SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


「アツシの歌」

【令和2年9月19日(土)】
先日の父母総会で「定期演奏会は4月4日に延期」という究極の選択が決められてから最初の練習です。先生が最も心配しているのはメンバーのボルテージ(熱量・やる気)が下がってしまうのではないか…というものですが、それは心配し過ぎだったようです。普段と同じようにメンバーが集まり、普段と同じか、それ以上に充実した練習をすることができました。メンバーに感謝です。
もちろん個人的には「まだまだ心配」という子もいます。地域の実情、通っている学校の方針、そして何よりもその子の危険回避に対するアンテナの高さ、いろいろな状況が考えられます。練習に来られるようになったら来てください。その子が来てくれた時にスムーズに気楽に、しかも高いレベルで音楽活動が再開できるように、先生も全力を尽くして準備をします。今日の練習もそうでした。来られるメンバーも協力してくれています。みんなで本番のステージを作ることができるように祈っています。
行政(国)からの方針で、今日から各種のイベント開催への規制(きせい)が緩和(かんわ)されました。野球やサッカーや相撲は5000人以内という規制がなくなり、映画館は満席にしてもOKとのこと。
合唱に関しても5000人以内という規制はなくなり(そんなにお客さんが集まるコンサートはありません)、残っているのは「会場は半分以下のお客様で」というルールだけです。何よりも共通理解したいことは
ステージで歌う合唱団はこれまでどおりのスタイルで良い
だからマスクやフェースシールドを着用しなくてもOK
声を出す音楽(合唱)の場合、ステージと最前列のお客様とは2メートル開けること
となったことです。(文責・嶋田)
なぁんだ、それなら11月1日に演奏会ができたじゃないか とは言いますまい。
ルール上OK、行政ルールでは可能…とは言っても、今、11月の演奏会を強行したらステージに立てないメンバーが出てしまうかもしれない。そんなメンバーが一人でもいたら、先生は「悲しくて悲しくてとてもやりきれない」のです。
4月には、さらに状況が良くなっていますように…。

さて、4月4日に定期演奏会が延期となったことで、東海メールクワイアーの鈴木副会長から嬉しい提案をいただきました。
「神様に時間をもらったので、「コタンの歌」は全曲歌うことにしませんか?」
もともと嶋田先生としては全曲を歌いたかったのです。ベートーヴェンの交響曲を途中をカットして演奏するのは好きではありません。やるなら湯山先生が作ったオリジナルどおりの演奏がしたかったし、みんなに「その作曲者の思い」を体験してほしかった。東海メールクワイアーとの最初の約束は6曲でしたが、お願いをして「カエルの子守歌」を加えてもらったのです。
しかし、さすがに4曲目「アツシの歌」を加えて全曲演奏にすることは不可能だと思っていました。練習時間が足りないからです。
だから鈴木副会長の「全曲を歌いませんか?」という提案は、ものすごく嬉しかった。
しかし、その場でスグに返事はしませんでした。そうカンタンに、ホイホイと決められることではありません。まずは「空」が歌えるか、間に合うかを確かめる必要があったからです。
だから今日は「誰も歌ったことがない曲を練習してみましょう」と切り出して「アツシの歌」に入りました。
結論を記します。1時間で最初から最後までハーモニーを作ることができました。しかも多くの部分で全員が全てのパートを歌ってです。2月以来、本当に正真正銘ただの一度も練習していない曲をハモって歌うことができました。
やりましょう。全曲を歌いましょう。楽譜の冒頭に湯山先生が書かれている「曲の配列はすべて急→緩→急→緩という順序をたどる」という作曲上の構成を、作曲者が思い描いたとおりに再現してみせるのです。
今日のメンバーのハーモニーを聴いて、嶋田先生の中には「全曲歌う」という方針が固まりました。固めさせてくれたのはメンバーの反応と歌声です。大感謝です。

このノートは欠席していたメンバーに練習の内容や注意点を伝えて共通理解するのが大きな目的です。ですが今日は「アツシの歌」が出席メンバー全員が初体験、したがって「何ページの何小節目がどうのこうの」と書いたところで参加できなかったメンバーには何が何だか分からないはずです。だからイメージだけを書くことにします。もちろん今日の練習でもイメージについては説明しました。

アツシとは男の子の名前ではなく、アイヌ民族に独自に伝わる織物のことです。楽譜のP91に解説がありますね。
そのアツシを、おばあちゃんが織っている。歌詞にある「女の腕や腰を痛め」の「女」とは、メンバーのような元気な少女ではなく、おばあちゃんです。
おばあちゃんは若い時から子供や孫やみんなのためにアツシを織り続けてきたわけです。何枚も何百枚も。
そして、おばあちゃんにアツシの織り方を教えたのは、ひいおばあちゃんです。ひいおばあちゃんは、ひいひいおばあちゃんから受け継いできたわけです。「何年も 何百年も」という歌詞はそういう意味です。
そして「あぁ、孫が生まれた」という喜びや、息子がヒグマに襲われて死んでしまったという悲しみや、そういう「女の喜びや悲しみ」がアツシの中には「ひそかに」織り込まれてきたわけです。そのアイヌ独特の紋様に「みんな幸せになってくれ」という願いを込めて。
P43の56小節目から57小節目の1拍目のピアノの音は、おばあちゃんの機(はた)織り機が止まった音です。機織り機が止まったということは、おばあちゃんが死んだということを意味します。「大きな古時計」の3番で「真夜中にベルが鳴って止まってしまった時計」が「天国へのぼるおじいさん」を象徴するように。
そして、動かなくなった機織り機が「今、織っているのはアツシではない」と歌います。そりゃぁそうですよ。動かす主のおばあちゃんがいないのですから機織り機は止まっていてアツシを作ることもない。
ですが機織り機は夢を見続けるかのように織り続けているのです。おばあちゃんが残した「虹色の願いだけが切なく織られている」と曲は締めくくられます。
では、おばあちゃんが残した「虹色の願い」とは、どんな願いなのでしょうか。それを言葉や作文で表現する必要はありません。歌うメンバーの心の中にイメージされていれば良いのです。
どんな願いなのか、言葉にしてソラノートに記すことは嶋田先生にもできません。しかし確固たるイメージが嶋田先生の中にはあります。
このイメージは、年齢に関係なく、持てない人には死ぬまで持つことができません。逆に言えば、それをイメージできる子ならたとえ幼稚園児であろうとも1秒で持つことができます。楽譜を見てCDを聴いて巻末の詩を読めば、今日の練習に参加できた参加できなかったに関係なく、豊かで美しいイメージが明確になるはずです。ちがいますか?「虹色の願い」って何ですか?
その豊かに美しく膨らんだイメージを、みんなで4月4日に歌い上げましょう。先生は楽しみで楽しみで仕方がありません。

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