SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


来週13日(土)はフェールマミ 和太鼓奏者との合同練習

【令和元年9月7日(土)】
今日は「うたにつばさがあれば」の練習をしようかな…と思って自転車をこいでいました。何度か書いた「4年生の男の子」の見学・入団があるかも…と思っていて、その時には「うたにつばさがあれば」が一番親しみやすいかなという考えがあったのです。
結果的には見学者はなく、かわりに(?)Hさんの参加がありました。ありがたいことです。先週「白いうた青いうた」の曲目についてアンケートを取ったので結果を発表しました。以下のとおりです。
「薔薇のゆくえ」  18票
「鳥が」      18票
「あしたうまれる」 16票
「南海譜」     15票
「八月の手紙」   13票
「ちいさな法螺」  11票
「ライオンとお茶を」11票
「壁きえた」     5票
「無名」       5票
「盲導犬S」     3票
「恐竜広場」     3票
「ともだちおばけ」  2票
この結果から第2ステージでは11票以上の7曲で構成することとします。次が10票と言うのであれば追加も考えますが次点は5票です。11票と5票ということは大差と言えるでしょう。嶋田先生の好みでは「盲導犬S」が好きなのですが、ここは民主的に進めます。しかし冷静に見ると決定した7曲は、どこに出しても恥ずかしくない立派な曲目構成と言えますね。
何よりも重要なことは、外れることとなった5曲も「空」は十分すぎるほどの練習をしており、それらの曲に対する共感も深いということです。歌えないから外すのではなく、時間の関係で外しただけ。氷山の大きさは沈んでいる部分が多ければ多いほど大きくなるのです。これまでの練習は大きな意味がありました。

で、練習なのですが「せっかく曲目構成が決まったのだから」ということで7曲をザっと一通り歌ってから予定していた「うたにつばさがあれば」を練習することとしました。
結論を記すと、これは嶋田先生の失敗で、やはり予定どおりの曲目に取り組むべきでした。急に「白いうた青いうた」にしたものだから支援方法や指示に一貫性と柔軟性がなく、ランボウな言い方をすれば思い付きの表現練習に終始してしまった反省があります。メンバーの中に「何か重苦しい」「何かハツラツとしていない」と感じる子がいたとしたら、その子の感性は敏感であり鋭い。責任は嶋田先生にあります。
とは言うものの、出された指示に対する反応は高く「薔薇のゆくえ」の冒頭のハーモニーがスッキリしました。4声に分かれますがソプラノ下の音がボヤけていたのが整理できました。4声に分かれる場合ソプラノ下とメゾソプラノは内声と言ってハーモニーの色彩を決定させる役割があります。ソプラノ上とアルトは外声と言ってハーモニーの骨格を決める役割を担います。
それから「薔薇のゆくえ」では「ルルル」のリズムが鋭くなりすぎないように注意していきましょう。
次は「あしたうまれる」。5小節目の「ねわらの」の「の」の部分で伸ばすと♯ファの音で、これがアルトのソの音とぶつかります。7小節目の「月がさしこんで」の「さ」で伸ばすとラで、アルトのシとぶつかります。この音のぶつかりは1小節の中に1カ所ずつあると言っても良く、これらの散りばめられた不協和音をキッチリとぶつけることで「美しい不安感」を作ります。
その「不安感」は生まれた後ですぐに馬小屋を脱出しようとする子馬の「心の不安感」であり、その不安を払拭(ふっしょく・取り除くこと)させようとする月の光やフクロウの優しさを表現します。
音楽を止めて伸ばして音のぶつかりを確認するという、ある意味では地道な苦しい時間となりました。しかし、メンバーが醸し出した不協和音は美しく響き、「あしたうまれる」の世界を豊かに表現できていました。名演奏になる予感がします。
「ちいさな法螺」は弱い。声がキレイすぎるのです。「あしたうまれる」で使う声と「ちいさな法螺」で使う声とは全く違います。「空」の声(と言うか表現)は「あしたうまれる」にはピッタリで「ちいさな法螺」では異質です。今後の課題ですね。
「ライオンとお茶を」も元気がない。目の前にある楽譜の上に歌声が小さく止まっていて、破裂するエネルギーがありません。この曲は特にエネルギッシュに歌いましょう。
P36から37のメゾソプラノですが「ルルル」で歌っています。歌詞をハッキリと客席に届けるためには、メゾソプラノも「ルルル」ではなくソプラノと同じ歌詞を歌えば良いのです。しかし、それはしません。「南海譜」ではそれをやるのに「ライオンとお茶を」ではしない。なぜか。
それは、この部分の役割分担です。ソプラノは人間です。だから人間の言葉で「ボヤキたくないが歯医者には泣かされるね」と歌います。メゾソプラノはライオンです。だからライオンの言葉で「歯医者には…」と言っているのですが、ライオン語ですから私たちには分かりません。犬が「はらへった」と言っているのに私たちには「ワンワン」としか聞こえないのと同じです。
重要なことは、人間語とライオン語なのですが、言っていることは同じだということです。絶対に仲良くなれそうにない人と私とですが考えていることや感じていることは同じだ…というのが「ライオンとお茶を」の骨格です。
それがP38の「ハゲタカに…」から両方とも人間語になります。これはライオンが人間語をしゃべれるようになったのではなく、私たち人間が(ソプラノが)ライオンの(メゾソプラノの)言葉の意味が聞こえるようになってきたことを意味します。
P39の33小節目がなぜフォルテになるのか。その意味も説明しました。
それまでは「シマウマが走っているね」とか「今の暮らし向き」とか、どうでも良いことを話し合っている人間(ソプラノ)とライオン(メゾソプラノ)です。あるいは「ハゲタカに払う税金」だとか「歯医者は泣けるね」とかマイナスのことを語り合って「ああ、そうだね。君もボクと同じなんだね」と共感している。
ところが「草原にチラホラ 星が出る」ことを「ああ、キレイだなぁ」と語り合うのは大自然の美しさ。「わぁ~、いっぱいの星空だぁ。キレイだなぁー」って思っているのはライオンも人間も同じだった。これは感動的な事実であり発見です。「君もそう思って星空を眺めていたのかぁ。ボクもなんだよ」と共感し合う感動。この感動を伝えるフォルテです。
そのフォルテはまだまだ十分ではありません。今日集まったメンバーで最大限の努力をしてくれていることは手ごたえで分かっています。ですが、全員が揃ったら爆発的なフォルテになるように、次回からも地道に練習していきましょう。
「八月の手紙」は、やはり歌詞に対する共感ですね。「だから何を消したいの」は「戦争の傷跡を消したい」という意味だと思って歌ってください。「友の手紙ひろげる」とは3年前に戦死広報が届いていた友達が4年前に戦地で出した手紙が今、自分に届いた悲しみを意味しています。
「南海譜」。P54を1番はインテンポで歌いますが2番は思い切りドロドロと(嶋田流に)表現します。ここが上手くいくかいかないかは嶋田先生の手腕にかかっています。責任は全て嶋田先生にあります。ですが、思いっきりの全身全霊で、感動的に表現したいと思っています。
「鳥が」は途中で時間になってしまって全部を歌い通すことができませんでした。でも「薔薇のゆくえ」と並んで人気第1番の曲であり、嶋田先生も大好きな曲ですからガンバって表現します。みなさん力を貸してください。

来週13日(土)はフェールマミでの練習です。最初に太鼓奏者をお迎えして「ちょうちん囃し」を打楽器合わせをし、その後は「海と祭りと花の歌」全曲を通します。この予定、もう絶対に変えないからね。今日のように予定変更をしていてはダメです。嶋田先生が悪かった。ガンバってくれたメンバーに大拍手と「ゴメンナサイ」です。
来週も元気で会いましょう。

Comments are closed.