SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


イメージを膨らませましょう

【6月30日(土)】
待ちに待った土曜日。学校行事の関係で2週間連続の練習不参加を余儀なくされた嶋田先生にとって、本当に待ちわびた「今日」でした。
さっそく「向日葵の歌」を開きます。「ふしぎ」は音程が正確だったので、「あっ、もう音取りは必要ないな」と直感しました。だから「表現」の共通理解に切り替えます。P5の3段目、P7の1段目、P8の2段目、P9の3段目にはそれぞれクレシェンドとデクレシェンドの記号が付いています。クレシェンドだから「だんだん大きくしよう」という指導をしたことは20年間に1度もありません。「なぜ、そのように歌うのか」を追求してきたのが「空」の20年です。
「黒い雲から降る雨」だから「黒い色をしている」のが常識でしょうが、金子みすゞは「銀に光っている」ことを発見しました。その発見の喜び、すなわちワクワク感です。そのワクワク感があるからクレシェンドとデクレシェンドになる。
今の「空」の子は、こう一言ヒントを出すだけで、何かを進化させた表現を返してくれます。
いかに適切なヒントを出すのか…が教師の指導力だとすれば、そのヒントにいかに適切な答えを出すか…が子供たちの関心意欲です。次に先生がどんなヒントを出すか、期待を膨らませて(興味深々に身構えて)待っているような眼光を感じることもあり、先生にとっても心地よい緊張感です。
次のヒントは強弱記号です。同じフレーズが4回繰り返され、最後の終結部を含めてp、mp、mf、f、ffとなっていることを確認しました。1回目はそのように「だんだん大きくしてください」と言っただけですが、2回目は「なぜ、そう歌うのか」を考えます。
答えは、やはり新しい発見をしていくワクワク感の高まりです。みんなだったら算数で、できる計算がドンドン増えていく、分かる式が次々と増えていく時のワクワク感ですね。
湯山先生はこの部分に必ず「音の階段」という表現を使われます。「だんだん強くしていってください」と。この秋にお見えになる時も必ず指示が出るはずです。
しかし、「空」も進化します。4番「だれに聞いても笑ってて」のfは、ワクワク感だけでなく、そこにホンの少し怒った感じを入れてください…と要求しました。この指示は、これまでに何度も歌っている「向日葵の歌」の練習で初めて出すものです。
なぜ怒った感じなのか。あるいはイライラ感と言えるかも知れない。何か不満を感じるフォルテです。
なぜなら1番から3番までは本当に美しいものを発見したワクワク感なのですが、4番はその美しいものに気が付かない友達に対する絶望だからです。
だから「あんたら、どこに目を付けてるんだよぅ。気付かねえのかよぅ」というイライラ感のある皮肉な発見になります。
終結部の「いうことが」のffは、その延長線上にあるものですから、単にキレイにハモれば良いというものではない。皮肉な怒りと不満を持った、何とも言えないffになるわけです。
このように指示すると、それなりの表現がスグに返ってくる。とても嬉しいです。
「蜂と神さま」も微妙に違うのですが似たようなフレーズが繰り返されていきます。最初はpで、だんだんmp、mfとなっていき、「世界は神様の中に」でfになる。なぜか。
それは「蜂」も「花」も「庭」も「土塀」も「町」も「日本」も「世界」も絵に描けます。つまり実態が明らかで、手で触ることができるものです。
ところが「神様」だけは違う。「神様」は一人一人にイメージはあるでしょうが、ハッキリとした実像はなく、絵に描いても混沌としたものになることでしょう。少なくとも世界地図を描くようには描けません。
「世界は」から「神様の中に」と歌う時、それまでとは違った発見の喜び、ワクワク感が必要なのです。だからfになる。
と、そのように言ったら(そりゃあ、まだまだ不完全ではありますが)それなりの表現が返ってくるわけです。2週間「空」の練習から離れていたイライラが吹っ飛びます。
「風」から「空の鯉」「つもった雪」は聴いた瞬間に「何かが違う、何かが進歩している」と感じました。聞けば先週と先々週、がんばって練習してくれていたとのこと。みんなのガンバリに感謝感謝です。
「風」は「ルーラルラルラルーラルラー」の意味を話しました。風が吹く音を表現している…と話して、そのように表現します。これが第1段階レベル1。
レベル2は「空の山羊」という言葉の理解です。山羊はヤギであり親しみのある動物です。メエェ~と鳴く動物。このヤギが空を飛んでいて「ル~ラルラ~」なんて鳴いているイメージはご容赦願いたい。
この場合の「山羊」とは「雲」のことです。で、「山羊追い」とは「雲」を「追うもの」ですから「風」のことです。だから「空の山羊追い目に見えぬ」とは「空の雲を吹き飛ばす風は目に見えない」という意味になります。
「風」は目に見えませんが確かなエネルギーを持っています。目に見えなくてもエネルギーを持っているものは他にもあります。それは人間の心の中にある「優しさ」であり「思いやり」です。
「風」も「優しさ」も「思いやり」も、目には見えませんが確かなエネルギーを持っている。そのことを発見した喜び。ワクワク感。「ルラルラ」というスキャットには、そのような」意味がある。これが第2段階レベル2。
「まだ半年ありますから、レベル2にしたいですね」と投げかけておきました。
「空の鯉」と「つもった雪」についてもいろいろ話しましたが、その内容は後の機会に譲りたいと思います。

休憩の後、浜田先生が本番(あるいは本番直前の重要リハーサル)のために不在となったため、ピアノが要らないアカペラを歌うこととしました。すなわち「サウンド・オヴ・ミュージック」の「朝の讃美歌」と「ハレルヤ」です。
「朝の讃美歌」は強い声が必要です。音程は正確ですから(少なくとも楽譜を見ていて鍵盤で補助すれば完璧です)あとはハーモニーを作る基本となる声。これがチョッと弱い。まぁ、音程が難しくて不安もある今の段階では「もっと強く」と言っても無理かもしれません。
それにしてもよくハモります。讃美歌としての宗教的な味わいも感じられ、いいムードです。ただ、ソプラノの最高音とアルトの最低音は今後の課題ですね。新入団員、入ってくれないかなぁ。
「ハレルヤ」はメゾソプラノがムズカシイ。こりゃ大変です。しかしカッコイイ音楽ですから、互いの音を聴き合う耳を鍛えて、上手く歌えると良いですね。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいました。嶋田先生はエネルギーをもらいました。私にエネルギーを与えてくれたメンバーに、心から感謝します。ありがとう。
来週もヨロシクね。

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