• 祝! 練習日記復活!!

    かつて、2008年3月から約1年にわたり、空ではその当時運用していたホームページで、嶋田先生が練習日記を書いてくださっていました。その分量を一目見て、内容を読んでいくとさらに、嶋田先生の情熱に頭が下がる思いです。

    そんな練習日記、このたびのホームページのリニューアルに伴い、復活していただけることになりました。お忙しいお時間を割いてのご執筆、ボランティアスタッフ・父兄一同、心より感謝申し上げます。ありがとうございます。

    過去の日記も、現役の子供たちに良いヒントになると思いますので、ここにアーカイブしました。お時間のある時にお読みください。

    WEB担当

  • 「本番では歌わない曲」への共感が「本番で歌う曲」の表現を豊かなものにする

    少し集まり具合が寂しかったので、いきなり「駿河のうた」は大変です。無理のない曲ということで、童謡を進めることにしました。

    童謡曲集は「ねむれないおおかみ」と「イルカの翼」の2冊があり、それぞれに12曲ずつ入っていますから合計24曲。この24曲を全てステージレベルまでもっていく必要はありませんが、仮に本番で7曲歌うとしても、その7曲しか知らない…というのでは寂しい。と言うか、そんなことではダメです。コンサートに現れるのは氷山の一角で、その氷山の沈んでいる部分が大切。ステージにかける曲の他にも、できるだけたくさんの曲を知っていてほしいし、その「本番では歌わない曲」に対する共感が「本番で歌う曲」の表現を豊かなものにするのだと確信しています。

    で、「コンコンクシャンのうた」をやってみます。あっと言う間に音取りは終わります。ものの5分とかからない。この「コンコンクシャンのうた」は、リス、ツル、ブタ、カバ、ゾウの5つの動物がそれぞれにマスクをするのですが、それぞれの動物にふさわしい5つの声と表現方法を獲得しないかぎり完成しません。これは音取りよりも難しいかもしれない。たとえば、まだ1度もやっていない「みかんの花はかおり」の音取りにかかる時間と、5つの声を表現できるようになるための時間と、どちらがかかるかというと、絶対に後者だと思う。嶋田先生は一生懸命にいろいろやってみました。みんなも一生懸命に声を工夫してくれました。この15分で、すごーくレベルは上がったと思う。でも、まだまだ足りません。「コンコンクシャンのうた」をステージにかけるレベルにするためには…。そういうレベルにするのが今日の目標ではなく、まずは「知る」というのが目標ですから、サッサと次に行きます。

    「ゆりがさいてる」は、とても叙情的な佳曲です。これも音取りはすぐに終わりますが、瞬間的に理解することが難しい歌詞もあり、表現は難しいです。この曲を練習するのなら、本気モードにならないとダメだということが練習していて分かったので、音が分かった段階で多くを語らず次へ行きます。でも、語らなかったことを一つだけ記しておきます。1行目の「ゆりがさいてる」は浴衣のユリの模様ではなく今年も庭に咲いた本当のユリで、そのユリを見て「去年のお母さんの浴衣姿を思い出した」わけで、そのお母さんは今、天国にいる…と考えたら、どんなイメージになりますか?

    次は「ヨット」。これは湯山先生の代表作のひとつ。湯山作品を歌うにあたって「知りませんでした」では済まない曲です。この曲は童謡には珍しく3部に分かれて、しかも一筋縄ではいかない和音構成があり、ある意味で大変な部分がありますが、一通りの音をすぐに掴んでしまう点はさすがです。本当に早かった。3月7日の一番の収穫は「ヨット」の音取りが終わってしまったことにあると言っても過言ではありません。

    童謡は3曲にしておきます。先週の続きで「空と樹海と湖と」の残りの部分に取り組みました。4声に分かれるハミングのハーモニー。音取りはホントに早い。これで、「空と樹海と湖と」も一通りつながりました。歌うだけでも7分かかるパワフルな曲ですから、1回通しておくだけにします。「ちゃっちゃちゃ畑」を歌い込んだ後、「春を歌おう」「さくら」「よみがえる光」の3曲を1回さらっておきました。

    5月6日の水芭蕉忌コンサートでは「春」というテーマで、この3曲を歌います。通常練習では、毎回1回ずつ通すだけにします。通常練習は湯山作品に集中したいからです。水芭蕉忌コンサートのための練習は5月5日(火)の午後1時から、音楽プラザで1回だけの集中練習をセットしました。できれば先回の演奏会で歌った元メンバーにも、「この日だけ」ということで参加してほしいです。なお、新入団員のメンバーのために、その子の都合が良い日に個人練習の場をセットしたいと思っていますが、こちらの方は嶋田先生にもう少し余裕ができるまで待ってください。参加するからには全力投球でいきたい。

    5月6日が合唱団「空」の総力を結集したものとなりますように、メンバーの奮起を期待します。

  • もしも毎回こんな練習ができたら、ものすごい合唱団になる!

    この日は驚異的な効率をもって練習が進みました。

    「25人くらいいれば、『空と樹海と湖と』を練習する予定で来ましたが、このくらいの人数なら『ちゃっちゃちゃ畑』の方が面白いでしょう」という嶋田先生の言葉で始まった練習は、まずは発声練習を含めてP25の「ちゃっちゃちゃ畑」オリジナルメロデイーを歌います。同じメロデイーが5番まであります。そして5番まで5回繰り返して歌えば、旋律の流れはつかむことができました。発声練習的には、もう少し力一杯声を出すと効果的なのですが、朝イチということも含めて、まあそれはいいでしょう。

    次に、P26からの本当の楽譜を見る。1番はオリジナルメロデイーそのままのユニゾンですからクリアです。終わりの部分で掛け声が入ります。これを、しっかりと声を出すことが難しい。なかなかできません。まあ、この掛け声がパッとできるわけがないとは思っていましたから、先生は少しもアセりません。が、この場面を救ってくれたのが日高君でした。「イヨッ」という掛け声を一発やるのですが、これがなかなかできません。日高君の数回の失敗(?)がメンバーの気分を和ませて、みんなの声が明るくなってきました。

    2番はハーモニーが出てきます。湯山先生の和音構成はとても自然なので、あっと言う間に2番のハーモニーを掴むことができました。そこで、今度は小笠原君の出番です。同じ「イヨッ」という掛け声なのですが、少し雰囲気を変えなければならない。ここは小笠原君のキャラが非常にふさわしく、かなりイメージどおりの掛け声です。これで、みんなの声がますます出るようになった。歌を歌うという作業は、メンバー全体を支配する「雰囲気」というものが、とても大切です。その雰囲気を作ってくれる男子に感謝です。

    3番は、なんと歌詞が違うだけで、ハーモニーは2番と全く同じ。だから注目は、掛け声に移ります。次なる登場は杉山君で、ちょっと恥じらいのある「ハッ」になりましたが、けっこう面白い。このあたりで、全員でやる「ちゃちゃ、ちゃちゃちゃ」という掛け声は大変に張りのある声になっていて、「男子が一人でがんばっているのに、私たちもガンバラなくっちゃ」という雰囲気が女子を支配していました。

    4番は、なんと上下2声に分かれての、オリジナルメロデイーの掛け合いです。ソプラノ側が歌い出した後、2小節遅れてアルト側が歌い出すという形。ですから音取りもクソもない世界で、あっと言う間に終わり。で、掛け声はというと、村井君の登場。彼の「イヨッ」も品が良すぎて、けっこう笑える(本当は、ゲゲゲの鬼太郎のような、ゲボっとした声がよいのですが)というか、たった一言の1秒で終わる掛け声に様々な個性が感じられて楽しかった。この4人、たまたまそういう順番でそこに座っていたものだから、このような目に遭った(?)のであって、本番で誰がどこを担当するかは当然のことながら今後の研究課題です。

    さて5番。4番と同じで主旋律のカノンです。ただ5番ではアルト側が2小節先行して、ソプラノ側が追いかける形。掛け声は…というと今までの4人が、4人全員で「イヨッ」「ハッ」っとやる。このあたりで、ほぼ鍵盤ハーモニカの補助がなくても正確なハーモニーが構築されていて、「ちゃっちゃちゃ畑」の音取りが完了。ここまでの所要時間はなんと45分!これは驚異的なスピードで、嶋田先生が予想し予定していた「今日のスケジュール」が終わってしまった。一瞬、迷いました。この後、「ちゃっちゃちゃ畑」の表現を練り上げていく作業をするか、それとも他の曲を取りあげるか、どちらがメンバーのプラスになり得となるか。瞬間の判断は、いけるところまで進行させる…という方向でした。

    「ちゃっちゃちゃ畑」は全員が初見なのだし、いかに音が分かったとは言え、まだまだヨチヨチ歩きです。プロじゃあるまいし、音を取ったことがすなわち自信をもって十全に歌いこなす…という話にはなりません。その段階で、あれこれ細かい要求を突きつけるよりは、みんなが「早く歌ってみたい」と思っているであろう曲を繰り広げてみることの方がプラスになると判断しました。しかし、休憩にはまだ早い。そこで「うなぎの子守唄」を復習してみます。「ちゃっちゃちゃ畑」から「うなぎの子守唄」につながる雰囲気を味わうためです。ところが、先週やっただけの「うなぎの子守唄」も、ほぼ完璧に音が入っていて、本当にビックリした。ただ歌うだけならば、「ちゃっちゃちゃ畑」と「うなぎの子守唄」はこれでOKと、この日の段階で言うことができます。

    休憩するにはまだ早い。見回すと、メンバーが26人に増えています。では、「空と樹海と湖と」をやりましょう…ということにしました。7分かかる長大な曲です。まずは中間部。「樹海の奥に人が死んでいる」から始まるP59~60は、湯山先生独特の「ド・ファ・ラの和音をず~っと続ける平行音」で、ソプラノ・メゾ・アルトの全てが主旋律…という展開です。この展開は「さくらえびの海」や「雉」にも使われています。

    次にP65~66の「駿河の姿は男富士」から「月見草の花がよく似合う」を説明。ようするに全パートが同じメロデイーを歌い、2小節ずれるという、これも湯山先生の作品によく見られる展開で、それほどの問題点もなくクリアできました。

    休憩の後、曲の冒頭P52~54。ここも旋律の自然な流れと自然な和音構成で、音はすぐに入ります。この部分の問題は、いかにスケールの大きい表現をするかにあり、声の力は全く音楽に追いついていかない。これは初見では無理もないことなので、一言も言いませんでしたが、ただ、スペースシャトルか何かに乗って遙かな高度から日本全体と富士山を見下ろすような壮大な表現が必要だよ…とは言っておきました。そんなことは言われなくても、そのような表現になるであろうことを直感で感じ取ってくれている(ような)メンバーも数名いて、頼もしく感じました。この冒頭の部分は、ほぼ同じ形でP57~58とP63~64の2回展開されます。そこを練習してしまうと、残りはわずかです。

    P63~64の次の、P65~66「駿河の姿は男富士」は前半でやっていますから、P67~68の終結部を練習して着地点まで行きました。ただ、この「その真ん中に私と富士山」と歌うP67~68は、まさに一人一人が全身全霊を振り絞り切らなければならない部分で、なかなか大変です。しかし、とにもかくにも最後まで行きました。

    次にP55~56。「今は眠っているけれど」からメゾとアルトが「燃える」「燃える」と掛け合う展開。ここを理解すると、一気に冒頭P52からP60までがつながり、残すところはP61とP62の2ページだけ…というところで時間切れとなりました。それにしても、この長大な難曲を、「ちゃっちゃちゃ畑」と合わせて初見でここまで歌ってしまうとは、さすがの嶋田先生も(?)予想外でした。先週は「予定していたことが全部できた」と記しましたが、今週は「予定していたことの2倍の内容ができた」と記すことができます。これはウソ偽りのない本当の話で、もしも毎回こんな練習ができたら、ものすごい合唱団になるというか、今度の定期演奏会はものすごいコンサートになるというか、どんなことになるのか想像もつきません。が、「次もこの調子で」とは考えないでおきましょう。先生がそんな期待をしたら、みんなも負担でしょうからね。次回も「普通に」やります。

    連絡です。5月6日(水)の祝日に、中京大学文化市民会館(名古屋市民会館)での「水芭蕉忌コンサート」に、合唱団「空」の出演が決定しています。これは、中田喜直先生の音楽を歌うコンサートで、もちろん中田幸子先生もお見えになります。中田作品を、「空」は8分以内ということです。出演合唱団全員の合同演奏は「素晴らしき自然とともに」と「夏の思い出」だそうです。そこで、合唱団「空」単独のステージは、「春を歌おう」「さくら」「よみがえる光」の3曲ということにします。この3曲を知らないメンバーのために、楽譜とCDは次回の練習で用意しておきます。

    充実した2009年が展開されています。受験生がんばれ!よい結果を祈っています。早く全員で練習できるといいな。

    合唱団「空」の、ますますの努力と集中を期待します。

  • 合唱団「空」の練習は1回1回が生き物です

    今日もスタジオ・アイでの練習。期末テスト、学年末テストの時期ではありますが、大勢のメンバーが集まっての練習は熱を帯びていました。先週はアートピア音楽祭を何とか乗り切ることができたので、今日は「うなぎの子守唄」に取り組む予定でした。

    組曲「駿河のうた」は、あまり少人数では歌えませんので、人数によっては他の曲を…と考えていましたが、先生が頭の中で考えてきた練習を十全に(まさに考えてきたとおりに)させてくれたのは集まってくれたメンバーのおかげです。一人一人に感謝。

    濱田先生には申し訳ありませんが、合唱団「空」の練習は1回1回が生き物です。嶋田先生も「今回はどんな練習をしようかな」と一応はいろいろ考えて練習会場に来るのですが、毎回、その日に会場に入ってから「やる曲」と「練習内容」を決めています。予定はあくまでも予定であって、その日の人数や集まったメンバーの顔ぶれを見て、そのメンバーの力量を高めるのに最もふさわしく、最も楽しめそうな「内容」を瞬間的に決定しています。だから、事前に濱田先生に「やる曲」と「練習内容」を伝えることは実質上不可能なのです。その意味で、嶋田先生が事前に考えてきた予定のとおりに練習が進められることは滅多にありません。今日は、本当に「予定どおり」で、嶋田先生も十分に音楽を楽しむことができました。ありがとう。

    「うなぎの子守唄」は名曲です。「いのち」の大切さ、「時間」の大切さを教えてくれます。歌詞の前半を読むだけならば、食っちゃ寝・食っちゃ寝しているウナギが太って、やがて養殖場から出荷されていくという、それだけの話です。ですが、そのウナギに毎日毎日エサをあげ、まるで自分の子供のように慈しみをもって育てている「人間」がいるのです。まさにその人にとっては、ウナギは自分の分身であり子供です。

    親というものは、自分の子供を、まさに愛情をもって育てています。みなさんも育てられている。そして、みなさんも、やがて結婚するにちがいない。その結婚式の日、みなさんが「その家の子」として家を出る瞬間、結婚式場に向かうという一歩、家を出る一歩は、お父さんやお母さんにとって、自分の娘が「自分の娘でなくなる瞬間」です。その瞬間、お父さんやお母さんの心の中には、「夜明けの虹が出るだろう」と歌うのです。人間の成長、成長することによって必ず起こる「別れ」。その「別れ」は受け入れなければならない「別れ」であり、その「寂しさ」乗り越えなければならない「寂しさ」なのです。その「いのち」と「時間」の大切さを湯山先生の音楽にのせて歌う時、「うなぎの子守唄」を歌う時に、嶋田先生の心の中には常に熱い思いがあふれます。

    練習はまず、曲の終結部のハーモニーをつくります。「う~、な~、ぎ~」というハーモニー。そして「おまえの見る夢どんな夢、ねむれ、ねむれ、うなぎ」というコーダの部分。父さんや母さんが、明日は娘の結婚式という夜に、娘の寝顔を見ながら「娘の見る夢どんな夢」と歌う部分です。その時、娘が生まれた時から幼稚園の入園式や小学校の卒業式まで、あらゆる思い出が走馬燈のように繰り広げられることでしょう。「売られていく日」とは「出発の日」であり「旅立ちの日」という意味です。音楽全体の終点がどうなるのか、まず味わってもらっておいてから、冒頭の練習に入るのが嶋田流の練習方法。「太平洋の海原の、どこかで生まれたウナギの子」という歌い出し。時々音がぶつかる不協和音が使われていますが、和音の勉強をここ数ヶ月重ねてきていますからスムーズに音取りが進みます。

    練習をしながら思ったのですが、全員が初見であるはずのこの曲を、すでに「知っている」メンバーが多い。これは間違いないように感じました。ある程度CDが聴き込まれている、その手応えを確かに感じました。それは、もちろん全員ではなく、1回も聴いていない子ももちろんいます。聴いたことがある子か無い子か、そのくらいのことは長年の経験からすぐに分かります。まあ、しかし、そのことはどうでもよろしい。多くの子が聴いてくれていることは確かなことです。それがとても嬉しいことですし、そもそも「駿河のうた」も「鮎の歌」も、歌うことも楽しいですが聴いて楽しめる音楽です。

    さて、1番を取ってしまえば、練習は終わりです。なぜかというと、2番は半音上がって歌詞が変わるだけだからです。3番は?同様に半音上がるだけの話。これぞ湯山先生特有の「転調の魔術」です。転調による音楽の魅力的な展開にかけては、湯山先生は魔術師であり天才的です。ただし、ピアニストにとっては大変なことであり、濱田先生も今日は本当にご苦労様でございました。

    というわけで、6分30秒かかる大曲が、1時間そこそこで音取り完了です。いやー、我ながら、上手くいったなあ。繰り返しますが、この効率の良さは嶋田先生の手柄ではなく、今日集まったメンバーの力量の高まりと集中力の賜であるということを記しておきます。

    今日は、お客様がありました。堀田由香さん。嶋田先生が初めて担任した時の2年生です。翌年つくった合唱部では3年生から入部を認めたので、3年生から4年間、嶋田先生の指揮で歌ったメンバーです。5年生の時に「鮎の歌」全曲を歌い、6年生で「駿河のうた」全曲を歌って卒業していきました。その子が33才になって、ジュニアを連れて遊びにきてくれました。嶋田先生の心は、21年前に「夜明けの虹が出るだろう」という思いで送り出した子が帰ってきてくれたような、そんな思いでした。

    さて、11時40分となり、1回だけ「雉」「わさび田」「いちごたちよ」「鮎の歌」を歌いました。アートピア音楽祭での3曲に「いちごたちよ」が加わっていますが、この曲もかなりの水準で歌えるようになってきました。この「雉」「わさび田」「鮎の歌」については、「夏の合宿までもう練習はしない、みなさんの心の中で発酵させておいてください。」と宣言しました。が、この宣言は取り消し撤回しておきます。なぜかというと、今、受験のために冬眠中で、春になったら戻ってくるメンバーに失礼だからです。この「合宿まで発酵させておいて宣言」は、例年、6月の合唱連盟合唱祭で歌った曲について出されてきたものです。例年6月に出していたその宣言を、2月の時点で出せる(そのように歌える曲がある)ということは大きな意味がありますね。というわけで、ちょっと口がすべりました。まだ取り組んでいない「猪譚」を含めて、3月以降も合唱組曲「鮎の歌」へのチャレンジは続けます。

    最後の5分、「イルカの翼」と「ねむれないおおかみ」を歌ってみました。楽譜のタイトルになっている曲をプログラムの中から外すことはありえないと思ったからです。これも練習することなく、ただ1回歌ってみただけなのですが、けっこう上手に歌えました。

    2月21日は、とても中身の濃い、充実した練習ができたと思っています。

  • 「3つの音楽の世界」には「3種類の声」が必要です

    アートピア音楽祭本番。

    朝、控室に入ると26人のメンバーが揃っています。OK。ゴーサインを出します。受験生が休団中の、合唱団「空」にとっては主力メンバーが欠けるこの「冬の時期」に、例年なら考えられない本番を2週間連続でクリアすることができたことは、大きな収穫となりました。この時期までに「雉」「わさび田」「鮎の歌」の3曲が仕上がっていることは、今後の練習計画を立てる上では大きな支えになります。これで、巨大なエネルギーを要する「駿河のうた」にアプローチする目途が立ちました。都合で今日のステージに参加できないメンバーも含めて、協力・努力に大きな感謝と拍手を贈ります。特に、本番のステージに参加できないのに普段の練習にキチンと参加してくれたメンバーには敬意を表します。

    さて、ある意味では非常に大きな賭でもあり、大きな興味と注目を集めた本番ですが、まずは及第点と言えるでしょう。この「冬の時期」としては150点をあげても良いと思います。今、先生は主催者からもらった録音を聴きながらこの文章を書いていますが、やや声が暗い色調を帯びているとはいうものの、それが「雉」にはよく合っていて(逆に言えば「わさび田」では少しブルー過ぎる)、その意味では「雉」が出色の出来と言えます。しかし、「雉」ではやや不満が残るテンポの変化も「わさび田」ではほぼ完璧に押さえられていて、「わさび田」も捨てがたい。

    「鮎の歌」は、「わさび田」と同じく、もう少しだけ明るい声になると良かったと思えますが、なかなかに熱のこもった表現で、あっと思うエラーも一瞬あるものの、聴いていたお客さんたちには伝わるところが十分あったことと思います。3曲を通して言えることは、3つの「音楽の世界」を表現するため3種類の「声」が必要だったところを、1種類の「声」で押し通してしまった無念さが残ります。しかし、「音」はほぼ完璧に入っていて、後のことを考えると好材料でした。安心できる演奏と言えます。ところが、「地球はひまわり」は一転して伸びのある明るい声が響き、やはり曲に対する共感というものが大切なんだなあ…と痛感した次第です。

    もう一つ、全体を通して、やや濱田先生のピアノに押されてしまった印象も、本番の1回だけでは分かりませんでしたが、何度も録音を聴くと感じます。濱田先生はベートーヴェンが専門で、非常に鋭い音の立ち上がりと、ダイナミックな強音と繊細な弱音の使い分けが絶妙です。その「音の幅」に26人では対抗しきれていない面がある。これは仕方のないことで、それに対抗するにはどうしても40人は必要です。もしも「空」が20人の合唱団に成り下がるとしたら、濱田先生にももう少しデイナーミクを押さえるように要求するところですが、濱田先生には今日のとおりにやっていただき、フルメンバーが集まった時点で「空」の総力をもってバランスを取ることとします。

    全体を通して、やって良かった本番であり、参加して成果のあった音楽祭であったと言い切れます。ご苦労様でした。今夜は嶋田先生もいい夢が見られそうです。何?「ビリーブ」はどうだったかって?本番は嶋田先生もコーラスの中に紛れ込んでいっしょに歌っていましたので、わっかりっませ~ん。まあ、いいんじゃないの?けっこう楽しく歌えたと思いますけどね。ただ、オーケストラをもう1メートル前に出して、オーケストラの後ろに合唱台を組んでほしかったな~とは思いましたけどね。

    そうそう、次回の練習では、この録音をCDにして、参加してくれたメンバーに配付いたしますので、お楽しみに。

  • 「いいことなんだけれども、やらない方がよい」そんなこともあるんです

    音楽プラザ・サロンコンサートの本番が午後に予定されています。インフルエンザの流行は「空」には関係ないものと祈りつつ音楽プラザへ。

    堀内先生の顔を見るなり、「今日、もしも25人いなければ、コンサートは中止。私は帰ります」と言っておきます。父母会の平松さんにも、同様のことを伝えます。平松さんによると「参加人数は大丈夫」とのことなので一安心。しかし、練習場に入ると果たして16~7人しかいない。「今日は、嶋田先生も背広を着てネクタイをして、やる気300%なんだけど、人間がいなくては合唱はできない。無い袖は振れません。中止になったらゴメンなさいね」と子供たちにも伝えておきます。

    本番大好き、歌うこと大好き、12才から合唱を始めて、コーラスキャリア36年の嶋田先生が、なぜこんなことを言うのかというと、世の中には「いいことなんだけれども、やらない方がよい」ことがある…ということなのです。この日のサロンコンサートの目的は、「空」の活動を宣伝し、団員を増やす一助とする…ということなのですが、もしもステージ上のメンバーが10人しかいない状態でコンサートを行ったら、お客さんたちにどんな印象を与えるでしょうか。会場に小学生の子がいて聴いてくれたとして、その子は「この合唱団に入りたい」と思うでしょうか?いろんなフェステイバルや交歓会などで10数名の少年少女合唱団の演奏を聴いてきた嶋田先生は、「ああ、がんばってるなあ」とは思いましたが、同時に「仲間がいなくて可哀想だなあ」という同情を禁じ得ませんでした。

    同様に「この合唱団に入りたい」と思う子は百人の中に一人もいないと思います。その10人がキングスシンガーズやウイーン少年合唱団のような実力をもっていれば話は別ですが、合唱団というものが一般人や一般の子供たちに与えるイメージというものは「写真に撮った姿」が大きい。つまり「まずは、何人の仲間がいる、どんな規模の合唱団なのか」が大きい。これは、現在の「空」のメンバーが「入ろう」と決心した時に、もしも「空」が団員数10人の合唱団だったとしたら、はたしてみなさんは「入ろう」と思ったかどうか、自分に問い掛けていただければ分かると思います。

    目的が「団員増強・団員獲得」にあるのに、聴く人に「可哀想だなあ」「入りたくない」という印象を与えるコンサートを強行するということはマイナスです。集まったメンバー(嶋田先生も)にとっては、せっかくのステージにせっかく準備を整えたのですから、コンサートをすることは「いいこと」です。「いいこと」なんだけれども、全体のことを冷静にトータルとして考えれば「やらない方がよい」ことになる。個人のレベルと団全体のレベルでは考え方が違います。「いいことなんだけれども、やらない方がよい」とは、そういう意味です。

    では11人ならOKかと言うとNOです。では12人では?13人なら?と、どんどん進んできますが、妥協しない「線引き」が必要です。そのラインが25人。

    今、給料を下げるな、雇用を守れ(クビにしないでくれ)、という話が日本中を駆けめぐっていますね。嶋田先生も来年度の給料は年間で40万円ほど下がります。これは「いけないこと」です。ですが、日本中の労働者の給料を下げずにいて、それで会社が倒産したり、日本という国家そのものが成り立たなくなったら、どういうことになるでしょうか。日本は今、700兆円の負債を抱えています。国民一人あたりに換算すると、一人600万円です。百才のお年寄りから小学生も中学生も、今日生まれた赤ん坊まで、みんな600万円の借金。国家がつぶれたら、「私の給料を…」なんて言っていられません。ですから嶋田先生は、給料40万円ダウンは「いけないこと」ですが「やむを得ないこと」として理解します。

    さて、しかし午後の本番に向けての練習開始。中止になるにしても準備は整えておく。これは大切なことです。なぜなら、そこで行う2時間半の練習は、その日の午後には役立ちませんが、トータルとして長い目で考えれば、合唱団「空」のレベルアップに役立ちます。そこで一生懸命に取り組んでおくことは、決して無意味ではありません。

    「富士山」を使って発声練習。ブレスをどこでとるか、どのようにフレーズをつなぐか、いろいろな点に注意を払いましたが、この日の問題は、歌い出しが柔らかすぎることでした。「あたまをくもの…」の「あ」がフワッと出すぎていて音楽にパンチ力が生まれない。歌い出しがそうなれば「しほうのやまを…」の「し」、「かみなりさまを…」の「か」など、全てが同じ現象をおこしてぼやけていってしまう。おいしいラーメンにお湯をタップリかけてから食べるような感じです。しかし、だんだんと修正されていくので、やはり「やればできるなあ」と思ってしまいます。

    「小さい秋みつけた」はパートのバランスが悪い。あたりまえの話です。メンバーがヘタなのではない。集まった人数が少ないのです。普通の練習なら、あるパートが一人でもそのまま進めます。あるパートを一人で支えなければならないという経験は嶋田先生にもありますが、それはトータルとして考えると、すごく自分のレベルアップになった経験でした。もちろん、その場は辛いですけどね。ですが、午後に本番があることを想定して練習を進めなければならない。

    そこで、複雑に分かれたメロデイーラインをカバーできるように、歌う人をパート間で調整します。これも、それほど時間はかかりません。思うに現在の「空」は、臨機の調整力・応用力といった点では、非常に優れたスキルを獲得していると言えると思います。「雉」「わさび田」「鮎の歌」もそれなりに苦労しました。

    時々、ふっとエネルギーが消滅してしまう瞬間がある。ガーンと伸ばして声を張らなければならない部分でデクレシェンドがかかってしまったり、ハミングが1~2拍分短かったり。これらは、聴く人にとっては、ゴルフのボールが穴に向かって転がっていって「あっ、入る。入るぞ」と思った瞬間にフッと止まってしまったような、そんな感覚を抱かせます。「雉」の激しい表現や「わさび田」の清らかな表現など、先週苦労した点は見事に改善されているものの、所々で中途半端な表現が見られます。だから、この日は、詩のイメージや理解という話はほとんどなく、終始「クレシェンド」「フォルテ」「声を保って」という指示が飛び交いました。まあ、それも「今日の弱点を修正する」というレベルでは成功し、だんだん直っていったわけですから、大変に満足できる練習でした。

  • 切るべきところで切らずう~、つなぐ部分でつながずう~、伸ばすところで伸ばさずう~

    待望の楽譜が届いたので、まずは配付です。「鮎の歌」と「駿河のうた」。そして「ねむれないおおかみ」と「イルカの翼」は必要な人に。1600円だとか2000円だとか、めんどくさい値段がついているので、なにもかも1500円ということにします。なぜかというと、嶋田先生は今までのつながりから、2割引で楽譜を仕入れることができるからです。

    新しい楽譜を手に入れると、なんだか新鮮な気持ちになりますねえ。せっかく手に入れたので、合唱組曲「駿河のうた」の「さくらえびの海」を紹介しました。

    発声練習です。「駿河の海は桜エビの海」と歌い出す部分はユニゾン。CDと同じサウンドが響いて満足度100パーセント。「幻のように紅さす海」のハーモニーもすぐにOK。この曲の独自の世界が広がります。「こぼれた桜の花びらが波間に沈んでエビになる」の部分は、ソプラノの上昇音形を支えるメゾソプラノとアルトのハミングが非常に効果的です。これも、楽譜を見ないで背筋を伸ばして、発声練習にはもってこいの部分。「かわいい桜のエビになる」はハーモニーを作る練習にピッタリ。そして最後のソプラノのソロは、高音の練習です。いやあ、いい発声練習ができました。この冒頭の部分は、この日のメンバーはきちんとつかんで帰ることができたはずです。この部分は終結部にも全く同じ形で繰り返されますから、「さくらえびの海」の1/3はできてしまったことになります。

    さらにくわしく進めたい気持ちを抑えて、「雉」「わさび田」「鮎の歌」の3曲を進めます。「雉」のドラマがあまりにも激しく、しかも悲劇的に終わるので(そのように悲劇的な響きを表現することができるようになったことは、投入した練習時間から考えると驚異的ですが)、「わさび田」の冒頭にその気分と声が引き継がれてしまい、ちょっと苦労します。「湧き水は、こんこんと湧いて、わさび田を流れる」という部分は、かぎりなく明るく、さわやかに、清らかさをもって歌い出さなければなりません。

    「雉」の「山に轟く二連のこだま」という終結部は、すごく血の臭いがして、死というものを描いていて、痛切な哀しみをたたえています。それが出来ているだけに、わずか2小節の間奏の間に、パッと気持ちを切り換えなければならない。こいつが意外と難しいですね。まあ、何度か繰り返すうちに、それなりの清楚な声になってはくるのですが、サロンコンサートとは言え本番なのですから、そこは一発でできなくてはならない。本番の日の朝、何とかします。

    「わさび田」はしかし、かなり温かな、さわやかな優しさをたたえた表現が可能になってきました。この曲、サラサラっと流れる心地よいテンポの部分と、情緒纏綿たる心情をたっぷりと歌う(つまりテンポが動く)部分とが交錯していて、それをキチッと整理するのが大変です。「雉」で述べたように投入した時間を考えると、よく健闘していると思いますから、嶋田先生の要求がやや高度すぎるきらいがあるのかもしれません。それに、来週の本番では、休団中のメンバーが初見を覚悟で助っ人に来てくれるかもしれませんので、その時にはその時で考えます。極端に言えば、全部を一定のテンポで歌い通すという方法も、それは一つのアプローチとして考えられますから。しかしながら、この楽譜には表記しきれないテンポの微妙な変化こそが、この曲を歌う醍醐味であることは事実です。

    「鮎の歌」も、まずは感心する出来であると言えます。悪意をもって酷評するならば「ただ歌いとばしているだけ」と言うことも可能だとは思いますが、難しい音程の部分もリズムが交錯する部分も崩れることはなく、よく歌っていると思います。不足すると言えば、回数を歌い込むことから生まれる自信と情景を表現する細かい言葉使いですが、これは今後の課題です。時間が解決する要素でもありますし、一人一人の心の中で共感が発酵するのを待つべき点でもあります。しかしながら、ある程度の抵抗は必要です。

    「鮎、鮎、夏」と歌う部分が何回か出てきますが、これは全て切ります。休符を入れる。ところが一カ所、「鮎、鮎、鮎のいのち」と歌う部分があります。ここは絶対につないで歌います。切ってはなりません。理由は「いのち」と歌うからなのですが、ここが曖昧でしたので、しつこく直しました。「切るべきところで切らずう~、つなぐ部分でつながずう~」「伸ばすところで伸ばさずう~」などと笑顔でイヤミを言い、ロミオとジュリエットの芝居を交えながら解説をする。いやあ、普通の人が見たら「変な指導だわ」と思うことまちがいなしですね。まあ、こうした部分も、休団中のメンバーが初見を覚悟で助っ人に来てくれた時には考えます。そう目くじらを立てて拘る部分ではありません。

    アンコールの「地球はひまわり」は合格。楽譜さえ持っていれば歌詞に対する不安もないので大丈夫でしょう。

    「富士山」は思い切り歌い上げればよろしい。そんなに真剣に「頭を雲の上に出した富士山は日本一なんだ」などと共感を高める話ではありませんので、ガーンと一発かましてやれば良い。

    「夏の思い出」「小さい秋みつけた」「雪の降るまちを」は、人数さえ揃えば、良い演奏ができると思います。べつに「富士山」のようにメロデイーだけでもかまいませんので、開き直って明るく歌いましょう。オドオドしながら、ビクビク歌うのが最悪です。

    「春の小川」も「富士山」と同様。思い切り歌い上げればよろしい。そんなに真剣に「春の小川がサラサラ流れて囁いているんだ~」などと共感を高める話ではありませんので、ガーンと一発かましてやれば良い。

    ここからリコーダーを入れます。「コンドルは飛んでいく」と「花祭り」はギターとリコーダーで演奏しますが、後ろでボサーッと立っているだけでは面白くないので、「ここぞ」というところで手拍子を入れてもらいます。べつに特別な手拍子ではなく、4拍子で「パン、パン、パン、パン」と叩くだけで、当日3分もあれば理解できる話です。

    「花祭り」は楽譜を配りました。休団中のメンバーが初見を覚悟で助っ人に来てくれた場合に備えて、当日も楽譜を用意しておきます。歌詞は「イェ、ガンダセ、ガルナバ。キャバ、エンヤニ、チョニータ」というもので、おそらくスペイン語。これを同じメロデイーで8回繰り返します。これも5分あれば理解できる話。分からなかったら、それらしくフニャフニャ言っていればよろしい。こういう音楽は、楽天的な遊びの気分が大切なのです。楽しく明るい声で雰囲気を盛り上げてください。

    新入団員が2名、休団中の受験生が1名復帰。旧団員の復帰もあって、明るい材料が揃いつつあります。この日(1/31)入団の子にも2月7日はステージに立ってもらいます。当日の飛び入り参加は大歓迎。休団中のメンバーの「1日だけ復帰」を切に望みます。全て楽譜持ち。ただし、赤ベストのコスチュームが必要です。よろしくお願いします。

  • ふつうの人が気が付かない美しさって、あるでしょう

    いよいよ2009年のスタート。

    場所が音楽プラザではなく、スタジオあいということで、会場を間違える子がいるのではないかなあ…と心配していました。あるいは正月明けで旅行など…そんな事情もあるかなあ。その心配が的中したのか、集まったメンバーは9人(!)ということで、そんなことにめげる嶋田先生ではない。ピアノの回りにイスを9つ並べて、さあ、はじめましょう。と、スタートしたら、ひ~とり来た。ふ~たり来た。イスを並べなおして再スタートすると、また、ひ~とり来た。ふ~たり来た。という感じで、最終的には20数名になりました。

    この日は、新しいパートを発表しました。各パートとも上・下まで明確にしました。現有のメンバーで、やや下の方(つまりメゾ下・アルト)を厚くしてあります。これは、今後、新入団員を迎えるにあたって、その新入団員は小学生である確率や、初心者である確率が高いですから、ソプラノ側に「空き席」を多めにしてあるということ。ですが、とりあえず2月15日の青少年コンサートまでの暫定ということにしておいて、「どうしても、こっちのパートになりたい」という希望は聞きますから、何か希望がある人は、嶋田先生に「個人的に」教えてください。

    さて、その新しいパート編成で歌ってみると、我田引水になるかもしれませんが、非常に良い音がする。力むことなく自然なフォームで声を出すだけで、とても良くハーモニーを響かせることができました。やっぱり、一人一人の声を調べただけのことはあります。ヒッヒッヒッ。で、去年の終わりから努力している、ハーモニーの力・和音感覚を磨くという課題の続きを行いました。新生、生まれ変わった合唱団「空」ですが、もう「ド・ミ・ソ」のハーモニーなんか、できて当たり前の世界です。「ド」から「ファ」を取ることも、もう100点でしょう。

    今、やっているのは、「ド」を根音にして「ファ♯」を取る(専門的には「増4度」と言います)とか、「ド」を根音にして「シ」を取る(専門的には「7度」と言います)とか、「ド」を根音にして「ソ♯」を取る(専門的には「増5度」と言います)など。これらの「音の幅」というか「音の感覚」が備わってくると、その辺に鳴っている信号の音だとか、テレビのバックミュージックとか、ようするにどうだっていい音が、みんな意味のある「音楽」や「和音」として聞こえてくるようになるのだよ。

    ふつうの人が気が付かない美しさって、あるでしょう。ピカソやダリの絵だって、あの美しさを本当に感じられる人は少数派でしょう。それと同じレベルの話。救急車のサイレンも、小鳥の声も、電車の音も、ふつうの人が「気が付かない音楽」であり「音の美しさ」です。まあ、そんな小学生や中学生が育ったら、それは大変にオタッキーな、千人に一人っていう感覚ですが、でも身に付けていて損になることは絶対にないし、合唱を楽しむためには「あった方がいい力」であることは間違いありません。

    やれ「増4度」だ、やれ「増5度」だ、やれ「7度」だなんてことを、こうして文字にして書くと、いったいどういう練習なんだ?と思うでしょうし、このHPを見てくださっている合唱関係者は、子どもにとっては辛い練習ではないか?と思うでしょうね。しかしながら、そこを笑いながら行っていくのが楽しい。ヒントは「ゲゲゲの鬼太郎」です。まあ、練習に参加した人でなければ分かりませんね。興味のある方は、見学にいらしてください。

    曲としては、楽譜なしで「地球はひまわり」をやりました。この曲は素晴らしい曲です。そして「鮎の歌」から「雉」と「わさび田」と「鮎の歌」。この曲、堀内先生の言葉を借りれば、湯山先生が一番油の乗り切った時代に書かれた「傑作」ということですが、本当によく書けている音楽です。コーラスにもピアノにも、全ての音に「意味」があり、余計な音や無駄な音は一つとしてなく、なくてはならない音は全て入っている。そして、メロデイーが魅力的でハーモニーは美しい。嶋田先生は、この曲を知って20年以上になりますが、今でも新しい発見があり、そして、この日も集まったメンバーにいろいろ伝えました。その伝授(?)に、今日も見事に応えてくれるメンバーたち。そして今日も、嶋田先生に「ああ、あと10分あったら、さらに次の段階の、オモシロイことができるのに。残念だ。終わります」と思わせてくれるメンバーたちでした。

    また次回、オモシロイことをいたしましょう。

  • 「共感」という力を磨こうとする時、湯山作品ほど効果的な歌唱教材はない

    一人一人の声を見る(診断する)のはこの日まででだいたい終了し、新しい曲を理解することを中心に練習を進めていきます。ただ、まだ新しいパート編成を発表することはできません。そこで、全員が全てのパートを全部歌えるように進めました。その上で、ある時はアルトを歌ってみてある時はソプラノを歌ってみて、その選択は任せるから、一人一人がいろいろと自分を試してみるように…と、かなり高度な要求を出しておきます。

    実はこれ、とっても大事なことでありまして、合唱を組み立てるのみにとどまらず、人生の様々な場面で「自分自身が自分のことを知っている」ことは、嶋田先生に言わせれば、即「その人の人間力」に直結するのです。つまり、進学する、就職するといった場面で、進路担当の先生からアドバイスをもらうのは当然ですが、それ以前の前提として「自分は普通科なのか商業科なのか」「理数系に向いているのか文化系に向いているのか」といった自己分析や「自分は学校の先生になるんだ」「福祉関係の仕事が向いている」といった人生選択の基準がなければ、進路担当の先生の言うがままということになってしまいます。

    もちろん合唱団「空」では、最終的には嶋田先生が「あなたはこのパートをお願いします」と決めていくのですが、自分が向いていると考えるパートと決められたパーとが一致するのが最善として、その上で「全体のチームバランス上、このパートを担当することになったが、やろうと思えば自分は他のパートでも大丈夫」という自信のようなものを、ぜひ持っていていただきたい。そういう自己確立というか、自分を知っているということの大切さを、「空」という場で、合唱という種目を通して、実感していってほしいなあ…と願っています。

    で、全部のパートを全部音取りをして、何回も繰り返してハモらせる…という形になった。曲は5曲目の「鮎の歌」。この曲、名作中の名作です。まず「川の流れは歌う、夜明けの歌を。薄紫の霧の煙を上げながら」というフレーズを歌います。ソプラノ、メゾソプラノ、アルトの順で全部。その上で3回ハモらせる形を取れば、全員が1回は各パートを歌ってハーモニーを感じる場を設けることができます。非常に自然な和音構成の部分なので、すぐに理想的なハーモニーを作ることができました。そうすると次のレベルの話をしないと退屈です。

    2番は「川沿いの町。霧にぬれてる山の町」という歌詞で音形は全く同じなのですが、歌い方を全く変える必要があると説明します。歌い方を変えるのは、歌詞が違うからなのです。そして歌詞の奥にあるイメージも違うからなのです。1番は「空の色はまだ群青色。東の空だけがオレンジ色」2番は「空全体が真っ青になる」。つまり、時間的な経過がある…ということです。1番ではまだ見えていない山間の町並みが、2番ではくっきりと見えてくる…そういった情景を描く声と表現の変化。歌いながら、こんな話を続けていきます。続けていくうちに、少しずつ表現に変化が生まれ、「鮎の歌」そのものに対する意欲が高まってくることを膚で感じることができることは、先生としても非常に嬉しいことでした。

    狩野川の本流に注ぐ流れは、まず猫越川。そして火の沢川。次に船原川があって、二の小屋川があって、皆沢川があって、ずいぶんと上流に吉奈川があって、いちばん上流に桂川がある。それらの川が集まって狩野川という本流をつくるのですが、実はそれらの川の水の匂いは全部違うらしい。人間には分からない匂いというか水の香り。その微妙な匂いを嗅ぎ分けて、鮎という魚は自分の生まれ故郷の川にもどってくる。猫越川で生まれた鮎は猫越川に、桂川で生まれた鮎は桂川に必ずもどってくる。そういう能力を「帰巣本能(きそうほんのう)」と言って、絶対に間違えない。これ、科学的に実験した人がいて(科学者ってヒマだなあ…などとジョークも交えて)、Aという川で生まれた稚魚を捕まえて背ビレにAという目印を付けておく。そしてBという川で生まれた稚魚を捕まえて背ビレにBという目印を付けておく。その稚魚がいったん海へ下って、そして大きくなって戻ってきた時、ほとんど全ての鮎が生まれた川の目印を背ビレに付けていたというのです。そんな事実と、そこから発生するイメージと、そのイメージを支える表現について、もちろん音程や声の使い方を交えて話をしていくと、2時間などという時間はあっという間です。

    名古屋の、ある大人の混声合唱団は、コンクールでも全国クラスの成績ですが、練習は発声、音程、ハーモニーの正確さを磨くことが中心で、歌詞に対する理解やイメージの想像などには1秒も時間を使わないそうです。なるほど、コンクールで美しい音楽を創造するためには「音」が全てであって、イメージや想像や共感などはステージの上の合唱団員の頭の中にあるものですから、実際の「音響」とは関係がない。その方法論を否定する気は毛頭ありませんが、嶋田先生は少なくとも、子供を使ってテクニカルな音響の世界を作る気にはなりません。

    子供には「育まれるもの」が必要であり、それは「共感」という力です。「共感」という力を本当に身に付けた子供というものを育てることができたならば、その子は友達の心にも世界の人々の心にも共感することができるはずで、つまりはイジメなど決してしない、どんな形であれ世の中の役に立つ人材になってくれると信じるからです。そして、その「共感」という力を磨こうと考える時、湯山作品ほど効果的な歌唱教材はないと思います。嶋田先生の36年の合唱経験からの分析です。

  • ゾッとするような響きが生まれました

    中学生・高校生の期末テストの時期で、多くの参加が望めません。しかしながら、集まってくれたメンバーが「ああ、面白かった」「今日の練習に来てよかった」と思って帰ってくれるような練習をすることが、先生の務めであり義務です。

    一人一人の声を確認する作業は、この日も続きます。先週いなかったメンバーに簡単なフレーズを歌ってもらって、チェックしていきます。2週間合わせて20人ほどの声をチェックすることができましたから、けっこうな成果であったと報告しておきます。何をチェックしたのかについては、先週のダイアリーに記したとおりです。

    「雉」も少し歌いましたが、この日の練習のメーンは「わさび田」です。この日のメンバーはとても声がよく出ていて、先週と同じく全員で全てのパートの音を取るという作業だったのにもかかわらず、非常によくハモります。途中、父母会の太田さんが練習の様子を見に来られましたが、そこで鳴っているいるハーモニーに感じ入っておられました。太田さんは、父母会の中でも最も合唱組曲「鮎の歌」を熟知しておられる方です。

    3小節目からの「わきみずは」の部分、「ミソ」「ミソラ」「ミソド」「ミソレ」とハーモニーが変化していきます。まず「ミソ」で純正の和音を作り、「ミソラ」でソとラをぶつけ、再び「ミソド」の純正和音。そして「ミソレ」でミとレをぶつける。純和音と不響和音とが交互に響くことで、流れる水の清楚な美しさを表現しています。この部分が非常に短い時間で、というか一発でハモったことが、この日の練習の最大の成果であったと言えるでしょう。そして9小節目~10小節目で、再び「ミソレ」から今度は「ミソ♯ド」の純正和音になる。しかもハミングで。何とも言えない味わいのある進行なのですが、ここもとても上手くいきました。メンバーに力のある証拠です。ついでに説明しておきましたが、冒頭のピアノが奏でるアルペジオは「ドソミソドレソ」と上昇して「ソレドソミソド」と同じ音で下降します。オタマジャクシが山の形になります。しかも、その山は左右対称です。この「ドソミソドレソ」の「ドソミ」はハ長調。「ソドレソ」はト長調。つまり、異なる調性が混在しているのですが、これも非常に味わい深く、そして湯山先生の作品の場合、このような「左右対称の山」の形をしたアルペジオが出てきた時は、多くの場合「水の流れ」を表現しています。これ、いろんな曲を歌っていくうちに分かってくることと思います。

    終結部の「わさび田を流れる」という部分も、よくハモりましたねえ。ゾッとするような響きが生まれました。この部分、「♯ファ・ラ・♯ド」という和音なのですが、単純に言えば「短調」の和音です。小学校5年生6年生の音楽では「長調と短調」という単元があり、長調は「明るい感じ」「元気な感じ」「うれしい感じ」などと表現をし、短調は「暗い感じ」「さびしい感じ」「かなしげな感じ」などということを学習するのです。しかし、湯山先生の手にかかると、本来なら(小学校のレベルなら)「短調」と言い切ってしまう和音のはずなのに、実に明るく響きます。まるで魔法です。そう、湯山先生は「和音の魔術師」であり、その作品群に選び出される透明な和音は孤高の境地として定評があるのです。その一端を垣間見ることができた一瞬でした。

    「今日の練習、やって良かった」と、少なくとも先生は思いましたが、参加してくださったメンバーのみなさんは、いかがだったでしょうか…。