SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


詩を読むということ 「なぎさ道」

【令和3年5月22日(土)】
うれしいことに今日も見学の子を迎えることができました。
ただ見ているだけ、聴いているだけではツマラナイので、メンバーの中に入っていっしょに歌ってもらいました。けっこうガンバって歌ってくれているようで安心しました。来週もまた来てくれるといいなぁ…と心の底から思います。よろしくね!

さて「空」の中で初めて歌う子でもスグに歌えて、しかもベテランメンバーにとっても役立つ(そしてある程度ムズカシイ)練習から始めました。先週のソラノートに書いた「しょじょじとかたつむり」の続きです。
この練習の目的は、AとBの二つのメロディーが頭の中で同時に鳴っているようにする。そういう「力」を身に付けるということです。合唱が好きな人がなぜ合唱ができるのかというと、その人が自覚しているか自覚していないかは知りませんが、ようするに二つのメロディーが頭の中で鳴るという「力」が身に付いているから合唱ができるのです。
逆に言うと、その「力」の無い人には合唱ができないことになります。
そう、できないのです。
仲間で集まっていっしょに声を出して歌っているかもしれませんが、それはただ声を出しているだけで、相手のパートとどのようなハーモニーになっているかまで楽しんでいない。写真に撮ったら「合唱をしている」ように見えるかもしれませんが、そのような音や声は合唱ではありません。

「しょじょじとかたつむり」のトレーニング方法については先週のソラノートを参照してください。これは実は嶋田先生のオリジナルではありません。ちゃぁんと楽譜が出版されています。その楽譜を配って見てもらいました。
その名も「原点をさぐる 合唱のエチュード」(教育芸術社)という本で、編・著者(本を作った人)は小林光雄という人です。30年くらい前に手に入れて以来、合唱部でも合唱団「空」でもずいぶん使わせてもらいました。

よっぽど先週書いた【レベル3】をやってみようかなぁと思いましたが、やめました。
レベル3は面白すぎるからです。って言うか、頭の中でAB二つのメロディーを鳴らせるように…という本来の目的を飛び越えて、最後まで止まらずに歌えるかというゲーム的なスリルの方が強くなってしまうからです。
レベル3はクリスマス会や忘年会などでの出し物に使うべきもので、もしも完璧に歌えるペアがいたらテレビに出たって受ける「ワザ」になることでしょう。

今日の練習の最大のポイントは「ぼくは雲雀」の練習でした。楽譜を見てくれれば分かりますが「ぼくは雲雀」の2番はメロディーとサブメロディーが入れかわり立ちかわり混ざっています。どのパートもそうです。つまり「しょじょじとかたつむり」が歌える「力」がなければ「ぼくは雲雀」の練習をいくらやったってザルや底のないコップで水を汲むような話にしかなりません。
その意味で今日、「ぼくは雲雀」の楽譜を初めて見た子でも何とかソコソコ歌えたのは「しょじょじとかたつむり」のおかげです。
基本は大切…ってことですねぇ。

「ぼくは雲雀」の前に「なぎさ道」を歌いました。これはベテランメンバーを含めて全員が初めて歌う楽譜です。
気付いている子がいるかと思いますが、「なぎさ道」は2種類あります。
曲集「ぼくは雲雀」の中の「なぎさ道」 と
曲集「われもこう」の中の「なぎさ道」 です。
ベテランメンバーが少し知っているのは曲集「ぼくは雲雀」の「なぎさ道」で、今日歌ったのは曲集「われもこう」の中の「なぎさ道」でした。
すごくステキなメロディーなので、メロディーを歌うことはスグにできるようになりました。でもサブメロディーは初めてということもあって時間をかけて丁寧に進めました。だから1番(P20~22)まででハーモニーを作るのが精一杯でした。ごめんなさいね。

「なぎさ道」は深い詩なので、早めに提示しておきます。詩の世界がみんなの中で発酵する(本当の共感になる)ためには少し時間がかかる詩だと思うからです。

ぬれたわけ おしえましょ
うすい虹が消えるとき
通り雨 あびたのよ
髪が燃えているわ
古いうたのふしで
手さげ籠にあたる
しずくを受けながら
なぎさ道あるいた
声をあげ ゆれてたの
わすれなぐさの青

う~ん、これは完璧に少女の歌ですねぇ。少女の初恋が儚く(はかなく)消えていった情景です。
「ぬれたわけ」とは身体が濡れたのではなく、少女が「泣いたわけ」という意味です。
「うすい虹が」とは「あなたが」ということで、「通り雨」とは「少女の目からあふれた涙」です。
「髪が燃える」とは「髪が(涙で)濡れる」という意味。
ゆえにこうなります。

泣いたわけ おしえてあげるわ
あなたがいなくなってしまうとき
急に涙があふれてきたの
涙で髪が濡れるほどに

「古いうた」とは「あの時あなたといっしょに歌ったうた」です。「わすれなぐさ」の花言葉は「真実の愛」「私を忘れないで」という意味ですから

あの時あなたと歌ったメロディーで
手さげ籠に涙の音を立てている
その涙のしずくを受けながら
私は一人ぼっちでなぎさ道を歩いたの
声をあげて 心がゆれているのよ
「私を忘れないで」という気持ちが…

うおぉおー。ロマンティックな少女の心だぁ。嶋田先生には分からん世界だぜぇ。
と以前にソラノートにも書いたような気がします。しかし、その後に読み深めているうちに、ひょっとしたらこの詩は「平和への祈り」ではないか…と思い始めています。
「うすい虹」という言葉を「平和」と読んでみてください。
「通り雨」とは「いきなり飛んできた爆弾」で
「古いうた」とは「故郷に伝わる平和を求める歌」。
そうなると、この詩は以下のように読めます。

泣いたわけを おしえてあげるわ
あなたが戦死し、平和が消えてしまったから
人々も町も爆弾をあびて
娘の髪も身体も焼き尽くしてしまったから
平和を伝える昔の歌のメロディーで
手さげ籠だけが歌っている
その(手さげ籠の)涙を受けて
私は平和を求めて歩き続ける
人々の声がゆらめくのが聞こえるわ
真実の愛って何?という問い掛け(青)が聞こえるわ

うぅ。胸がふさがるような悲しい世界です。
しかし小学生でも知っています。今この瞬間も、世界のどこかで、町が焼かれ爆弾の雨が降っていることを。
そのニュースを「自分には関係ない」と思っていて良いのだろうか。

先生には、何一つできることはないのですけれども…
みんなも考えてみてください。
アインシュタインは言っています。
「考えろ 考えることが始まりだ」

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