SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


日帰り合宿1日目 そう歌った方が面白い

【日帰り合宿1日目】
今日はスサマジイ練習になってしまいました。「飛ばし過ぎィ~!!」という声が聞こえてきても不思議ではなかった。
まぁ実際にそんな声が「声」として先生の耳には入ってきませんでしたが、自分ではそう思っています。
集合してから体操も発声練習もなしでイキナリ曲集「ぼくは雲雀」の表現へ突入しました。
「自転車でにげる」はスタッカートに注意です。P6下の段、ソプラノとメゾソプラノの「うそバレた」にスタッカート。つまり軽く切って歌う。
ところがP7上の段「はね くわえて」「さ とにげる」はソプラノはスタッカートがあるけどメゾソプラノにはない。P8上の段のソプラノは「かんの」「りんさ」「りんの」「べーさ」はスタッカートで軽く切りますが、メゾソプラノは全く同じメロディーなんだけどスタッカートなしで軽く切らない。
P6からP8まで、つまり1番はソプラノとメゾソプラノは「1拍ズレているけど同じメロディーだ」というのは今までの練習の話でありまして、実はメロディーはソプラノ。メゾソプラノは全く同じメロディーなんだけれどもハーモニーなんです。だからメロディー(ソプラノ)はリズミカルに歌うけれどもハーモニー(メゾソプラノ)はフンワリと歌う。
一方アルトは「トゥル トゥル」を単純に繰り返すのではなく「ル」のスタッカートを生かして「トゥルッ トゥルッ」という感じで歌う。
それぞれのパートがそれぞれの役割を生かすことによって音楽に立体感が生まれます。これが計算されて作曲されているわけで、キッチリと生かして歌う必要があります。必要があると言うよりも、そう歌った方が面白いです。
ハイ、2番。アルトの歌い方は1番と同じです。アルトは基本の土台なので変化しない。木の枝や葉っぱは風に揺らめいて動いたり季節によって姿を変えたりしますが、根っこは風が吹こうが季節が変わろうが土台はガッチリと支えている、これがアルトです。
2番はソプラノが歌詞でメゾソプラノは「トゥル トゥル」なんですが、P9の41小節目についているスタッカートの場所が同じなのは重要です。つまり「うそ ばれた」と「ルトゥ トゥトゥトゥ」が同時にスタッカートになる。同じようにP11の上の段も(53小節目~56小節目も)「かんの」「りんさ」「りんの」「べーさ」でスタッカートが同時になります。
P8の上の段とP11の上の段をパラパラめくって両方を見て確認してみましょう。ソプラノとアルトは全く同じですがメゾソプラノは全く違うことをやっています。これはメゾソプラノのメンバーだけがガンバレば良いのではなく、ソプラノとアルトのメンバーもこのことを知っていて「P11の方のスタッカートをそろえるんだ」という意識を持っていなくてはならない。
いなくてはならない…のではなく、そう歌った方が面白いのです。

と、まぁ、このような話が「ふたりで」からの全ての曲にあるのですけれども、それを全~ン部書いていたら10ページくらいになります。だから、また明日、口で説明します。
こんな調子で曲集「ぼくは雲雀」から曲集「われもこう」までの16曲を通したのですが、レクレーション大会の時間が近づいてきたので「とげのささやき」から「われもこう」「就職」「卒業」は「好きなように歌ってください」と指示して1回だけ歌いました。
その時に「オッ」と思ったのですが、「好きなように歌って」という指示だったのですけれども、それがデタラメの表現でもバラバラの表現でもなく、何となくまとまっていて、なかなかの表現が生まれつつあるような、そんな感じがしました。ひょっとしたら嶋田先生が「ああしろ こうしろ」などとヘタに表現を叩きこむよりも、好きなように勝手に歌っていく方が「より良い表現が生まれる」かもしれません。その可能性があることは確かです。
そのような「こう歌いたい」というメンバーの思いを大切にして生かしながら、明日も「より良い表現」についてのアプローチを続けようと思っています。

曲集「やさしい魚」は本当に無理矢理に「天使」と「やさしい魚」の音取りを済ませました。終了の5時が迫っていたので本当に無理矢理でした。それでも何とか鍵盤ハーモニカの音についてくるメンバーに拍手です。聴いておられた合宿係のお母さんたちも最後の20分はビックリしたんじゃないかな…。

レクレーションは楽しそうで良かったと思います。NSさんの企画に大感謝。嶋田先生が「NSさんは小学校の先生を目指しているそうですが、NSさんに担任の先生になってほしいと思う人?」って聞いたら多くの人が「ハーイ」と手を上げてくれました。嶋田先生も自分にマゴがいたらNSさんのクラスになってほしいと思います。

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