SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


湯山先生指導 2日目
読む人には文字があり、歌う人には楽譜がありますが、
聞く人には文字も楽譜もありません

湯山先生をお迎えしての二日目。

この日は湯山先生のボルテージは上がらず、嶋田先生も冷や冷やものでした。
湯山先生の心中は分かりませんが、おそらく見た目の人数が少なかったことが原因の一つと考えられます。参加者は15人ほどだったかなぁ…。
中間テストが近いこともありますし、各種の部活動があることも良く理解しているつもりですが、「空」の(特に湯山先生の)スケジュールも1年前からHP上にも公開しているわけですから、次回の湯山先生のリハーサルには鋭意、調整をお願いします。参加人数の問題に関しては、嶋田先生がいかに努力し工夫しても、どうにもごまかしようがありませんので。
音楽の問題、たとえばパートのバランスとか声の量、言葉の聞こえ方などでしたら、たとえ作曲者であっても、それなりに取り繕い、早い話が「ごまかして」しまうこともできるのですが(ただし、その日のその場しのぎだけですが)、人数だけはごまかせません。

参加者は良くがんばっていたと思います。「ヘイ!タンブリン」は実際に全員が一つずつタンブリンを持ってのリハーサルとなりましたが、動きも揃って良かったと思います。湯山先生も「面白いですね」と楽しそうでした。

「くじらの子守唄」では「全体に言葉をハッキリと」という指示がありました。この理由は分かります。阪田寛夫さんの詩は非常にロマンチックな不思議な世界を歌っていて、次にどのような言葉が来るのか(どんな情景になるのか)が予想しにくいのです。
これを「ヘイ!タンブリン」と比較してみますと、たとえば「陽気なタンブリン」の次の「ダンスが大好きで」という流れは、読み手の予想の範囲に入ります。
ところが「くじらの子守唄」では「ちがうよ、よくお聞き、海だよ、海の音」の次の「うたんだ海たちの、せき込む音なんだ」という流れは、読み手の意表を突きます。
読む人には文字があり、歌う人には楽譜がありますが、聞く人には文字も楽譜もありません。音としてしか、声としてしか、世界が存在しないのです。ゆえに「言葉をハッキリと」という指示になるわけです。

このことは、よく理解してほしい。言葉をハッキリするだけじゃダメです。どんな声でその言葉を表現するのか、どんな声色で表現するのか、よく嶋田先生は言いますが、聞く人にとっては声や声色、表情などから「詩の世界を想像するしかない」わけで、そういう努力を重ねるのが表現の世界(合唱も表現のひとつです)の練習なのです。

「おはなしゆびさん」は1番から5番まで、「おはなしする」という歌詞が5回出てきます。今回は、その「おはなしする」を全部、歌い方を変えることになりました。すなわち、1番の「おはなしする」はパパの声で、2番の「おはなしする」はママの声で、そして5番の「おはなしする」は赤ちゃんの声で、それぞれ歌うことになります。
前回「おはなしゆびさん」を歌った時は、前半はパパ、ママ、兄さん、姉さん、赤ちゃんの声で歌い、「おはなしする」は全て普通の声で表現したのですが、今回は前述のとおりです。

同じ曲だけど少しずつ仕掛けが変わってくる。湯山先生だって成長する。って言うか、以前の湯山先生と今回の湯山先生では、同じ湯山先生なんだけど違う湯山先生なのだ。分かりやすく言い換えれば、常に新しい工夫を求めておられるということ。あるいは常に新しい可能性を追求しておられるということです。

東海メールクワイアーをお迎えしてのフォスターは良くハモりました。人数はさらに減りましたが、最後まで頑張ってくれたメンバーに感謝と拍手を送ります。

「草競馬」は鋭く、各所の入りをハッキリと歌うようにしましょう。P28「デ ロンティ フィリ」を強く歌わないと、東海メールをもってしても「アンデ ビッグ ブラック ホース」をきちんと出るのが難しくなります。同じように東海メールがハッキリ出てくれると「空」が歌いやすくなる部分もたくさんあります。これは大人も子どもも関係ない。表現の追求に、年齢や経験は関係ないのだ。ただ一つ、必要なことは「お互いを支え合おうとする協調性」です。
このことを子どもたちが本当に実感できたのであれば、今回の第19回定期演奏会は大成功であったと断言することができます。

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