「かもめの歌」の詩について記しておきます。
日本の詩は全て、五七調の俳句や短歌が基本となっています。つまり、言葉を限りなく省略し、ギリギリにまで切り詰めた説明なり思いなりが述べられます。
名月を 取ってくれろと 泣く子かな(小林一茶)
これを言葉のままに英訳したら、
Please take that beautiful Moon for me, and The baby cry. となるでしょうね。
「どうか月を取ってください、と言って赤ちゃんは泣いた。」
これは全くナンセンスなことです。言わなければ分からない、書かなければ理解できない英語やドイツ語やフランス語の文化とは全く異なるものです。
もし、この一茶の俳句を英訳するならば、
I love my Son, because he said, Please take that Moon for me, How pretty my Son. となるでしょう。
「私はこの子を愛している。この子は「あのお月さまを取って」と私に言う。何という可愛い言葉だろうか。」
こんな気持ちが一茶の本音でしょう。一茶の日本語をそのまま英語にすると、全く意味の分からない、この上もなくバカバカしい言葉の羅列に終始します。
「かもめの歌」も同様で、書いてある言葉だけからイメージを広げるのではなく、行間にある川崎洋の思いを読み取らなくてはなりません。
ですから冒頭「かもめ かもめ 私」は、こうなります。
「かもめは私 私はかもめ かもめの心は私の心 私の精神はかもめに乗り移る」
そして「あれは海 あれは波」とは
「あれは私の目標 あれは私の未来」
となるでしょう。「いちめんの銀のきらきら」とは「私の未来がキラキラと輝いている」ということに他なりません。
みなさんが目標や未来に立ち向かう時、厳しいことですが自分自身の力や努力しか役に立たないのは事実です。漢字のテストで100点を取りたいと思ったら、最後に役に立つのは父さんや母さんの励ましでも先生の指導でもなく、自分自身がどれだけ漢字に取り組んだか、そこが問われるでしょう。
「この広い空のどこにも ほかのかもめの影もない」とは、
「この目標に立ち向かう時、誰の力も借りることはできないのだ」という決意の表明ということになります。
「こんなに高く なぜ」「たった一羽で なぜ」とは、オリンピックの福原さんや伊調さんを思ってください。
「なぜ、こんな高い目標を掲げたのだろう。世界一などという目標を…。その目標には誰もついてこない。目標に向かって戦い、努力するのは自分の力あるのみ」
そして、かもめの心は(かもめの私が)私自身に(私のかもめに)問い掛けます。
「なぜ、そんな目標を掲げたの?」と。しかし、その「思い」は言葉にはならず、かもめは(つまり自分の心は)自分自身の生き方の問題ではないのか…と問い返してくるのです。伊調選手も福原選手も、もうこのへんで良いのではないか、北京で終わりにしておけば、それはそれで輝いているのに、なぜリオに挑んだのだろう…と自分に問い掛けたのではないでしょうか。しかし、それは、その人の人生観、生き方の問題に他なりません。
「青い自由と孤独の空」とは「その絶対に誰も成し遂げていない目標に挑む自分自身の決断と孤独」を意味していると思います。
「その重い風が 私の翼を鳴らし続ける」とは「目標に向かっている時に囁く悪魔の声が聞こえる。やめてしまえ、やめれば楽になるぞ…と」ということでしょうか。
そんな時、つまり目標に撥(は)ね返されて挫折しそうになる時、友達や父さん母さんに会いたくなりますよね。「群れを探そう 仲間に帰ろう (かもめは)私は(かもめと)友達や仲間と 連れ立って一緒にいた方が(連れ立って翔ぼうと)良いと思ってしまう」
しかし、かもめ(私)は思うのです。私は私に正直でありたい。私の目標はただ一つ。あれは海(目標)、あれは波(未来)、それを忘れてはいけないのだ…。と。
再度「いちめんの銀のきらきら(私の未来がキラキラと輝いている)」と繰り返されますが、後の言葉が違います。そこに向かって「翔ぶよ かもめ わたし」です。
限りなく白く(輝いている)冷たい(困難な)雲の峰を(目標を)めざして はるかな南へ(戦いへ)
だから歌詞は冒頭の「こんなに高く なぜ」「たった一羽で なぜ」から「そんなに遠くになぜ」「群れをはなれてなぜ」に変わっています。
「雲の峰こそ氷の嵐 吹き荒れる飛礫が 私の翼を叩き砕くか」とは、「目標に向かう私に立ち塞がる試練が 私の道に立ち塞がる」ということでしょうね。
しかし私は言うのです。「たとえ翼を(私の希望が)打たれて堕ちても(敗北しても)私はかもめと(私は私の努力を信じて)誇らかに翔ぼうよ(決して自分を恥じることはない)」と。
「今、胸にいっぱい 熱い空気をためて」とは「その目標に立ち向かう自分が、今ここにいること。今、そういう努力を続けることのできる自分がいること」が、目標を達成すること以上に素晴らしいことだ…と歌う言葉だと思います。
吉田選手は銀メダルでした。しかし、それまでに重ねた努力は、メダルの色を超越した胸にいっぱい誇ることのできる努力であったはずです。
その自分の力、自分の努力を信じて、「翔ぶよ 翔けるよ 若い翼」と詩は続きます。
そんな努力を積み重ねることのできる人は幸せですね。自分自身を信じることができることは、何百億円・何千億円いや無限のお金を手に入れることよりも貴重で幸せなことではないでしょうか。
「ひとすじの 光のように (自分自身が)雲をつらぬき 海にひびく」
そんなふうに障害を乗り越え(雲をつらぬき)、喜びの歌をうたう(海にひびく)ことができた時、私は白い炎となり、私自身の勇気の歌(かもめの歌)を、高らかに歌うことができるのです。
このような生き方を、先生はしてみたいと思います。50才を超えた今からでも遅くはないはずです。きっとできると思う。
みなさんは、どう思いますか?
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