カテゴリー: 練習日記

  • 「わたりどり」と「草原の別れ」

    【12月7日(土)】
    嬉しいことに今日も見学者を迎えることができました。嶋田先生がよく知っている小学校の子です。来週も待っていま~す。
    とは言うものの、今日はムズカシイ練習を矢継ぎ早に行い、見学者が楽しめるような練習風景ではありませんでした。本当はもっと気楽に楽しく歌っているのですけれども。見学の子には申し訳ないことをしました。
    そのかわり、練習の最初にメンバーに話しました。仮に1月に入ってから新入団員を迎えたとしましょう。本番が2月2日にあるわけですから、1月の最初に入ったとして本番までに残る練習は4回です。その時、その新入団員は本番に出るか出ないか。ここが問題です。
    結論は「出る」です。指導者としては「出てもらえる」ように練習を組みます。これは教師としての本能というもので、小学校で言えば学芸会の1週間前に転校生が来てくれた時にどうするか…という場面です。嶋田先生なら劇の中にカンタンな役を作って参加してもらいます。絶対にそうします。コンクール至上主義の合唱部や合唱団なら有り得ないことかもしれませんが「空」は違います。クラスの中で本番に出る子と出ない子がいるなんてことは有り得ない。今は教頭などという担任から掛け離れた仕事をしていますが、これが教師としての本能です。嶋田先生が常任指揮者である限り、絶対に揺るがない「空」の方針です。
    という訳で、今日は2月2日に歌う今日を全て声に出して歌おう、見学の子に聴いてもらおうと思っていました。まだ12月の1回目ですから十分に間に合います。いや、間に合わせて見せます。
    先に連絡しておきますが、来週14日(土)にも見学者が来る予定です。ですから来週も今日のように何が何でも本番で歌う単独ステージ6曲と合同ステージ7曲の合計13曲を全部歌います。
    まずは「サッちゃん」そして「いぬのおまわりさん」。この曲で知っておいてほしいことは幼稚園の子にも歌えるように…と思って作られた音楽ではない、ということです。プロの童謡歌手が歌うことを前提として作られています。大中先生は歌曲ならプロフェッショナル、合唱曲なら大人の合唱団(それも相当な実力を持っている合唱団)のために作曲をされていて、これは生涯にわたって変わりませんでした。「うたにつばさがあれば」も元々は春口雅子さんというプロの童謡歌手のコンサートのために作られた曲ですし、だから大中先生は少年少女合唱団のための合唱組曲は生涯に1曲しか作らなかった(「生まれて生きて」という組曲です)し、少年少女合唱団を指揮指導されたのは合唱団「空」だけなのです。
    「サッちゃん」の「呼ぶんだよ」「食べられないの」「しまうだろ」の音程、これを正確に歌うことは至難のワザです。ウソだと思ったら便所か風呂場で一人でいる時に歌ってみると良い。頭で分かっていて自分が「こう歌おう」と思っている音程を、自分が満足するように歌うことができるかどうか。父母会の父さん母さんもぜひ便所で(なくても良いけど)やってみてください。そう簡単に歌えるメロディーではありません。
    「いぬのおまわりさん」の「あなたのお家は」の音程もムズカシイ。音程のムズカシさは「サッちゃん」ほどではありませんが付いている歌詞が「おうちは」です。ミミシシという音程で「おうちは」と歌うと「おう」よりも「ちは」の方が強くなって「追う血は」などと聞こえてしまうわけです。実際に便所で(なくても良いけど)試してみてください。自分の歌声が「お家は」と聞こえるか「追う血は」と聞こえるか。やってみましたか?いかがでしたか?
    迷子の迷子の子ネコちゃん、あなたの追う血はどこですか
    と聞こえませんように。
    日本中で「いぬのおまわりさん」を知っている人あるいは歌ったことのある人は5才の幼稚園児でも知っていることを考えると、おそらく8000万人くらいいることでしょう。その中の99・9%は何も考えずに気楽にドーンと歌い飛ばしているだけで、マッタク話にならない音程で歌っているわけです。少なくとも合唱団「空」は、この部分が「ムズカシイんだぞ」という意識を持って安易に歌い飛ばすことだけはしないようにしましょう。「空」もプロではないのですから過剰に神経を使う必要はないのですが、コンサートで歌う時くらいは「正確に…」という意識は持っていたいものです。
    「わたりどり」、これは北原白秋の詩です。「きたはらはくしゅう、てなあに?」と思っている小学生は今、知ってください。「赤とんぼ」「からたちの花」「この道」「あわて床屋」「待ちぼうけ」なら小学校の教科書にも載っています。あとは「トンボのメガネ」「砂山」「ペチカ」「城ヶ島の雨」などの曲があります。
    その北原白秋が選んだ言葉「あの影は」の「影」。これはshadow(シャドー・影)ではなくlight(ライト・光)という意味です。「わたりどり」という言葉も「鳥」ではなく「自分自身」という意味です。だからイメージはこうなる。
    あの光は私自身。あの輝きは私の未来の目標。
    その目標は遠ければ遠いほど空の青さのようにはるか彼方であり、
    その目標は高ければ高いほど波立つ山のように険しいが
    ああ、あの乗鞍が私を呼ぶように
    わたしは光になって目標へと突き進む。
    「あの影は わたりどり」と歌う時、「あのシャドーは飛んでいるカモメ」などというイメージを持っていては話になりませんよ。
    「草原の別れ」、これは阪田寛夫の詩です。「さかたひろお、ってなあに?」と思っている小学生は今、知ってください。日本文学の最高峰、芥川賞を受賞されている大中先生の従弟。「サッちゃん」「おなかのへるうた」「ともだち讃歌」「誰かが口笛ふいた」などを作詩されています。
    その阪田寛夫が選んだ言葉「あじさい色に はなやぐ空」とは「私の未来に輝いている空」であり「青く光る山」とは「私の目標」「私が目指す姿」です。だからイメージはこうなる。
    私の未来に輝いている空は私の目標なのだ。
    その目標に向かう前に風が告げる。
    今、大切な人との別れを。
    小学校の先生と別れなければ中学校での新しい出会いは無い。
    父さん母さんと別れなければ新しい夫との出会いは無い。
    「あじさい色に はなやぐ空」と歌う時、「6月にアジサイが咲きました。その色は空に似てる」などというイメージを持っていては話になりませんよ。
    そんなこんなで「じゃあね」「秋の女よ」「海の若者」を歌い込み、最後の20分で「うたにつばさがあれば」と「月のうさぎ」を1回通しました。
    繰り返しになりますが、見学の子にとっては苦しい時間だったことでしょう。本当にゴメンナサイ。ですが、先生が考えていたことは、その子が入ってくれた時に「今日という時間を有効に生かす」ことに尽きるのです。お許しください。
    来週も同じプログラムになると思います。メンバーの協力が必要です。よろしくお願いいたします。

  • 大中先生の最高傑作「海の若者」について

    【11月30日(土)】
    今日は新入団員を迎えることができました。とても嬉しいホットニュースです。早くお互いの名前を覚えて仲よく音楽を作っていきましょう。よろしくお願いします。
    自己紹介が終わった後、のっけからメンバーに謝らなければならない嶋田先生でした。実は今日は港区のPTA行事があり、そちらに応援に行かなくてはならないのでした。仮病を使って休むというワケにもゆかず、わずかな時間しかいっしょに練習をすることができませんでした。あらためてお詫びします。本当にゴメンナサイ。
    許された時間は「海の若者」に投入しようと思っていました。これは昨日から考えていた予定です。例によって全員でソプラノとアルトの両方を歌った後でハーモニーを作る…という方法です。何と20分で完了です。大中先生の音楽は歌い手にとって本当に自然に書かれていて非常に歌いやすいのですが、それにしても20分とはスゴイ。そんじょそこらの小中高校生には不可能な芸当ありましょう。
    先週の空ノート「秋の女よ」でも書いたのですが、唯一の不安は詩の理解です。何だか小中学生の頭の上を詩の世界がダッシュで通り抜けていくような感じで、詩の世界への共感が無いまま音楽だけが形作られていく…そんな不安。嶋田先生が最も忌み嫌う最悪の合唱です。
    今日は時間がなくて口では何も説明できなかったので、少しヒントを記しておきます。

    この詩は海に魅入られた人間(男の子)の物語です。
    潮風に抱かれて育ち、漁師としてたくましく育った彼は、やがて海へ漁に出たまま戻らなくなります。
    残された者の悲しみも描かれてはいるのですが、それよりも彼は行くべき場所へ行った、自分の望む場所へ行ったという印象が強く残ります。
    誰も知らないところへ足を踏み出して行方をくらませた彼は、死んだのではなく新しい世界へ向かっていった…という考え方です。
    現代に生きる私たちには理解しにくいのですが(それは実は勉強不足なのですが)キリスト教には「復活」という考え方があり、仏教には「輪廻(りんね)」という考え方があります。みなさんにとって一番身近なのは「薔薇のゆくえ」と「盲導犬S」です。2曲とも、「薔薇は雪になったよ」とか「太古の砂漠で旅をした二人の」などと、生まれる前・今の現在・生まれ変わった後という思想を歌っていましたね。これが仏教の輪廻思想です。
    日本人には「死」というものを悲しいことだと捉える(感じる)人が多いのですが、ヨーロッパでは少し感覚が違います。ヨーロッパでもお葬式では泣いている人が多いのですが根源的な感覚が違います。確かに悲しいことなのだけれども、彼は「新しい世界へ行った」という感覚が日本人よりも多くあります。と言うか、日本人にはそういう感覚が少ない。皆無と言っても良い。
    若者が海へ逝った(いった)のは「死んだ」というよりも「消えた」「海へ出た」と表現したくなる力強さが、ひとつひとつの言葉からにじみ出ています。行きたいからその世界へ行ったのです。
    脱線になりますが、みなさんが良く知っているビゼー作曲の歌劇「カルメン」の主人公カルメンは、「自分の恋」と「自分の死」とを秤(はかり)にかけて、「恋」のために迷うことなく「死」を選びます。肉体よりも精神…という考え方です。
    それが、日本人(取り残された者ども)には理解できない…というだけなのです。彼が海に消えたのは、彼が海に「生きて」いたからに他ならないのです。
    結論。
    もしかすると あの どっしりした足取りで 海へ大股に歩み込んだのだ
    という部分は悲しく歌うのではなく力強く応援するように歌いましょう。
    もしかすると あの どっしりした足取りで 新しい世界へ歩み込んだのだ
    …という感じでね。
    この「海の若者」は「わたりどり」「いぬのおまわりさん」と並ぶ大中先生の最高傑作です。イメージを膨らませておいてください。

    今日はソプラノから非常に安定した力強い響きが聞こえてきました。主力の高校生がいなかったのですが、小中学生だけで力強く歌ってくれたという印象です。
    短い時間でしたが、充実した時間を過ごした気持ち良さで練習会場を後にすることができました。ありがとうございました。大感謝です。

    業務連絡。2月2日の大中先生追悼コンサートのチラシとチケットが練習会場に届きました。次回の練習(フェールマミ)で配布を開始します。チケットは4枚ずつ。チラシは20~30枚ずつ持っていってもらうことになるはずです。

  • 「秋の女よ」は おばあちゃんの心

    【11月23日(土)】
    嶋田先生にとっては待ちに待ってた土曜日。定期演奏会以来2週間ぶりに「みんなに会える」「合唱ができる」と思うと、その足取りも軽くなります。
    今日も学芸会・展覧会を計画している小学校があることは分かっていて(職務上、名古屋市の全校の計画が分かります)、しかも中学生・高校生はおそらく月曜日から期末テストであることも分かっています。だから参加メンバーが少ないことは想定内でした。
    集まってくれたメンバーに、いかに「満足感」と「来て得をした感」を味わってもらうか、そのことだけを金曜日の夜から考えていました。
    超有名ラーメン店では行列ができますが、そんな店ではたいてい「お持ち帰り用のラーメンセット」を販売しています。家へ帰っても店内で食べるのと同じ味を再現して食べてもらえるように…という訳です。
    本店で食べるのと家でセットを使って調理して食べるのと、全く同じ美味しさなのかと言うと、本店で食べる方がオイシイに決まっています。そんなことは幼稚園の子でも分かる。ですが、せめて家でも「同じような味のラーメンを食べたい」と思うから、けっこう「ラーメンセット」はヒット商品です。
    嶋田先生がいかに工夫して「空ノート」を書いたところで、実際に練習の現場で口にした言葉を再現することは不可能ですし、その指導によって生まれた表現や声に対して、どんな歌い方を新たに指示したかを記すことも不可能です。
    ですが、超有名店のラーメンセットと同じように、本店で食べられなかった(練習に来られなかった)メンバーは、今日の練習を想像してください。
    開口一番「じゃあね」を歌うぞ…と宣言しました。人数やパートバランスなどどうでも良い。まずやったことはメロディーをシッカリと耳に刻み込むということです。1993年、大中先生の指揮でこの曲を歌った時、先生は「生きるとは何か」を心底から理解できて、本当に感動しました。その感動をメンバーに伝えるためには、まずはメロディーを知っておいてもらうことが絶対条件です。
    大中先生の音楽は歌う合唱団に難易度の高い要求をすることは極めて少なく、言うなれば自然体で書かれているのが大きな特徴です。メロディーをキチンとうたうことができれば、そこに付けるハーモニーは「空」のメンバーの予想の範疇に入っています。だからとにかくメロディー。「じゃあね」はそういう曲です。
    練習で言わなかったことがあります。それは昨夜(金曜日)に楽譜を見ていた時のことです。嶋田先生は谷川俊太郎による歌詞が、まるで天国から今、大中先生が書いて送ってくださった詩であるような錯覚を覚えました。
    「思い出しておくれ あの日のこと」とは今の「空」にとってはホームページに上がっている「大中先生が訪ねてくださいました」であり「わたりどり」の動画が撮影されたパーティーの日のことです。「じゃあね」という言葉は、大中先生が今回の演奏会に集まるメンバーに告げる言葉のように思えます。「どこか見知らぬ宇宙のかなたで」「いつか夜明けの夢のはざまで」またボク(大中先生)と会うこともあるかもしれないから、「じゃあね。さようなら…ではなくて、じゃあねなんだよ」という手紙が来たような気がしました。これは12月21日の合同練習で、大人を含めた全員に語り掛けようと思っています。
    「いぬのおまわりさん」と「サッちゃん」の音取りはサスガです。先週の高校生指導者に感謝。今日が初見というメンバーも多かったので、繰り返して音を確認しました。
    ただ、この曲に限らす、「じゃあね」にしても「秋の女よ」にしても男声がいないと完全なハーモニーは生まれませんので、その意味では「何だか盛り上がらないなぁ」と感じていたメンバーがいたかもしれません。いかにガンバっても半分のハーモニーなんです。だから「何だか盛り上がらない」と思った子がいたとしたら、その子の感覚は一流です。
    「秋の女よ」はソプラノのメロディーがムズカシイ。最初のフレーズから高いソをイともカンタンに出さなくてはいけないのですが、これは大変です。
    1番から5番まである「秋の女よ」です。巻末の詩も5段に分かれているから分かりやすいですね。そのうち1番と4番は全く同じ音であり、3番はソロだけですから音程の話だけに限れば1番・2番・5番を覚えれば完了です。実際にソプラノもアルトも全員で歌って完了しました。
    ですが問題は歌詞です。佐藤春夫のこの歌詞を小学生が「歌わされている」姿は、あまりにもカワイソウでした。だから「歌わされている」のではなく「自分から歌う」状態にするために、是が非でも歌詞の背景を説明する必要がありました。
    「春の女」という言葉があるとするならば、それは合唱団「空」のメンバーのような小学生を含めた、まだ「結婚していない女」です。つまり「これから成長していく女」。
    「夏の女」という言葉があるとするならば、それは結婚して赤ちゃんを産んで子どもを育てている母親、つまりメンバーの「お母さんたちの年代の女」です。
    「秋の女」とは、自分の子供が大人になって、そろそろ結婚して家を出ていくか…という年代の、つまりメンバーにとっては「おばあちゃんにあたる年代の女」です。
    母親にとって、自分の子供が大きくなって成長していくことは無限の喜びです。しかし、その喜びを味わいながら、自分の子供が一歩一歩、自分の懐(ふところ)から離れていく寂しさを感じているのです。孫が生まれようものなら絶頂の喜び、最高の幸せでしょう。しかし、その孫が成長すればするほど、おばあちゃんに近づいてくるのは「死」であり「別れ」なのです。
    「泣きぬれて」とは「自分が死に近づく恐怖」ではなく「自分の子供や孫が成長していく嬉し涙」であると嶋田先生は感じます。ですが、その「嬉し涙」と「死への恐怖」とは同時に訪れるものであり、表裏一体の涙です。
    そのような表裏一体の涙を流せと言っても「春の女(あるいは男)」である年代の合唱団「空」のメンバーには無理な注文でしょう。しかし絶対に身近な証拠があります。
    それはメンバーのおばあちゃんです。おばあちゃんの気持ちを想像してあげてください。イメージしてあげてください。おばあちゃんは口には出さないだけで絶対に思っています。
    「あぁ、この子(みんな)が結婚するまで、赤ちゃんが生まれるまで、私は元気で生きていられるのかなぁ」って。そう思って、おばあちゃんはみんなにお年玉をくれるんだよ。その気持ちを想像することが大切です。
    なぜ大切なのかというと、みんなも嶋田先生も、絶対に絶対に必ず必ず「秋の女」あるいは「秋の男」になる時が来るからです。その時になって気付いても遅い。今、気付くべきです。
    これはですね、あってはならぬことですが、みんなが小児ガンか何かに罹って「あと1ヶ月の命」と宣告されたとしたら、その時になって「さぁ、残された1ヵ月を一生懸命生きるぞ。いじめもしないしイジワルもしない」なぁんて気付いても遅い…ということです。気付くなら今、気付きましょう。残された命が1ヶ月であろうと70年であろうと、みなさんの生き方に変わりはないはずです。

    次の練習は11月30日(土)です。その後は12月の7日、14日と練習して、その次の21日は200人が集まる合同練習になります。今日は「海の若者」については何ひとつ触れませんでした。なので残された時間と曲に対する理解の度合いとが心配です。いろいろな活動はあろうかと思いますが、「空」のスケジュールについても心の隅に留めておいてください。みなさんの協力が必要です。力を貸してくださいますようにお願いいたします。

  • もう一つの「始まって以来」

    【11月16日(土)】
    先ほど公開した「空ノート」に重要な内容を落としましたので追加報告いたします。
    第23回定期演奏会は、みなさんの努力と協力によって大成功となりました。非常に安定した生き生きとした表現でミスは皆無、レベルの高い演奏ができたと思います。
    さて、合唱団「空」始まって以来の「ゲスト不在のコンサート」となったことは何度も記したとおりですが、実はもう一つの「始まって以来」がありました。
    それは打ち上げパーティーの席上でした。11月16日(土)は嶋田先生と恒川先生の学校はともに学芸会があり、高倉先生もスケジュールの都合で欠席の予定です。つまりスタッフはピアノの浜田先生だけになってしまうことは以前から分かっていました。パーティーが進む中、4人で話し合った結果、「演奏会はベストの結果も出たことだし、16日は「お疲れ休み」ということにしましょう。走りっぱなしの「空」だから無理して練習するよりも、たまには休んでエネルギーを養うのも良いかもね」ということになりました。
    で、嶋田先生がマイクを取り、「業務連絡です。16日の練習は休みにします」と発言したことは子どもも父母も全員が聞いていた事実です。思いもかけないことは次の瞬間に起こりました。なんと「イヤだ」という発言がメンバーから飛び出したのです。「先生たちがいなくても私たちが練習する。小さい子をカバーします」という趣旨でした。
    急遽、4人のスタッフで再び話し合い、高校生メンバーに練習を任せることとしました。仮に練習の進行にブレーキがかかるようなことがあっても、浜田先生がいればサポートし軌道修正することができるはずです。大中先生追悼コンサートも近いし、そのコンサートの合同合唱曲の音取りが進むのは非常にありがたい…との判断でした。
    で、嶋田先生がマイクを取り、「業務連絡です。16日の練習は予定通り行います」と発言したことは子どもも父母も全員が聞いていた事実です。
    プログラムに記しましたが、指導者に「この曲を歌いたい」と進言してくるメンバーがいて「白いうた青いうた」のステージが実現したのですが、その「空」をもってしても指導者が協議の末に出した「休みます」という結論を翻させる(ひるがえさせる)高校生は合唱団「空」始まって以来の出現です(笑)。
    浜田先生からの報告によると、小学校の学芸会・展覧会(だから嶋田先生も休まざるを得なかった)やそろそろ期末テスト前ということもあり、決して多くはない参加者であったとのことですが、4人の高校生が最初から最後までシッカリと練習を切り回してくれたとのことでした。「いぬのおまわりさん」「サッちゃん」「草原の別れ」の音取りを非常に丁寧に進めてくれたとのことです。返す刀で「海の若者」と「秋の女よ」のソプラノメロディーをさらったとのこと。すごい効率ですね。
    浜田先生の言葉を借りれば「良い雰囲気で充実した練習ができたと思います」ということで、集まってくれたメンバーと4人の高校生に大感謝です。
    ただの「大感謝」ではなく、24年に及ぶ合唱団「空」の歴史の中で、始まって以来の「指導者不在」の練習を、メンバー自身の手で切り抜けた「歴史的な1ページ」であったことを報告しておきます。
    みんな、ありがとう。

  • 第23回定期演奏会ドキュメント

    【11月8日(金)】
    実は湯山先生から「体調が思わしくないです。名古屋には伺えそうにありません」と電話連絡が入ったのは午前中のことでした。
    「演奏会は何としてでも成功させます。自分が代わりに指揮をします。どうかご自愛ください」と答えたものの、その時点では総務にも誰にも「湯山先生が来ない」との連絡はしませんでした。体調にもよりますが、せめて聴きにいらしてくださいとお願いしようと思っていました。そのためには奥様のご協力が必要です。奥様が湯山先生を連れてきてくださるということは一週間前の約束でしたから、奥様にお願いしようと思っていました。体調不良で指揮は心配(立ちっぱなしですから)でしょうけれども、座席に座って聴いていただくだけならば…と一縷(いちる)の望みを持っていました。
    17時、勤務時間の終了を待って、こちらからお電話しました。「聴きにいらしてくださることも叶いませんか?」と奥様にお願いしようと思っていたら、いつもなら「ハイ、湯山です」と奥様が出られるのに、その時の「ハイ、湯山です」は湯山先生の声でした。
    まさか「奥様に代わってください」とも言えず、先生ご自身に「聴きに来てくださるだけでも子どもたちは大喜びです」とお伝えしました。しかし結論は変わりませんでした。よほど体調がお悪いのでしょう。電話の呼び出し音は8回目だったと思います。普段なら1~2回目のコールで電話に出ていただける湯山家です。会話の途中、「横になって休んでいました」とのお言葉もありました。そして「本当にスミマセン。心からお詫びします。子どもたちにも父母会の皆さんにも、よろしくお伝えください」と、この言葉をいただいた時、嶋田先生の心は固まりました。
    すぐに総務に電話をして、ホテルや翌日の夕食などの手配を全てキャンセルしていただきました。しかし、このような金銭的なダメージを回避することよりも、嶋田先生が大きく思っていたことは「メンバーのダメージをいかに最小限に止めるか」ということでした。いつ、どのように伝えるか、ムズカシイ問題を残して夜が更けていきました。

    【11月9日(土)】
    朝、音楽プラザの大リハーサル室には本番どおりの座席が並べられていました。午後の湯山先生の到着に備えての準備万端です。先生が会場に入った時には既に多くのメンバーが着席していて、スタンバイ完了という熱い空気が流れていました。
    湯山先生が到着される予定の午後まで「湯山先生不在」を伏せておくという選択肢もありました。しかし嶋田先生が選択したのは、朝イチで全てを伝えるというものでした。気持ちの切り替え、ハートのチェンジはやるなら早い方が良い…という判断でした。
    「湯山先生に元気になってもらえるように、精一杯の歌声をCDにして届けましょう。力を貸してください」とお願いしました。同時に「湯山先生ではなくて、嶋田先生が指揮をすることのプラスを最大限に生かしましょう。力を貸してください」ともお願いをしました。この「嶋田先生が指揮することのプラス」というお願いは、翌日の本番の直前リハーサルまで何度も繰り返すことになりますが、それについては後述します。
    後述しなくても、さっそくそのプラスが現れました。予定では午前中は「イルカの翼」と「海と祭りと花の歌」を確認しておいて午後の湯山先生の指揮に備える…という計画でした。でも湯山先生はお見えにならないので、午前の練習は「うたにつばさがあれば」と「白いうた青いうた」の確認に投入することができました。これはメンバーに朝イチで全てを告げておいたからこそ初めてできる予定変更です。
    一人一人のメンバーの深層心理までは知る由もありませんが、午前中に出てきた歌声は「大中先生に「うたにつばさがあれば」を捧げたい」という思いと「新実先生の「白いうた青いうた」を思い通りに表現したい」という情熱に溢れたものでした。そのように嶋田先生は感じました。この午前中に、本番を想定した最終確認の表現を生み出すことができたことは、翌日の10日に合唱団「空」を救うこととなりましたが、それについては後述します。メンバーの思いと情熱に大拍手・大感謝でした。

    午後、会場を5階の合奏場に移します。和太鼓が入るための特設措置でした。合奏場は普段は名古屋フィルハーモニー交響楽団が練習している場所で、なぜこの会場が空いていたのか不思議です。おそらく名フィルの本番があったからなのでしょうが、メッタに入ることのできないリハーサル室です。嶋田先生的には名フィルの定期演奏会に東海メールクワイアーが招かれて、岩城宏之が指揮をした黛敏郎の「涅槃交響曲」のリハーサル以来の入場でした。メチャメチャ贅沢な練習会場です。
    大須太鼓保存会のメンバーを迎えて「海と祭りと花の歌」を開始します。これまでは湯山先生が指揮をする想定でしたが、自分が指揮をするとなると話はゼンゼン違います。「ちょうちん囃し」のどこでどんなキュー(合図)を出すか確定させました。太鼓保存会のメンバーは全員ではありませんでしたが、来てくれたのはリーダー的な子でもあり、何よりも嶋田先生にとって自分が出すキューを確立できたことは有意義なことでした。
    続けて「相模磯づたい」以下、残りの4曲を確認します。会場の優れた音響にも助けられて生き生きとした表現が生まれていきます。「雪はりんりん」の謡曲の最後は「最大限のフェルマータ」で歌い切りました。「そのように指導しました」と湯山先生に告白する予定だった部分です。「凛々と鳴る鳴る~ウゥ~」と超絶的に引き延ばした余韻が浜田先生のピアノに見事に引き継がれます。これは、あと何秒伸ばすかというように時計で測れる表現ではなく、今この瞬間に歌っているメンバーの呼吸に合わせてギリギリまで引き延ばす、まさに音の対話。究極の練習(リハーサル)です。
    そのような時間が流れていき、休憩の後は「イルカの翼」。1年間の練習で積み上げてきて高められた「今の表現」が生き生きと飛び出してきます。
    終盤、アンコールの曲目に入った頃、東海メールクワイアーの鈴木副会長が入室されました。これは予定していたことで、この日のリハーサルが全部終了して「子どもが帰った後からは」音楽プラザの喫茶店で2月2日の大中先生追悼コンサートの打ち合わせを予定していたのです。16時からの打ち合わせよりも少し前に来て、「空」の「わたりどり」を1回だけ聴いていただくように鈴木副会長にお願いしてありました。
    ところが鈴木さんといっしょに入ってこられたのは、東海メールクワイアーの会長の都築義高さんでした。都築会長と奥様、鈴木副会長、豊田市民合唱団の代表の4名に、全てを歌い切ってヘトヘトになった合唱団「空」が、最後の力を振り絞って「わたりどり」を歌って聴いていただきました。
    都築会長からは思いもよらない言葉が出てきました。「なんで「空」はコンクールに出んのじゃ?コンクールでも十分に戦えるぞ」
    嶋田先生が小学生だった頃、全日本合唱コンクールで東海メールクワイアーを3年連続日本一に導いた、その中心メンバーだった都築会長。CBC放送で長く音楽プロデューサーを務められ、CBCこども音楽コンクールを発足させた都築会長です。
    「よく声が出ている。素晴らしい。こりゃ、大人も(2月2日に)頑張らんといかんわ」との感想を述べられて打ち合わせに向かわれました。
    嶋田先生も参加したその打ち合わせの内容については別に報告しますが、思いもよらない言葉をいただいたことを報告しておきます。
    という感じで、メンバーのボルテージは最高レベルに達してリハーサルを終えることができました。午前・午後とすごい集中力でした。
    「すばらしかった。大感謝です。ちょっと(酒を)飲みに行きませんか?」と浜田先生・恒川先生・高倉先生を誘った嶋田先生でしたが、「明日は本番なので」とアッサリ振られてしまった嶋田先生でした。

    【11月10日(日)】
    第23回定期演奏会の本番の日の朝を迎えました。
    湯山先生が不在ということで、メンバーのボルテージ(やる気・情熱)が下がっていないか、やはり少し心配でした。22年間、ゲストの先生が必ずいて、その芸術家の指揮で歌うことを続けてきた「空」にとって、合唱団始まって以来の「ゲスト無し演奏会」です。「今イチ気力が湧いてこない」というメンバーがいても不思議ではありません。そんな子をいかに励まし、いかにやる気を起こさせるか、そのことだけを考えて会場に入りました。
    嶋田先生は「音楽のプロ」ではありませんが「教育のプロ」である自負を持っています。教育のプロとして「勉強やる気が起こらないよ」「どうせボクなんてガンバッても意味ないよ」などと言う子を励まし、その気にさせてきました。そこにはプロとしての自信があります。その嶋田先生をもってしても、湯山先生不在のダメージを「やる気」に変換させることは至難のワザと思えたのです。
    しかしリハーサル室に入るとメンバーは全員揃っていて、いつもと変わらぬ「これから音楽に立ち向かうんだ」という気力を感じました。そういう気力を持て、そういう気持ちになれって命令したところでなれるものではありません。しかし「湯山先生に元気になってもらえるように、精一杯の歌声を届けましょう。力を貸してください」とお願いするだけで、「全力表現」への気持ちの高まりを確かに感じました。
    思うに「空」のメンバーにとっては「ゲスト不在」という問題を超える、もっと大きな価値観が育まれていたような気がします。その価値観とは「誰の指揮で歌うか…よりも大切なことは、自分が積み上げてきた努力を無駄にしないこと」だったように思います。指揮者が湯山先生なのか嶋田先生なのか、それは確かに大切なことなのだけれども、もっと大切なことは「自分が歌うか歌わないか」だ…という価値観です。
    練習を積み上げた合唱人間にとって「歌わないこと」は「自分の努力の死」を意味します。「自分の努力を最大限に生かす」ことが大切であって、そこに立ち向かい自己実現を果たそうというボルテージは、集合した時点ですでに最高点に高まっていました。
    その証拠は発声練習ですぐに現れました。嶋田先生は本番の日に腹筋だとかハミングだとかの発声練習はしません。ステージで歌う曲を使って発声を確認します。ところがこの日に使ったのは「月のうさぎ」の終結部「焚火の中に身を投げて…」と「月の世界へ送りました」の部分です。これを全力フォルテで歌うことを要求しました。出てきたサウンドは真っ赤に燃えたぎった熱いフォルティシモでした。まさしく大中先生が楽譜に記されたとおりの表現です。これを3回4回と繰り返して、まるでゴジラが火を吐くように、みんなの口から真っ赤な炎が吐き出されました。 本番ではこの「真っ赤な炎」を「青く冷たく凍り付いた光」に変えるように言ってありました。その究極の「凍ったフォルティシモ」を出すための準備が整いました。
    ステージに移動して最初にやったことは歌う曲の練習ではなく、なんと「でんでんむし」でした。これを全力フォルテで歌った後、半分のメンバーをステージに残し、残りの半分のメンバーに客席最後部に移動して「でんでんむし」を歌ってもらいました。ステージに残って聴いているメンバーには目の前にあるピアノの音と客席最後部で歌う声とが聞こえるわけです。ピアノの音と歌う声とが約0.3秒ズレて聞こえるのは物理的な現象で、初めて経験するメンバーは驚きの表情を浮かべていました。ホールの中の響きはこのような現象が起こっているのです。だから指揮をよく見てピアノの音をよく聴いて周りの仲間との呼吸を合わせることが必要なのです。それを口で説明する理屈ではなく、耳と身体で体験してもらいました。
    そして「うたにつばさがあれば」を通し、アンコールの3曲を通したところで大須太鼓保存会のメンバーを迎えました。「海と祭りと花の歌」の太鼓の位置を決め、保存会のメンバーには「今日は本番だから」ということで「相模磯づたい」から聴いていてもらうことにしました。保存会のメンバーにも本番通りの曲順を知っておいていただくことは必要だからです。
    「ちょうちん囃し」のアンサンブルは完璧でした。おそらくは保存会のメンバーも独自に練習を重ねてくれていて、嶋田先生がキューを出さなくてもキッチリと音をはめてくれるレベルであったはずです。ですが嶋田先生が保存会のメンバーに出したサインは同時にコーラスに対してのサインともなっており、みんなも安心して歌い出すことができたと思います。湯山先生には叱られるかも知れませんが、いかに作曲者自身と言えども、これほど緻密なキューサインを出すことは難しかったのではなかろうか(笑)と思っています。楽しい時間がどんどん流れていきます。
    あとは「ライオンとお茶を」の打楽器です。リハーサルではタンバリンの出が早すぎました。しかし「本番で早く出ても知らん顔で叩き続けるようにね」と確認するだけで十分でした。本番では完璧に叩いてくれました。「小さな法螺」のリズムを確認したところで12時近くなり、ステージリハーサルの時間がなくなってしまいました。だから「イルカの翼」と「白いうた青いうた」はほとんどステージリハーサルを行うことができませんでした。
    「もう大丈夫。あとは任せた。好きなように歌ってください」と言ってメンバーに解散・昼食を指示しました。普通なら有り得ないことですが嶋田先生には自信がありました。それは前日に、湯山先生が見えないことを逆手に取って「白いうた青いうた」も「イルカの翼」も本番を想定した表現を最終確認していたからです。前日の9日に全てを最終確認できていたことが非常に大きかった。
    それからもう一つ。ステージリハーサルでも真面目に楽譜を見ていたメンバーに「湯山先生ではなくて、嶋田先生が指揮をすることのプラスを最大限に生かしましょう。力を貸してください」とお願いしました。本番で楽譜を持つか持たないか、おそらく最後の最後まで迷っていたのでしょう。本番で楽譜を持つことは良いことです。嶋田先生も東海メールクワイアーの演奏会では完璧に覚えている曲でも楽譜を持ってステージに立ちます。そのことはメンバーに伝えてもありました。
    そのメンバーに「湯山先生は絶対にしないけど、嶋田先生なら絶対にすることがあります」とナゾナゾを出しました。答えは「本番中に指揮をしながら歌詞をくちびるで伝える」です。あと1時間後に本番であるという場合、楽譜を持つか持たないかの迷いは歌詞に対する不安がほとんどです。であるならば指揮者のくちびるを見てください…というわけです。
    リハーサルでは楽譜を持っていて本番では楽譜を持たずにステージに出てきたメンバーが何人かいました。まさに「湯山先生ではなくて、嶋田先生が指揮をすることのプラスを最大限に生かしてくれた」わけで、本当に嬉しいことでした。

    午後の本番は非常に安定した響きが生まれました。「月のうさぎ」の究極フォルティシモも上手くいきました。開幕から最後のアンコールまでミスはただの一つもなく(先生が気付いていないだけかも?)、思う存分に自由自在に表現することができました。昨年の第22回での「文部省唱歌」や「サウンドオブミュージック」も思い出に残る演奏でしたが、曲の知名度では一歩を譲るとは言うものの、表現の完成度から考えると23回を数える定期演奏会の中でもトップだったと思います。合唱団「空」も力をつけました。

    その他に、今回の演奏会では3つの大きな収穫がありました。順不同で記します。限りない感謝を込めて。
    1つ目は父母会の手際の良い対応です。湯山先生からいただいたFAX(みんなに配ったものです)を拡大コピーして会場の入り口に掲示してくださいました。本番直前にロビーに行くとホワイトボードに「指揮者交代のお詫び」まで分かりやすく並べられていました。さらに「大中先生追悼コンサート」のチラシまで掲示してありました。いずれも嶋田先生が思いつかなかった対応で、お客様にも分かりやすかったと思います。
    2つ目は大須太鼓保存会のメンバーが三人とも打ち上げパーティーに来てくれたことです。東海メールクワイアーがオーケストラに伴奏を依頼した時も(何度もありますが)そういうワンポイントゲストは演奏後にすぐに帰ってしまいます。打ち上げに参加してくれたことはありません。保存会のメンバーは参加してくださいました。しかも最後まで。彼らが参加してくれたということは、合唱団「空」に、あるいは今回の演奏会そのものに、何らかの思いがあったからに他なりません。「楽しかった」からなのかも知れないし、「興味を持った」からなのかも知れない。しかし彼らが「参加しよう」と思ってくれた「何か」が合唱団「空」にはあったということは間違いない。その「何か」を嶋田先生は大切に思います。
    3つ目は何人かのサポートメンバーが「大中先生追悼コンサート」への参加を表明してくれたことです。それを聞いた時に思わず「金が要るぞ」と言った嶋田先生に「もう5000円払いました」と言って楽譜を見せてくれました。「大中先生のためだったら出ないわけにはいかない」とも。ありがたいことです。「空」は良い先輩を持っています。

    来年、第24回定期演奏会は11月1日(日)にウィルあいちで決定しています。88才となられる湯山先生の「米寿記念コンサート」が骨格となります。みんなの歌声はCDにして湯山先生に急送しました。それを聴いてお元気になられて、再びお目にかかれますように。
    歌う予定の合唱組曲「コタンの歌」は混声合唱ですが、東海メールクワイアーに特別参加をお願いします。すでに都築会長には書面で依頼をしました。都築会長・鈴木副会長はともに賛意を表され、あとは役員会の場で嶋田先生が正式に提案・依頼をします。
    第24回で東海メールクワイアーを迎えるにあたっては、どこの女声合唱団にも助っ人は頼みません。東海メールクワイアー50人に「空」だけで対抗します。今ならそれができます。それだけの力を付けることが今なら可能だと確信しています。力を貸してくださいね。
    混声合唱組曲「コタンの歌」は今回のプログラムにもあるように1970年の日本芸術祭で大賞(第1位)を獲得した湯山先生の最高傑作です。なぜ今まで歌わなかったのかというと、ひとえに混声合唱であるためです。その男声部に東海メールクワイアー全員を迎えての「コタンの歌」は火の出るような激しくも美しいハーモニーが生まれます。男の子たちはアルトかテノールか、自由に選んでください。

    再掲しますが、今回の演奏会はメンバーが思う存分に自由自在に歌うことができた出色の演奏会となりました。
    全てのメンバーと全ての父母会員と全てのスタッフに、熱く燃える感謝を捧げます。ありがとうございました。

  • 黒牛

    【11月4日(月)】
    夜分にゴメンナサイ。
    表現に関係することでメンバーに1回も伝えていないことがありましたので急遽の連絡です。本番前日に説明するよりも、早い方がイメージも膨らむと思いましたので連絡します。(笑)気楽に読んでください。
    問題の曲は「海と祭りと花の歌」の終曲「まためぐる春に」です。戦いの音楽が2回歌われますが、その1回目。歌詞は
    「伊豆に沸き 風に乗る 早い雲 黒牛の 松明(たいまつ) 火の粉」です。
    前半は「伊豆を出発点として(伊豆に沸き)」「勢いを強めていった(風に乗る)」「北条早雲(早い雲)」であると、2~3カ月前に1回だけ口にしたことを記憶しています。
    北条早雲(そううん)。鎌倉幕府の中心となった北条時頼や元寇の立役者となった北条時宗らの一族とは全くアカの他人です。ずっと後、戦国時代に頭角を現して、同じ文字の「北条」を名乗ったので、「後北条(ごほうじょう)」と呼ばれています。
    5代続いて(5代目の)北条氏直が豊臣秀吉に滅ぼされるまで約100年間君臨した後北条氏ですが、初代の早雲が小田原城を攻め落とした方法は今に伝えられる驚くべき方法でした。
    『北条記』によれば、早雲は小田原城の殿様にプレゼントを贈り続けて友達となり、油断させておいて1000頭の牛の角に松明(たいまつ)を灯して小田原城を攻撃しました。もちろん夜襲(やしゅう・夜の暗闇に攻撃すること)ですので、その牛も黒い牛の方が闇に紛れます。数万の兵が攻め寄せてきたと、おびえた小田原城は大混乱になり、早雲は易々と小田原城を手に入れたという伝説です。
    この部分、「黒牛(くろうし)」と歌えていません。昨日までの表現は「苦労死(くろうし)」と聞こえています。自分たちの歌声を思い起こしてみてください。法螺貝だとか和太鼓だとかに気を取られて忘れていました。すみません。
    早い話が「黒牛」と歌ってくれれば良いだけなのですが、気になっちゃって…。

  • 湯山先生の快復を願う究極の歌声

    【11月2日(土)3日(日)】
    湯山先生から「体調不良」との第1報が携帯電話に入ったのは実は1日(金)の朝8時過ぎでした。そんな時間は普段は電話に出られないのですが、1日は東海北陸の教頭会があり、会場の国際会議場(白鳥)に向かう道中のことでした。本当にラッキーなことでした。普段ならもう学校に到着して様々な業務に奔走する時間なので、おそらくは着信に気付くのは給食の時間になっていたことと思います。出張が入っていて本当にラッキーでした。
    「2日の夕方に行く予定だったが行けるかどうか分からない」とのことで、すぐに総務に連絡して2日のホテルや夕食・新幹線の駅へのお迎えなどを全てキャンセルしてもらいました。予定通り2日に来られることが分かった時点で再びホテルの予約を取るつもりでした。
    結果的にはこの迅速な対応でわずかなキャンセル料に収まり、最低限の支出で押さえることができました。その後の6回に及ぶ電話連絡を経て、湯山先生は3日の練習は控えて大事を取り、9日に備えていただくということになりました。3日の朝、そのことをメンバーに伝えた嶋田先生も辛かったですけれども、メンバーもガッカリしたことと思います。しかし、まずは父母会の臨機の対応に大感謝です。
    次は「災い転じて福と成す」を実現させるための手腕が嶋田先生に問われていました。メンバーのガッカリを満足と自信に変えることができるか。大きな命題でした。
    結論を記すと大きな成果を上げることができたと自負しています。それはメンバーの協力があって初めて成立したものでしたが本当にホッとしています。
    2日(土)。まずはアンコールから。「くも」の表現に徹底的に取り組みました。そして「おはよう太陽」に「あめふりくまのこ」。次は「月のうさぎ」の表現の練り上げ。そして「うたにつばさがあれば」全曲と「白いうた青いうた」。
    どのような練習をしたかについて、ここに記す必要がないことをメンバーに感謝します。なぜ記す必要がないかと言うと、ほぼフルメンバーであったからです。
    記録として書いておきます。「くも」の中のメロディー「くもがきれいだから」は2種類あります。レシソ♯ファミーソ♯ファーミーレー」を元にしたハーモニーとアルトパートに記されている「ドラドソ♯ファーミ♯ファーレーシー」です。前者は「お母さん見て見て。積もった雪みたい」「お母さん見て見て。霧が上がっていくみたい」「お母さん見て見て。誰かが絵を描いたみたい」という発見の喜び。ワクワク感。元気よく明るく、ウワーっと高らかに歌い上げましょう。
    2番に入って再びレシソを元にしたハーモニーが響きます。Dの3小節目です。ここでは次に「お母さん見て見て。虹が膨らんでいくみたい」とか「花が開いていくみたい」とかいう発見を伝えようとしたのでしょう。その瞬間、見えてしまったのです。おばあちゃんの笑顔が雲になって自分を見つめていることが…。その瞬間にドラドで始まる二つ目のメロディーが歌われる。
    この構成、まさに天才的な曲作りと言えましょう。あるべき音が全て配置され、不必要な音が1音たりとも無い、シンプルの上にもシンプルに磨き上げられた究極の歌曲と言い切れます。
    どんな声で歌いますか?メンバーの感性の膨らみと集中力に期待します。
    3日(日)。メンバーに「湯山先生不在」と連絡した後、しかし予定通りに「イルカの翼」全曲を通し、「くも」を含めたアンコール3曲を確認し、「月のうさぎ」を確認したところで午前の練習を終了。
    午後は大須太鼓保存会のメンバーを迎えて「ちょうちん囃し」を完璧に仕上げ、返す刀で「海と祭りと花の歌」を全て歌い上げ、楽譜を見ないで再度全曲を歌いました。
    その後は「白いうた青いうた」と「鳥が」を歌い上げ、最後の15分で「うたにつばさがあれば」を全曲通しました。
    この2日間でプログラムにある全ての曲を1~2回さらうことができました。さらっただけではなく、かなりハイレベルな表現を要求しました。まるで宿泊のない合宿のような2日間でした。湯山先生が不在というメンバーの「ガッカリ」を、湯山先生が不在であったからこそ「満足」と「自信」につなげることができたのではないか、災い転じて福と成すことができたのではないか…と自負しています。
    しかし、この自負は「嶋田先生の手柄」ではありません。集まってくれた「メンバーの手柄」です。フルメンバーが集まると素晴らしい美しさのハーモニーを響かせることができることを証明できました。それは2日間にわたって合計8時間30分にわたる強烈練習に耐えて歌い上げてくれたメンバーが証明したのです。
    それは湯山先生の快復を祈るメンバーの魂の響きであったと言えます。湯山先生には電話で報告しておきます。みなさん、ありがとう。
    2日間の練習で一人一人にどんな不安が残ったのか、それを嶋田先生が知る術(すべ)はありません。ちょっと楽譜を見るなり、CDを聴き直すなり、各々の鋭意努力に期待します。
    次回9日(土)は奥様が「私が夫を連れていきます」と言ってくださいました。午前は音楽プラザ中リハ、午後は5階の合奏場(名フィルの練習場所)で湯山先生をお迎えします。みなさん、力を貸してくださいね。

  • 太鼓問題は最善の解決

    【10月29日(火)】
    報告です。
    父母会の玉置さん、品川さんの献身的な努力と、大須太鼓保存会の絶大なる協力の結果、太鼓問題が解決に至りました。大感謝です。
    大須太鼓保存会の皆さんから「長胴太鼓が使えないなら代わりに桶胴太鼓を使えないか」という提案を受け、すぐに玉置さんにお願いをしてウイルあいちに伝えていただきました。その結果、桶胴太鼓の使用許可が下りたというわけです。
    その間、嶋田先生は学校の音楽室で、大太鼓・小太鼓・平太鼓・ボンゴ・コンガ・キッズパーカッションなどの太鼓類を様々な打ち方で試し、絶望的な気持ちになっていました。どのように打っても長胴は長胴であり、大太鼓は大太鼓なのです。その中で、辛うじてコンガ(南アメリカのラテン楽器です)が使えるか…という結論を出していました。その矢先に「桶胴ではどうか」という提案メールを受け取ったのです。
    もちろん桶胴は桶胴であって長胴ではありません。しかし日本の和太鼓の仲間であり、音色は近いものがあります。客席から見ても、視覚的にチャンチキ(日本)と締太鼓(日本)とコンガ(ラテン)が並ぶのはアホの極みです。それがチャンチキ・締太鼓・桶胴と並ぶのは自然この上もない。見た目にも、音色的にも最高です。
    本当に大感謝。ありがたいことです。
    合唱団「空」は、素晴らしい仲間を得ました。父母会の尽力も特筆すべきものです。
    良い演奏会にしましょう。みなさん、力を貸してくださいね。

  • 「月のうさぎ」の表現と和太鼓事件

    【令和元年10月19日(土)】
    全国に大きな災害をもたらした台風19号の影響で練習を中止せざるを得なかった「空」です。ために全員が2週間ぶりの練習となり、しかも演奏会まで3週間ということを考えると、今日は何が何でも全曲を通しておきたいと思いました。それ以上に、これまで指示していなかった最終的な表現についてもアプローチする必要があり、先生の中での優先順位は後者が優先でした。だから結論を記せば、第1ステージと第2ステージと「まためぐる春に」を歌うに止まりましたが、しかし素晴らしい練習ができて大満足だったことを報告しておきます。
    まずは「月のうさぎ」。冒頭のアルトの「むかし」は煙のようなボヤけた声で。「昔」という歌詞の意味を伝えるのはソプラノとメゾソプラノに任せて、物語の展開を予感させる不安感を出しましょう。
    「狐と猿と兎とは…」は全てのパートが明るい声で。「それぞれ食べ物探しに出かけた」は自由なブレスを使って合唱団全体がノンブレスで歌っているように。
    「焚火の中に身を投げて…」は全身全霊のフォルティシモで。思い切り暗い声でのフォルティシモです。
    このような指示を的確に実現してくれるメンバーに感謝です。そして、とっておきの表現に言及します。
    「兎の優しい心を愛でて 月の世界へ送りました」は全力フォルテの上の全力フォルテで。体中の心と力を最高に振り絞った強い声のフォルティシモが必要です。それを何度も練習しました。なかなか熱のこもったフォルティシモが出るではありませんか。「行けるかな」という先生の不安が「行けるかも」という希望に変わります。で、お願いをしました。
    「月と良寛」つまり「月のうさぎ」が作曲されて59年、まさに日本中で歌い尽くされてきた名曲です。以前にも書きましたが、大中先生が指揮をされている演奏を含めて、嶋田先生が聴いた「月のうさぎ」は録音も含めれば20を超えます。その全ての演奏が「月の世界へ送りました」は全力フォルテなのです。大中先生が記した表現記号もfです。「月のうさぎ」という曲は、この部分をどのようなフォルテにするのかが眼目となっていて、「月のうさぎ」を知っているお客様は当然そこに興味を持って聴いてくださるはずです。
    しかし嶋田先生は違和感を覚えます。たしかに「焚火の中に身を投げて…」は熱く燃えさかる声、火の粉が舞い上がるような真っ赤な声で歌うフォルテになります。一方「月の世界へ…」は群青色(ぐんじょういろ)の空に白く輝く月へと兎の魂が昇っていく、いわば青い声、凍り付くような冷たい表現、青く冷たく凍り付いたようなフォルテ。つまり肉体のフォルティシモではなく精神のフォルティシモです。これは昨日や今日、思いついた表現ではなく、平成8年の愛知県合唱連盟合唱祭で「空」を指揮して以来23年間温め続けていた表現です。
    この表現を実現するためには、心も体も「焚火の中に…」と同じレベルの燃え上がる全力ポジションを保っておいて、なおかつキーンと張り詰めたファルセット(裏声)にする必要がある。音量計という機械で測れば小さい音になります。ですがその小さい声は限りなく緊張したフォルティシモなんです。
    フォルテとかピアノとかいう表現記号は「音や声の強さや弱さ」なんです。6年生の教科書に書いてあるとおりです。つまり「音や声の大きさや小ささ」ではない。「月のうさぎ」の「月の世界へ…」の部分は限りなく強くした声が限りなく小さい声で表現されるべきです。
    正直、できるだろうか…と思っていました。ですが、かなり上手い。驚きました。「行けるかな」と思っていた不安が「行けるかも」という希望に変わりました。むろん全員での共通理解ではないので不安は残ります。何しろ59年間、作曲者も含めて誰もやったことのない表現です。このノートを読んでくれた欠席者は、ぜひともイメージを膨らませておいてくださいね。

    「うたにつばさがあれば」も細かく練習しました。「白いうた青いうた」も細かく練習しましたが、「月のうさぎ」ほど詳しく記す必要はありません。みんな、手慣れた表現で、かなりのレベルです。今日集まったメンバーはイメージに関する反応が鋭く、詩の世界を十分に膨らませて歌おうとしてくれました。感謝です。
    一点だけ具体例をあげておきます。たとえば「薔薇のゆくえ」ですが、これは「バラの花」をイメージしていてはダメだということを言いました。「薔薇」とは「自分」「私」という意味であり、そうイメージしてくださいと。「運命(さだめ)知り」とは「自分の命は永遠ではない、自分は必ず死ぬという運命を知って」という意味です。つまり最初の部分は「私は、必ず死ぬという自分の運命を知って、お母さんと人生を歩み出した」という意味になります。以下は敢えて書きませんから、あなたの感性を振り絞ってイメージを膨らませてみてくださいね。
    以後の予定を公表しておきます。よろしくお願いいたします。
    来週26日(土) 今日できなかった「イルカの翼」と「海と祭りと花の歌」
    再来週11月2日(土) 「月のうさぎ」と「うたにつばさがあれば」と「白いうた青いうた」最終
    11月3日(日) 湯山先生をお迎えして「イルカの翼」と「海と祭りと花の歌」
    11月9日(土) 湯山先生をお迎えして全曲
    11月10日(日) 本番

    午後、ウィルあいちで演奏会の打ち合わせがありました。そこで大変なことが分かりました。
    ウィルホールは和太鼓禁止なのだそうです。和太鼓は、大太鼓や小太鼓やティンパニと違って独特の空気振動を持っており、だからかどうかは知りませんが使用規定に「和太鼓禁止」と明文化されているそうです。
    下の4F会議室に響く可能性があるとのこと。「その会議室の使用者を教えろ。15時ごろの3分間だけ5階のホールで鳴らして良いか独自に交渉する」と食い下がりましたが、会議室は珠算(ソロバン)の検定試験に使うとのこと。ちょっと無理ですね。
    それで急遽、大太鼓と小太鼓とチャンチキを使用する許可を申請しておいてもらいました。大太鼓と小太鼓は思い切り皮を張って締め上げて裏に雑巾をかませ、マレット(頭がフワフワしたバチ)ではなく、スティック(木の棒)で叩けば、似て非なるものではありますが似た音を出すことは可能です。チャンチキは使用OKです。
    帰宅後すぐに湯山先生に電話をし、和太鼓使用不可を報告し、代案を相談しました。結果は締め上げた大太鼓と小太鼓でOKです。
    あとは大須太鼓保存会の皆さんが「大太鼓と小太鼓でOK」と言ってくださるかどうかです。引き受けてくださることを祈っています。また、大太鼓と小太鼓の調達に頭を悩ませますが、みなさま知恵を貸してください。

  • 演奏会プログラム原稿

    演奏会を始めるにあたって

    皆様方のご来場をいただき、合唱団「空」の23回目となる定期演奏会を開催することができますことを、心から幸せに思い、そして感謝を捧げたく思います。
    今年も、音楽監督であり、今や日本の音楽界において並ぶべくもない大作曲家、湯山昭先生をお迎えすることができました。作曲者ご自身の指揮・指導によって今回歌い上げるのは童謡曲集「イルカの翼」と合唱組曲「海と祭りと花の歌」です。
    「イルカの翼」は皆様もきっとご存じの懐かしい童謡メロディーがあるはずです。
    そして「海と祭りと花の歌」は湯山先生の生まれ故郷・神奈川を歌った風光明媚な曲の数々です。
    作曲者ご自身の指揮によって紡ぎ出される音楽は、他の誰にも及ぶことができない究極の表現でありましょう。
    エジソンが録音を発明して以来、ラフマニノフ、サラサーテ、Rシュトラウス、ホルスト、ストラヴィンスキー、ハチャトゥリアン、山田耕筰、宮城道雄、髙田三郎、大中恩など自作自演の録音を残した作曲家は多く、それらの録音は私たちに音楽を聴く至高の喜びをもたらしてくれます。
    湯山昭先生が合唱団「空」の子どもたちを指揮してくださる自作自演の定期演奏会は今回で12回目となります。録音ではない、生の演奏で、作曲者ご自身の表現を味わいたいと思います。
    湯山先生と同様に、合唱団「空」をとても愛してくださった大中恩先生が、昨年12月に天に帰られました。今回の第1ステージは大中先生への感謝を込めて、団歌ともなっている「うたにつばさがあれば」を捧げたいと思います。
    心を込めて歌います。どうぞお聴きください。

    合唱団「空」

    【第1ステージ】
    大中恩先生へ
    先生が天国に旅立たれて早1年が過ぎようとしています。
    あの日…12月8日。先生のご葬儀の当日に、合唱団「空」は星が丘テラスでのクリスマスコンサートの本番で「うたにつばさがあれば」を歌っていました。先生が見ておられるような気がして、歌いながら振り仰いだ空には真っ赤な夕焼けの中に1番星が輝いていました。
    あれはお別れだったのでしょうか。いいえ、あの星の輝きは、先生と「空」の子どもたちとの新たな絆の始まりでした。
    4月にはスプリングコンサートで「うたにつばさがあれば」全曲を歌いました。
    そして今日、第23回定期演奏会でも歌います。女声合唱の名曲「月のうさぎ」とともに…。
    合唱団「空」は第1回、第4回、第8回と3度の定期演奏会で大中先生からご指導をいただきました。いずれもプログラムにも、合唱組曲「うたにつばさがあれば」指揮・大中恩 とありました。優しくて情熱的な指揮が忘れられません。
    歳月の流れの中で、先生から直接のご指導を受けたメンバーは少なくなりました。
    でも、直接のご指導を知らなくとも、合唱団「空」の子どもたちには先生の息吹が脈々と受け継がれています。
    今日、また先生と出会えます。「空」は元気に歌います。先生、楽しみにしていてくださいね。

    【第2ステージ】
    「白いうた青いうた」燃え拡がる炎
    実はこのステージは2010年、新実徳英先生をお招きした第14回定期演奏会の第3ステージをほぼ再現したものです。
    今はサポーターとして協力してくれている当時のメンバーが「就職して(あるいは母になって)「空」に携わることができなくなる前に、もう一度歌いたい」と私に懇願してくるのでした。少年少女合唱団が数多(あまた)ある中で、指導者にこのような願いをぶつけてくるメンバーは他にいないと思います(笑。その懇願をホイホイ受け入れてしまう指導者は、もっと珍しい)。
    53曲ある「白いうた青いうた」の中から選んだ曲は、次のような考えに基づいたものでした。
    ○平和について 「南海譜」「八月の手紙」
    ○友情について 「ライオンとお茶を」「ちいさな法螺」
    ○命について  「薔薇のゆくえ」「あしたうまれる」
    いずれも新実先生が先にメロディーを作曲し、詩人があとから作詩するという方法で生まれた曲です。
    「鳥が」は合唱組曲「やさしい魚」の中の1曲です。
    白状しますと、「白いうた青いうた」も「やさしい魚」も2000年に嶋田先生が東海メールクワイアーで歌った曲です。つまり指導者が歌って指揮して燃える曲なのでした。火の粉が燃え移ったメンバーの懇願によるこのステージが、さらに現役のメンバーにも炎となって燃え拡がるのでしょうか。

    【第3ステージ】
    湯山先生の童謡曲集
    「お菓子の世界」「こどもの国」と言えばピアノを習ったことのある子なら「あぁ、知ってるよ」と言う子が多いでしょう。最新作「音の星座」はステキなピアノ曲集です。出版される前の「音の星座」の手書き楽譜を久我山のご自宅で見せていただいたのは嶋田の楽しい思い出です。
    ヴァイオリンをはじめ様々な器楽曲にも名曲が多い湯山先生ですが、そのライフワークから童謡を外すわけにはいきません。「おはなしゆびさん」「あめふりくまのこ」「おはながわらった」「山のワルツ」など、作曲されて40年から50年の時を経てもなお今日まで歌い継がれている多くの童謡があります。
    その数々の童謡から厳選されて編まれたのが2冊の童謡曲集「ねむれないおおかみ」と「イルカの翼」です。その中の「ヨット」は嶋田が小学4年生の時に教科書で習った歌であり、「夕やけのうた」は まど・みちお(「ぞうさん」の作詞者)の傑作です。「ああ いまのぼる この夕日」とは日本で沈む夕日が地球の裏側では朝日であるという壮大なロマンであり、湯山先生のメロディーとハーモニーが詩の世界をさらに鮮やかに膨らませている文字通りの傑作、童謡中の童謡であると言えましょう。
    鈴木三重吉から始まる「童謡は世界に誇る日本の文化である」と湯山先生は常々語っておられます。その先駆者に20年間、12回に及ぶ指導を受ける幸せを得た合唱団として、「ねむれないおおかみ」と「イルカの翼」の2つの曲集は常に座右の銘として温めていきたいと願い、今ここに誓いたいと思います。

    【第4ステージ】
    「海と祭りと花の歌」私の運命を変えた日、運命を変えた曲
    私事になりますが教員1年目の昭和59年2月、神奈川県大磯町立大磯小学校を訪ねた私は大塚正夫・福井靖史両先生の授業を参観しました。授業後、同校の合唱部が歌う「雪はりんりん」を聴いた私は全身が総毛立ち、「小学生も指導次第でここまで高まるものなのか」と衝撃を受けました。その歌声こそが同年のTBSコンクールで日本一となり文部大臣奨励賞を受賞したものだったのです。「子どもの力を伸ばすことのできる教師になりたい」と心の底から願い、決意した私にとって、その歌声と音楽は「私の運命を変えた」と言い切れます。教員生活の前半は大塚・福井両先生の授業を参観し続け、その後半はその歌声の作曲者を追いかけ続けました。
    その作曲者とは誰あろう湯山昭先生だったのです。
    湯山先生の合唱曲は、間違いなく「歌う子どもの表現力を伸ばす」要素を持っています。その秘密というか鍵がどこにあるのか明言することはできないのですが、絶対に何かがあります。歌って楽しい、美しくハモる、リズムに乗って歌える…そのどれもが正解なのですが、それ以上の何かが隠されています。
    私の運命を変えてくれた日から30数年の時を経て、私はついに作曲者自身が指揮をする「雪はりんりん」に辿り着きました。合唱団「空」のメンバーの力を借りて、「海と祭りと花の歌」全曲を聴くことができるのです。本当に感謝の思いでいっぱいです。メンバーはイヤがるかも知れませんが、この曲ばかりは私も、子どもに立ち返って歌いたいと思います。歌わずにはいられない…それが正直な気持ちです。
    湯山先生の生まれ故郷・神奈川を歌い上げたこの曲は、小田原少年少女合唱隊の委嘱によるもので、20に及ぶ湯山先生の児童合唱組曲の10番目にあたる作品です。