相手によって「自分の意味」が変わる

【令和7年4月26日(土)】
 今日も新入団員を迎えることができたと報告できることをたいへん嬉しく思います。4年生の女の子。名前を紹介できないのは残念ですが、今日は午後に父母総会がありましたので、そちらの資料を参照してください。みんな仲よく迎えてあげてくださいね。

 今日は前半を「二十歳」と「われもこう」、後半を「鳥が」に集中して練習しました。つまり、5月11日(日)のモリコロパークコンサートと5月31日(土)の春日井ゆめいっぱいコンサートで歌う曲に集中して取り組んだわけです。
 結論から書きますと、3曲とも全員が全てのパートを歌って、その後に自分のパートに専念してハーモニーを作ることができました。もちろん3曲とも最初から最後までを全部です。
 新しいメンバーにも分かってほしいので書きますが、「自分のパートだけ歌えるよ」などと言っていてはダメなのです。本当に「上手になりたい」と思うなら、全部のパートを歌えるようになりましょう。
 たとえば自分のパートが「ドレミレド」という音で歌うとします。その時、相手のパートが1番は「ミファソファミ」で、2番は「ソラソソソ」と歌うとします。
自分は1番も2番も「ドレミレド」なんだけど、相手が「ミファソファミ」と歌うか「ソラソソソ」と歌うかによって、「ドレミレド」の意味がゼンゼン違ってきます。
 遠足に行った時、友達にオニギリをあげたいと思いました。そこで友達が「おなかパンパン」か「おなかイッパイ」かで、自分の行動を考えなければなりませんね。相手がペコペコかパンパンか関係なしに「はい、オニギリあげるよ。食べて」と押し通すのは親切でも何でもありません。
 相手が何をするか、何を考えているかによって、自分の行動なり役割が変わる。これが「思いやり」であり「親切」であり「合唱の本質(ほんしつ・たいせつなこと)」です。

 それにしても「二十歳」と「われもこう」と「鳥が」を5月中に歌えるようになっておけば、その後の練習がとっても楽になります。
 今日のメンバーの様子を見ていると(歌声を聴いていると)、3曲ともなかなかカッコよく歌えていますから、来週や再来週は3曲だけではなく、他の曲の練習もできそうです。頼もしいことですね。

 「鳥が」は新実先生の全ての作品の中でも一番人気のある曲です。聴いた人はみんな「自分も歌ってみたい」と思うようです。音楽の流れもカッコイイけれど、詩もカッコイイですね。

鳥が空を見上げるように
花がつぼみをほどく

鳥が羽ばたこうとするように
花が葉をしげらせる

鳥が飛びたつように
花が咲きそめる

鳥が歌うように
花がにおう

そして
人はことばで
鳥のように飛び
花のように咲く

 もちろん、みんなが知っている「鳥」や「花」をイメージすれば良いのですが、最後の部分をよく読んでくださいね。最後にある「人は」を「ぼくは」あるいは「わたしは」と読んでください。
最後の部分は

そして
ぼくは(わたしは)言葉を使って
世界中の人と手をつなぎ
世界中の人と心をかよわせるんだ

という決意を歌いましょう。
 みんなにはできるはずです。
 そのような決意を、指揮をしてくださる新実先生に伝えましょう。
 楽しみです♪