SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


「わたりどり」 音感について

【7月29日(土)】
今日は「こういうトレーニングをしよう」という具体的な手法と、それに対するみんなの反応と、その反応に対処する手立てとを、非常に具体的にイメージして練習会場に向かいました。
先週は名古屋市教育委員会の仕事があり、来週8月5日は港区のPTAバレーボール大会があり(嶋田先生は担当教頭なのだ)、嶋田先生にとって今日は貴重な時間です。「来てくれた子に絶対に得して帰ってもらう」というのが強い思いでした。
「得してもらう」とは、「合唱の力を伸ばす」ということです。みんなの力を伸ばすために使った曲は、大中先生の「わたりどり」でした。

9月3日(日)の午後、サイプレスガーデンホテルで大中先生を囲むミニコンサートがあり、合唱団「空」も出演することとなりました。「空」が単独で歌うのは「うたにつばさがあれば」と「ブランコ」という曲です。「ブランコ」の楽譜は合宿で配布します。

集まった合唱団の全員合唱で歌われるのが「わたりどり」で指揮は大中先生の予定です。

今日、みんなに配った楽譜は大中先生の直筆楽譜のコピーです。もちろん嶋田先生は出版された楽譜も持っています。しかし、作曲者直筆の楽譜を配ったのは、大中先生を少しで身近に感じてほしいからです。しかし、最初はその楽譜は配りませんでした。

ホワイトボードに歌詞だけ書いて、それを見ながら嶋田先生の歌声と鍵盤の音だけを頼りに音を取っていきます。途中、ピアニストの辻井伸行さんの話をしました。辻井さんは楽譜というものを見たことがありません。ベートーヴェンもラフマニノフもリストもショパンも、全部耳から入ってきた音を指で再現しているのです。みんなも楽譜がもらえない以上、辻井さんと同じように、自分の耳に入ってくる音だけを頼りに曲を覚えなくてはなりません。この瞬間は、みんなと辻井さんとは同じレベルになります。

耳から入ってくる音を脳ミソで認識し、口から声として再現する。この時、入ってくる音と出てきた声が完全に一致していればすご~くカッコイイですね(もっとも「完全に」と言うとそれはプロのレベルですが)。もし、入ってくる音と出てきた声がかなり違っていたとすると、それは非常にカッコ悪いこととなります。入ってくる音と出てくる声は近ければ近いほど良い。その力を先生は「音感」と呼んでおきます。

音感レベル1。楽譜なしで、ホワイトボードの歌詞を見ながら鍵盤の音だけを頼りに歌うことに成功しました。これはしかし、今の「空」の子にとっては驚くような話ではありません。

音感レベル2。次は鍵盤の音も無しで、自分たちだけで歌います。それで音が狂わないか?狂わないですね~。これも合格。しかし予定どおりです。

音感レベル3。ここからが本番です。嶋田先生がテノールパートを歌います。2人一組になって、メロディー2人にテノールの嶋田先生で3人で歌います。それで崩れないかどうか、ハモるかどうかが今日の眼目でした。

初見の曲です。おっと違った。楽譜をもらっていないから初見ではない。まだ見ていません。生まれて初めて歌う曲、5分前に覚えたばかりの曲、それを嶋田先生とハモらせようというのです。これはけっこう大変だったでしょうね。

緊張感もあったでしょうが、みんなは真剣に音を聴き、全力で音程を正確にしようとしてくれました。上手くハモったかどうかの結果ではなく、その真剣に聴くというプロセスが絶対にみんなの実力を高めたはずです。

後半はこの「音感」を使って、湯山先生の曲です。まだ1回も練習したことのない曲。「北陸の子ども歌」から「加賀の子ども歌」です。何をやったかというと、全部のパートを全員で歌ってハモらせていく、いわば「空」の音取りです。もちろんムズカシイところもありましたが、細かい点はどうでもよろしい。大切なことは1時間で最初から最後まで通ってしまったということです。「音感」。これを身に付けた子は、どんな曲でも短い時間で自分のものにすることができます。辻井伸行さんのように…。

 

さて、もう少し「わたりどり」について記します。この曲は大中先生の事実上の作品第1号です。昭和19年、大中先生に召集令状が届き、当時20才だった大中先生は戦地に赴く前に自分が生きた証として「わたりどり」を作曲し、婚約していた女性に手渡して出発したそうです。結果、大中先生が配属された部隊が戦場に到着する前に終戦となり、私たちはその後の名曲「いぬのおまわりさん」や「サッちゃん」「おなかのへるうた」を歌うことができるのです。でも、もし終戦があと1カ月遅れていたら…

あの影は 渡り鳥、あの輝きは雪、遠ければ 遠いほど空は青うて、高ければ 高いほど 脈立山よ、ああ、乗鞍嶽、あの影は渡り鳥。

この北原白秋の詩に20才の大中先生が目を付けたのはなぜか。ただの20才ではない、召集令状を受けて戦場へ出発する直前の青年です。嶋田先生の想像を許してください。先生はこう読みます。北原白秋の真意ではない、大中恩が昭和19年にこの詩をどうイメージしたか…です。

あの姿は 私がまだ見ぬ(お腹の中の)子、あの輝きはその子の未来、未来は遠いけれど澄み渡り、その子の未来は高く輝く、ああ、名前もまだない私の子よ、あの乗鞍のように大きく強くあれ。

嶋田先生の変態的な感性は(本当に自分でそう思っています)、「わたりどり」と「花は咲く」が、言っていることが全く同じように思えるのです。大中先生は笑うと思います。「嶋田さん、そんな深刻なもんじゃないんだよ」って。でも、少なくともこれだけは言える。白秋の詩は、自然の美しい情景を単純に言葉にしただけのものではない…ということだけは…。

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