SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


平成最後の「空」コンサートは慰問コンサート そして「南海譜」

【12月15日(土)】
今日は合唱団「空」の平成最後のコンサートとなりました。会場は尾頭橋近くの老人ホームでの慰問。プログラムは「文部省唱歌集」と「サウンド・オヴ・ミュージック」、「ドレミの歌」、「うたにつばさがあれば」を歌いました。平成8年に創立し、平成とともに歩んできた合唱団「空」にとって、平成最後のコンサートは感動的なものになったと思います。
朝、今日のコンサートの目的を話します。慰問コンサートはよく響く声を披露したり、美しいハーモニーを展開したりするのが目的ではない。もちろん声が響いてハーモニーが美しいのに越したことはないのですが、それだけでは足りない。もっと大切なことがある。それは「今夜、良い夢を見てください」という思いです。
90才や100才のお年寄りにお金やダイヤの指輪をプレゼントしたって意味は無い。お年寄りに必要なのは「生きる」ということです。その生きる1日が「死への恐怖におののく1日」であるか「昔の思い出を懐かしむ1日」であるかは重要なことです。
みんなの歌声を聴いて、お年寄りたちが今夜、良い夢を見てくれたらいいな…と話しました。
練習には特別な出来事はありません。十分に歌い込んでいる曲目ですから余裕があります。定期演奏会で歌った曲を、そっくりそのまま踏襲することになりました。「さくら」だけは4月のスプリングコンサートでの編曲を使いましたが、8ヶ月前の(8ヶ月間一度も歌っていない)アレンジを完璧に覚えているのはサスガです。みんな、頭がいいですね(笑)。
だから「文部省唱歌集」は1回歌って確認すれば十分で、その確認は1時間と少しで終了。休憩の後は、みんなが余らせてくれた1時間で「白いうた青いうた」です。
この曲集は「鳥が」だけが特別で、あとの9曲が「白いうた青いうた」。その9曲は「ともだち」「いのち」「平和」という3つのテーマで3曲ずつ選んである…と話しました。
選んである…と言うからには他の曲もあるわけです。「白いうた青いうた」は全部で53曲あり、そのいずれもが名曲なので歌いたいのです。ですがコンサートの時間は無限ではないので、止むを得ず3つのテーマで3曲ずつ選んだ…というわけです。
1時間という時間をもらったので嶋田先生が最も燃える曲を選びました(ちょっと語弊があるかな。9曲とも燃えます)。その曲は「南海譜」です。
「南のすな まぶしい影」とは70年以上前に戦争があったフィリピンあるいはガダルカナルの海に今は平和の光がさしている…という情景です。
「いくさ果てて」とは戦争が終わって…ということ。
「さびる錨」とは南海で沈没している軍艦の錨が錆びているということです。
今は平和になって、南の海を「よせる波を くだく静けさ」が包みます。ここからスゴイ情景が展開します。
沈没した軍艦の中にいる骨になった兵隊さんが、まわりの海で死んでいく魚たちに呼びかけます。「魚よ 魚よ 同じ骨ぞ」
お魚さんたちよ、お前も死んで、オレと同じ骨になったのか…と。
兵隊さんたちと魚たちの骨が「ともに歌え 鮫の都で」と共感し合い、詩は「あわれ 時の 椰子の高さ」と続きます。
かわいそうだなぁ(あわれ)。80年の「時の」中で、戦争中はタネ(実)だった椰子の実が、あんな「椰子の高さ」になったよ。
フィリピンってどこ?ガダルカナルって何?という子は、お父さんお母さんさんに聞きましょう。嶋田先生よりも年下のお父さんお母さんですが、そこで何があったかぐらいはご存知のはずです。
2番はスゴイ情景です。
「潮がみちて 十日の月」とは、満月の夜…という意味でしょうね。
その満月の夜に「船底から のびる鎖」です。沈没した軍艦から鎖が伸びている。この鎖は鉄でできた鎖ではなく、水泡(あわ)のことです。水泡(あわ)が鎖のようにつながって、軍艦の中から上へ上へと伸びている。
その水泡(あわ)は、骨になっている兵隊さんたちの「声の泡だち」です。「わかい祖(おや)の」とは20才くらいで死んだ兵隊さん。
20才くらいで出兵した人たち(大中先生は19才で出兵しています)には当然、赤ちゃんもいたことでしょう。19才か20才のまま骨になっている兵隊さんには、今を生きている孫がいます。その会ったこともない孫たちに骨になった兵隊さんが呼びかける。
「孫よ 孫よ おなじ年ぞ」お前もオレと同じ年齢になっているんだねって。
孫たちに「いっしょに遊ぼう、この海で」と呼びかけるのが「ともにあそべ 渦のもなかで」です。そして80年の間に育ったサンゴ。タネだったサンゴが真っ赤に育っている。
「あわれ 時の 珊瑚の赤さ」です。
悲劇的です。悲しすぎる情景です。しかし子どもであるみなさんが知っておかなければならない情景です。6年生の社会に「平和になった日本」という単元がありますが、「南海譜」を本気で歌えばそんな社会の授業など消し飛んでしまいます。
嶋田先生やお父さんお母さんを含めて、みなさんは戦争というものを知りません。体験するためには実際に戦争を起こせば良いのですが、そうはいきません。体験したことのない「戦争」というものを、体験したように知っている力。これこそがイマジネーションであり、つまりイメージする力。想像力です。
想像力とは「思いやりの力」であり、その「思いやりの力」を持っている子は「イジメって何?アタシには分からない。どうやってするの?それともイジメって美味しい食べ物?」という子になります。
谷川雁の詩と新実先生のメロディーを読み込んで、みんなの心の中に鮮明なイメージが膨らんでくれることを祈っています。

午後の慰問コンサートについては多くを語りますまい。嶋田先生が気付いただけでも3名のお年寄りが涙を拭いておられました。そのうちの2名は男性です。
悲しくて泣いたのなら最初から泣いているはずです。だから、その涙は悲しみの涙ではない。
嬉しかった涙でしょうか?それも違いますね。
きっと、幼かったころに、お母さんと手をつないで歩いた情景を思い出しておられたのでしょう。
それを思い出せって命令して「はい、分かりました。あっ思い出しました」なんてことができると思いますか?
思い出させたのは、みんなの歌声です。みんなの歌声には、お年寄りたちの「忘れかけていた懐かしい情景」を再び鮮明にして蘇らせる「力」があったのです。上手か下手かではない、もっと大切な「人の心を揺り動かす力」です。
みなさんは、泣いておられたお年寄りに対して「天使の贈り物」を届けることができたのです。一人では決してできない、みんなの力を結集した結果です。
ありがとう、みなさん。平成最後のコンサートは大成功でした。大感謝です。

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