SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


平成31年はビッグ・ニュースから

【1月5日(土)】
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
結論から記すと、今日の練習で歌った曲は
「Skriski,skriski,Lietuvelen!」と大中先生の「元気のヒミツ」と「となりのカンタロウ」そして新実先生の「無名」と「ライオンとお茶を」でした。
「Skriski,skriski,Lietuvelen!」は4月21日にリトアニア少年合唱団を迎えるジョイントコンサートの合同曲です。Skriskiとは「飛び出そう」、Lietuvelenとは「リトアニア語で」という意味になりましょうか…?よく調べて、また報告しますが、YouTubeでも映像や音声が出ているようなので、みなさんも余裕があったら調べてみてください。
ここで報告したいことは、いつもながら「空」のメンバーの音取りの速さと正確さです。新しく印刷して持って行った楽譜なのですから、浜田先生も恒川先生も含めて全員が初見です。なのですが、普通に歌ってしまう「音感」の鋭さ!これは大したもんだと思います。みなさんも楽しいでしょう?全く知らない外国の初見の曲でさえ、10分かそこらでソコソコ歌えてしまう自分の力が…。だから、この曲は、今日参加できなかったメンバーに音を伝えた後は、いかに歌詞をしゃべれるように(メロディーに乗っけるように)するかどうか。その1点のみが課題です。ちなみに今日は歌詞は付けずに全て「ラララ」で歌いました。
続けて「元気のヒミツ」。これはですね、みんなの「音感」をより鋭くするためには打ってつけの曲です。もともとプロ歌手の独唱用に作曲された曲ですから細かい音程には注意を払う必要があります。
具体的には1番の「いろんなところにあるんだよ」と2番の「みんなのちかくにあるんだよ」の違い。これをキッチリ歌い分ける必要があります。
同様に1番の「ことなんだ」と2番の「いきたいね」はラシラファレ、1番の「かたつむり」と2番の「バラのはな」はミソシソラ、1番の「ひなのいえ」はドシララシ、2番の「ながれぼし」はラシドラシ。この音程をキッチリ決めたい。
では「ことなんだ」「いきたいね」は同じ音、「かたつむり」と「バラのはな」も同じ音なのですが、「ひなのいえ」と「ながれぼし」でビミョーに音が違うのはなぜでしょうか?
これは、日本語のアクセント、イントネーションを生かすための作曲者の工夫なんです。日本語のアクセントとは何かと言うと「雨」の「あめ」と「飴」の「あめ」とでは抑揚が違うでしょう?今日メンバーに話したのは、山田耕筰が「赤とんぼ」を作曲した時に「赤」が「垢」と聞こえないように工夫してメロディーを作った…ということです。
そんな理屈より1番と2番とをひっくり返して、「ひなのいえ」をラシドラシと歌ってみてよ。そして「ながれぼし」をドシララシで歌ってみてよ。そういう実験をやってみてくれれば、いかに日本語を生かすメロディーが大切なのかが実感できることと思います。こういうところに手を抜かないから大中恩なんです。そして湯山昭も同様。この二人の作曲家の音楽が50年の時を経てもスタレないのは、こういうところに「手抜き」がないからです。
世の中には、歌詞がどうあろうとも1番も2番も同じメロディーで押し通す曲が多い。特に歌謡曲にはそれが顕著で、残念ながらみなさんの学校の校歌にも同じ現象が起きているはずです。校歌は大切なものですが、どこかしら歌いにくい、覚えにくいと感じている子がいるとするならば、原因はそこにあります。おっと、また脱線しちまったな。
このような練習を「はい、OKですよ」ってな感じで次々とクリアしていくメンバー。今日の(これからも当分は)練習は「元気のヒミツ」という楽曲を仕上げるためではなく、メンバーの「音感」をより鋭くするためのものです。だから全員で全てのパートを全部歌う。地道な時間のかかるトレーニングですが、「音感」を鍛えておけば「Skriski」だろうと何だろうと初見で歌えるようになるんです。ボクはメンバーにそのことを分かってほしい。これは勉強でも同じなんです。
「となりのカンタロウ」も練習の目的は同じです。
休憩の後は「無名」を歌いました。これはユニゾン(斉唱)ですからソプラノもアルトも関係ありません。問題は「声の強さ」です。つまり表現力。
「たけきもの」とは「猛き者」。すなわち荒々しい者であり、嶋田先生のイメージはイノシシです。ですが、みんなのイメージはオオカミでも良いしライオンでも良い。
荒々しいイノシシが「荒れ野を行く」のですが、「したたる赤を」とは「ほとばしる血しぶきを」という意味です。その血しぶきを「草むらにまき」ちらしながらイノシシは歩いている。
その血しぶきは「狩人の矢」が「うなじに立って(突き刺さって)」いるから流れているのです。
そして、身体の「滅びを受ける」「厳かな(神のような)めまい」。つまり死ぬ瞬間の目眩ですね。
2番。イノシシは「わなに落ち」たのです。そして「炎の(ように痛む)傷を」「歯がみして(歯ぎしりをして)舐め」ながら「よろめきつつ」「脚折りゆく(倒れていく)」。そのイノシシの「たてがみの風(たてがみの上をそよぐ風)」は「美しく冷えて(イノシシの身体は死んで冷たくなっていって)」、
そしてそして、「みずうみ」も「ゆうぐれ」も、何の助けも手を差し伸べることもできずに、ただ見守っていることしかできない。
この情景、みんなだったら、どんな絵を描きますか?画用紙に絵の具で描く必要はない。それはテクニックが必要です。しかし、どんなに絵を描くことが苦手な子でも、頭の中にだったら存分に自由自在に描けるはずです。
その「頭の中にある情景」がイメージです。イメージが豊かであればあるほど、その人の声は豊かになります。イメージの無い歌声は、単なるアホのウワゴトにすぎません。
残り20分。逆説的になりますが「ライオンとお茶を」はゲームです。イメージは嶋田先生があれこれ言わなくても直感的に浮かんでくるはずです。情景を深く考えるよりも、バーンと歌った方が良い。まあ、あえて書けば「絶対に分かり合うことができないだろうなと思われる人(つまりライオン)とだって、「お茶が飲める」し「歯医者ってイヤだね」と分かり合うことができるかもしれない…」という問いかけですね。
まあ、それは置いておき、とにかく元気よくバーンと歌いたい曲です。全てのパートを全員で全部歌って、最後は好きなパートでバーンとハモらせることができました。ありがとう。

午後、サイプラスガーデンホテルで新年会。その場で特別参加の矢代マミ子さんと打ち合わせ。東海メールクワイアーの都築会長とも電話とメールでやり取りをしながら、夕方、すごいことが決まりました。
大中恩先生の追悼コンサートは2020年の2月2日(日)で決定。会場はウィルあいちかアートピアホールのどちらかで決定。
そして「わたりどり」「草原の別れ」などの合同演奏の指揮者は、
新実徳英先生の登場です。
18時30分に「指揮をお願いします」とメールしたら5分後に返信メールが入りました。「喜んでお引き受けいたします」と。作曲家が自分の作品ではなく他の作曲家の作品を指揮する…というのはあまり聞いたことがありませんが、それが新実徳英先生と大中恩先生との関係なのです。

というわけで、来年の2月1日(土)は混声合唱合同ステージのリハーサルが入ります。そして翌日2日(日)の午前中にゲネプロ、午後が本番。本気モードの東海メールクワイアーといっしょに新実徳英先生の指揮で歌えるという、とんでもないビッグ・ニュースです。
「空」単独ステージは、今年の11月10日の第23回定期演奏会の第1ステージをそっくりそのまま持って行きます。卒団生への呼びかけも考えなくてはなりませんね。
受験生にとって負担が大きいことは承知しています。みなさん、力を貸してくださいね。

今年も面白いことができる1年になります。どうかどうか、力を貸してください。よろしくお願いいたします。

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