前と言えば当たり前すぎる)。

これらの、いわば仲間と呼吸を合わせ、集団の中に自分を溶け込ませることが、須賀先生の言う真の意味での練習なのです。

だから、音程とか発声などの細かい点は気にしないで、積極的にドンドン歌ってもらいました。説明や解説が多いのが嶋田先生の練習の欠点なのですが、それが少なかったので小学生にとっても有効な時間となったのかも知れません。今は本番が近いので、このように歌い込む活動を重視した方が良い結果を生み出すのかな…と、先生にとっても勉強というか貴重な経験になりました。

後半は第2ステージです。「葡萄と風と赤とんぼ」「きみは鳥・きみは花」「かもめの歌」「雲」の4曲を数回ずつ、1時間で歌い込みました。もちろん気付いたことは注意をし、何度か音楽の流れを止めましたが、1曲平均15分で非常に効率が良かったと思います。

 

閑話休題。何人かの中学3年生から「退団したい」という意向を聞きました。非常に残念です。

しかしながら、よく事情を聞いてみると、高校生になったらどんな生活になるか分からないから…というものでした。

それならば、なぜ退団なのですか?なぜ休団ではいけないのですか?

先生も教師の端くれですから受験生が苦しいのは分かります。そして、定期演奏会に参加できなくても、それは仕方がないと百も千も理解しています。高校に入ったら、どんな生活になるか分からないし、ましてや現在の段階では入る高校も決まっていないのですから、その不安な思いは大きなものでしょう。

だから、休むべき時には休めばよろしい。

ですが、なぜ今、退団なのですか?

どうなるか分からない高校生活。それをより良くするために今、受験に専念する。これは当然のことです。そして、めでたく高校入学となったならば、土曜日の午前が空いているかも知れないではないですか?

空くかもしれない、空いていなくて辞めなければならない、それが本当に決定するのは4月なのではないでしょうか?

それを、入学する高校が決まっていない今の段階で、なぜ「どうなるか分からないから退団」なのでしょうか。先生には理解できません。「どうなるか分からないから休団して今度の定期演奏会も出られません」なら十分に理解できます。

もし、受験で「高校がどうなるか分からないから退団」という理屈がまかり通るなら、今がんばっている(主力になっている)高校生たちは何なのでしょう。

中学生たちには、今の高校生のIさんやFさんやHさんやTさんみたいになってほしいのです。結果、入学した高校が例えば土曜日に授業を設定していて止む無く退団…これなら先生は大手を振って送り出します。

しかし、今、中学3年生の段階で「4月からどうなるか分からないから退団」というのは、どこをどうかんがえても理解できません。

嶋田先生はね、みなさんを手塩にかけて育てているつもりです。願わくば、条件さえ許せば、みなさんが第2第3の恒川さん高倉さん野々垣さんになってくれるようにと。まぁ、全員にそうなってくれよと願うことは傲慢なことだと承知していますけれども…。

あっ、合唱団「空」がイヤになりました…と言ってくれるなら、何年生であろうと諦めますけれども。

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