今日は「Mis on inimene?」から始めようと思っていました。前回も前々回も、朝イチから「未知という名の船に乗り」などの元気の良い曲から始めて、なかなかボルテージが上がらなかった反省を受け、ならば「空」の得意な柔らかな響きを生かす曲からスタートさせて、だんだんと声の調子を上げていこうという作戦です。
この作戦は図星となり、柔らかくて温かいハーモニーを作りながら、23小節目からのフォルテの必要性を訴えて(神は守る。自分自身に正直である人を…という意味を歌うのには熱量が必要です)、かなり強いフォルテとフォルティシモを引き出すことに成功しました。良い発声練習となりました。
ソプラノとメゾソプラノとの音が半音や全音でぶつかり、そこにアルトの音が要となって、悪魔的な不協和音から天国的な協和音を導き出す過程を説明し、実感することもできました。このことに関しては、また新たに記述しようと思います。今日のノートにそこまで記すと膨大なページを割くことになるからです。
いずれにしても「Mis on inimene?」は少年少女合唱としては相当に高い水準になってきました。今日を含めてたった3回の練習なのに、たいしたものだと思います。ソーツ先生に聴いていただけると良いですね。
休憩の後の「未知という名の船に乗り」や「空がこんなに青いとは」、「禁じられた遊び」なども、「Mis on inimene?」での発声練習が生きて、上手くいったと思います。
さて、今日のノートの本題は「花は咲く」のイメージについてです。
どんな歌でも同じですが、何も考えないで楽譜に書かれているヒラガナだけを歌っていると、それはカラッポの音楽になります。何も考えずにヒラガナだけを歌うのなら、「♪あいうえお~、かきくけ~こ~、さしす~せ~そ~、せそ~♪(花は咲くのメロディーを思い浮かべて読んでください)」とでも歌えば良いのです。これはカラッポの音楽です。歌う人は気持ちが良いかもしれませんが、聴く人にとってはたまったものではない。聴く価値の無い音楽です。ゴミ箱行きの音楽ですね。
書いてある詩をどのようにイメージして歌うのかは合唱を志す人間にとって絶対に必要なことです。何のイメージもない合唱ほどクダラナイものはありません。
嶋田先生がこの詩を読んで感じたことは、まず詩の中の「私」は死んでいるということです。東日本大震災で亡くなった「私」です。
その「私」が、天国から送るメッセージ。「復興支援ソング」としての骨格は、天国から地上へ投げかけられる復興支援の思いというスタイルを取っていて、生き残った家族や友達を見守っている「私」が、この詩の主人公です。
それは、1番の「叶えたい夢もあった 変わりたい自分もいた」という言葉から明らかです。この言葉は、現在を生きている人が口にする言葉ではないでしょう。未来を断たれた人、つまり生命を断たれた人が口にする言葉です。
その後に続くリフレインがこの詩を難解なものにしているのですが、裏を返せばこのリフレインこそがこの曲の魅力です。
「花は 花は 花は咲く
いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く
私は何を残しただろう」
この部分は二つの思いが混在しています。すなわち
「花は 花は 花は咲く。花は 花は 花は咲く」という思いと
「いつか生まれる君に、私は何を残しただろう」という思いです。
前者の「花は 花は 花は咲く」とは「私が 私が 私が咲く」という意味であり、どこに咲くのかと言うと「いつか生まれる君の心」に「咲く」ということです。あるいは「残された家族」や大きく言えば「残された人々たち」の心の中に「私の思いが届きますように」ということだと思います。
後者の「いつか生まれる君」とは、大震災の時にまだ生まれていなかった我が子のことであり、そこ子のために何も残すことができなかった「私」の無念な思いです。あと一週間生きていることができたなら抱っこすることができたのに、抱っこすることもできなかった我が子が「いつか生まれる君」であり、その「君」の心に「私は咲いているよ」とメッセージしているのです。
こう考えると、「私」は男性であり「なれなかったお父さん」であると思われます。詩の最後の言葉「いつか恋する君のために」は、それまでずっと「私は何を残しただろう」と言ってきた言葉が最後に変化したもので(つまり本気の真実に変化したもので)、「いつか恋する君」とは、私が死んだ後に生まれた女の子が15才か18才か、そんな年齢になって恋をして悩んだりする時に…という意味であり、父親がまだ見ぬ娘に対して「君」という言葉を使っているのだと思います。
母親が娘に対して「君」という呼称を使うこともあるかもしれませんが、一般的には父親が子どもに対して使う呼称だと思います。
ここまで考えると、上に書いた詩は
「私は 私は 私は咲く
私が死んだ後に生まれた君の心の中に咲く
私は 私は 私は咲く
私は君に何も残すことができなかったけれども
君の心の中に いつも咲いていて
君のことを見守っていて 応援しているよ」
という意味に感じられるのです。
そして、この詩の全体の骨格が浮かび上がってきます。この詩は、生き残った人がお互いを励まし合う内容なのではなく、死んでしまった人々が残された人々に対して送る思いを歌ったメッセージだということです。そのように理解すると「懐かしい あの街を思い出す」とか「懐かしい あの日々を思い出す」とか「今はただ 愛おしい あの人を思い出す」などの言葉の意味も明瞭になってくるように思います。
もちろん、全てが失われたように見える東北の大地に、今、新しい花が咲き、生命の息吹が宿る…というイメージがあったとしても良いと思います。
しかし先生は、凍り付いた東北の大地に新しく花が咲き誇るという情景が、遺されて生きている君たちの心の中に私の思いは永遠に咲き誇る…という情景と重なるように思えてならないのです。
作詩の岩井俊さんは、この詩を作る時に、どんなことを考えたのでしょうか。叩きのめされた大地、再起不能と思われる東北の大地に、春が来ればタンポポが咲きチューリップが咲き、だから私たちも頑張ろうというメッセージなのでしょうか。
嶋田先生が岩井さんだったら、このように詩を作ります。死んでしまった人が何を思っているのだろうか、もう一言も誰にも自分の思いを伝えることができなくなってしまったた今、誰にどのような思いを伝えようとするか…を考えます。そして、その人々の気持ちになって言葉を選び、詩を構成していくはずです。
詩というものは、受け取る人がどうイメージするか、そこが唯一無二の存在価値になります。
「ぼくは朝起きて、ご飯を食べて学校に行って、先生に『おはようございます』って言いました」などという、幼稚園の子が書くような日記とは別次元なのです。選び抜かれ、昇華され尽した言葉が記されていて、読んだ人が何を感じ何を思い何をイメージするか、そこが大切なのです。
そのイメージを、みなさんから引き出すために、敢えて先生のイメージを記しました。みなさんに、上記のように思ってほしいなどとは微塵も思っていません。みなさんが、この嶋田先生のイメージを土台にして、さらに豊かな「自分なりのイメージ」を持ってくれることを、切に切に祈っています。
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