投稿者: 嶋田浩文

  • 鼻歌を歌おう。「練習」や「覚えるために」ではなくね

    翌日に中田先生をお迎えするということで、童謡曲集から練習スタート。声が少し暗く、元気がないように感じましたが、音程は良くできていました。声の出し方(これは曲によって様々ありますので難しいですが)を、より工夫できるようにしていきましょう。

    肝心なのは、やはり歌詞ですね。「春天来了」「ポミ・ワッタ」は良いとしても、「このやわらかい」か「このあたたかい」か、これは、もう、歌い込むこと聞き込むことしかないかもしれません。これが、コンクールか何かで、1曲か2曲だけを歌うのであれば、嶋田先生にも多くの手立てや作戦があります。たとえば、この曲についてならば「やあ、春を歌おう」と教えます。「やあ」とは「や」と「あ」。すなわち、1番は「やわらかい」の「や」、2番は「あたたかい」の「あ」。これで、やわらかいのは「光」だし、あたたかいのは「風」だから、まず、まちがいないでしょう。ところが、「さくら」の1番「しあわせ」2番「よろこび」3番「ほほえみ」とか(これは「しよう」と教える。すなわち「しよほ」)、「さわると秋がさびしがる」の「ぽろん」「ぴちん」「ちゅるん」「ぴょろん」(これは「ぽっぴちゅっぴょ」と教える)など、ダジャレや語呂合わせではカバーしきれない。何しろ曲数が多いですから。だいたい、こんなダジャレを10も20も覚えようとしたら、それこそ気が狂ってしまうでしょう。

    ですが、時々ハッと歌詞が飛んだ時の(先生も同じですが)みんなの一瞬の表情が大変におもしろい。一番いい方法はね、鼻歌を歌うことです。学校の行き帰りとか、ヒマな時とか。でも、その鼻歌を「練習だ」「覚えるために」と思って歌っていては、やはりダメで、自然に(自分で気が付かないうちに)歌っていた…というのが一番いい。でも、そのくらい好きになっていれば、その時にはもう覚えているのかもしれない。やはり、みんなの感性に期待するしかないのかもしれません。

    後半は、「越冬」を歌いました。決して十分な人数ではありませんでしたが、先週はガタガタだった「越冬」が、かなり形になりまいた。みんな、ありがとう。

    練習のポイントは「音のぶつかり」です。すなわち、ハモらないハーモニー。たとえばP44。これが、くりかえすごとに良くなっていくから感心しますね。P43の音程も、もう鍵盤ハーモニカの助けは必要ありません。この曲は、つかみとった音程やハーモニー感覚を武器にして、いかに表情豊に音楽を作っていくか、どう指揮に対応するか、ということに尽きます。いずれにしてもこの練習で、嶋田先生が「越冬」についてもっていた不安が半分以下になりました。メンバーの集中力に感謝します。

  • 「歌う人」が何を感じ、何を考えて歌っているか

    今日で8月も終わり。いよいよラストスパート。

    この日に「蝶」を含めて嶋田先生のステージを整理しておき、来週6日(土)は中田先生が指揮される「マリちゃん…」と「雪の降るまちを」を整理して、7日(日)に中田先生をお迎えする…という段取りを考えていました。しかし、その前に「マリちゃんの歩いた夢」について、歌詞の意味を説明しておこうと思ったのを、ていねいにやりすぎて、結局この日は「蝶」と「マリちゃん…」に終始してしまったのは先生のミスでした。来週の練習の時間的な配分を工夫するようにします。

    さて、「マリちゃんの歩いた夢」の歌詞の意味ですが、これは前日に話しておくのでは少々遅すぎると思ったので、一週間前に話しておこうと思ったのです。「三才の時、たらいに乗って田植えに出た」その「たらいに乗った」のは「マリちゃん」であることはよいとして、「少し植えては引っ張りランラン」の「引っ張る」とは、何を引っ張るのか。

    ①たらい ②お母さんの手 ③イネ

    正解は①の「マリちゃんが乗っているたらい」です。つまり、みんなは、足が動かないマリちゃんをたらいに乗せて田んぼのドロドロの上に浮かべているわけです。で、母ちゃんはイネの苗を植えながら移動していく。手で植える田植えは、植えながら後ろに移動しますよね。母ちゃんはマリちゃんから離れそうになると、マリちゃんの乗ったたらいを自分の方に引っ張る。で、また田植えをする。また移動して、たらいを引っ張る。その繰り返し。母ちゃんの愛情とマリちゃんの薄幸を感じる部分ですね。では、「ランラン」とは何か。

    ①母ちゃんの声 ②マリちゃんの声 ③日本に最初にやってきたパンダの名前

    正解は②の「マリちゃんの声」です。たらい…いわば船に乗って、田んぼにプカプカ浮いて、それで自分で漕がなくても母ちゃんが引っ張ってくれるので船が進む。3才のチビちゃんにとって、これほど面白い遊びはないでしょう。しかも、みんなは働いていて自分だけ見学というか遊んでいられる。いわゆるスペシャル・ゲストです。ただし、みんなもドロドロになっているけど、マリちゃんも「たらいの中も暑かった」というわけです。

    「ぼたん雪が…落ちてくる」「弟は口をあけて飛び回っている」この弟は何をしているのか。日高君が答えてくれたように、弟は「雪を食べている」わけです。その、庭で雪を食べている弟の姿を病室の窓から見ている…、そのマリちゃんの気持ちを考えることが大切になります。「私なら、大きな口をあけて雪をたべるなんて、そんな下品なことはしない。できることなら、雪の花の中に寝転がって歌をうたいたい」と思っている。コーラスは、そこまで歌ってP13の3小節目から、再び「ぼたん雪が、くるくる舞いながら落ちてくる」と歌います。その繰り返しの部分は、単なるリピートではなくて、その晩にマリちゃんが見た夢です。その夜、マリちゃんは、ぼたん雪の中で、その桜の花びらの中で、自分が治って歌をうたっている「夢」を確かに見たのです。このシュチエーション、真剣に思い浮かべたら涙が出てきませんか?

    その、「現実のぼたん雪」と、「夢の中のぼたん雪」との二つの「世界」を表現するために、P13の2小節目~3小節目のf(フォルテ)からpp(ピアニシモ)までの表現があるのです。通常、わずか1小節の中で、fからppまでの変化を付けることなどありえません。これを、ただ大きな声から小さい声にするのではなく、なぜ「そう表現するのか」考える心をもちましょう。そのように考えることのできる心、本当に共感できる力。それを「思いやり」というのです。そのような夢を見ているマリちゃんの気持ちを、マジで「思いやること」のできる子は………、どう思いますか? 決してイジメなどしないし、大人になっても不正など決してしない、そんな人になるんじゃないかな。

    書いてある文字を、書いてあるとおりに歌うだけならば、殺人犯にだってコンピューターにだってできることです。「歌う人」が何を感じ、何を考えて歌っているか。コンサートというものは、そこが問われると思うし、「空」の子たちにはそんな感性を育んでほしいのだ。

    「テレビ」は上手。問題なし。

    4曲目。「大きいのが父と母ちゃん、小さいのが弟たち、一番美しいのが私」これ、どういう意味ですか?まさか、鏡を見ながら「鏡よ、カガミ。いちばん美しいのは誰?あ~ん、ワタシなのよ~ん」と思っているわけではないでしょうね。

    マリちゃんは看護婦さんに、ホウセンカの花びらを取ってもらってママゴトをして、大きいカップや小さいカップや美しいカップを作った。その一番きれいに完成した「花びらの(ごちそうの)カップ」を食べるのは私、と言っているのです。これ、小さい子の自己中心というか勝手というかワガママというか、そういうことではなく、歩けるようになりたい、誰もが味わえるその幸せを自分も味わいたい、というマリちゃんの願いに結びつけましょう。父ちゃんも母ちゃんも弟も「歩ける」という幸せをもっている。私にはその幸せがない。だから、せめて「一番美しいのは(カップは)私のもの」という気持ち。ただ、この部分。暗く歌わないこと。父ちゃん母ちゃん、大きいのをハイ、あげる。弟は、小さいので十分でしょ、ハイ。どうぞ召し上がれ…てな感じで、サラッと、むしろ乱暴に歌いましょう。大切なのは、その直後の「おばあちゃんも、死んだおじいちゃんも」ですね。

    まずP18、「一人、ママゴトをした」この部分は一人ぼっち。でも、ドアを開けて、父ちゃんと母ちゃんと弟が入ってきてくれた。この部分は一人ぼっちではない。だからカップをあげた。そしてマリちゃんは、(おそらく病気か何かで家で寝ている)おばあちゃんと、(もう天国に行ってしまった)おじいちゃんにも、このカップを食べてほしい…と思った。だから「家のホウセンカも咲いたかしら。そこにはおばあちゃんもいるし、(仏壇には)おじいちゃんもいる。そして、こんなカップではなく、本当のママゴト道具もあるから、もっと美味しそうなホウセンカのごちそうを作ってあげられるのに」と思っている。「おじいちゃ~ん」って。この部分、だから可哀想かわいそうって思って暗く歌うのではなく、ある意味では非常に強いマリちゃんの気持ちを、ぶつけるように強く歌った方がよいと思います。

    6曲目。「きれいな道。あっちゃんとなあちゃんと手をつないで、こっちへ来る」この部分の「あっちゃん」と「なあちゃん」って誰?これは、二つしか考えられない。どちらかが真実です。が、どちらが真実か、今となっては分かりません。好きな方を選びましょう。あるいは、嶋田先生の気付かない正解を他にもっているのなら、それでけっこうです。

    ①「あっちゃん」と「なあちゃん」は、マリちゃんの弟たちの名前。②この二人は、マリちゃんと同じ病気か、あるいはもっと重い病気で入院していて、(おそらくは)もう死んでしまった病院の友達。

    これ、けっこう難しく、ある意味では危険な判断です。①ならば、夢の中で歩くようになれたマリちゃんに、「わーい」って言いながら二人の弟たちが駆けつけてきてきれて、3人で「きれいな道」を歩いた。どこまでも歩いた…という夢。②ならば、「マリちゃん、がんばって。希望をなくさないで。私たちの分も。」と、二人の友達が夢の中に出てきて、「ああ、みんなで歩いた。歩けたんだ」「あっちゃんやなあちゃんの分も、わたし、生きる」と決意した夢。これは、どっちが正しいとか、どちらが正解というレベルではない、これは歌う人の主体性と感性が問われる部分です。

    先生としては「空」の意見が、①と②が半々になってくれると嬉しいです。もっと嬉しいのは、中田先生が「実は」と真実を教えてくださることですし、いちばん嬉しいのは、この二つ以外に「私はこう思う」という自分なりの考えを示してくれる団員が出てきてくれることです。

    その後のP27から7曲目は、絶望的な、激烈な、魂を引き裂くような「怒り」と「叫び」になります。そこは、もう、みなさんを信じて大丈夫。と、いうわけで、前半の1時間を「マリちゃんの歩いた夢」に投入してしまった。

    後半の練習は「蝶」です。「誕生」「飛翔」「灰色の雨」と「よみがえる光」を通しました。「越冬」ができなかったのが残念でしたが、基本的には通して歌うことができるようになったことが大きな収穫でした。くわしく書けば、きりがありません。それでは、みなさん、おやすみなさい。次週は中田先生をお迎えします。いざ、勝負。です。さあ、みなさん、たのみますよ。

    合唱団「空」の大いなる集中と音楽を楽しむ姿勢に期待します。

  • 「灰色の雨」は完璧。これが子供の合唱団かと思うような響き

    【合宿第3日目・24日】

    予定どおり「灰色の雨」です。結論から言うと完璧でした。松永先生・服部先生・河合先生と嶋田先生の鍵盤ハーモニカ4台のサポートがあったとはいえ、う~ん、これが子供の合唱団か…と思うような響き。これが、鍵盤ハーモニカなしでできるかどうか、それを試す時間がなかったのが残念ですが、もし、それができるのなら「すごいこと」ですね。それは、否応なしに、9月の練習で試されることになるでしょう。大人でも辟易するような曲なのですが、本当にがんばってくれました。

    そして最後の「飛翔」。これを、まがりなりにも途中で止めずに、歌い通すことができるようになったことは、今回の合宿の大きな成果と言えるでしょう。ちょっと遅いのでは…と言われるかもしれませんが、そんなことはない。「蝶」という曲はそういう曲であり、「飛翔」という曲はそういう曲なのです。むずかしい音程を理解する早さは一流です。東海メールクワイアーに「飛翔」を歌わせたら、たぶん倒壊することでしょう。東海メールに、そんな器用さはありません。歌が上手い、声がいい、音程が正確というのが東海メールの真骨頂ですが、ベテラン揃いなだけに(つまり年齢が高く)フットワークが重い。これは仕方のないことでメールの責任ではない。その合唱団の体質というものです。「空」は東海メールに(大人に)比べれば歌は下手、声は幼い、音程は不正確なのですが、むずかしいことをすぐに覚えるフットワークがある。この長所を最大限に引き出し、短所を東海メールに(大人に)近づけていく。そういう作業を先生は行っているわけです。

    ポイントはP25。アルトの「ひらひらひら」の繰り返しですが、これはそれぞれの最初の音の「♯ファ、ミ、♯ファ」を頭に入れておいて、各フレーズの動きを覚える…ということなんですが、今これを書いていて新しいアイデアがひらめいたもんね。次回、この部分の練習をお楽しみに。「飛翔」は「らら、ひらら」の各フレーズが、それぞれ調性もちがうし始まる音もちがうし進行もちがうし、頭が狂いそうな曲なのですが、「空」のみんなの総力を結集することで、何とかなりそうな予感が確信に近づいてきました。

    オリンピックのソフトボールと同じで、予選、準決勝と続けて2回アメリカに負けたのですが、最後の最後で決勝に勝った。そうなればよいのです。それで金メダル。つまり、「今すぐ歌えるようにさせなければ」と思えば嶋田先生もあせりますが、11月9日に名演ができればよいと思えば、それに対する十分な練習になったということです。まだ、時間はある。みなさん、ソフトボールの上野選手の心を受け継いでくださいね。大丈夫。ぜったいにできる。その準備は、合宿で十分に整えることができました。さて、次回は夏休み最後の練習。9月7日には中田先生をお迎えします。

    合唱団「空」のみなさんの、ますますの努力と健闘を祈ります。

  • 「飛翔」を歌う機が熟しました

    この日は大分県の別府で合唱・教育関係者の集まりがあり、それに参加するために練習が終わった瞬間に名古屋駅に直行。定期演奏会関連の話がいろいろあったようでしたが、失礼しましたこと、お詫び申しあげます。また、そのような事情で、この文章は日曜日に書いていますので、記載が遅くなったことも併せてお詫び申し上げます。

    さて、この日は、組曲「蝶」の第2曲「飛翔」を一点集中で練習しました。嶋田先生としては珍しいことです。どんな指導者でも、東海メールに来るプロの指揮者でも、たった1曲に2時間を投入するという練習は、まず、ありえません。子供の場合は、なおさらのこと。つまり、歌う人の「興味」と「関心」が2時間もたない…ということです。どんなに美味しくても、たとえばメロンを、2時間ずっとメロンだけを食べ続けると、ようするに飽きてしまう。小学校の授業時間が「45分」を1単位と決められているのは、国語なら国語に集中できる「子供の気力の限界」が45分である…と、これは100年以上にわたる全ての教育関係者の経験値であるからなのです。

    嶋田先生も、45分の授業の中で、ある時にはジョークを入れ、ある時は脱線し、いわゆる「授業のねらい」に子供が最後まで集中できるように様々な工夫を凝らします。その嶋田先生が、プロでもほとんどやらない一点集中を敢えて行ったのですから、そこには当然さまざまな「ねらい」と「意味」がありました。

    第一に、みなさんが「蝶」という曲の楽譜とCDを入手し、聴いてみた時の第一印象が、おそらくは「飛翔」が最もむずかしいだろうな…という点にあり(つまり不安もそこにあり)、ために(これは嶋田先生の予想であり勝手な希望でもありますが)おそらくは、その後の半年間(つまり今まで)の間に、数回、多い人では10回以上、楽譜を見て「飛翔」を聴いてくれている子がいるはずだ…ということです。

    第二に、そのように何回か「飛翔」を聴いてくれている子のチャレンジ精神が、「むずかしいだろうけど早く歌ってみたい」という段階まで高まってきて、その意欲に「まった」をかけるのが、そろそろ限界だろうと思われたからです。同時に、定期演奏会までに残された時間を逆算して、ここが「飛翔」に集中し、スタートさせる最善の時期だと判断しました。

    第三に、これが最も重要なことですが、これまでの半年以上の間に、つまり、みんながCDの音としてでもいいから「飛翔」という曲に出会ってからの半年の間に、みんなの中に多くのイメージが生まれ、「こんなふうに歌うんじゃないかな」「こんなふうに歌いたいな」という思いが膨らみ、あるいは「指揮者は(嶋田先生は)どんなふうにこの曲を振るんだろう」などという興味が生まれ、早い話が、みんなの心の中で「飛翔」という曲が発酵してくる、その時期とタイミングを待っていたわけなのです。

    これは非常に重要なことで、ある程度の難易度がある曲の場合、歌う団員の中にイメージも思いも何もない状態でテクニックだけを注入しようとすると、いわゆる消化不良を起こします。つまり、指揮者の命令通りに「歌わされる」という「合唱するロボット」を育てることになる。消化不良という言い方を分かりやすく言い換えると、離乳食が必要な赤ちゃん(つまり「飛翔」を聴いたことのない団員)に、いきなりトンカツを食べさせる(つまりいきなり「飛翔」を歌えと命ずる)とどうなるか、これは、その赤ちゃんの(つまり団員の)生死に関わるレベルの問題なのです。

    結論から申し上げれば、この日の練習は、非常に上手くいったと言えると思います。まず、嶋田先生が「これが最低条件」と設定していた「曲を最初から最後まで通すこと」が、この日の練習時間の間に達成できたということです。「できれば時間を余らせて、他の曲もやりたいですが」とは練習の最初に言いましたが、その必要は感じられませんでした。結果、最後に「灰色の雨」を1回通しはしましたが…。それから、歌うみなさんの曲に対する興味と関心が最後まで持続できたこと。これは「飛翔」という曲の課題が多いということもありますが、よく集中して練習できたと思います。これは前述したように「この曲を歌えるようになりたい」「この曲をクリアしたい」という団員の気力が前提にあったことが重要ですから、別に先生の手柄ではありません。

    「合唱の神様」と尊敬された合唱指揮者の福永陽一郎先生は、「アマチュアには時間がない。そこを何とかするのがプロだ」という有名な言葉を遺し、嶋田先生にも多くを教えてくださいましたが、その福永先生の練習に近い練習ができたことを感謝します。これは、大崎先生・河合先生・松永先生・服部先生の鍵盤ハーモニカの助力も大きく、これなしには事は運びませんでした。感謝申し上げます。

    次週は、童謡を練習します。8/17のコンサートを成功させなければなりません。しかし、楽譜は全部もってきてください。楽譜がない状態で、隣の人の楽譜をのぞき込んでいる…ということはしないでくださいね。

    いよいよ8月に入ります。合唱団「空」のみなさんの、ますますの健闘を祈ります。

  • 伸びやかな声をつくる

    今日は、30名以上の参加で、とても効率よく練習を進めることができました。団員・父母の方々の努力・協力に感謝です。

    さて、発声練習は視点を変えて「クレッシェンドをいかに作るか」と、各パートで「高音をいかに支えるか」に絞ってみました。といっても、むずかしいことをしたわけではなく、「さくら」「夏の思い出」「夕方のおかあさん」「さわると秋がさびしがる」「雪の降るまちを」「すばらしき自然とともに」の6曲を、音を確認しながら歌いました。ただし、p(ピアノ)mp(メゾピアノ)は、全てmf(メゾフォルテ)f(フォルテ)にする。f(フォルテ)はff(フォルテシモ)にしました。

    単純なことなんだけど、これを全て実行するとなると大変なエネルギーがいります。1時間ずっと「2レベルアップ」で歌っていた子はいません。もっとも、練習のポイントが「ハーモニーのこと」になったり、「言葉をハッキリ」ということになったり、「音程のこと」になったり、歌い方の状況に応じていろいろ変化していきましたから、「pはfに」という最初の指示を忘れてしまうでしょう。しかしながら、音程の話をした時もハーモニーの話をした時も、嶋田先生の頭の中にあったのは「いかにして伸びやかな声をつくるか」ということでした。

    1「めだかのがっこう」 2「春を歌おう」 3「さくら」 4「夏の思い出」 5「夕方のおかあさん」 6「さわると秋がさびしがる」 7「雪の降るまちを」 8「すばらしき自然とともに」 9「つゆ」 10「こだまでしょうか」 11「わたしとことりとすずと」 12「めだかのがっこう」

    さて、8月17日(日)の有松イオンでのミニ・コンサートですが、この6曲ともう1曲「春を歌おう」を加えて、そこに「ほしとたんぽぽ」から、「つゆ」「こだまでしょうか」「わたしとことりとすずと」の3曲を歌い、オープニングとアンコールで「めだかのがっこう」を会場のお客さんといっしょに歌う…ということにします。並べれば表のようになります。楽譜は持っていいことにします。ただし、カッコよく持ってください。時々歌詞の確認をするためにだけ、持つのです。

    2~8の正式な楽譜は、来週か再来週には配付できます。「めだかのがっこう」は斉唱(ユニゾン)なので、幼稚園の子でも歌える形ですから楽譜は持ちません。「めだかのがっこう」で楽譜を見ていたらカッコ悪いもここに極まれり…です。しかしながら、20人くらいしか集まらなくて「これが合唱団「空」です」と観客の前へ出るのは、合唱団「空」は弱体合唱団なのだと世間にアピールするのと同じです。何としても35人はほしいですね。練習不足大歓迎、初見大歓迎ですので、参加をお願いします。でなければ、やる意味がない。

    この「初見の子も本番のステージに立たせる」(ほんとに初見の子がいるかどうかは知りませんが)という宣言について、一部の父母から「うちの子はほとんど毎回練習に参加してがんばっているのに、毎回参加の子と初めて歌う初見の子と同じように扱うのですか?」といった抗議が来るかもしれません。詳しい理由をここに記すことはしませんが、もしも本気で上のように思い、不満があるようなら、嶋田まで電話してください。

    後半は、予定どおり「蝶」の3曲目「灰色の雨」を通すことができました。始めから終わりまで通して歌うと、曲の構成・つながりというものが分かるし、歌詞の意味も一貫性をもって考えることができるので、プラスになることばかりです。この「灰色の雨」という曲、と言うか「蝶」全曲なのですが、ぜひ秋葉原でナイフ振り回した若者とか、父親を包丁で刺し殺した女子中学生とか、バスジャックした中学2年生とかに知ってほしい。あるいは「そういうこと」や「それに近いこと」を近い将来やろうと思っている子や、世の中にムカついている子に聴いてほしいです。

    およそ人間というものが生きていく上で、耐えなければならないこと、ガマンしなければならないこと、そして克服しなければならないことは山のようにあります。さまざまな試練の前では私たちはまさに「もろくはかない一片(ひとひら)」に過ぎないのだけれども、「よろめきながら、しがみつく」耐えるという心です。そして、ただ耐えていることは、非常に受動的で弱虫のように見えますが、耐えるということほど強いことはなく、耐えるということほど人間的なことはないのです。この「耐える」という「強さ」から、4曲目の「氷の世界」で生命の意味を問い、「よみがえる光」へとつながっていく。この世界観の大きさと問いかけの深さ。その扉を開けるまで、残る曲はあと2曲、「越冬」と「飛翔」です。

    いよいよ夏休みに突入。充実した休みになりますように。合唱団「空」のみなさんの、ますますの健闘を祈ります。

  • 理解しようとする気持ち

    中学生・高校生は期末テストの真っ最中と思われ、20人弱のやや寂しい練習となりました。が、たとえ何人であろうとも、来てくれた子が「ああ、来てよかった」「おもしろかった」「少し上手くなった気がする」と思って帰ってくれるようにするのが、嶋田先生の使命です。

    で、発声練習として「富士山」を使ってみました。それから一人一人に「先生の背中」をさわってもらって、「息を吸う」という技術の確認。「富士山」はト長調で最高音G(高いソ)まで出しましたが、よい響きだったと思います。これに20分。しかし、発声練習は大切ですが、そればっかりではおもしろくありません。大崎先生にソプラノをお願いし、嶋田先生はメゾソプラノとアルトを受け持って、「マリちゃんの歩いた夢」の⑥「あるいたゆめ」⑦「小さな手」⑧「けっこん」の3曲の音取り。これは50分ほどで完了してしまいました。曲が(音楽の作りが)自然に作られているからでしょうが、それにしても音取りは早い。いつもながら感心します。

    後半は合わせです。「富士山」の効果でしょうか、かなり強い声を出してくれます。「あるいたゆめ」などはピアニシモから始まる曲なので、ふさわしい声ではないのですが、強く出してくれる声を「弱く」と言うのはカンタンですが、弱くしか出せない子に「もっと強く」というのはむずかしい。と言うか、ヘタに「強く」と要求すると、合唱では出してはいけない声つまり「どなり声」になってしまうことが多いのです。そういう意味で、強い声を出してくれると、練習が効率よく進みます。で、「あるいたゆめ」の歌い出しは、すぐに解決。

    この曲集にはところどころに「ほこうしゃ」という言葉が出てきます。これは「歩行者」ではなく「歩行車」であって、ようするに「車いす」のこと。そして、「小さな手」の「手をかざしてみた。右手は大きいし、左手は小さい」という歌い出し。この詩を、さらっと歌ってはいけない。右手と左手の大きさが違う…。その自由にならない左手を「空に向かって大きく振った」その気持ち、その心の痛み、その悲しみを、健常者であるボクたちは理解することはできないかもしれない。ですが「理解しようとする気持ち」はもちたいものです。そんな話をすると、「お日様、見てください。治してください」という部分のフォルテッシモが、ちゃんとFFになるから嬉しいね。

    「けっこん」は、この曲のフィナーレなのです。強い決意の言葉、「病気の人をいろいろ助けてあげる」から「夢の中で私は歩いた」に移るP33のritは、この曲集のいちばん感動的な部分です。「助けてあげる」はフォルテッシモで、「夢の中で私は歩いた」は静かに美しくピアノ。この、テンポと強弱の変化もうまくいきました。本番で、どんな感動的な演奏になるのか、その片鱗を予感することができました。

    さて、来週はもう7月に入ります。合唱団「空」のみなさんの、一層の健闘を祈ります。

  • スピリッツ

    ソーツ先生が帰国される前日の「さよならパーティー」に1時間おくれて出席した嶋田先生は、ソーツ先生から合唱団「空」へのメッセージをいただくことができました。

    色紙にメッセージを書かれる間、ソーツ先生は何度も何度も「スピリッツ」という言葉を口にされました。

    「スピリッツをもっている合唱団だ」

    「あの時間は、ナイスなタイムであった」

    「自分はジュニアコーラスの指導は初めてだが、とても幸せであった」とも。

  • 東海メールクワイアーにあって合唱団「空」に無いものは?

    この日と来週の31日(土)は最悪です。この2日間で、名古屋市の小学校約100校が運動会を行います。しかも、中学生・高校生は中間テストのシーズンです。「空」にとっては1年間で最も練習のやりにくい時が、まさに今週と来週なのです。かく言う嶋田先生も、来週31日は枇杷島小学校の運動会です。

    そこで…と言うか、まあいろいろ事情があるのですが、来週は、31日は音楽プラザで「嶋田先生ぬき」の通常練習。ここでは、「雪の降る街を」「小さい秋みつけた」「夕方のおかあさん」「夏の思い出」など、初めて楽譜を配る曲も含めて「音取り」をしていただくようにお願いしておきました。そして、翌日の6月1日(日)には嶋田先生が、発声練習・ボイストレーニングを中心とした練習を行うことにしました。時間は9時30分~12時まで。場所は、小笠原くんの家つまり「吹上寺」よみは「すいじょうじ」です。地下鉄・桜通線「吹上」(ふきあげ)下車、7番出口から西へ歩いて10秒。分からなければ嶋田先生の携帯まで。「2日とも来い」などとは言いませんが、できればどちらかには参加してくださいね。

    さて「Viljandi Karjapoiss」は3回目ですが、とてもきれいです。声のパンチ力がほしいのは毎回のことですが、今日は人数が少ないから無理は言いますまい。何回くりかえしても、はじめから終わりまで音程が全く下がらないのは、「さすが」と思います。

    今の「空」は去年までと比べて、人数は少し減りましたが、残されたメンバーの平均的能力は、これまでの歴史の中でも1番なのですよ。その証拠に、「マリちゃんの歩いた夢」の音取りも、本当に効率よく終わります。

    組曲「蝶」の3曲目「灰色の雨」の音も、鍵盤ハーモニカの音さえあれば、初見でもドンドン進んでいきます。これ、とても器用。東海メールクワイアーでは、とてもこうはいかない。初見の速さと正確さは、現在「日本一のアマチュア男声合唱団」とも言われる東海メールよりも数段上。

    では、東海メールクワイアーにあって合唱団「空」に無いものは何かというと、①主体性と②集中力なんですよ。もちろん、大人と子供とを単純に比較することはできないですけれども、参考までにバラしておきますね。

    ①主体性とは何かというと、ようするに「人に頼らないで自分の声をしっかり出す」ということです。だいたい、仕事に疲れはてて、やっとの思いで練習会場に行けた時くらい、自分の声を精一杯だして、その「自分の声」がまわりとどうハモるか、それが楽しみなのですから。だから極端に言うと、東海メールでは、あるパートが一人しかいなくても、その一人はしっかり歌いますから、バランスの問題はさておき、全体の練習に困ることはありません。

    これが「空」だったら、もしもソプラノが一人しか出席していなかったら、どうにもならないでしょうね。だから「いけない」と言うのではありません。みんなで互いの声を聴きあって注意深く声を出す…。これは、とても大切なことです。だから、とってもよくハモる。ですが、それだけでは足りないよ…ということです。

    メールの「おっさん」たちのような「おれ一人になっても歌いまくる」という「激しさ」というか「ずうずうしさ」というか、とにかくメールは「歌わないではおくものか」という意思が全員にある。これを嶋田先生は「主体性」と呼んでおきます。

    ②集中力とは何かというと、指揮やピアノに合わせて自分をコントロールする力…。あるいは、自分のパートの声が足らないと思ったら、隣の人の分も自分が出してしまおうという、やっぱり「ずうずうしさ」かな?逆に、自分のパートが多すぎると思ったら、自分の声をセーブしますから、やっぱり「ずうずうしさ」ではない。集中力です。

    「空」のみなさんにお願いなのですが、一度、東海メールが本気になる時(つまり定期演奏会)の演奏を聴いてみてください。合唱団「空」関係のコンサートに何度か出演してくださっている東海メールですが、あれはあくまでも余力をもって参加する、いわば「お座敷」です。今年の東海メール、第51回定期演奏会は、嶋田先生ももちろんそうですが、火の出るような燃える演奏になります。父母の方々も含めて、今後の「空」が何を目指すべきか…という指針になりうると思います。チケットはあと12枚。先着順で差し上げます。

  • 「努力と成果とはヤジロベエのように釣り合っている」を体験してほしい

    「マリちゃんの歩いた夢」から練習開始。

    ①「田うえ」は1回通しただけ。先週の音取りを、正確に覚えていてくれるのに感心します。人数は多いとは言えないのが悩みですが、現有メンバーの力は確実なものとなりつつあります。

    ②「雪の花」は2小節ずつハモらせながら音取り。最小限の時間で、効率よく進めることができました。

    ③「テレビ」も音取り。これは楽しい歌ですから元気よく。フランク永井…と言っても、子供たちは知らない。日高君の健闘に感謝。フランク永井の「歌」は男の子で歌いたいので、他のメンバーの参加を待ってます。音取り2曲が、あっと言う間に終わってしまい、とても嬉しかった。

    「Viljandi Karjapoiss」も2回目の練習ですが、きれいにハモります。覚えてしまえば難しい曲ではありません。互いの音をよく聴きあって、ハーモニーを構築するトレーニングをするのに打って付けの曲です。この日はテンポを楽譜の指定どおりにして、曲のイメージも膨らむようにしていきました。

    「ほしとたんぽぽ」は前半の「つゆ」「こだまでしょうか」「みんなをすきに」「き」「わたしとことりとすずと」を練習しました。「いけない」と思ったら止めようと思っていましたが、何回か止まることはありましたが、ほとんど「やりなおし」を要求することはありませんでした。

    休憩後、「よみがえる光」は後半のテンポ設定の練習。それと平行して、やわらかいハーモニーではなく、強い声・固い声でダイナミックな表現を作るトレーニングを行いました。今の「空」は「やわらかさ」はピカイチですが、劇的な(ドラマチックな)声やパンチ力のある声に乏しいからです。考えてみると、「空」の長所を伸ばすためには「ほしとたんぽぽ」や「Viljandi Karjapoiss」などは、とてもよい教材で、「空」の弱点をクリアするために「よみがえる光」はとてもよい教材だと言うことができます。この声の訓練は、思っていた以上に成果をあげ、集まったメンバーの声が(今日一日だけのことかもしれませんが)確かに変わりました。「今日一日だけかもしれない進歩」を「いつでもできる確かな実力」としていくために、来週以降も同じ練習を重ねていこうと思いました。

    午後、パートリーダーの恒川さん、野々垣さんから相談を受け、先生のセカンドハウスで2時間半ほど話をしました。相談の内容をカンタンに言えば、「難しい曲の時に、小学生のメンバーが苦しんでいるようだけれども、どうしたらよいだろうか」というものでした。自分のことだけではなく、周囲のことや全体のことに目を配り、気遣ってくれていることに感謝を禁じ得ません。

    根源的な課題として、小学生と高校・大学生とが同じ練習をし、同じ曲に取り組むということに無理があります。「蝶」などという曲は、相当に訓練された大人の女声合唱団でも辟易するくらいの内容がありますから、鍛えられた「空」の高校生でも、今は大変だと思う。ましてや小学生たちは、もっと大変でしょう。

    この課題について、作曲家の新実徳英先生は、嶋田先生に何度もアドバイスをくださっています。『合唱団「空」は、ジュニアチーム(小学生~中学1年)とシニアチーム(中学2年生~大学生)の2部編成にするべきですよ』と。去年の6月にお目にかかった時も『「空」のみんなは元気ですか?ジュニアとシニアに分けましたか?』と言われました。今のところ嶋田先生は、新実先生のせっかくのアドバイスを無視していることになるわけです。嶋田先生だって、名古屋少年少女をはじめ、NHK東京児童合唱団、フォーラム21少年少女など、多くの合唱団がジュニアとシニアに分かれていることくらい、百も承知、千も承知です。

    では、どうして、そうしないかと言うと、理由は2つある。理由の1つ目は、合唱団「空」の存在理由というか、嶋田先生の教育方針というものが、「合唱が上手な子を育てる」ことではなく、「努力すれば(練習すれば)必ず進歩する(きっといいことがある)ということを、身をもって体験し知っている子を育てる」ことにある…ということです。この方針を実現するために、野球やサッカーのチームを作ってもよかったのです。ですが、嶋田先生は、たまたま合唱が得意であり好きであったから、合唱団というチームをつくって、「努力と成果とはヤジロベエのように釣り合っている」ということを合唱という手段を使って体験してもらっているわけです。したがって、小学生は確かに声も小さいし耳も十分には育ってないかも知れませんが、高校生・大学生といっしょになって歌うことで、様々なことをマネし、様々な失敗を重ねながら「ああ、練習すると(定期演奏会という)こんな素晴らしい一日を過ごすことができるんだ」ということを経験していく。

    大切なことは、5~6年もすると、その小学生も高校生になる…ということなんです。そして今、ヨチヨチ歩きをしている子が、5~6年後には新入団員としてメンバーになる。その繰り返し。

    合唱団「空」のねらいが、純粋に合唱の上手い子を育て、コンクールで日本一になろうとするものであるならば、年齢を問わずに「上手な子コース」と「まだ下手な子コース」などというものに分けて、「へたくそコース」はそれなりのトレーニングを重ね、コンクールには「上手な子」で参加する…ということになるでしょう。しかし、それって教育か?今の世の中、「勝ち組」「負け組」だとか、格差社会などと言われているけれど、本当の「世の中」って、赤ちゃんもいれば年寄りもいる、身体に障害をもつ方々もいればオリンピック選手もいる。みんなまぜこぜなんです。それで、「全ての人が幸せになれるように」というのが世の中です。

    と、いうわけで、合唱団「空」は、ただひとつ「音楽が好きだ歌が大好きだ」という共通点をもった子が、低学年もいる高学年もいる、中学生も高校生も大学生だっている、みんなで一つの目標をもってがんばろう、そして大学生が結婚をしようかってな時には小学生が高校生になり、当時赤ちゃんだった子を新入団員として支えていく。いろんな子のまぜこぜ。世の中の縮図です。それを「よし」とする合唱団。なぜなら、ねらいが「教育」であり「人間としての真実」つまり「努力と成果の関連性」を体験するチームだからです。

    では、いわゆる「年齢の低いメンバー」「小学生の子」に、嶋田先生が何を要求するかというと、「みんなと同じ方向に綱を引け」ということです。綱引きというものは、力の強い子もいれば力の弱い子もいる。やってはいけないことは、綱にぶら下がることです。綱にぶら下がる子が一人でもいると、その後ろの子たちの「引く力」は、「ぶら下がっている子を上に持ち上げる」ということに使用されてしまいます。つまり、必ず負ける。綱引きは、いかにして綱を一直線にして同じ方向に引くか…という勝負であり、どんなに力の弱い子であっても、その「一直線の同じ方向」を守っている限り、必ずチームのプラスになる。その「小さなプラスがいかに多いか」が、綱引きのポイントです。そして、どんなに力の強い子でも、ずれた角度で引いている限り、チームのマイナスになっている。

    「空」の空間では、小学生に限らず、中学生でも高校生でも、どんなに小さい声でもいいし、時には(わざとでなければ)間違ってもいい。どんなに小さな声でもいいから、みんなと同じ音程にしようとする「気持ち」があるかどうか、みんなと同じ発音を作ろうとする「気持ち」があるかどうか、これを集中して見ています。それをやってくれているかぎり、あるいは十分でなくてもやろうとしている姿勢があるかぎり、嶋田先生は嬉しいのです。そしてパートリーダーには、その活動を側面から支援してくれるようにお願いしました。

    理由の2つ目は、ジュニアとシニアに分けるだけの人数が、合唱団「空」にはいないのですよ、新実徳英先生。決して、新実先生のアドバイスを無視しているわけではないのです。「無い袖は振れない」だけなのですよ。それに、音楽プラザには部屋がふたつない。さらに、ジュニアとシニアを分けて指導する、指導スタッフがいない。新実先生、ごめんなさい。今のところ、そういうわけなのです。まあ、メンバーが70人くらいになったら、ひとつ考えてみましょう。合唱団「空」には、新実先生の曲を歌いたがっている子も多いようなので、近い将来、もう一度、ご指導いただけますように、よろしくお願い申しあげます。

  • ソーツ先生の前でエストニアの恩人の曲を歌う、最高の国際交流です

    松原千振先生にお会いして、エストニアの児童合唱曲の楽譜をいただくことができました。

    松原先生は東京混声合唱団の常任指揮者で、東海メールクワイアーの主席指揮者でもあります。と言うより、合唱団「空」第5回定期演奏会で指導していただいた恩人でもあります。6月21日(土)の練習にアンツ・ソーツ先生(エストニア国立男声合唱団指揮者)をお招きする時に、「空」で1曲エストニアの曲を歌えるように…と、お願いしておいたのです。

    いただいた曲は「Viljandi Karjapoiss」というタイトルで、もちろん歌詞もエストニア語です。タイトルの意味は「牧童の歌」「少年の牧場の歌」とでも言うべきでしょうか。練習の時、エストニア語について説明する暇はありませんから、嶋田先生が「カナ」をふっておきます。カナ付きの楽譜といっしょに、カナをふっていない「松原先生からいただいたそのままの楽譜」と2種類印刷して持って行きます。

    タイトルの横の、作曲者の名前を見てビックリしました。そこには V.Tormis とあったのです。ヴェリヨ・トルミス。エストニアの合唱音楽の恩人です。

    エストニアという国は、つい10数年前まではロシア(当時はソビエト連邦)の支配下にあり、ロシア語をしゃべるように強制されていました。ただひとつ、エストニア語を使うことができたのは、歌を歌う時だけ。我々日本人だって、中国語だろうとドイツ語だろうと、その曲は書いてあるそのままの言葉で歌うもんね。だけど考えてみてください。日本が今、中国か北朝鮮か、そんな国に侵略されていて、中国語しか使えない。だけど「ふるさと」「ゆうやけこやけ」などの歌を歌うときだけは日本語を使うことができる。そういう状態、想像できる?「できない」なんて言ってはダメだ。だって、つい10数年前まで、バルト諸国では現実だったことだし、ソーツ先生も子供の時はロシア語を強制されていた人なのだ。エストニアがロシアから独立して、エストニア語を自由に使えるようになった時、ソーツ先生はどんなに嬉しかっただろうか…。

    エストニアの人々は、長いロシアの支配下の時代、歌・合唱こそ自分たちの言語を守ることができる領域と考えて、みんな合唱をした。だって、母国語を使えるのは、その時だけなのだもの。だからエストニアでは、全人口の5人に1人は、どこかの合唱団に入って歌っている。そういう合唱王国が、エストニアです。

    ヴェリヨ・トルミスは、ロシア圧政時代から、エストニア人のためのエストニア語の曲を書き続け、そして今なお元気に作曲活動を続けている、エストニア独立運動の恩人なのです。そのヴェリヨ・トルミスの「Viljandi Karjapoiss」を「空」が歌う。ソーツ先生の前で。こんな国際交流、学校でできるか?ぜったいにできませんよ。

    心配しないで。曲の歌い方は、嶋田先生がチャンと教えます。