SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


ソーツ先生の前でエストニアの恩人の曲を歌う、
最高の国際交流です

松原千振先生にお会いして、エストニアの児童合唱曲の楽譜をいただくことができました。

松原先生は東京混声合唱団の常任指揮者で、東海メールクワイアーの主席指揮者でもあります。と言うより、合唱団「空」第5回定期演奏会で指導していただいた恩人でもあります。6月21日(土)の練習にアンツ・ソーツ先生(エストニア国立男声合唱団指揮者)をお招きする時に、「空」で1曲エストニアの曲を歌えるように…と、お願いしておいたのです。

いただいた曲は「Viljandi Karjapoiss」というタイトルで、もちろん歌詞もエストニア語です。タイトルの意味は「牧童の歌」「少年の牧場の歌」とでも言うべきでしょうか。練習の時、エストニア語について説明する暇はありませんから、嶋田先生が「カナ」をふっておきます。カナ付きの楽譜といっしょに、カナをふっていない「松原先生からいただいたそのままの楽譜」と2種類印刷して持って行きます。

タイトルの横の、作曲者の名前を見てビックリしました。そこには V.Tormis とあったのです。ヴェリヨ・トルミス。エストニアの合唱音楽の恩人です。

エストニアという国は、つい10数年前まではロシア(当時はソビエト連邦)の支配下にあり、ロシア語をしゃべるように強制されていました。ただひとつ、エストニア語を使うことができたのは、歌を歌う時だけ。我々日本人だって、中国語だろうとドイツ語だろうと、その曲は書いてあるそのままの言葉で歌うもんね。だけど考えてみてください。日本が今、中国か北朝鮮か、そんな国に侵略されていて、中国語しか使えない。だけど「ふるさと」「ゆうやけこやけ」などの歌を歌うときだけは日本語を使うことができる。そういう状態、想像できる?「できない」なんて言ってはダメだ。だって、つい10数年前まで、バルト諸国では現実だったことだし、ソーツ先生も子供の時はロシア語を強制されていた人なのだ。エストニアがロシアから独立して、エストニア語を自由に使えるようになった時、ソーツ先生はどんなに嬉しかっただろうか…。

エストニアの人々は、長いロシアの支配下の時代、歌・合唱こそ自分たちの言語を守ることができる領域と考えて、みんな合唱をした。だって、母国語を使えるのは、その時だけなのだもの。だからエストニアでは、全人口の5人に1人は、どこかの合唱団に入って歌っている。そういう合唱王国が、エストニアです。

ヴェリヨ・トルミスは、ロシア圧政時代から、エストニア人のためのエストニア語の曲を書き続け、そして今なお元気に作曲活動を続けている、エストニア独立運動の恩人なのです。そのヴェリヨ・トルミスの「Viljandi Karjapoiss」を「空」が歌う。ソーツ先生の前で。こんな国際交流、学校でできるか?ぜったいにできませんよ。

心配しないで。曲の歌い方は、嶋田先生がチャンと教えます。

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