SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


自分なりのイメージを

今日は大雪に見舞われて朝から欠席の連絡が次々と入ります。音楽プラザに着くと、それでも20人のメンバーが集まっていて、とても嬉しく思いました。
いつも、どんな状況でも、練習は楽しくなければなりません。集まったメンバーを見て選んだ曲は「ちゃっちゃ茶畑」です。
この曲は5番までありますが、1番は全員でのユニゾン。2番と3番はハーモニーですが全く同じ構造。4番と5番はカノンになりますが先に出るか後に出るかの違いだけで全く同じ構造です。

つまり主旋律の他には2番と4番を覚えてしまえば 良いのです。歌う子供たちの負担を最小限に留めておいて、聴いた印象はいかにも難しい曲を歌っているようにする…いわば湯山マジックの真骨頂ですね。

とは言っても、全員が全部のパートを歌って40分で通ってしまうのですから、とても効率的です。今は、とにかく、全員のメンバーが合唱の底力を蓄える時期です。この底力というものは当然ながら高校生と小学生では違います。大切なことは、200の力を持っている高校生は210にしようとする、100の力を持っている小学生は110にしようとする…ということです。ソプラノもメゾソプラノもアルトも、全てのパートを全員が歌うのですから、高い声の出し方とか低い声の出し方などの発声練習にもなりますし、何よりも大切なことは、自分があるパートを歌う時に、相手がどんなメロディーを歌っているのかを知っている…ということです。

このような練習をやっていることは先日の訪問で湯山先生にもお伝えしました。湯山先生は「そんな練習をしているのですか?素晴らしい方法ですね。」と言われ、合わせて「空と樹海と湖と」や「ドミソの歌」が一回の練習で最初から最後まで通すことができることをとても驚いて、そして喜んでくださいました。

この日も「ちゃっちゃ茶畑」を最後まで通すことができました。CDが配ってあるとは言え、ほとんどの子が初見なのですから、嬉しいことです。歌っているメンバーも楽しいことと思います。同じことを何度も何度も繰り返したり、何度やってもなかなか上手くハモらなかったりしていてはツマラナイもんね。

休憩に入るには少し早いので、「うなぎの子守唄」を歌うことにしました。これが2回目の練習です。3番までありますが、1番も2番も3番も全く同じハーモニーです。ただし半音ずつ高い調性へと転調していきます。3番はハ長調。ハ長調でソプラノパートを歌うと音が高いので苦しいです。逆に1番は3番よりも1音低いわけですから、アルトパートを歌うと低い音が苦しいです。嶋田先生はテノール(男声の高いパート)ですから、アルトを歌うのはチョッと苦しい。ですが、全員が全部のパートを歌うことは変な発声練習に時間を投入するよりも、よっぽど効率的です。

2回目ということもあって、「うなぎの子守唄」も最後まで全員で全部のパートを歌うことができました。

さすがに休憩した後は30分くらいしか時間がありません。何を歌うか迷いましたが「ドミソの歌」を復習することにしました。「ドミソの歌」も2回目の練習です。嶋田先生がチョッともたついたせいもあり、最後まで通すことはできませんでしたが、最後の終結部はよくハモりました。とても効率的に時間を使うことができました。少なくとも嶋田先生は、とってもとっても楽しかったです。ありがとうございました。

そうそう。「うなぎの子守唄の歌詞の意味を説明しました歌詞の意味というか、イメージですね。この曲は、養殖されているウナギが大きくなって蒲焼きになる歌ではありません。ウナギは人間を意味します。人間というか…みなさん自身を表している…と思ってください。

これは嶋田先生が抱いているかなり歪んだイメージです。先生は、ウナギのことを、明日お嫁に行く娘だとイメージしています。明日お嫁に行く子と、お父さんやお母さんはどんな気持ちで、今夜の晩ごはんを食べるのでしょう。その気持ちは、辛く悲しく、そしてこの上なく嬉しいはずです。

卒園、卒業、就職、結婚と、私たち人間が次のステップに進もうとする時、必ずそれまでの人々との別れがあります。その別れ無くしては、次のステップに進むことはできず、新しい人々との出会いも起こりえません。

その、悲しいのだけれども嬉しい…何とも言えない気持ちを「うなぎの子守唄」は見事に表現しています。

かなり歪んだことを書きました。みなさんが、この嶋田先生の歪んだイメージを土台として、自分のイメージを広げてくれることを願っています。

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