SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


ミスをしなくちゃ進歩しない

先週は学校の運動会で練習に行けませんでしたから、嶋田先生にとっては2週間ぶりの練習になります。本当に楽しみにしていました。ですが、「楽しいな」「うれしいな」などとノンキなことばかり言ってはいられません。来週の10日(土)は愛知県合唱連盟合唱祭の本番だからです。そして 今年はブロックの最後の出番となり、合唱団「空」と先生とで「夜の歌」の合同演奏を進めなくてはならないからです。
「夜の歌」の楽譜は先週配布して、嶋田先生がいない間に少し練習を進めてあるはずで、さっそく歌ってもらいました。メロディーを歌うと音は完璧に取れています。しかも声がよく出ている。自分の耳がおかしくなったのかな…と何度も思いました。先生がそう感じるほど声が生きていて、よく響いていました。
「夜の歌」のポイントは二つあります。
第一は、「くらい地球にあかりがともる」が「くらあい地球にあかりがともおる」と聞こえないように歌うということです。「くらい」という言葉は平仮名が3つですが、動きのある音符が4つ配置されています。音に動きがあるので「くらーい」と歌っているつもりでも「くらあい」と聞こえてしまうのです。次の「ちきゅうに」「あかりが」は平仮名4つに対して音符も4つですから問題はありません。
このような部分は「くらい」「ともる」「なかま」「きりが」「のぼる」の5か所あり、それぞれ「くらあい」「ともおる」「なかあま」「きりいが」「のぼおる」と聞こえてしまいますから、そうならないように歌う必要があります。
湯山先生はこのような問題にとても注意を払っておられます。「雉」や「鮎の歌」を頭の中で歌ってみてください。「あけびー」「もみじー」「こだまー」あるいは「うたうー」「よあーけのー」「うたをー」など国語で言う長音(伸ばす音。記号は「ー」です)に対して、音が動く(ドからレになったりレからドになったりする)部分は、ただの一か所もありません。
その湯山音楽に慣れているせいか、この問題はあっという間にクリアできました。やはり、積み上げた基礎基本の力は大きなものがあります。
第二のポイントは、歌詞に対するイメージです。阪田寛夫先生は芥川賞の受賞者で「サッちゃん」の作詞者です。その阪田先生の名詞「夜の歌」は、読み手に自由な想像を膨らませる大きな許容範囲を持っており、早い話が10000人が読めば10000通りのイメージが膨らむことを可能とする大きな世界を作っています。
ですがそれは、「絶望的な暗闇の地球に地獄の業火が灯る」などというイメージをOKという意味ではありません。だから、ある程度の方向性を示しました。
リフレインの「夜」を「私」と読み、「おやすみ」を「ありがとう」という意味だと思って歌ってみてください。
すると、「一人ぼっちじゃなかった私」「今日の一日に感謝します」「ありがとう私の仲間たち」というイメージが膨らみます。
同じように「くらい」は「ちょっとツラいことがあった」と読み、「地球に」は「私の家に」「私の家族に」「私の仲間に」と読んでみましょう。
ここまで感じることができたら、その先にはみなさん自身の世界が広がるはずです。そのような「世界」は歌う人が全く同じものに統一する必要はなく、家族のことを思っていたり、学校の友達や部活の仲間のことを思っていたりしても良いわけです。このような大きな許容範囲を持ち、しかも「人間の心の温もり」や「仲間の大切さ」という根本に対しては全員が同じイメージを持つという巨大な世界。たった86文字でこんな世界を作る阪田寛夫先生はやっぱり天才だ。「ドミソの歌」の作詞者です。

「空と樹海と湖と」は1番を全員に一人で歌ってもらいました。声を前によく響かせるようにするためです。小学生は小学生なりに、高校生は高校生なりに、それぞれ進歩しています。以前にも書きましたが、小学生が高校生に勝つ必要はありません。戦う相手は自分自身です。昨日までの自分よりも今日の自分の方がちょっとレベルアップしている…。ここが大切です。

そして各パート1人ずつの合計3人で歌いました。自分の力だけを頼りに自立して歌う力をアップさせるためです。メンバーの組み合わせによりますが、非常に透明感のあるハーモニーを作ることができるようになってきています。

非常に感心したことは、メンバーの中に「失敗した」「ミスをしてしまった」と言って落ち込んでいる子がいる…という話を音楽プラザの外で聞いたことです。どこの部分でどのようなミスがあったかは分かりませんが、フォローする言葉をかけることができなかったのは嶋田先生の責任です。ごめんなさい。

しかしこの話、何が感心できるかというと、その子は「自分のミスに自分で気付くことができる耳を持っている」ということです。これは非常に大切な力で、自分が何をミスしたか分からない人は大人だろうが子供だろうが進歩することはありません。

この日に集まったメンバーは小学生から大学生まで多種多様です。嶋田先生の耳を基準にすれば、高校生も大学生もいっぱいミスをしていました。しかし嶋田先生は、そのミスを指摘して直すという方法をほとんど取りません。

みなさんの練習の様子を(あるいは本番の様子を)ビデオに撮って、ミスをした子の頭に☆がキラッと輝く特殊な装置を着けたとしましょう。そうすると、1曲歌う3~4分の中で、あっちでキラッ、こっちでキラッ、まるでクリスマスツリーのように☆がキラキラと点滅する美しい(?)映像が撮れるはずです(笑)。

合唱というスポーツは、誰かがミスをした時に、まわりがそのミスをどのようにカバーし合うか…というポイントで争うスポーツなんです。体育でのスポーツの場合、どちらの力が強かったかとかどちらが速かったとかがポイントとなることが多く、つまりは力の弱い方が負け、ミスをしたチームの負けというポイントで勝負がつきます。これに対して合唱というスポーツは、Aさんがミスをした時にBさんCさんDさんがカバーしている、Bさんがミスをした時にはAさんCさんDさんが上手く歌っている、全体としてミスをカバーし合って何10人かが固まりとなってガーっとゴールする、そういうスポーツです。手をつないで歩いていってみんなで仰ぐ…といった感じです。

もちろん全員の頭に同時に☆がキラッと輝いたら、そりゃあイケません。全員でゴロンとズッコケます。ですが一瞬だけアルトでキラッ、次の瞬間メゾソプラノの中にキラッ、そんなことは問題ではないのです。

嶋田先生の練習方法は、全体としてどういう音を響かせるか、チームとしてどのような表現になるか、その大枠を決めておいて、みんなで同じ方向を向いて走るという力を付ける方法論です。その中には速い子もいれば遅い子もいますけれども、向いている方向は全員が完全に一致している…、そこを大切にしています。

もちろん足の遅い子が少しでも速くなろうとすることは大切です。今日の出来事はまさにここで、自分が思うようなスピードで走れなかったことに気付いて悲しくなったということなのでしょう。自分の弱点を自覚し、自分が何に気を付ければ良いのかが分かることは、素晴らしいことです。だから、ここはみんなで努力しましょう。しかし人に勝つためではありません。10秒の子は9秒を目指す、12秒の子は11秒で走れるようにする、そういう努力は必要です。その努力はミスをして、転んで、ひざを擦りむいたり突き指をしたりして、初めて報われる時がきます。

練習という空間はお互いがミスをたくさん出し合って、お互いがカバーし合うことを学ぶ空間です。少なくとも合唱はそういうスポーツであり、合唱団「空」はそういうチームです。全員が同じ場所で同時にキラッとならないようにね(笑)。

来週は愛知県合唱連盟合唱祭。休団中の子も、この日だけは来てくれないかなあ…。午前中の練習で「カバーする練習」をしますから…。カバーし合ってくれる仲間は多いほど良いのです。なんだか「夜の歌」の世界みたいですね。

 

Comments are closed.