SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


「さくら」の新しい表現を思いついた

【2月17日(土)】
今日は先週に引き続いて「文部省唱歌集」から入りました。湯山先生の「向日葵の歌」や「ねむれないおおかみ」にも取り組みたいのですが、まずは目先の4月21日に向けて準備を整えます。
「春の小川」や「ふじさん」「とんび」では階名読みで歌いました。ただ「ドレミファ」でカタカナを歌うのではなく、「ミ」と「ラ」との関係、「ソ」と「ド」の関係など、音と音との幅(距離)を体感するんだ…と目標を伝えました。
この音と音との幅は、「ド」を基準に考えても「ド♯」「レ」「レ♯」「ミ」「ファ」「ファ♯」「ソ」「ソ♯」「ラ」「ラ♯」「シ」の11通りあって、「レ」を基準に考えても「ミ」を基準に考えてもそれぞれ11通りあります。
基準になる音は「ド」「ド♯」「レ」「レ♯」「ミ」「ファ」「ファ♯」「ソ」「ソ♯」「ラ」「ラ♯」「シ」の12音ありますから、12×11で132通りの「音の幅」の組み合わせがあるわけです。その一つ一つに説明をして練習していたら、たぶん史上最大の「合唱嫌い」と「音楽嫌い」の子が誕生することでしょう。
132通りの「音の組み合わせ」を練習するなどバカげています。そんなバカげた練習をするよりも、「春の小川」「ふじさん」「とんび」を階名読みする時に、その意味を分かって取り組むことができれば十分です。繰り返しますが、音高を意識することなく「ドレミファ」のカタカナだけを読んで歌っている子がいたとしたら、その子は永遠に進歩しませんけれども…。
「さくら」はテンポが遅いのでメンバーはイヤになっているかもしれません。元気よくリズムに乗って生き生きと歌うことだけが少年少女合唱の意義であるのなら、スローテンポの「さくら」を作ろうとする方法論は間違っています。しかし嶋田先生としては、いつもメンバーに本質を経験してほしい。浪曲にしても歌舞伎にしても狂言にしても、日本の謡曲というものは一定したテンポや弾むリズムの音楽ではないのです。日本古謡とある「さくら」に取り組む時、4年生の授業で指導するような方法論ではなく、それとは次元の違う「さくら」を表現してほしい。そもそも4年生の授業で展開されている表現と同じレベルにするのならば、合唱団「空」で歌う必要はない。授業で歌っていればそれでOKです。
聞かせてあげても良いのですが、嶋田先生は浪曲の「森の石松船中の巻」なら20分かかりますが全部歌えます。廣澤寅蔵の歌唱を繰り返し聞いて全部覚えたのは中学生の頃です。
閑話休題。
今日の練習を終わって「本番でやってみようかな」と思ったのは「さくら」の1番(教科書をそのまま歌う時)の終結部「はなざかり」を、わざとズラして歌うという方法です。一人一人が自由に好きなテンポで「はなざかり」と歌ったら、ミとファとシとラの音がぶつかり合い、それはそれは美しい日本和音を作ることができます。ミファラシという和音は雅楽の基本となる音です。やってみる価値はあると思います。そう嶋田先生に思わせてくれたのは、ほかならぬ今日のメンバーの歌いっぷりでありまして、その意味では貴重な練習ができたと思います。
「こいのぼり」「スキーの歌」「われは海の子」は元気よく歌ってほしいです。まだまだ音楽が自分の手の内に入っていません。手の内に入っている…というのは、楽譜も伴奏も何もいで、自分だけでガンガン歌える状態のことです。楽譜を見て、そこに書いてある音程と歌詞を一生懸命に確認しながら歌っているので(それはそれで非常に良いことなのですが)、音楽にパワーがなく、つまりは躍動感も生命力も感じません。はやく覚えてくださいね。
ちなみに「空」は伝統的にパワフルな音楽よりもリリックな(抒情的な)美しい音楽が得意で、特に「われは海の子」などは苦手な部類に入ります。しかし、苦手を克服するための良いチャンスです。

休憩の後は「新・愛唱曲集」の「世界の約束」や「マイバラード」ですが、こちらの方はかなり手の内に入っていて良い状態です。一人一人が楽譜の音楽ではなく、自分の心からの共感で歌える音楽にしたいですね。どういうことかと言うと、1年生の教室でケンカが起こった後の「ごめんねゴッコ」ではダメだということです。
「ごめんねゴッコ」とは何か。ケンカを止めた担任の先生が「謝りなさい」と命令する。やった子は形式的に「ごめんね」と言う。やられた子も形式的に「うん、いいよ」と言う。用意された形式的なセリフが展開されて仲良くなったフリをする。これが「ごめんねゴッコ」です。嶋田先生は1年生の担任を2回、2年生の担任は3回やりましたが、「ごめんねゴッコ」をさせたことは一度もありません。では、どう指導したのかは、合唱とは関係ありませんので詳細は記述しませんが、とにかく嶋田先生は形だけ整った「心の共鳴のない言葉」がキライで、これを教室でも排除してきました。
「大空を見上げてごらん」と言える人は、大空の空の青さの美しさを本当に実感している人だけです。「心燃える歌がきっと君のもとへ煌めけ」と言う資格がある人は、本当にそのような歌を友達に向かって歌える人だけです。
何て言うのかなぁ、歌う人の魂が共感していない…そんな状態の歌は音楽ではありません。
今日のメンバーの表現が「魂が共感していない」と言うつもりはありません。かなり手の内に入った共感を感じました。感じましたが、まだ100%ではない。
「新・愛唱曲集」については歌詞の説明は不要だと思います。嶋田先生よりもみんなの方がよほど音楽の背景を理解している曲もある。実際に、非常に直感的で説明不要の歌詞が並んでいます。だから、お願いです。楽譜を見て、そこに書いてある「ひらがな」を歌うのではなく、自分の心で読み取り、自分の魂で感じたものをもっと出してほしい。「新・愛唱曲集」に関する限り、それは決してムズカシイことではないはずです。

受験生たちの取り組みは今が佳境です。心から健闘を祈っています。「空」で培った集中力が役にたってくれますように。がんばってくださいね。

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