SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


大感謝です。愛知県合唱連盟合唱祭

【6月8日(土)】
小学生のみなさん、先週・先々週と運動会ご苦労様でした。2日とも暑い日となりましたが、各校とも無事に終わったと聞いています。まずは、良かったよかった。
さて、今日は愛知県合唱連盟合唱祭でした。嶋田先生も先週の運動会で2週間ぶりにメンバーの顔を見て、しかし喜んでいる場合ではない。本番までの約2時間で「雪はりんりん」をどう歌うか、気を張り詰めて練習会場に向かいました。
最初に浜田先生にお願いをして、伴奏を最初から最後まで弾いていただきました。メンバーは歌わずに黙って聴いています。特に指示はしませんでしたが、メンバーは聴いているだけではありません。心の中で歌っていました。これが実に大きいのです。今のメンバーは「音の重要性」を理解しているので、ピアノの音を聴くだけでも実は立派な練習であり、もっと言えば「どう表現するか」を練り上げる時間になるのです。
湯山先生はピアノ曲の作曲家でもあり、「お菓子の世界」や「音の星座」などの超有名なエチュードを作曲されていて、ピアノを習う人にとっては神格化された存在です。その湯山先生が作曲された「雪はりんりん」のピアノ伴奏部ですから、本当にピアノだけを聴いていても立派な楽曲に仕上がっている。ピアノがヴォーカル(歌のメロディー)をなぞることは皆無と言って良く、歌のメロディーとピアノのメロディーが重なり合っているわけです。まずは、それを確認しました。
結論から記せば「雪はりんりん」の音は完璧で、だからハーモニーも完璧。あとは言葉(歌詞)をどう伝えるかということと、あるパートの旋律線(メロディー)が薄くなる部分をどう調整するか(助け合うか)という問題だけです。
このような話ができるのは、個々のメンバーがCDを聴きこんでくれているのか、これまでの練習をキッチリと自分の物にしてくれているのか分かりませんが、基本となる音程をしっかりと身に付けていてくれるからです。その意味で、まずはメンバーに感謝です。
具体的には13小節目の「かすかな」の「す」。これは無声音になるので、あまりにも丁寧に歌い過ぎると聴こえなくなってしまう。どのくらいの強さで「す」ではない「SU」と発音するか、その確認をしました。
39小節目のアルト、「伝わるものは」はソプラノとメゾソプラノにも歌うようにお願いしました。55小節目の「降る雪に」と59小節目の「凛と」も一つ前から歌い始めることで、歌詞がクリアになっていきます。
湯山先生の合唱曲は、ある歌詞をパートごとにズラして歌うことで「こだま」の効果を出すことが多く、「振る雪に」も「凛と咲く」もこの効果を狙っています。ですが会場のお客さんにとっては一番最初に発音される歌詞(つまり言葉)が印象に残るので、最初に歌う人数が多い方が良い。2番目に同じ歌詞を歌う人数は少なくなり、3番目に歌う人数はさらに少なくなる。こうすることで全体としては「その言葉」にデクレッシェンドがかかり、自然な「こだま」効果を生み出すことができるのです。
反則と言えば確かに反則なのですが、作品の良さを引き出す表現方法としては正解で、(傲慢な言い方ですが)湯山作品を知り尽くした嶋田先生独自のノウハウです。
それから、ソプラノの43小節目「それは雪」の「き」。これを8分音符で歌うこと。これは誰にも確認していませんが、嶋田先生が初めて聴いた表現でした。想像するに嶋田先生が運動会で欠席していた6月1日の練習で、何らかのアプローチがあったことと思われます。短めに歌うことで音程が安定し、言葉もクリアに生きていて、素晴らしい表現だと思いました。
謡曲は練り上がってきましたね。5月までの練習とはビミョーに異なるアゴーギグになりましたがピッタリとついてきてくれました。強調したことは「堪え忍ぶ」をピアノ、「太刀は」をフォルテにする表現でしたが、これもOK。
ちなみに「太刀は」は「立居は」と掛け言葉になっていて、「立ち居振る舞い」(どのように生きるか)という意味が込められています。
最後の102小節目からのハーモニーもウマく決まりました。この部分のピアノなんざ、ヴォーカルとの対比が素晴らしいですね。浜田先生の伴奏の上に響き合うハーモニーがステキでした。

今回はあまりにもデリケートな曲目だったので、メンバーの生き生きとした躍動感が感じられません。どういうことかと言うと、去年の合唱祭で歌った「ドレミの歌」のような生命力です。
これは、しかし「雪はりんりん」だけを歌うというプログラミングから考えてもどうしようもないことで、心の中で「うーん、どうしようかなぁ」と考えていました。
ですが、みんなのガンバリのおかげで、休憩後に別の曲を練習する時間が与えられました。休憩中に考えたことは「ちょうちん囃し」からつなぐ…ということです。「雪はりんりん」の「ここを元気よく」「あそこを生き生きと弾んで」などと言うよりも、「ちょうちん囃し」の躍動感から「雪はりんりん」につなぐことを確認することが手っ取り早いと考えました。
つまり、ベートーヴェンの「運命」は作品67、「田園」は作品68なのですが、この2曲は双子であって、聴いた感じは「運命」の激しさと「田園」のおおらかさとで全く異なる感じなのですが、実は根底に流れている「音楽の生命力」は同じなのです。
「ちょうちん囃し」と「雪はりんりん」も、聴いた感じは全く異なるものですが、当然のことながら曲想は同じであり、音楽的には双子と言っても良い。時間が余ったからではなく、「雪はりんりん」を本番で歌う前に「ちょうちん囃し」を歌っておくことは有効だと考えました。
ところが歌ってみると、「ちょうちん囃し」は「雪はりんりん」と同じくらいシッカリと謡えていて、合唱祭で曲目を変更しても良いくらいの出来栄えなんですよ。これは驚きました。だから「ちょうちん囃し」の感じを引き継いで「雪はりんりん」を歌ってください、というだけで十分でした。
さらに驚いたことに、余った時間で「相模磯づたい」を歌ったらこれもかなりのハイレベルで、楽譜を持って歌えば十分に合唱祭のステージに乗っけることのできる表現でした。みんな、ありがとう。

本番のステージは駆けつけてくれたメンバーを交えて、午前中の練習を十分に生かすことができた演奏になったと自負しています。駆けつけてくれたメンバーにも大感謝です。
録音は早い段階でCDになって配布されるかHPにアップされることになると思います。楽しみなことです。
来年の合唱祭は何と25年連続出場の記念の年になります。この数字は東海メールクワイアーよりも長い。これまでを支えてくださった全てのメンバーと、今日の出場・引率を取り仕切ってくださったメンバーに深い感謝を捧げます。ありがとうございました。

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