SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


「東北の賛歌」の言葉、今だからこそ注ぎ込む意味

今日の練習は、女声合唱団「青」との2回目の合同練習でした。もっとも、1回目は嶋田先生の学校の運動会の日に、「青」の大橋先生にご指導をお願いしましたから、嶋田先生にとっては実質的に初の合同練習でした。中学生・高校生は期末テストの時期ですから、主力が欠けることを想定して、さて、どういう狙いを持って練習を組み立てるか、前日から考えていました。

「空」には先週入団してくれた新入団員もいて、その子は今日が初見となりますし、「青」の皆さんがどれくらい歌ってくださるか、全く分からないので、どこでどんな支援が必要になるか、予想がつきません。細かく音程をチェックしていくか、パートごとに必要な要求をしていくか…。予想がつかないことを迷っても結論なんて出ません。今日は、大人も子供も、全員が500回ずつ間違えてもいいから、「東北の讃歌」の骨格を伝えることがベストであろう…と考えて練習場に向いました。

まずはアンコールの「あめふりくまのこ」と「大漁」を。促音の処理に手間取りますが、さすがに歌い方は手慣れたもので一発合格です。

「東北の讃歌」は、終曲「でこでこ三春」からスタート。集結部「みちのくの新しい季節 東北の新しい季節」を繰り返します。震災後、ほとんど復興がかなわない地域も多く残る今、作曲されたのは、もちろん震災の遥か以前なのですが、今、この言葉に、今だから注ぎ込む意味にこそ価値があるのでは?と、みなさんに問い掛けます。

次に冒頭。「三つの春が顔見合わせて」の「三つの春」とは何かを問い掛けます。それは「梅の花の春」であり、「桃の花の春」であり、「桜の花の春」であることは明らかなのですが、ここで言う梅と桃と桜は、もちろん単なる植物のことではない。「梅」は「津波で母を亡くした子」であり、「桃」は「子を亡くした母」であり、「桜」は「一人ぼっちになってしまった人」なのです。そういう人が現実にいるんです。地域的・空間的に離れているから、鈍感な私たちには分からないだけです。そして、そういう人々に本当の笑顔が、本当のやすらぎが訪れますように…と、「張り子のでこ」は歌うのです。

じゃあ「張り子のでこ」って何? それは、歌う人々全員。つまり、みなさんです。そういうことを分からないまま、ただ音程のみに気を配ったり、強弱のあり方のみに確執したりするのは、ナンセンスこの上ないことです。そういう意味では、みるみるうちに歌声が変わっていきました。「青」のみなさんの協力に大感謝です。

次は「かまくら幻想」。

冒頭の「水神さま、拝んでタンセ」を、できるだけ幼い、かわいい声で歌うように、「青」のみなさんにお願いします。11月の本番では、あるいは「空」だけで、この部分を歌うということも、選択肢の一つかもしれません。

コーダ「雪国のかまくらは雪のぼんぼり」の部分は、「青」のみなさんから「音の確認を…」とのリクエストがありました。自分が分からないこと、不安なこと、納得がいかないことなどを、分からないと言ったり、質問したりすることは、少しも恥ずかしいことではありません。ここが、日本中の小学生(中学生も?)が持っている大きな弱点で、聞くことは恥ずかしいことだと思っている。嶋田先生は担任だったころ、授業で「ハイ、分かる人」と聞いたことは、ほとんどありません。いつも「ハイ、分からない人?」と聞いていました。嶋田先生のクラスでは、分からないと言って手を挙げることが普通のことであり、いつも「授業では分かる人なんか、どうだっていいんですよ。分からない人に、どうヒントを出すかが授業なんですよ」と言っていました。

「青」の方々から「不安です」とのリクエストが出され、鍵盤ハーモニカで全てのパートを確認することによって、その後、極めて美しいハーモニーができたことを報告しておきます。「空」のみなさんも、少なくとも嶋田先生に対しては、「分からない」と言って聞くことが、少なくとも自分にとってプラスになり、「空」全体にとっても絶対にプラスになることだと理解してほしいなって思いました。

その後、「鮭の大助」「南部うまっこ唄」を練習しましたが、この内容については、次回に記すこととします。

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