SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


プログラム変更

湯山先生のお宅を訪問しました。結論から記します。プログラムが変更になります。それに伴い、「くちびるに歌を」と「ヴィヴァルディが見た日本の四季」の楽譜代金は返却させていただくこととします。集金担当の方にはご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします。楽譜はそのまま各自で持っていてください。歌う機会は近いうちに必ず訪れます。

さて、この訪問は、湯山先生の合唱団「空」に対する思い入れの深さを実感するものとなりました。
見慣れた応接間の座り慣れたソファーに座ると、傍らには合唱団「空」第19回定期演奏会(27年)のCDが置いてありました。その応接間では開口一番「いやぁ(11月13日は)素晴らしい演奏会でしたね」
そして増田さんにお願いして今朝、急遽届けていただいた第20回定期演奏会のCD(まだレーベルは印刷されておらず、チャプター編集もしていない未完成品でした)をことのほか喜ばれて、去年テレビ番組にも登場した作曲部屋に移動すると、「名旋律集」「四国のこども歌」を聴きながら「いやぁ素晴らしい」「本当によく歌っていますね」「これは売り物になるCDですよ」などと言われました。嶋田先生は、ただただ「ありがとうございます」「先生のおかげです」と繰り返すのみでした。
その作曲部屋で始められた第21回定期演奏会の打ち合わせは、驚くべき内容でした。「全部ボクの曲になってしまったのですが…」と言われながら示してくださった、その内容は

①斉唱で歌い上げる新選童謡歌曲集
ひとつの地球
走れ フェニックス
ねこの マズルカ
白い花火
ぞうのこ
歌声よ いのち新しく
妖精の ワルツ
12の月のうた
②少年合唱とピアノのためタブロー「北陸の子ども歌」

③合唱組曲「駿河のうた」

④聴衆と歌い上げる合唱讃歌「ドミソの歌」

というものでした。そして、嶋田先生の前には①の8曲全てのコピー譜が「印刷用に」と並べられ、「北陸の子ども歌」の楽譜は「二冊しかない永久保存版ですが、そのうちの一冊をあなたに差し上げます」と言われて置かれました。

いったいどこに、名古屋の一弱小合唱団のために、ここまで考えてくださる作曲家がいるでしょうか…。先日の打ち上げパーティーの席上で、来年の演奏会の湯山先生の曲は「駿河のうた」と「ドミソの歌」2ステージでお願いします…とお伝えしました。「大賛成」と言われた湯山先生は、その話を忘れてしまわれたのかな?

いえいえ、そうではなく、限りある時間、残された時間に、後世の人々に、合唱団「空」の子どもたちに、自分が持っている全てを伝えておきたい…受け継いでもらいたい…という感じ、大げさな言い方を許してもらうなら、鬼気迫る思いを感じました。

しかし、嶋田先生も食い下がりました。湯山先生に告白しました。「既に、信長先生の楽譜2冊を購入し、配布しています。」「このプログラムのどこかで2曲あるいは4曲、信長先生の曲を入れると、どうなるでしょう?」

しかし、そう言いながら、①②③④のステージ構成の中に他の作曲家の作品を数曲入れることは、プログラム全体を構成する一貫性という意味からも有り得ない…と思っていました。そして、湯山先生の意見も同じでした。

ここに至って、嶋田先生は腹を括りました。信長先生の曲は一年間凍結です。

しかし、ノートにメモをしました。

平成30年、第22回定期演奏会は湯山先生の曲は2ステージ。他のステージは信長先生の「くちびるに歌を」か「サウンドオブミュージック」あるいは新実徳英先生の「空に樹に」あたりの中から選曲する…と。

そして、このメモはその場で二枚コピーを取り、湯山先生と嶋田先生との共通理解としました。

生の空間で顔を見ながら打ち合わせた内容を、文字で説明することの難しさを実感しています。

次に練習日程です。

9月24日、10月29日、11月19日のいずれも日曜日。10時から15時と予定しておいてください。

本場前日の練習は、通常の9時30分から小学生のみで練習をして、湯山先生は夕方に名古屋に入られます。本番の翌週に中学校と高等学校の期末テストが入りそうなことと、だから25日と勤労感謝の日に勉強を頑張ってもらうということを理解してくださいました。

練習日は、いずれも前日の土曜日の夕方にお見えになります。

 

「くちびるに歌を」は残念ですが、それは嶋田先生だけかもしれません。変更で入ってきた「北陸の子ども歌」は湯山先生の傑作であり、みんなにとっては未知の、そして必ず充実した音楽体験になりますから、その意味では「くちびるに歌を」も「北陸の子ども歌」も等価値であると言えます。特に「北陸の子ども歌」は「四国のこども歌」と姉妹関係に位置する曲なので、「四国のこども歌」を歌った翌年に「北陸の子ども歌」に取り組むことは大きな意味があります。

今回の変更は、ひとえに嶋田先生の調整不足であり、子どもたちにも父母会の方々にも、そして浜田先生にも多くのご迷惑をおかけしてしまいました。深くお詫び申し上げます。

なにとぞご理解くださいますように、お願い申し上げます。

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