SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


なぎさ道 とげのささやき われもこう Image 

【なぎさ道】 ※ 5月22日ソラノート 再掲

ぬれたわけ おしえましょ
うすい虹が消えるとき
通り雨 あびたのよ
髪が燃えているわ
古いうたのふしで
手さげ籠にあたる
しずくを受けながら
なぎさ道あるいた
声をあげ ゆれてたの
わすれなぐさの青

う~ん、これは完璧に少女の歌ですねぇ。少女の初恋が儚く(はかなく)消えていった情景です。
「ぬれたわけ」とは身体が濡れたのではなく、少女が「泣いたわけ」という意味です。
「うすい虹が」とは「あなたが」ということで、「通り雨」とは「少女の目からあふれた涙」です。
「髪が燃える」とは「髪が(涙で)濡れる」という意味。
ゆえにこうなります。

 泣いたわけ おしえてあげるわ
 あなたがいなくなってしまうとき
 急に涙があふれてきたの
 涙で髪が濡れるほどに

「古いうた」とは「あの時あなたといっしょに歌ったうた」です。「わすれなぐさ」の花言葉は「真実の愛」「私を忘れないで」という意味ですから

 あの時あなたと歌ったメロディーで
 手さげ籠に涙の音を立てている
 その涙のしずくを受けながら
 私は一人ぼっちでなぎさ道を歩いたの
 声をあげて 心がゆれているのよ
 「私を忘れないで」という気持ちが…

うおぉおー。ロマンティックな少女の心だぁ。嶋田先生には分からん世界だぜぇ。
と以前にソラノートにも書いたような気がします。しかし、その後に読み深めているうちに、ひょっとしたらこの詩は「平和への祈り」ではないか…と思い始めています。
「うすい虹」という言葉を「平和」と読んでみてください。
「通り雨」とは「いきなり飛んできた爆弾」で
「古いうた」とは「故郷に伝わる平和を求める歌」。
そうなると、この詩は以下のように読めます。

 泣いたわけを おしえてあげるわ
 あなたが戦死し、平和が消えてしまったから
 人々も町も爆弾をあびて
 娘の髪も身体も焼き尽くしてしまったから
 平和を伝える昔の歌のメロディーで
 手さげ籠だけが歌っている
 その(手さげ籠の)涙を受けて
 私は平和を求めて歩き続ける
 人々の声がゆらめくのが聞こえるわ
 真実の愛って何?という問い掛け(青)が聞こえるわ

うぅ。胸がふさがるような悲しい世界です。
しかし小学生でも知っています。今この瞬間も、世界のどこかで、町が焼かれ爆弾の雨が降っていることを。
そのニュースを「自分には関係ない」と思っていて良いのだろうか。先生には、何一つできることはないのですけれども…



【とげのささやき】

くれないの薔薇の とげの青さよ
風しずかな指を つらぬく一針
まこと恋ならば 海の色に似る
はるか 沖に おどるへさきの
かたちくずさぬと 泣きつつあゆめ
青いとげささやく 昼のたまゆら

まずは基本情報です。

くれない → 紅。すごくきれいな赤のこと。
へさき → 舳先。船の一番前のとがった部分。
たまゆら → 「玉響」と書きます。勾玉(まがたま)という宝物があります。大昔(奈良時代・飛鳥時代・もっと前)に作られた宝石のこと。神に捧げられたり、昔の王(今の天皇の祖先)を飾ったりしました。ネックレス(首飾り)にその勾玉が使われ、勾玉どうしが風にゆれて触れ合って立てる微かな(かすかな)音のことを「玉響」と呼びます。さぞかし美しく響く音だったことでしょう。その音から「かすかな」「ほんの一瞬」という意味にも使われます。

そしてイメージとして、

くれない → やさしく美しい赤。やさしく美しくありたいと思う私の心…とイメージします。
薔薇 → 自分自身としか考えられません。なぜなら「恋をしている」からです。バラは恋などしない。だからこの「薔薇」は恋をする人間です。
とげ → 人間が持っている「毒」と言うと激しすぎるかな。やわらかく考えても「人の心の中の激しさ」「厳しさ」とイメージできます。
指 → もちろん指のことですが「私の心」あるいは「私の身体」と考えられます。
はるか沖に おどる舳先 → 遠くに見える私自身の姿…と考えます。

そう考えると

 美しく赤い(はずの)私の心には (なぜか)激しい心の冷たい色(青)がある
 おだやかな私の心に(身体に) 激痛を生む針のような青さがある(なぜなのだろう)
 本当の恋は 海の深い色に似るけど、その色は青だ!
 遠くかすかに見える私自身の姿の
 本当は持っているはずの赤のやさしさを無くさないように 泣きながら生きる
 青い心(激しさ・厳しさ・悪魔の心?かも)が私の中でささやく 玉響のような微かな声で

こんなイメージになるかな…。
もっと簡単に「天使」とか「悪魔」とかの激しい言葉を使うと

 天使みたいなりたいと思う私の 悪魔の心よ
 やさしい心を 突き刺す針のような心だ
 あの人を好きだと思うのは 悪魔の心なのか?
 遠くに小さく見える 私の中の天使
 その天使の姿を無くしたくないと 泣きながら生きる
 私の中で悪魔の心がささやく 昼の玉響のように

もっともっと簡単に考えると、嶋田先生のような人間は、

 正直に生きたいと思っても ズルい自分がいる
 正直な気持ちを殺そうとする 悪い自分がいる
 でも、自分は正直でありたい。そう思うと涙が出そうだよ
 正直でいようと決心しても 悪い自分の心は消えない
 消すことができないよぅ くそっ 消えないよぅ(涙)

そんなふうに自分を責めるのです。白状します。先生の心の中にも悪魔はいます。そして、その悪魔を消そうとしている自分がいます。
「とげのささやき」とは「悪魔のささやき」と言い換えることができるかもしれません。



【われもこう】

あの色だけならば 暗すぎる
すすきの道をふさぐ われもこう
風のままゆれ 霧のたびぬれ
さびついた とびらをつくる毬
にわかに 秋の日
かがやく 深いくれない
遠くでうろこ雲 たずねてる
エジプトそだちの 紅を見たか

この詩は「エジプトそだちの紅」をどうイメージするか、それによって大きくイメージの絵が変わります。みなさんはどちらが好きですか?
「エジプトそだちの紅」を考える前に、その他のキーワードを考えていきましょう。

われもこう → ちょっと暗い、寂しげな赤い色の花。花は毬のように丸くなります。花言葉は「変化」「あこがれ」「明日への期待」
すすき → みんなが良く知っている草花です。花言葉は「元気」「活力」「生命力」「心が通じる」
さびついたとびら → 「さびついた」という言葉から、「過去を振り返る扉」とイメージします。

ですから前半は

 あの(われもこうの赤い)色だけならば 暗すぎる(さびしすぎる)
 元気や生命力への道を閉ざす われもこうの赤さは(暗すぎる)
 風が吹けば心がゆらめき 霧になれば涙にくれて
 昔のことばかり思い出している毬(われもこう)

そして
うろこ雲たずねてる → 未来 あるいは 自分に無い新しい力 を探している
とイメージすると

 にわかに(とつぜん)秋の太陽の光がさしてきて
 光の中で輝いた 深い紅(われもこう)は
 未来を探し、自分に無い新しい力を求めている

さびしい心の「われもこう」が太陽の光をあびて輝いた。未来を探し立ち向かう心を持った…というイメージです。
最後の1行がロマンティックです。「エジプトそだちの紅」とは何でしょう?

【イメージA】
エジプトの太陽の神「ラー」ではないでしょうか。エジプトの最高の神様です。太陽が輝く紅色。5行目の「とつぜんさしてきた秋の太陽」とも結びつきます。
太陽の神ラーの力によって輝きを取り戻した「われもこう」…というイメージです。

【イメージB】
エジプト原産のサフラワー、つまり「べにばな」ではないでしょうか。サフラワー油・紅花油はみなさんの家の台所にもあるはずですがそれは関係ない。「われもこう」と同じような丸い花を咲かせますが、咲き始めは黄色。そしてだんだんと紅色へと変化していきます。花言葉は「夢中」「情熱」「情熱的な恋」「愛する人」など。
さびしかった「われもこう」が秋の太陽に輝いてサフラワーのような「情熱」つまり新しい力を取り戻した…というイメージです。

整理するとこうなります。

【イメージA】
 あの(われもこうの赤い)色だけならば 暗すぎる(さびしすぎる)
 元気や生命力への道を閉ざす われもこうの赤さは(暗すぎる)
 風が吹けば心がゆらめき 霧になれば涙にくれて
 昔のことばかり思い出している毬(われもこう)
 にわかに(とつぜん)秋の太陽の(ラーの)光がさしてきて
 光の中で輝いた 深い紅(われもこう)は
 未来を探し、自分に無い新しい力を求めている
 エジプトの太陽神ラーの姿を見たのだろう

【イメージB】
 あの(われもこうの赤い)色だけならば 暗すぎる(さびしすぎる)
 元気や生命力への道を閉ざす われもこうの赤さは(暗すぎる)
 風が吹けば心がゆらめき 霧になれば涙にくれて
 昔のことばかり思い出している毬(われもこう)
 にわかに(とつぜん)秋の太陽の光がさしてきて
 光の中で輝いた 深い紅(われもこう)は
 未来を探し、自分に無い新しい力を求めている
 エジプト育ちのサフラワーのような情熱を取り戻して

みなさんは、どちらが好きですか?
最後に新実先生が「空」の先輩たちに教えてくださった言葉(嶋田先生の楽譜にメモが残っています)を記しておきます。
「いろいろなふうに読むことができるのが詩なんです。
 自由にとらえて良い。
 100人いれば100とおりの感じ方があって良いのです」

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