SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


ノドと胸のまん中あたり

【令和6年10月20日(日)】
 19日(土)は今木先生、20日(日)は池辺先生と大切なリハーサルが続きました。本当によく頑張りました。メンバーの集中力は素晴らしかったし、そのために多くの成果を上げることができました。
 お二人とも、ほとんど同じことをおっしゃいます。使う曲や説明する方法(言葉)が違うだけで、音楽的な内容や上手になるためのポイントは共通しています。整理すると

①歌詞(言葉)をハッキリ発音する
 「キリギリス」の「ス」や「思い出の街に」の「ち」など、ふだん友達と話す時のような感じではなく、ハッキリと「身を固くして」発音すること。これは池辺先生今木先生だからではなく、嶋田先生が経験した多くの指揮者が同じことを言われました。

②歌詞(言葉)をていねいに発音する
 「新しい朝がくれば」を「あたーらしーいー あさーがくれバッ」とか、「新しい空があるよ」を「そらーがあるヨッ」みたいに吐き捨てないで、言葉の最後まで丁寧に歌うこと。これも多くの指揮者が同じことを言われます。

③遠くに向かって歌う
 池辺先生や今木先生に向かって声を出すのではなく、会場の客席の一番遠くに向かって歌うこと。目が遠くを見ていると背中も伸びて姿勢が良くなり、つまりは声の響きも良くなります。

 ほかにもいっぱいありますが、三つにしておきます。

 嶋田先生が一番感じたことは「楽譜の見方が良くなった」ことです。これはまだまだレベルが上がるはずです。
 どう「良くなった」かと言うと、「あこがれ」のフィナーレは歌詞が「アー」だけになりますね。ここで楽譜を見ている子はほとんどいなくなりました。ほかにも「夜明けのイソップ物語」の最初(歌詞が変わりました)の「ピンポーン、トゥルルントゥルルルルン」を見ている子はほとんどいなくなりました。
 これは年齢や経験は関係ありませんから全員が必ずやってほしいのですが、自分が「覚えたよ」「ここは楽譜を見なくてもオーケー」と思うページを整理することです。
 整理するっていうか、自分でナットクするっていうのか、うまく文章にできませんが、キョクタンに言えば「見なくてもオーケー」な部分を赤く塗ってマーキングしてしまうとか、その部分の最初に「見る」と書いておくとか目のイラストを描き込んでおくとか、そのような工夫です。
 これは52年歌い続けている嶋田先生が今でもやっている方法です。人によっていろいろな方法がありますが、ようするに「自分が楽譜を見なくても大丈夫」な部分を「自分で分かるようにする」という作業です。
 この、「楽譜を見なくても大丈夫」な部分を多くするのが「練習」なわけです。

 もう一つは楽譜の高さです。教室で国語の教科書を声に出して読む時は、必ず教科書が顔の前にあるはずです。その高さに楽譜を持つと絶対に指揮者が目に入りません。
 良い楽譜の高さとは、自分のノドと胸のまん中あたりです。
 「あっ、楽譜の見方が良くなってるぅ!」と嶋田先生が思った時、ほとんどのメンバーが楽譜をオッパイの高さにしていて、池辺先生と楽譜とをチラッチラッとかわりばんこに見ていました。
 指揮者と楽譜とが、目をチラッチラッと動かすだけで見ることができる…、それがノドと胸のまん中あたりの高さです。

 最悪なのは楽譜を顔の高さにしていて指揮者の姿をシャットアウトすること。
 チョーウルトラ最悪なのは、楽譜をヘソの高さにして顔を下げることです。

 楽譜を見ることは決して悪いことではありません。ある小学生のメンバーに言いましたが、世界一のオーケストラのウィーンフィルハーモニー管弦楽団だって、全員が必ず楽譜を持ってステージに上がります。最高の演奏をするために必要だからです。

 そういう意味で、「楽譜の見方が良くなった」子が増えたことは大きな成果でした。
 ぜひ、自分が「覚えたよ」「ここは楽譜を見なくてもオーケー」と思うページを整理しておいてくださいね。
 何よりも、自分自身がステージの上で楽しんで音楽をすることができるように…。

 あとは26日(土)の池辺先生のラストリハーサル。そして本番です。
 合唱団「空」の子どもたちの健闘を祈ります。

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