SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


ふれあい合宿(2日目)
たくさんの成果がありました!

【8月27日(土)】

26日の夜に高倉さんと恒川さん、浜田先生とでミーティングを行い、2日目は「四国の子ども歌」に全力を尽くすこととしました。湯山先生の練習を控えて、全曲を通したことが一度も無い今の状態ではマズイということです。同じことは「名旋律集」にも言えますが、それは26日にある程度の目途が立ちました。

朝イチから発声練習など抜きで「四国ばやし」に入ります。発声練習というものは歌いながら各自がそれぞれに整えていくことができます。コンディションを整えるという発声練習ならば、今の「空」には必要ありません。ただ、全体の声の方向性を整えるとか、響きやハーモニーを統一し整理するという発声練習は必要ですから、折を見て(時間があれば)取り組んでいきます。

「四国ばやし」は勢いが大切です。こういう曲は「空」は得意です。この曲を初めて歌う人たちは、勢いに飲み込まれないように、湯山先生の前では十分に集中してくださいね。

終結部の「シャリリン」は、以前の「空」の先輩たちが非常に苦労した部分ですが、短い時間で上手く表現することができたと思います。

「かぜかぜ吹くな」は数え歌です。「一ってきな」「二てきな」「三け飲んで」「四うてきな」「五つきても」「六ずかし」「七く子は」「八かまし」「九この前」「十らさん」というわけです。後半の「一に俵ふんまえて」「二でにっこり笑ろて」「三で酒を造って」も数え歌です。そういうことが分かっていると歌詞も覚えやすいし、何よりも歌うことが楽しくなると思います。そういう意味を伝えました。

「田植歌」も歌詞の説明をしました。今、「四国の子ども歌」に一番必要なのは、音はある程度入っていますから、歌詞のイメージです。特に民謡やわらべ歌の場合、本当は非常に深刻な内容を歌っているのに表面の意味に捕らわれて本質を理解していないことが多いのです。小学校の音楽の授業では特にそれが顕著です。

「追いつけよ」とは、誰が誰に追いつけばよいのでしょう?意味は二通りあります。

一つ目は、四国八十八霊場を巡礼する御遍路さんたちです。御遍路さんは長い日々をかけて四国の八十八か所を回るのですが、当然AさんがBさんに遅れることがあります。Bさんはもう36番目の寺をお参りしているのに、Aさんはまだ25番目のお寺に着いたばかり…。そんな時「追いつけよ、後の(になった)御遍路のAさん。仁井田地方の五社で私(Bさん)は待っているよ」というわけです。

二つ目は、田植です。Aという村とBという村があったとして、A村はもうすっかり田植が終わっているのに、B村はまだゼンゼン終わっていない。はやく田植をしなくっちゃという囃子言葉です。このような田植歌は日本中いたる所にあり、ようするに早く植えようという気持ちです。植えなきゃ時期が過ぎてしまうぞという意味です。

ちなみに、この時に嶋田先生が参考として歌ったのは、黒澤明の映画「七人の侍」のラストシーンに出てくる農民たちの田植歌です。父母会のパパさんたちの中でも分かる人がいるかもしれません(笑)。そして、田植のパフォーマンスを見せてくれた男子団員二人にも拍手と感謝を送ります。

「祖谷のかずら橋」は歌詞の説明はしませんでした(3日目にある程度しました)。パートの絡み方に複雑な部分が多く、音を正確に入れるのが精一杯というのが正直なところです。ですが終結部はキレイにハモりました。

「手毬歌」は練習番号Aと練習番号Cの違いを整理する時間となりました。小学生4年生から「Cの音が分からない」という指摘を受け、丁寧に繰り返しました。この部分を自分なりに納得して歌えるようになると、合唱の醍醐味を味わうことができるはずです。実に楽しい音楽です。

終結部の「ホイホイ」は短い時間で済みました。「四国ばやし」の「シャリリン」と同様に、今の「空」はこういうことに抵抗がありません。

「終曲~子守歌~」は二つのパートが同じ旋律を歌い、残りのパートが違う旋律を歌うという部分が多く、そのパートの組み合わせが変化するため、その歌い方を理解してもらう時間となりました。でも、主旋律を捉えてしまえば、それに合わせて対応してハモらせるという力が育っていますから、短い時間で音の確認を終わらせることができました。

 

午後はソリスト決めを行いました。「四国の子ども歌」には多くの部分にソロがあります。湯山先生の前で、その場しのぎのソロを決めるわけにはいきません。

嶋田先生は後ろを向いて、誰が歌っているのかを分からない状態にして、全員にソロの部分を歌ってもらいました。ここで考えたことは、誰の声が伸び伸びと響くかということと、誰と誰を組み合わせると良い響きが得られるかということです。だから、上手下手から言えば一番上手な人が外れたかも知れません。上手な順に①②③とします。一番上手な人は①なのですけれども、①③の組み合わせや①②の組み合わせよりも、②と③の組み合わせのほうが良いと判断された場合には、①を外して②と③を選びました。このあたりのノウハウは、口や文字での説明は不可能ですが、最優先したことは「不公平がない」「贔屓がない」という世界を作ることです。だから先生は後ろを向いて、誰が歌っているのか分からない状態にして、声だけに集中したのです。

どのソロパートも、二人ないし三人の子を選んだのは、組み合わせの重要性もさることながら、誰かが発熱で当日に倒れた時に対応するためです。

 

夜は父母会の皆さんの演出で、楽しいレクリエーションの時間となりました。この日までで帰らなければいけない事情のある子も、このレクリエーションを終わってから帰るというくらいで、何だかこの合宿の最大のイベントだったような印象を受けました。

この時間での子どもたち相互の交流は素晴らしいもので、多くの子が多くの友達の名前を覚えることができたことと思います。その意味では、父母会の力は嶋田の力よりも上だと断言できる時間でした。本当に、ありがとうございました。

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