施設訪問コンサートよろしくね。

【令和6年7月5日(金)】
 今日は昨日よりも暑いですね。みんな、体調管理に気をつけてくださいませ。

 さて、明日は「空」にとってもおそらく6~7年ぶりの施設訪問コンサートです。コロナになって中断していましたが、関係父母会ママのご尽力で久々の復活となりました。
 参加できるメンバーはよろしくね。

 通常、ソラノートは練習が終わってから、その日の練習で何をやったか、その日の練習の目的や成果は何か…などを書くようにしています。
 久しぶりの訪問コンサートで、初めて保健施設に入るメンバーも多いと思いますから、書き続けて20年くらいになりますが初めて「ねらい」「目的」について予告編を書いておきます。
 なぜなら、本当は明日、練習をしながら話したいのですが、時間が限られていますから、できるだけ説明みたいなことをシャベるのは少なくしたいのです。

【お客さまのこと】
 定期演奏会や合唱フェスティバルの場合、聴いてくださるお客さまは電車や車でわざわざホールまで来てくださいます。
 ところが施設のお客さまは、おそらくはもう施設から外出できない人たちです。そして、年齢は90才を超えた人々でありましょう。
 嶋田先生の父親も95才になり、施設に入っていて、昨日も会いに行ってきたのですが、もう合唱団「空」や東海メールクワイアーの定期演奏会にも連れ出すことはできません。それどころか施設から近所の公園に散歩に出ることも、とってもムズカシイのです。
 そんな人たちに、プレゼントをするとして、みなさんなら何を持って行くか、それを考えてほしいのです。

【とどかないプレゼント】
 考えられるものの代表として、話を分かりやすくするために
〇100万円(ようするにお金)
〇ダイヤの指輪(ようするに宝物)
〇フランス料理(ようするに高級な食べ物)
この三つを上げておきます。「いつまでもお元気で」などと書いた手紙などは外しておきますね。
 さて、100万円。どうでしょうか?みなさんならゼッタイもらったら嬉しいでしょう。では、お年寄りたちにとって100万円はどうなのだろうか。
 嶋田先生のお父さんなら、100万円もらっても机の上に置いておくだけでしょう。間違いなく嬉しくないと思います。なぜなら、もう使い道がないからです。高級自家用車も最新のゲーム機も、もうお父さんにとっては石ころと同じです。
 では、ダイヤの指輪はどうでしょうか?おばあちゃんなら喜ぶかもしれないね。
 でも、そのおばあちゃんの手は、もうシワシワで、ダイヤの指輪をはめても似合いません。第一、そのダイヤの指輪をはめて出かけていく場所がないのです。そもそも施設から外に出かけることができるのかどうか…。車イスから離れられないような人に「この指輪きれいでしょ」なんて言っても意味があるのかな。
 最後にオイシイ最高級のフランス料理。これなら味があるから食べたいよね。
 嶋田先生のお父さんなら、昨日も外して見せてくれましたが全部入れ歯です。下の歯は少し残っていますが、上は上顎(うわあご)の形をしたピンクのプラスチックに全部の歯が並んでいる入れ歯。先生は、その父親にフランス料理の高級ステーキを食べさせようとは思いません。

【とどくプレゼントとは】
 お金もダイヤもフランス料理もいらない。そんな人たちが喜ぶプレゼントって何だろう…?
 このテーマで何度、担任したクラスの子たちと話し合ったことか…。30年以上考え続けた嶋田先生の結論は
〇楽しかった思い出や美しい思い出を蘇らせて(よみがえらせて)あげること
〇その晩、楽しくて美しい「夢」を見せてあげること
だと思います。
 明日のみなさんの歌声を聴いて、おじいちゃんやおばあちゃんたちが、若かったころや子どもだったころの楽しい記憶を思い出してくれたら、どんなにステキでしょう。その記憶の中には、おじいちゃんやおばあちゃんたちの「お父さん」や「お母さん」も出てくるはずです。90才の人の「お母さん」なら生きていれば120才くらい?
 おじいちゃんやおばあちゃんたちが、自分は子どもになっていてお母さんと手をつないで歩いている風景を思い出してくれたら、どんなにステキでしょうね。
 そして、歌い終わってみんなが帰った後、夜になってベッドに入って見る夢が、「自分が子どもだったころの美しい風景」の夢だったら。
 みんなの歌声で、もしもそんなことができるなら、それは本当にステキなことであり、みんなにとっても最高に幸せなことだと先生は思います。
 そういうことがやりたい。それができるのが「音楽の力」です。

【1曲だけ解説】
 明日、歌う曲はすべて歌集「歌はともだち」に載っているものばかりです。この歌集は小学校で採択されているもので、偶然ですが嶋田先生が2月まで務めていた小学校でも同じ歌集を使っていました。
 出版しているのは教科書会社です。教科書会社が「小学校でこの曲が歌われると良い」と判断して載せている曲には「COSMOS」あり「ビリーブ」あり。そんな中に「里の秋」があります。
 P80を開いてみましょう。ちょうど「さんぽ」も載っていますね♪
 残念ながら「さんぽ」は歌いません。「さんぽ」は素晴らしい曲ですが、明日のお客さまに向かって「あるこうあるこう、私は元気。ともだちたくさん、うれしいな」なんて歌っても意味はありません。
 同じページに載っている「里の秋」は、今回のような機会に取り上げなければ合唱団「空」のメンバーもおそらくは一生(死ぬまで)歌わずに終わってしまいそうな曲です。ウソだと思ったら、メンバーは父母会(つまりみんなのお父さんお母さん)に聞いてごらんなさい。「ねぇねぇママ、「里の秋」って知ってるぅ?」って。
 詳しくは明日、説明しますが、ここでは3番だけ。

 さよなら さよなら 椰子の島
 お船に ゆられて 帰られる
 あぁ 父さんよ ご無事でと
 今夜も 母さんと 祈ります

 「椰子(やし)の島」とは太平洋戦争で日本兵が戦った南の島のことです。戦争が終わって生き残った日本兵は輸送船(お船)に詰め込まれて日本本土に帰ってきます。
 その日本兵の父さんを、「無事に帰ってきて!」と祈り続け、待ち続ける子どもの思い。

 今、90才の人は戦争の頃は10才くらいです。明日の施設のお客さまの中にも、同じ思いを抱いた人がいるかもしれませんよ。10才の時にお母さんと囲炉裏(いろり)を囲んで
「ねぇ、母さん、お父さまはいつ帰ってくるの?」
などと話していた経験を持っている人が。
 この曲が作られたのは1945年(昭和20年)の12月です。そして12月24日にNHK東京放送スタジオからラジオで生放送されました。歌ったのは当時小学校5年生だった川田正子です。
 川田正子が歌い終わった時、スタジオ内にいた全ての人(アナウンサーや司会者・マイク担当・音声担当・伴奏した小オーケストラのメンバーなど)は水を打ったように静まりかえり、次の瞬間にはスタジオが雷のような拍手に包まれたそうです。
 そして数分後、NHK東京放送の電話がジャンジャン鳴りっぱなしになり
「今のは何という曲だ?」
「お願いだからもう一回放送してくれ!」
「もう一度聴きたい」
などの電話が一晩中かかってきたそうです。

 79年前、子どもの時、その放送を聴いた人がいたら。そしてお父さんが帰ってきた子もいたでしょうが、お父さんの戦死の知らせを受け取った子もいたでしょう。
 そんな人たちが、みんなの「里の秋」を聴いたら、どんな気持ちになるでしょう?

 想像してみてください。