SORA NOTE

嶋田先生から空のみんなへ


老人ホーム慰問コンサート大成功 みなさんのご協力に感謝

【6月2日(土)】
先週は学校の運動会で練習に参加することができなかった嶋田先生です。2週間ぶりに「空」のメンバーの顔を見て少年少女合唱の響きに浸りました。あぁ、キレイだなぁ…、あぁ、爽やかだなぁ…というのが実感で、心が洗われるようで、一週間の疲れが吹っ飛びました。
実は運動会の終わったその日の夜に東京へ移動し、翌27日(日)には東海メールクワイアーの東京演奏会に参加して、男声合唱の響きにドップリと浸ってきたのですが、男声合唱の響きと少年少女合唱の響きは本質的に異なります。
男声合唱の響きを「スギやヒノキの大木が連なる森林」に例えるなら、少年少女合唱の響きはその森林の上に降り注ぐ「太陽の光」や「爽やかな風」に例えられます。
嶋田先生はどちらも好きなのですが、どちらか一つ選べ…と言われたら、少年少女合唱の響きを選びます。これは良い悪いの問題ではなく、嶋田個人の好みの問題です。もしかしたら、「どんなに努力してもプレイヤーとして歌うことのできない世界への憧れ」があるのかもしれません。嶋田先生の少年少女合唱の命(プレイヤー経験)は小学校6年生の時に終わっていて、一度死んで生まれ変わらない限り少年少女合唱のプレイヤーになることはできないのです。
男声合唱も混声合唱も女声合唱も寿命は長いですが、少年少女合唱だけは旬(時期)というものがあり、プレイヤー寿命が短い。人生の中のある一時期にのみ参加可能であり、そんな「はかなさ」も魅力に感じる嶋田先生です。
閑話休題。
この日は午後から豊明老人保健施設を訪問し、慰問コンサートを行います。例年ならば午前中は全部の時間を「文部省唱歌集」の練習に投入して午後からの本番に備えるのですが、今年は4月21日のスプリングコンサートの貯金が生きていて11曲全部の練習が約1時間で終わりました。みんなの集中力のおかげで、部分的な確認をすれば十分でした。

慰問コンサートは団員募集をするために行うのではありません。「新入団員になりたいです」なんて言われたら困ってしまいます。では、このコンサートの意義は?と言うと、それはただ一つ、お年寄りたちに良い夢を見てもらい、今日という一日を楽しく感じてもらうことに尽きます。

100才に近いお年寄りに100万円をプレゼントして「これで美味しいフランス料理でも食べてくれ」なんて言ってもダメです。100才のお年寄りがフランス料理のステーキなんぞ食べたら死んでしまいます。ではダイヤモンドの指輪でも持って行って「これをはめてお出かけしてください」なんて言っても車イスです。

お年寄りにとっては、100万円もダイヤモンドも大した値打ちはない。お金やファッションは価値がないのです。価値があるのは「命」であり「今日という一日」です。今日という日を爽やかに楽しく生きる命こそ人間にとって大切なもので、その一日を「空」の子供たちが演出した。「春の小川」や「ふるさと」を聴いて、ハンカチで目頭を押さえておられたお年寄りは二人や三人ではありませんでした。

人間にとって一番大切なものとは何か。それをお年寄りたちが無言で「空」の子供たちに教えてくださいます。一番大切なものとは「お金」でも「ファッション」でもなく、「命」であり「今日という一日を大切に生きる」ことであるということを。

これは、私たち若者(子供たち、そして保護者のみなさん、嶋田先生も)にとっても同じであるはずです。しかし、私たちにとっては「お金」や「ファッション」は価値のあるものです。なぜかというと私たちには、ものすごく乱暴に言えば「欲」があり、同じことをものすごくキレイに言えば「今日をどう過ごすかによって左右される未来」があるからです。今日のファッションで未来のお嫁さんが見つかるかも知れないし、今のうちに稼げるだけ稼いでおけば未来の生活は楽になります。

だから私たちが「欲」を持ち「ファッション」に関心を持つことは当然であり必要なことです。でも、根源的な本質的な本当に人間の根元の部分を考える時、最後に残るのは「命」であり「生きる」ということです。気を付けなければならないのは、当面の「欲」や「ファッション」に関心を寄せるあまりに目が曇って、それさえあれば良いと錯覚してしまい、人間の根源を見失ってしまうことです。

そういうことをお年寄りたちは「空」の子に教えてくださいました。「空」の子供たちの歌声に合わせて、お年寄りたちは口ずさんでいました。「さくら」は全員が歌っておられました。「冬景色」も「おぼろ月夜」も「ふるさと」も。きっと若い時代を思い起こしておられたに違いありません。みんなの歌声には、そういう力があったのです。

このようなことは、少なくとも嶋田先生が渡り歩いてきた小学校の総合的な学習での「お年寄りと交流しよう」といった学習では学ぶことは不可能です。小学校の授業では、このような「力」のある出し物を準備することは、授業時間の関係から考えても極めて難しい。社会教育としての「空」の活動は、だから意義があると考えます。

 

さて、午前中は残った時間で「ドレミの歌」に取り組みました。これもスプリングコンサートの貯金が生きていて、もう音取りは必要ありません。ですが音取りができているということと音程が正確であるということとは別問題です。イマイチ音程が正確ではありません。

なぜか。

それは弱い歌い方をするからです。ちょうどリコーダーを持っていましたから、弱い息を吹き込んだ時の音程と、安定した息を吹き込んだ時の音程を聴き比べてもらいました。誰がどう聴いても、弱いフニャフニャした息の方がリコーダーの音程は低くなることが分かりました。

同じことが声でも言えます。呼吸とか体の使い方などが弱い歌い方だと音程は決まらない。大きい声を出すのとは違いますよ。強い声と大きい声とは違います。大きい声は必要ありません。必要なのは強い声です。

もう一つは、ハーモニーを作る「聴く耳」です。「ドはドーナツのド」と歌う時、アルトが「ドー」と伸ばしていますから、♭ミとソのハーモニーができます。このハーモニーを必ず確認してから「レ」を歌うのです。次の「レはレモンのレ」にも同じことが言えます。

「ソは青い空」の最初は♭ミとソと♭シの和音です。「シは幸せよ」の最初はソとシとレの和音。このような部分をキッチリ決めて歌うと、すごくカッコイイ力強い音楽になります。

「エーデルワイス」を含めて、決めるべき部分をキッチリと決めて歌えるように、次回の練習を組み立てます。愛知県合唱連盟合唱祭は「空」の総力を結集したいものです。久しぶりに参加したメンバーはメロディーを歌ってくれれば大きな助けになります。メロディーが安定しなければハーモニーも決まりませんからね。

みなさん、力を貸してください。よろしくお願いいたします。

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