SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


「月のうさぎ」を歌い通してしまった♪

【令和元年6月29日(土)】
結論から記すと今日は「大中恩デー」となりました。
恒川先生に「うたにつばさがあれば」全曲と「月のうさぎ」のCD作成を依頼し、「月のうさぎ」の楽譜を印刷して持って行きました。
「月のうさぎ」はソプラノの最高音が高い♯ソ、アルトの最低音が低い♯ソまであり、全部のパートを歌うと2オクターブの音域を練習することになります。つまり、高い音から低い音までをカバーする発声練習に最適です。加えて和音構成が明快なので、4小節くらいならソプラノを歌ってメゾソプラノを歌ってアルトを歌って最後に自分のパートを歌ってハーモニーを作ることがやりやすいので和音感覚を磨くのに向いています。
「聴いた音をすぐに自分の声で再現してください」という指示で音感を磨くトレーニングも加えて、1フレーズを歌えば3倍の効率で練習が進みました。
期末テストや修学旅行、部活の試合などの事情で多くの欠席者がいた中、多いとは言えない年少メンバー中心でしたが、驚いたことに最初から最後までを1時間あまりで通すことができました。ただ通しただけではありません。全員が全部のパートを歌うという方法を使ってです。しかもP25上段2小節目のハーモニーなどは非常にキレイで、楽曲が持つ世界を十分に表現できるものでした。メンバーのガンバリに拍手です。

練習は楽譜を組んだ後、まず浜田先生に伴奏を弾いていただき、その伴奏に合わせて嶋田先生が歌詞を朗読することから始めました。
歌えばすぐに分かりますが、「月のうさぎ」の歌詞は全て良寛和尚のセリフつまり語りであり、聞いているのは子供。つまり良寛和尚が集まった子供たちに昔話を語っている形になっています。
コンサートでは合唱団が良寛和尚の役を受け持ち、会場のお客様がお話を聞いている子供…という役割になります。
そこで嶋田先生が言ったことは、全身全霊で「明るい声で歌ってください」ということです。お話を聞かせる良寛和尚の役を受け持つわけですから、明るい声で語らなくてはなりません。
落語でも朗読でも同じなのですが、悲しい話を語る時には悲しい声で…なんて思ったらオオマチガイです。悲しい話を悲しく暗い声で聞かされたら、聞いているお客さんはド~ンと落ち込んでしまい、聞いていられなくなります。悲しい話でも語る時には明るく、聞く人を引き付ける声で語らなくてはならない。これ、言語表現のセオリーです。
そのことを分かってもらった後で全部のパートを全員で歌ったわけなんです。これはとても効果がありました。

「月のうさぎ」の内容については今年の4月14日「ソラノート」から再掲しておきます。
【再掲】
「月のうさぎ」。出典は「今昔物語」にあります。新しい元号の「令和」は「万葉集」から採られましたが、「万葉集」と並ぶ日本の古典は「古事記」と「今昔物語」です。
「今昔物語」は「日本説話」「中国説話」「インド説話」などに分かれており、「月のうさぎ」の物語は「インド説話」の中の一説です。その物語は以下のような内容です。
猿・狐・兎の三匹が山の中で倒れているみずぼらしい老人に出会います。三匹は老人を助けようと考え、猿は木の実をたくさん集め、狐は川で多くの魚を捕ってきて、それぞれを食べ物として老人に与えました。しかし兎だけは、どんなに力を尽くしても何も捕ってくることはできませんでした。自分の力の無さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えたあげく、狐と猿に頼んで火を焚いてもらい、自分の身体を食べ物として捧げるべく、炎の中に飛び込みます。その姿を見た老人は帝釈天(たいしゃくてん)として正体を現し、兎の捨て身の慈悲(じひ・思いやり)を後世にまで伝えるために兎を月へと昇らせます。月に兎の姿が見えるのは、この時から始まった…という物語です。
これだけの内容を約4分の楽曲にまとめ上げた大中先生の手腕は驚くべきもので、コンクールにこの曲を取り上げる指導者の気持ちは当然であり、かく言う嶋田先生もCBCコンクールで2回取り上げました。今振り返ると、嶋田先生にとっても指揮をしていて自制心を失う数少ない曲の一つであり、大中恩の女声合唱曲としては間違いなく第一番にランクされる傑作中の傑作です。

今日はことのほか上手く歌うことができたので、少し付け加えた話をすることができました。
いったい、この神様は何のために出てきたのでしょう。神様さえ出てこなければ、ウサギは死ぬこともなかったし、キツネもサルも食べ物を探して走り回るなどというイレギュラーな努力をしなくても済んだはずです。
神さんはん、あんた何しに出てきなはったんや?あんたが出てきたさかい、キツネはんもサルはんもウサギはんも走り回ることになったんやぞ!しかも、あんた、最初から神さんの姿で出てきてくれれば、3匹とも「はは~ぁ神様」なんて言って拝んどりゃ済んだところを、あんたがミズぼらしい爺さんのカッコウなんかして、ケッタイな姿で出てきたもんやさかい、ウサギもサルもキツネも「こりゃ助けなあかんわ」と思って走り回ったんやないけ?ほんでもってウサギはんは、あんたが爺さんやと思ってダマくらかされたまんま、死んでしもたやないけ?あんた、この責任どう取ってくれますねん?
こんなふうに言いたくなりますね。
「今昔物語」は伝えます。3匹は前世は罪を犯した人間だったのです。その前世の罪を問われて、生まれ変わった後に動物となった3人は、次は再び人間へと生まれ変わることを願って修行を積んでいます。その修業とは「いかにして困った人を救済するか」という命題だったのです。
その修業を積んでいる3人の様子を見ていた帝釈天は「ひとつ修行の成果を確かめてこよう」と思い立って老人に姿を変えて降りてきたわけです。
ウサギの献身的な「慈愛(究極の思いやり)」を確認した帝釈天は、ウサギを人間に戻すに留まらず、永遠の見本として月にウサギの姿を焼き付けた…というすさまじい物語ですね。
ちなみに帝釈天とは、皆さんが修学旅行で行った(これから行く)三十三間堂の真ん中に座っている神様であり、その東西南北を多聞天、広目天、増長天、持国天が守っている、神様中の神様です。

休憩後は「うたにつばさがあれば」から1~4曲目を歌いました。久しぶりだったので音の確認が中心となりましたが、「月のうさぎ」とは打って変わった曲想で、改めて大中先生の芸域の広さに感じ入りました。

それにしても繰り返しになりますが「月のうさぎ」を1時間あまりで歌い通してしまったメンバーに拍手、大感謝です。

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