SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


大中先生追悼コンサート ドキュメント

【令和2年2月1日(土)】
本番を明日に控え、午後に新実徳英先生をお迎えするこの日。午前中は「空」単独ステージの総まとめに投入するつもりでした。遠方からサポートメンバーも駆けつけて、3ヶ月ぶりにフルメンバーが揃いました。
結果は素晴らしいものでした。4月のスプリングコンサート、11月の定期演奏会と歌い継いできた「うたにつばさがあれば」です。メンバーの手の内に入っていて「どのように歌うか」(これは指揮者のレベル)ではなく、「どのように歌いたいか」というメンバー一人一人の主体性を感じます。
特にそれが顕著なのは「きみとぼくと地球のうた」と「うたにつばさがあれば」(5曲目)です。まあ5曲目の「うたに…」については毎年の定期演奏会のオープニングですから、「私ならこう歌う」という思いが膨らむのもナットクです。しかし「きみとぼくと地球のうた」に関しても「うたに…」と同様に表現に関する注文はいっさいしませんでした。する必要がなかったのです。先生はただ、みんなが歌いやすいように(アンサンブルが乱れないように)ブレス(息継ぎ)のタイミングとテンポを知らせていただけで、生き生きとした表現が自然に生まれてきました。
「元気のヒミツ」の歌い出しは何度か練習しました。特に「ヒミツをね」と階段のように音が上昇していく部分の歌い方。これは今の「空」が柔らかく歌うのを得意とするチームになっているので、今の「空」に対する注文であって、これまでの先輩たちに注意したことはありません。同じ合唱団「空」でも10年前や20年前に存在していた「空」とは違う合唱団「空」なのです。
ソプラノパートの細かい音程は10年前にも20年前と同様に細心の注意を払いました。この部分は大変です。そんじょそこらの児童合唱団には歌えないムズカシさがありますが、さすがに歌い込むほど正確になっていきました。
「あめとひまわり」は冒頭のハーモニーがムズカシイ。単純に音程を正確にすれば解決する問題ではない。すごく複雑な問題が隠されています。さすがは大中先生。カンタンにはクリアできない「味」を付けてあります。
この複雑な問題をカンタンに記せば、ドミソでハモる瞬間にパートの母音が違う…ということです。冒頭、メゾソプラノとアルトは「明るい」の「あ」で始まりますが、ソプラノだけが「いつも」の「い」で歌い出します。つまり「あ」母音と「い」母音が混ざる。他の要所要所にも同じことが言えます。よほどウマく発音しないと、いやいや発音だけでなく母音の響きを工夫しないとハモらないんです。音としてはハモりますよ。音としてではなく響きとしてのハーモニーの話です。
こんな高級な話は10年前20年前の「空」にはしませんでした。今の「空」だから注文したのです。ですが、何度か確認するうちに本当に精錬(せいれん)されて美しく響くようになってくるのが嬉しかったですね。

休憩の後は「月のうさぎ」です。今回の「月のうさぎ」の表現は単純明快です。できるだけ明るい声で全体を歌うこと。ただし「するとウサギは焚火の中に身を投げて…」は激烈な炎の声で。「月の世界へ送りました」は氷のように冷たいピアニシモで。書いてしまえばこれだけなのですが、実際に歌うとなると大変です。
でも、明るい声で全体を歌うことは、その気になればすぐにできます。「焚火の中に身を投げて…」の炎の表現も、なかなかに激しい表現として広がりました。
問題は氷のピアニシモです。高い♯ソをピアニシモで正確に響かせるためには、身体のポジションを整えて呼吸のタイミングにも神経を使って、きめの細かい発声と発音が要求されます。フォルテで出すのは比較的カンタンなのです。だから3回くらい思い切ったフォルテで楽譜通りに歌い、そのポジションを保ったままで声だけピアニシモにする…という練習をしました。10回歌って1回成功するくらいの確率でした。この確率をいかに上げるか、課題を残して午前の練習は終わりました。

午後、高蔵小学校に移動します。さすがに本番前日とあって会場は熱気に包まれています。
新実徳英先生が登場。「わたりどり」の表現は予想通り、嶋田先生の表現とは違います。新実先生の表現は1番は3拍子の感覚で2小節ごとのブレスを基本として「ゆっくりめに」(それでも嶋田先生のテンポよりはやや速い)。そして2番は2拍子(6/8拍子)の感覚で4小節ごとのブレスを基本として「やや速めに」というものでした。面白い。音楽を創造する至福の瞬間です。自分が「こんな表現だろう」「こんなふうに歌いたい」と主体性をもって                     ※ここで「主体性」という言葉を使ったのは意味があります。冒頭の2段落目に使った言葉です。  練習を重ねてきた表現に変化が生まれる。指揮者の音楽性によって「新たな表現へと生まれ変わる」瞬間です。
大切なことは、その時に、生まれ変わる前の「自分の表現」を持っているかどうかです。「自分ならこう歌いたい」という表現を持っていなかったら、新実徳英なりアグネス・グロスマンなりに「こう歌いましょう」と言われて「ああ、そうですね。そうしましょう」で終わってしまいます。それはツマラナイ。
その時に「自分ならこう歌いたい」という表現を持っている人が新実徳英なりアグネス・グロスマンなりに「こう歌いましょう」と言われると「自分の表現」に変化が生まれます。その生まれ変わる前の「自分の表現」を持っている人だけが味わうことのできる瞬間。これが「音楽を創造する至福の瞬間」なのです。
「海の若者」については新実先生から小田原事件の話が出てきてビックリしました。小田原事件とは佐藤春夫と谷崎潤一郎とが絶縁状態となった事件のことで、谷崎潤一郎が自分の奥さんの妹と結婚してしまい、その捨てられた谷崎潤一郎の(元)奥さんを佐藤春夫が自分の奥さんにしてしまうという、小説家でも作れない(佐藤・谷崎ともに小説家ですが)話です。これ、近代文学の専門家の中ではチョイと有名な話でありまして、嶋田先生は1月18日の合同練習で「みなさんの中で『小田原事件』と聞いてピンとくる方はおられますか?」と質問したら、200人のメンバーの中でたった一人手を上げてくれた人がいました。アルトのメンバーだったと思います。まぁ嶋田先生を含めて二人くらいは知っている、200人の中で。そんな程度の話です。それが新実先生の口からイキナリ「解説」として出てきた。すごいものですねぇ。東京大学の工学部を卒業した後で東京芸術大学に入り直して作曲家になって「白いうた青いうた」を作った。この人の頭の中はどうなっているのでしょう?
「秋の女よ」の加川先生のソロは絶唱でした。「空」のソプラノメンバーの隣で歌っておられましたが、隣に座っていたメンバーは他の曲に関しても加川先生の歌い方をいっぱい聴くことができて幸せでしたね。
「草原の別れ」も少し速めのテンポでした。白状しますと嶋田先生のテンポが遅いのです。これは自覚しています。嶋田先生の手にかかると、どんな曲でも遅めのテンポで情緒纏綿(じょうちょてんめん)の音楽になります。良いか悪いかは別として、これが嶋田先生の音楽の個性です。みんなはどう感じてくれたのかな。「あぁ、嶋田先生のテンポよりも新実先生のテンポの方が爽やかで歌いやすい」なんて感じて歌っていた子がいたら最高に嬉しいですね。もちろん「嶋田先生のテンポがいいなぁ」と思ってくれた子がいたとしたら「おぉ、兄弟よ」と言って抱きしめてあげたくなりますけどね。

夜は新実先生を囲んで夕食をご一緒しました。その場で「明日、どこか空いた時間に「空」の子が歌う「南海譜」を聴いてください」とお願いしました。「いいですよ。楽しみですね」とのお答えをいただき、すぐにメールで連絡配信していただいたことはご承知のとおりです。

【2月2日(日)】
朝、一番に新実先生に「南海譜」を聴いていただくことを知らせ、少し練習をしました。まさしく11月10日以来ただの一度も歌っていない、文字通り3ヶ月ぶりのブッツケ本番です。今日の演奏会には4つの合唱団が参集していますが、朝イチから本番とは全く関係のない曲を練習している合唱団は「空」だけでしょう。3ヶ月ぶりのブッツケ本番を作曲者本人に聴いてもらおうってわけですから、自分で言うのも何ですが日本一ズウズウシイ指導者ですよ嶋田先生は。だけどそのズウズウシさには理由がありまして、昨日の練習で「新実先生の指揮で「白いうた青いうた」を歌ってみたい人はいますか?」と聞いたら全員が手を上げる合唱団ですからね。みんなの願いを実現するためには相応の布石を打たなきゃならない。そのためには多少ともズウズウシくならないと世の中渡っていけませんよ。
見事に歌えるもんですね。多少アヤフヤなところがありましたが、一番アヤフヤだったのは嶋田先生の「歌詞を伝えるクチビル」で歌詞間違えまくり。そんなアヤフヤ指揮でも何とか歌い切ってしまうのですから大したもんです。「自分がチャンと指揮をすれば大丈夫」と、わけの分からない自信をつけた嶋田先生でした。
ステージに移動します。会場では「花すみれ」と東海メールクワイアーのほぼ全員が着席して聴いています。本番では「空」の演奏を聴くことができないかもしれないのでリハーサルを聴いておこう…という気持ちの表れでしょう。誰が聴いていようと関係ありませんが、結果的に東海メールクワイアーのメンバーに「空」の歌声を聴いていただくことができたのは、11月1日の第24回定期演奏会に向けて大きな布石となりました。
ステージでの第一声は「月のうさぎ」の全力フォルテです。「月の世界へ送りました」を楽譜通りに全力フォルテで響かせます。これを3回繰り返しました。「花すみれ」のメンバーには聴き慣れたサウンドだったと思います。大中先生の追悼コンサートに参加しようなどと考える女声合唱愛好家にとって「月のうさぎ」は100%全員が知っている名曲だからです。全力フォルテは「花すみれ」メンバーにとっては予想どおりのサウンドだったはずです。「なぜ3回も繰り返すのだろう?」と疑問に思われた方もいるはずです。でも「ここが曲の感動の頂点なのだから繰り返して練習するんでしょう」とナットクされていたと思います。そして次に出てきたサウンドは
「つーきーの せかいへー」という全力ピアニシモ。
いやぁ、うまくハマりましたねぇ。指揮している嶋田先生も全身にゾゾ毛が立ちました。「花すみれ」の方々は、この意表を突いた表現をどのように聴かれたのかな。
「うん、それでいい。素晴らしいですよ。じゃ、全部通しましょう」と言って「月のうさぎ」を通しました。出だしの霧の中にいるような歌い方も、「ある時」から始まる明るい語り方もキッチリと表現できます。そして一転、「すると うさぎは」の暗い声。「焚火の中に身を投げて…」の燃え上がる炎の声。「神様の…」の情愛に満ちた声を引き継いで「月の世界へ…」の究極ピアニシモ。全てが完璧でした。この表現が第23回定期演奏会でなぜできなかったのか?とは言いますまい。あの11月の定期演奏会での表現を土台として、さらに練り上げ高められた究極の表現です。2月2日の歌声を実現するためには、11月の演奏会までの必死の練習と本番があり、その本番を経て3ヶ月間、メンバーの中で表現が発酵する時間が必要だったのです。素晴らしかった。このメンバーの発酵が始まった段階の11月と十分に発酵した2月との表現の違いは、間もなく配布される2つのCDによって明らかになるはずです。
この後、豊田市民合唱団男声のリハーサルでメゾソプラノのNさんのバスガイド役が登場。大健闘の名バスガイドをやり遂げたのを見届けてリハーサル室に戻りました。
リハーサル室では「あめとひまわり」の冒頭のハーモニーをしつこく繰り返しました。前に書いた「母音の違い」を克服するトレーニングです。きれいにハモっているんですよ。でも足りないのです。分かりやすく例えると「あ」母音はリコーダー、「い」母音は鍵盤ハーモニカ、「う」母音は鉄琴の音色だと思ってください。リコーダーでド、鍵盤ハーモニカでミ、鉄琴でソを出したとします。それはそれで美しくハモるはずです。ですが、それは違う楽器の音色で生まれたドミソのハーモニーです。これを全部リコーダーでドミソを出したとしたら、同じ楽器の音色でドミソのハーモニーを生み出すわけで、前者と後者では全く違う響きになるわけです。
だから母音は違っても同じ楽器になるように工夫して声を響かせる必要がある。そのために「よく聴き合って。全神経を耳に集中して」とお願いしました。
そんなにピリピリ神経を使わなくてもいいじゃん。と声が聞こえてきそうですね。そうなんです。嶋田先生も「空」に対して、ここまでの要求をしたことは今回が初めてです。サポートメンバーのTさんは「あめとひまわり」ってムズカシイんですね…と音を上げていました。TさんやHさんや恒川さんの時代には行わなかったトレーニングです。
なぜ、そういう要求が出てきたと思いますか?みんなをイジメるためだと思いますか?
みんなをイジメるためではないのです。今の「空」ならこのレベルの話ができるから、その話をして、「やってみましょう」と提言したに過ぎません。みなさんがどんなにレベルを高めたとしても、次のレベルの話があります。その一歩上の話をしたわけなんです。

東海メールクワイアーのリハーサル時間が迫ってきました。嶋田先生はメンバーですからステージに移動します。みんなにはトイレにいってもらって、極力、会場で東海メールクワイアーのリハーサルを聴いてもらうようにお願いしました。赤いベストが散らばっている客席に向かって、一生懸命に「走れわが心」を歌いました。みんなは東海メールクワイアーのハーモニーをどう聴いてくれたのかな。ハッキリしていることは、この合唱団といっしょに11月1日に「コタンの歌」をうたい上げる…ということです。
ウイルあいち始まって以来の180人がステージに乗るという合唱台が組みあがっています。ウイルあいちのスタッフに感謝です。全員が参集して新実徳英先生が登壇。そのリハーサルは素晴らしいものでした。嶋田先生も合唱団「空」のメンバーの横で、一人の合唱団員として対等に歌っていました。なかなかできない体験でしたね。幸せでした。

昼食後、新実徳英先生をリハーサル室にお迎えしました。本来はピアノ伴奏がある「南海譜」ですが、その時間にはピアノは片付けられていました。だからアカペラでの「南海譜」です。作曲者は全てお見通しです。「最後にG(ソの音)が入っていましたね」と言われました。「はい。表現の工夫です。私が男声合唱版を参考にして入れました」と答えました。それにしても「空」の「南海譜」は見事の一語に尽きます。新実先生は「すばらしい。いろんなところが良かったよ」と声を掛けてくださいました。しかし嶋田先生は大喜びはしていません。「いろんなところが良かったよ」という言葉を「いろんなところに工夫が必要だよ」というメッセージとして受け止めました。でも、約10年ぶりに新実先生と「空」だけで過ごした貴重な時間でした。この成果は大きい。来年の第25回定期演奏会の骨格が固まりました。

本番は、もうわけがわかりません。「空」を指揮して東海メールクワイアーで歌って合同演奏で歌って、目が回りました。でも素晴らしい歌声が響いていたことは確かです。会場にいらした大中先生も、きっと大満足で天に帰られたのではないでしょうか。絶対にそう思います。

【総括】
今回の演奏会は大中先生の訃報を受けて急遽決まったものでした。一昨年の12月16日の東海メールクワイアー役員会で話が立ち上がり(大中先生は12月3日に帰天)、その後の「空ノート」にある展開を経て、1月の新年会の終了後に新実先生から指揮していただける返信をいただきました。「空」メンバーは昨年の新年会の場で「がんばるよ」と言ってくれました。11月の定期演奏会のプログラムに「うたにつばさがあれば」が入っていたことも幸いしました。それにしても全てがスレスレの危うさで、「小さな目」と「うたにつばさがあれば」の練習が並行する時間が続きました。メンバーのガンバリと父母会の協力に大感謝です。
東海メールクワイアーの団報に載せられた都築会長のメッセージを引用します(東海メール通信No1579 2月6日号)。
「大中先生追悼コンサート」は530人のお客様においでいただき大成功でした。(中略)大中夫人の聖子さん、二人のお嬢さんにもお出でいただき打ち上げでご挨拶いただきました。愛知県合唱連盟の要職の方もお見えになり、大変感銘を受けられたとのこと。日頃、別々に活動している団体が、こうして大中作品で歌いあうことの意義を認めていただいて良かったです。
今回のコンサート、嶋田さん、矢代マミ子さん、鈴木さんに大変お世話になりました。深く感謝申し上げます。
今回のコンサート、ウイルあいち始まって以来の180人がステージに乗った。山台組みなど大変だった。ウイルあいち舞台係の方と設営・バラシを黙々と手伝って作業してくれた東海メールと豊田市民男声の方々に感謝。会場係の合唱団「空」父兄の方々に感謝。
今回のコンサートで、豊田市民合唱団男声が歌った「バスのうた」に、「空」のメゾソプラノNさんが、バスガイドの制服で登場!満場の熱烈大拍手を浴びた!

続いて新実先生からのメールと私の返信です。

嶋田浩文さま、鈴木順さま
いろいろとお世話さまでした。佳き場が生まれ、大変に嬉しかったです。皆さんのご尽力の賜物です。
それぞれのステージ、充実していました。合同もとても良かった。
今回の皆さんを軸に、大中恩合唱祭を立ち上げてはいかがでしょうか。各団の持ち時間を10分前後として呼びかけたら10団体くらいはすぐに集まると思います。僕も何らかの形でご協力できると思います。ご検討ください。
嶋田さんには来年の日程をよろしくお願いします。
新実徳英

新実先生、昨日は本当にありがとうございました。
大感謝です。
大中恩合唱祭
思いも付かなかった素晴らしいアイデアです。ひとつ真剣に考えます。
「島よ」グループと「月と良寛」グループで混声・女声2つの合同演奏も面白いですね。夢は広がります。
合唱団「空」来年の定期演奏会日程ですが、2021年の10月31日(日)11月07日(日)あたりが候補日です。
また相談させてください。
本当に夢のような時間をありがとうございました。
嶋田浩文

来年10月31日11月7日、今のところ大丈夫です。
新実徳英

ありがとうございます♪
10/31、11/7、両日とも予定に入れていただくことができれば幸せです。
11/7で会場が押さえられれば10/31はご指導いただくリハーサルに当てたいです。
10/31が本番になった場合はリハーサルの日程はご相談させてください。
どちらが本番になっても、事前に2~3回のご指導リハーサルを組ませていただきたく思います。
よろしくお願い申し上げます。
嶋田浩文

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