SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


忘れ雪 と 火の粉

【令和3年7月10日(土)】②
「薔薇のゆくえ」の続きです。

【忘れ雪】
この詩はムズカシイです。「薔薇のゆくえ」で書いたとおり、詩は自分なりのイメージを膨らませるのが大切なのですが、特に「にれ(楡)の木」がキーワードで、実に様々にイメージすることができます。
「楡の木」は花言葉だけでも「高貴」「尊厳」「威厳」「信頼」「美しさ」「魅力」「愛国心」など多く、だから「忘れ雪」の詩だけは嶋田先生の一人よがりになってしまう可能性があることを前置きしておきます。
上の花言葉の中で、嶋田先生は「美しさ」を取ります。「高貴」も「気高く美しい」という意味ですから当てはまるかもしれません。
なぜ「美しさ」を取るかと言うと、最初の「あでやかに」という言葉が女性に使われる言葉で「はなやかで美しい(女性)」という意味だからです。
そして「楡の木」にはギリシャ神話や北欧(ほくおう・北ヨーロッパ)神話があるのですが、嶋田先生は星(や星座)が好きなので星座に関するギリシャ神話は少し知ってます。オリオンとサソリの話とか英雄ヘラクレス、ポセイドン、ペルセウス、太陽の神アポロン、美の女神ビーナスなどの名前を一つくらい知っている子がいるかもね。また、ワーグナーという作曲家が好きなのでワーグナーの歌劇に出てくる北欧神話(英雄ジークフリートやワルキューレなどはゲームのキャラクターにもなってる)も少し知ってます。
そのうちのギリシャ神話で、竪琴の名手オルぺウスが奥さんの死を悲しんで楡の木の根本で泣いた…という話があり、おそらく谷川雁さんはオルぺウスの神話を詩の中に取り入れたものと想像します。

あでやかに 雪ふりつむ
にれの木は ひとのすがた
白いもの いのちあれと
すすりなく 沢の岸べ
こずえの巣 主かえらず
忘れ雪 かがやいて

 (私 = 美しい妻を失ったオルペウス と考えます)
 はなやかに美しく 雪が降り積もり
 雪をかぶった楡の木は 私の妻の姿に似ている
 雪をかぶった楡の木(私の妻)よ よみがえれと
 沢の水のせせらぎも いっしょに泣いてくれる
 楡の木の梢に巣をかけた鳥も 死んでしまったのだろうか
 巣の中にも雪が小鳥の姿となって 積もり 輝いている

岩かげに 淡雪ふり
遠つ世の 舟のかたち
さけられぬ ちから知れと
しるし舞う 昼は長けて
すきとおり ただほほえむ
ふたばにも 忘れ雪

 楡の木の横の岩かげにも うっすらと雪が積もり
 あの世へ旅立つ 棺桶(かんおけ)の形のようだ
 さけることのできない 運命を知れと
 示し、告げて雪は舞い 太陽は輝く
 (長ける = まっさかり つまり昼の真っ盛りの太陽の光)
 私の妻は見えなくなって ただ微笑んでいて
 新しく芽生えた双葉にも 妻の姿になった雪が降り積もる

うわぁぁぁ、先生もこんなふうに奥さんを愛していきたいなぁ…。
しかし、美しい死です。「高貴」「尊厳」そのものの美しさです。


【火の粉】
7月10日の練習では「この詩は戦争の歌だよ」とだけ言いましたね。言葉だけを読んだだけなら
 この世の中の片すみだ
 焚火が燃えてるんだな
 ヒゲがそろわないんだな
 帽子が転がったのか
 さそり座とわし座が
 うわさを聞いて
 (中略)
 火の粉が天へ上りました
こんなふうにイメージしてたって笑い話になるだけです(笑)。
先生のハートは下のように感じます。

この世のかたすみ = 世界のどこかで
たき火 = 爆弾
帽子 = 人間の頭とか首
さそり座わし座 = 天の神様
火の粉 = 戦争の炎
風 = ピストルの弾丸
娘が笑う = 女の子が撃たれて死ぬ
わたし = キリスト
胸のくさり = 胸の十字架

だから

この世のかたすみ
たき火がはじけます
そろわぬ口ひげ
帽子がころげます
さそり わし座
うわさにこがれて
荒れ野 三日
あるいてきたのさ
ほらほらそこ
火の粉がのぼる

 今も世界のどこかで
 戦争の爆弾がはじけている
 父さんの顔(口ひげ)がゆがみ
 父さんの頭が吹っ飛んだ! 神様たすけて!
 天の神々が
 戦争の話を聞いて
 止めようとして荒れ野を
 来てくれたけど
 ほら あそこにも ほら ここにも
 戦争の炎が天へと上ってゆく

風舞うくさはら
こころがほてります
そばかすかわいい
娘がわらいます
わたし だれか
しらないくせして
胸の くさり
ゆれてるだけだよ
あれあれあれそこ
火の粉がのぼる

 弾丸が舞い飛ぶ草原で
 絶望に心が熱くなる
 そばかすが かわいい
 少女が撃たれて悲鳴をあげる
 私がキリストだということを
 兵隊たちは誰も知らずに
 胸に偽りの(いつわりの にせものの)十字架を
 ゆらめかせるだけ(お前たちに神はあるのか?)
 あれ あそこにも あれ ここにも
 地獄の炎が天を焦がしている


今日もニュースで「難民が…」「人道支援が…」という映像が流れていました。今日の話、「空」の練習が終わった後の話です。
みんなはそこに行って止めなくても良いけれど、「わたし知らなぁ~い」「ぼくには関係なぁ~い」とだけは思わないようにしましょう。
先生もそこに行くことはできません。でも、「知ること」が第一歩なのです。ぼくたちと同じ空気を今吸っている人々の話だということを知るのです。知ろうとするのです。
「火の粉」は、そういう詩だと先生は感じます。

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