SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


「ちいさな法螺」「ぼくは雲雀」「わらべが丘」「ライオンとお茶を」Image

【ちいさな法螺】



ちいっちゃな魚に 化けたのさ
流れをおよいで 海にでた
すなやまは 波がどどん
やどかりこ 泣いていた
家主に 追いだされ
こぶしあげ わめいておった
おれは彼女を 水にいれ
ひれをふるわせ 踊ったもんだ
ほーんとだぜ



ちいっちゃな魚の おれだけど
月夜にゃうろこが 銀になる
みちしおの 浮かれ藻を
だてな鱶 咬んでいた
歯みがき わすれたと
長いつら しかめておった
おれは野郎を 寝かしつけ
あごを海月で こすったもんだ
ほーんとだぜ


小さな魚に化けた。化けたということは、もともとは人間だったということを意味すると思います。
では何のために化けたのでしょう。それは「やどかり」や「鱶(フカ)」を励ますためです。
「やどかり」も「鱶」も泣いています。悲しんでいます。
海の中の砂山、すなわち「やどかり」の生活の場に、大波がドドドーっと押し寄せて「やどかり」のすみかを破壊した。
生物学的に言えば、ヤドカリは入っているカラよりも自分の身体の方が大きくなってキュウクツになると、大きなカラに入っている他のヤドカリを追い出して、自分がその大きなカラを占領します。洗面器の中に2匹のヤドカリを飼っていれば、いつかは必ず見ることができる現象です。
大波のおかげで生活の場を破壊された「やどかり」たちは家を奪い合って、追いだされた「やどかり」はハダカになって泣いているのです。
土砂崩れがあって肉親を失い、今、今日、この瞬間にも避難所で絶望的な避難生活を送っておられる人々がいます。去年は大雨の洪水がありました。その被災者の方々は1年以上も避難生活を送っておられます。
その人たちは、こぶしを天に向けて運命を呪い、泣き叫び、わめいておられます。
みなさんは、そういう人々のために、何ができましたか?
先生は何もできませんでした。そして、これからも何もできないでしょう。
ですけれども、祈ることはできます。そして、ゴミを拾う、リサイクルに出す、1円玉募金をする、水を節約する、紙パック運動に協力するなど、小さな小さなことはできますし今もやっています。そのような小さな活動が、ものすごく多くの人々の手によって広められた時、大量のゴミが減り、大量の水や電気が節約され、そのために余らせることができたエネルギーをひいては被災者の方々の救援に役立てることができると信じています。
「彼女(やどかり)を水に入れ」とは、被災者の方々にお風呂をプレゼントする ということに他なりません。
そして「ひれをふるわせて踊る」とは、被災者の方々のために祈るということだと先生は思うのです。
「満ち潮の浮かれ藻を咬んでいた」とは、食べる物がない国の人々が草の根や木の皮を食べている ということだと思います。
「ハミガキを忘れた」のではなく「歯をみがくこともできない」、つまり歯を磨くほどの食べ物を食べることができない という意味だと思った時、みなさんは何を感じるでしょうか?
毎日毎日「歯を磨きなさい」と叱られている「空」のメンバーです。一度でも思ったことがありますか?2日も3日も何も食べていなくて、歯磨きなどは「天国の話」だという現実がある、そういう国々の人たちのことを。
そのような人々を励まそうとする歌が「ちいさな法螺」です。そのような人々を「水に入れ」「寝かしつける」ことができるように、今やれる小さな一歩を踏み出すのです。
そのように本気で思っている人でなければ「ほーんとだぜ」と歌う資格はない と先生は思うのです。



【ぼくは雲雀】

英語はにがてさ 数学きらいだ
 (あたまは帽子をのせるため)
国語もさっぱり 社会はねむいよ
 (あの子がふりむくはずがない)
それでも雲雀は歌じまん
 (あがってさがってまたのぼる)
陽気な小節をぴりぴり震わせ
 (空からスピーチ)
世界はおいらの
 (世界はおまえの)
なかよし
 (なかよし)
鉛筆なくても 暮らしにゃこまらぬ
 (もうじきほんわか香りだす)
麦ばたけ
 (麦ばたけ)
かげろういっぱい麦ばたけ


この詩はダイレクトに(直接に)心の中に入ってくる言葉ばかりなので、その言葉から受けるイメージをそのまま新実先生の音楽に乗せて歌えば楽しく生き生きとした表現が完成します。その意味では「読み取り」など必要がない…と言えるでしょう。
しかしですね、みんなの歌声を聴いて下さるお客さんに (  )が付いている言葉って何? とか、「麦畑」って何? とか聞かれて、「さぁ~?分かりません。分からないけど楽しい曲ですよね」としか答えられないとしたら、お客さんは「うん、たしかに楽しい音楽でしたよ」って答えてくださるでしょうけど、ちょっとサビシイ気がします。
読み取りなど必要ない…と前置きしつつ、敢えて「不要かもしれない」読み取りを書いてみます。

まず(  )は何かという問題。
これは「僕」の心が乗り移った雲雀、つまり雲雀の姿になったもう一人の自分の「心の中の言葉」ではないか…と思います。
みんなはこんなことはありませんか?
友達や親や先生に何かを言われて「○○○○…」と答えた時、心の中でもう一人の自分が「本当は△△△△なんだけどね…」とつぶやく声が聞こえたことが。
あるいは何かをやろうとした時に「本当に私がやりたいことは○○なんだよなぁ」という自分の本心の声。

主人公の「僕」は成績は悪いけど、みんなのように歌が大好きなんです。みんなが成績が悪いっていう意味じゃないですよ!
それで、英語や数学のテストで5点とか7点とかの最悪の答案用紙が返ってきたんですね。「僕」は叫んだんですよ。

 おれは英語は苦手なんだよぅ!数学なんか大っきらいだぁ!
 国語も意味わからんし!社会になると眠くなるんだわぁ!

そしたら天から雲雀(僕の本心)の声が聞こえてきた。

 いいじゃねぇか。頭っちゅうのは勉強のためにあるんじゃない。帽子を乗せられればOKですなんだよ。
 勉強ばっかりやっていたら、お前の大好きな○○ちゃんにフラれるぜ。

以下、イメージを書きます。

 おれは英語は苦手なんだよぅ!数学なんか大っきらいだぁ!
 (いいじゃねぇか。頭っちゅうのは勉強のためにあるんじゃない。帽子を乗せられればOKですなんだよ。)
 国語も意味わからんし!社会になると眠くなるんだわぁ!
 (勉強ばっかりやっていたら、お前の大好きな○○ちゃんにフラれるぜ。)
 おれは勉強はダメなんだけどヒバリみたいに歌は得意なんだよね。
 (成績と同じでヒバリは空を上がったり下がったりするけどな。)
 くだらんことは忘れて陽気に明るく歌おうかなぁ。
 (そうさ。空の上からみんなに教えてやれ!)
 世界はおいらのもんだぁ!
 (そうさ。世界はおまえのものだ。)
 おれは世界中の人と仲よくなるぞ~ぅ!
 (そうさ。おまえは世界中の人たちとつながってるんだ。)
 エンピツもノートも教科書も、命には関係ないんだ!!!
 (そうさ。おまえの命はもうすぐ光って輝くぞ!)
 命の畑だ。命の未来だ。
 (おまえの命と未来の広がりだ。)

最後の1行に(  )がありません。それは「僕」と「雲雀の声」とが完全にひとつになったことを意味します。

 夢がいっぱいに広がる命の輝きだ!!!!!

だから「ぼくは雲雀」を歌う時、一番最後の(P53)「かげろういっぱい麦ばたけ」を思いっ切り心を込めた全力投球のフォルテにする必要があります。新実先生がfの記号を付けたのは、そのような願いがあったからだと思います。



「わらべが丘」

本当にステキな詩です。
まずは全部を書いてみます。



春の丘 青い服着る
あどけない 飾りひもする
麦ばたけ ほのかに萌え
なぞひとつ かおるその胸
かたつむり どこへいくやら
この世のそと たどるばかり



はこやなぎ 風のままゆれ
ほそくびに 赤い絹まく
しあわせは うつむき去る
ひつじぐさ ねむる岸べに
みずすまし 何を描くやら
こころのへり まわるばかり


まず、ポイントになる言葉をイメージします。

「青い服」とは「草花が新しい芽を出した、緑色になった」という意味でしょう。
つまり、「春の丘に麦の目がいっぱい出てきて、丘が緑色になった」ということになります。

「飾りひも」とは女の子が髪や着物に付けるきれいな紐のことですが、ここでは麦が咲かせた「花」を意味するでしょうね。

「なぞひとつ」は難しい。いろいろなイメージが有り得ます。
ここでは「私はなぜこの丘に芽を出したのか?」という麦の気持ち…とします。
そして「麦」と後に出てくる「かたつむり」を「私自身」とイメージすると、
「私はなぜこの世に生まれたのだろう?」という謎が私の胸の中にめぐり、
「私は何のために生き、そしてどこへ行くのだろう?」という自分自身への問い掛けになります。

そんな謎は答えが分かるはずはありません。でも、いつも「もう一人の私」が「私」に問い掛けます。
「こころのへり」つまり「心のすみっこ」を「まわるばかり」つまり「さまようだけ」とイメージできます。

「ハコヤナギ」の木の葉はとても小さくて軽いので、かすかなそよ風にもカサカサと音を立てます。だから別名をヤマナラシ(山鳴らし)と言います。
そして、若木の時には木の肌に赤い軟毛(柔らかい毛のように見える)が生えて木の幹がほんのりと赤い。つまり「若さ」「幼さ」の象徴です。
【注1】赤いハコヤナギは若い木だということです。
人間で言えば、赤いハコヤナギとは、まだ若いみなさん自身のことになります。

「ひつじぐさ」は「メェ~」と鳴く羊ではなく「未草」と書きます。蓮の花、スイレンの花のことです。
「未」とは子(ね)丑(うし)寅(とら)卯(う)辰(たつ)壬(み)午(うま)未(ひつじ)申(さる)酉(とり)戌(いぬ)亥(い)の中のヒツジ、つまりヒツジ年のヒツジです。蓮の花・スイレンの花のことです。
昔の時間の呼び方は「子の刻(ねのこく)」が夜中の0時、「丑の刻(うしのこく)」が午前2時、「寅の刻(とらのこく)」が午前4時を意味します。お化けやユーレイがでてくる時間を「草木も眠る丑三つ時」と言いますが、「草も木も寝ていてオバケが出てくる午前2時すぎ」が「草木も眠る丑三つ時」です。
「午の刻(うまのこく)」とはお昼の12時のこと。だから0時~12時までを「午の前」で「午前」、12時~24時までを「午の後」で「午後」と言うのは知ってますね?
【注2】みんなが5時間目の授業をしているころ(午後2時ごろ。つまり「未の刻」)に咲くので「未草」という名前になりました。
蓮の花・スイレンの花というのは仏様が座っている花です。奈良の大仏は蓮の花の上に座っていますね。つまり極楽浄土の華のことです。
その蓮の花が静かに眠る水辺って、どんなイメージなのかな。
ちなみに「ひつじぐさ」の花言葉は「純真」「清らかな心」「信仰」「遠ざかる愛」です。
そこにミズスマシ(私)が泳いでいて、不思議な模様を水面に描いています。


では一行ずつイメージしていきましょう。

春の丘 青い服着る
 【春の丘に新しい芽を出す、つまり緑色の芽を出す麦は】
あどけない 飾りひもする
 【新しい芽はかわいい(あどけない)花(飾りひも)を咲かせる】
麦ばたけ ほのかに萌え
 【麦畑は静かに、そして大地いっぱいに花を咲かせるけれど】
なぞひとつ かおるその胸
 【なぜ私は生まれたの?という謎を胸に秘めている】
かたつむり どこへいくやら
 【私は(かたつむりは)ゆっくりと、どこへ行くのだろう】
この世のそと たどるばかり
 【あの世へ向かう道を ゆっくりと歩むだけなのかなぁ】

はこやなぎ 風のままゆれ
 【箱柳(別名ヤマナラシ)は神の意思・自然のまま(風のまま)に葉をそよがせて】
ほそくびに 赤い絹まく
 【若い時には赤い首飾りを身につけるけど 注1】
しあわせは うつむき去る
 【幸せは下を向いて去ってゆく】
ひつじぐさ ねむる岸べに
 【未草(スイレンの花 注2)が静かに咲く水辺に】
みずすまし 何を描くやら
 【ミズスマシは不思議な模様を水面に残して沈んでゆく】
こころのへり まわるばかり
 【私の心のすみっこに 不思議なメッセージ(清らかな心)を残して】



【ライオンとお茶を】

お茶をライオンと飲みたいティラッタラッタラッタ
走るしまうまながめてティラッタラッタラッタ
いまの暮しむき遠い昔のこと
ぼやきたくないが歯医者には泣かされるね
ハゲタカに払う税金だって安くはない
たてがみをなでる風の道見えたりして
草原にちらほら星出るティラッタラッタラッタ
ばかにひもじい世の中愛してるから
ライオンとビスケット食べたいティラッタラッタラッタ


第23回定期演奏会のステージでお客様に話しましたが、ライオンといっしょにお茶を飲んだりビスケットを食べたりすることなどできるはずがありません。もし、そんなことをしようとしたら、あっという間にエサになってしまうでしょう。
そう。この詩の中のライオンは、アニメに出てくる人間の味方のライオン君ではなく、ぬいぐるみみたいなかわいいライオン君でもない、獰猛(どうもう)な猛獣(もうじゅう)です。
動物園に行って、そのライオンの檻の中に入って、「まぁ一杯やろうじゃねぇか」などと言う人は世界中に一人もいない。ライオンと人間とは「絶対に仲良く暮らすことはできない正反対の存在」なのです。
みなさんにも、そういう人がいるでしょう?「あいつだけは絶対に許せない」「顔も見たくない」「大っきらいだ」という人が。
「絶対に許せない」とまで激しくなくても、遠足や修学旅行で「できれば同じグループになりたくないなぁ」と思う子がいるはずです。
この詩の中のライオンとは、そういう「できれば同じグループになりたくないなぁ」と思う子のことです。
でも、あなたと同じように、その子も歯医者がキライなんです。あなたと同じように「星空がきれいだなぁ」って思うことがあるんです。
ライオンだって、きっとアフリカのサバンナで、夜に満天の星空を眺めて、「きれいだなぁ、ガルルルル」と思うことがあるに違いありません。
世界中にはミサイルだとか核兵器などを使って、お互いに脅かし合って(おどかしあって)対立している国があります。日本だって同じです。
でも、どんなに対立している国同士でも、人々が願っていることは同じです。「みんなが幸せになれると良いなぁ」って思っています。あなたと同じように。
この詩は、絶対に仲良くなれないライオンと人間だけれども思っていることは同じ だと言っています。
それは、絶対に仲良くなれない国と国の人々でも願っていることは同じ ということです。
そのことを理解すれば、ライオンと人間とが仲良くなることができるかもしれない。
と言うことは、対立し合っている国々だって、いつか仲良くなることができる。

谷川雁はそう思っています。詩人の願いを受け継ぎたいですね。
みんなの歌声を聴いたお客さんが
「なるほど。「空」の子はライオンとお茶を飲みたいと思っているんだな」
と思って帰るか、
「そうか。「空」の子は「みんなが幸せになれると良いなぁ」と思っているんだな」
と思って帰るか、そこが重要です。合唱の最も素晴らしいことは「メッセージを伝えることができる」ということです。
そのために、どのように歌うか。それぞれに考えておいてください。

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